第17話 お忍びデート⁉︎【前編】



 なぜ!

 なぜ!

 なぜ、私はきちんとお断りできなかったのかぁぁぁっ〜⁉︎

 頭を抱えながらも平民に見える格好に着替えて、ベッドの横にしゃがみ込んだ。


「……ちゃんと平民に見える服を用意している自分が分からない……!」


 なんの刺繍も柄もないシンプルな緑色の上着と、茶色いズボン。

 黒いブーツにベルト。

 髪型も男の子に見えるよう、ポニーテールにした。

 一週間ほど前にエルスティー様に言われて、私は何度もお断りしようと思ったのだ。

 なのに、断る前に「当日はなにをしたい?」「どこへ行ってみたい?」「食べてみたいものはある?」「平民に見える服を用意しておいてね」などなど、色々言われて結局お断りできずに今日を迎えてしまったのよ。

 まあ、あの双子のご令嬢とエーヴァンデル公爵家の所業がついにザグレ国王陛下のお耳に入った事もあり、それなりに学園内もバタバタした、というのもあるけれど。

 結局レイシャ・エーヴァンデルは精霊修道院に入れられる事となり、姉のミーシャ・エーヴァンデルは『スフレアの森』に入ってしまった事や王太子を危険に晒した事は事実とされて、親戚の家に引き取られ自宅謹慎半年を申し渡された。

 本来なら国外追放もやむなし。

 かなり減刑されている。

 エーヴァンデル公爵は横領がバレ、裏どりも行われ罪が確定。

 爵位は子爵にまで落とされ、お家もシャゴインとの国境付近に移動を命じられる事となった。

 ついでに、奥様とは離婚。

 爵位が下がった為、奥様の実家の爵位の方が上になり実家の方から離縁を言い渡されたのだそうだ。

 今は親戚筋に預けられているミーシャ様も、謹慎が終わったら母方に引き取られる予定だという。

 ああ、まあ、それはいいわ。

 そうなるのは目に見えていたもの。

 それよりも、今日の事よ。

 服を用意したのも行きたいところや食べてみたいものをリストアップしたのも、結局お断りしきれなかったのも自分だ。

 頰を包む。

 ああ、私、本当になにをしているの?

 私はロンディニアの王女。

 それも、卒業したらシャゴインに嫁ぐのが決まっている。

 そりゃ、今はセイドリックの夢を叶える為に『セイドリック・スカーレット・ロンディニア』として振舞っているけれど……いずれ『セシル・スカーレット・ロンディニア』に戻り、王族として生まれた役目を果たさねばならい。

 それは、この国に留学してくる前にお父様とも約束した事よ。

 それに、あの方が本当に好きなのは『男性』。

 私は、セイドリックのふりをしている『女』。

 エルスティー様の苦手な、女なの。

 あの方には二つも嘘をついている。


「……………………」


 手が膝の上に落ちた。

 浮付いていた気持ちも、急降下していく。

 こんなの、フェアじゃないわ。

 やはりダメよね、このままでは。

 セイドリックと私が入れ替わっている事は……私の一存では伝えられない。

 一度きちんとセイドリックに相談して、エルスティー様にはお話していいか聞いて……うん、それからきちんとお断りをしましょう。

 きょ、今日は……今日は町を案内してもらい、その、ご、ご好意に対するお断りだけはしてこよう!

 ベッドに手を付いて立ち上がるけれど、ベッド——そう、私はこのベッドであの方に、口付けを……。

 思い出すと顔がカッカカッカと熱くなる。

 ん、んもおおおぉ!


『セイドリック様、おはようございます。本日はお出かけと伺いましたが……』


 扉をノックする音と、イフの声。

 頰に手を当てていた私は、ハッとして「今行く」と返事をした。

 ダメだ、平常心平常心……!


「お、おはよう」

「カッチカチではないですか? ……大丈夫なのですか?」

「な、なにが?」

「いえ、まあ、ご学友とのお出かけ、との事ですから、私が口を出すのもおかしいとは思いますが……その、セシル様的にエルスティー様は、一応異性という事になりますでしょう?」

「っ!」


 ぼふん、と顔が赤くなったのが分かった。

 私の様子は自分でも分かりやすいと思う。

 なので、側から見ていたイフにはもっとあからさまに見えただろう。

 キョトン、と一瞬時が止まる。

 そして……。


「…………え、手遅れ……?」

「て、手遅れじゃない手遅れじゃない! きょ、今日ちゃんとお断りしてくる!」

「え? お断り?」

「ち、違う! あれ、違うわよ? そ、そう、違う! そ、そうじゃなくて決着をつけてくるの!」

「け、決着? な、なんのですか?」

「な、なんのって……なんのって、それは

 ……」


 な、なんの決着をつけるの?

 えーとえーと。


「じ、自分との決着よ!」

「…………。さ、左様でございますか。……いえ、姫がそう仰るなら、そのお心を尊重致しますが……くれぐれもエルスティー様を目覚めさせるような事はなさらないでくださいね」

「な、な、な、な、な、なにもしないわよ!」


 め、目覚めさせるってなによ⁉︎

 そ、そっちはもう手遅れかもしれないわよ!

 あれ? でもあの方元々が同性愛者だったような……?

 そ、そうよね、別な私が同性愛者に目覚めさせたわけではないわよね?

 う、うん、そうよ、それに関しては私は無実よ。

 イ、イフはそれを知らないから——。


「本当ですか〜?」

「な、なんなのよその疑いの目は!」

「セイドリック様、エルスティー様がお見えでございます」

「!」


 イフと階段を下り切ると、マルタが近付いてきた。

 来客の名前に身が震える。

 ほ、ほぁぁ……! ほ、本当に来た!


「い、い、っ、行ってくる」

「「お気を付けて行ってらっしゃいませ」」


 マルタとイフが頭を下げ、私を送り出す。

 セイドリックは今日、一日剣の稽古を頑張ると行っていたからお庭かな?

 出かける前に挨拶だけしていきたいわ。

 と、平常心を保つ為、愛しい弟の事を思いつつ、玄関へと進む。

 深呼吸をして、扉を開けると……。


「やあ、おはよう」

「おは、おはよう、ございます……」


 初めて会った時の服装。

 ミゴ繭の糸で施された光沢のある刺繍が入ったグレーの上着。

 茶色のズボンとベルト。

 そう、つまり、見た事があるのよ。

 なのに、あの時よりも……キラキラして見える。

 な、なの、これ?


「セシル様は?」

「あ、えっと! 今日はお庭で一日剣の稽古をされるそうで……あ、挨拶してから、参りますか?」

「そうだね。一日弟をお借りするのだし……まあ、あの姫には挨拶しておいてもいいかな」

「?」


 相変わらず上から目線な……。

 まあ、ザグレの貴族は大体こうだから、いい加減慣れては来たけれど。


「ご機嫌よう、セシル姫様」


 玄関からお庭に回り、剣の稽古をしていたセイドリック扮する『セシル』へエルスティー様が声をかける。

 いつもより薄着のセイドリックは、額から顎にかけて一筋の汗を流す。

 な、なんという美しさ!

 この世のものとは思えないわ!

 エルスティー様の声に気付いたセイドリックは振り返って、柔らかく微笑む。

 くぁっ……天使っ!


「ご機嫌よう、エルスティー様。本日はセイドリックとお出かけなさるそうで……」

「はい。弟君をお借り致します」

「はい! どうか弟をよろしくお願い致します!」

「……………………」


 エルスティー様が黙る。

 笑顔のまま固まったという方が正しいかも?

 ど、どうしたのかしら?


「では行って参ります。行こうかセイドリック」

「は、はあ? どうかしたのですか?」


 そしてそそくさと玄関へ戻る。

 な、なに? なにがどうしたというの?

 狼狽えながらエルスティー様が乗ってきた馬車に詰め込まれ、扉が閉まると深いため息をつかれる。


「……君の姉君はダメだね。なんというか……眩しすぎて己が薄汚く思えてくる」

「…………。なにか悪い事でもお考えでしたか?」

「うん。君といかにして距離を詰めようか……この一週間、僕はそれしか考えてなかったよ」

「っ」


 ぐぐっ、と本当に一気に顔が近付けられる。

 鼻先が当たり、ドクンと心臓が跳ね上がった。

 あ、ああ、ダメ、まずい。

 そんな、吸い込まれそうな目で見つめられたら——。


「キスしていい?」

「だ、だめ、です」

「そう?」

「……っ」


 キスされる、と身構えて目を逸らしたらあっさり離れていく。

 体温も、距離も。

 どくどく、胸が痛いくらいに鳴っている。

 う、うああああぁ……!

 き、期待した自分を殴りたい〜!

 エルスティー様に背を向けるように座り、とにかく一度この痛いぐらいうるさい心臓を黙らせなければ〜!

 なによあの「そう?」っていう笑み。

 ず、ずるい!


「さて、あれが王都の町『ザグレ』だよ」

「!」


 思いの外近くに町があったようだ。

 森の小道を抜けた先には町と、その奥には立派な城壁に囲まれた城が見える。

 一度来た事がある、ザグレの国の王都『ザグレ』だ。

 色取り取りの屋根が並び、美しく舗装された道を馬車は進む。

 露店の出ている大通りの辺りで降ろしてもらい、私は——。


「す、すごい!」


 感嘆の声を漏らし、その賑わいに高揚した。

 人があんなにたくさん……。

 それに、見た事もない食べ物の屋台が並んでいる。

 元気のいい店員の声。

 手を叩き、お客に声をかけている。

 それになんて広い道なのだろう。

 左右にびっしりとお店が並んでいるのに、それよりもたくさんの人がぶつかりそうになりながら歩いている。

 なにより、みんな笑顔!

 素敵!

 活気もあるし、皆楽しそうだし……ここがザグレの市場なのね!

 この大陸中から珍しいものが集められる。

 我が国の市場も大きいと思っていたけど、やはり大国ザグレの王都の市場は規模が違うわ〜。

 果てが見えない。


「さて、と。どこから回る?」

「そ、そうですね〜」


 ザグレの民の暮らしも見てみたいけれど、ザグレに集まる品も見てみたいし……我が国から出荷した品がどんな風に売られているのかも気になるわ。

 価格はいかほどになっているのかしら?

 他国の品も色々集まっているはずだから、そうね……アーカ王国やブリニーズ王国の品はロンディニアにはまったくと言っていいほど入ってこない。

 距離の問題で交流があまりないのだ。

 アーカ王国の香辛料などは我が国の料理に合わないと言われていて、需要がないという事もあるけれど……。

 ブリニーズ王国は神獣の森から最も離れている国の一つ。

 それ故に、魔獣がとても多く出る。

 そのようなお国柄、武に長けている者が多く、戦の実力ならばザグレに引けを取らないだろう。

 しかし、危険にさらされる事が多い為か『今日を楽しむ』という考え方があり、国民の我は相当に強いと聞く。

 魔獣相手に女でも立ち向かう、勇敢なその国民性故に長期的な取引を好まれる他国との貿易には、あまり向いていないんですって。

 しかし彼の国の貿易品……魔獣の皮や牙、爪や鱗などは我が国にいては到底お目にかかれない!

 魔獣に関する本もブリニーズで出版される事がほとんど。

 とっても興味深いわ!


「それとも、まずは腹拵えしてからにする?」

「そ、そうですね!」


 美味しそうな匂いもするし!

 朝ご飯は食べたけど、緊張しすぎて味を覚えてないからお腹空いた気がする!


「僕のオススメがあるんだ。ラックスの肉を四角く切ってフェガンと煮込んだスープなんだけど……」






 それからはエルスティー様の案内で露店巡りや屋台で気軽に食べられる物を買って食べた。

 視察などではなく、平民の暮らしを自分自身で体験するのは初めて。

 歩きながら物を食べるのも生まれて初めてだし、お金を自分で使うのも初の体験。

 こうしていると、自分は平民たちの事をなにも知らなかったのだな、とつくづく感じる。

 視察などでは見えない彼らの顔。

 お城の中では分からなかった、民の日常を肌で感じる素晴らしさ。

 国々から集まる品の多さも驚いた。

 珍しい物が多いとは思ったけど、こんなにたくさんあるなんて!

 見渡す限り、別の世界のようだわ!


「意外と面白いだろう? 平民の格好で出歩くの」

「はい! とても楽しいし、興味深いです! 私はまだこんなにも知らない事があったのですね……」


 ロンディニアに戻ったら王都の市場にもこんな風にお忍びで出かけてみよう。


「…………」

「セイドリック?」

「あ、いえ、なんでもありません。少しはしゃぎすぎたのでしょうか……」

「あちらに腰掛けられる店があるから休もうか」

「はい」


 エルスティー様に手を引かれ、カフェというところに連れられる。

 お店の外にあるテーブルと椅子で待つように言われて、エルスティー様は店内へ飲み物を買いに行かれた。

 その間、ぼんやり人の往来を眺める。

 いや、うん、まあ、忘れていたわよね……。

 私、卒業したらそのままシャゴインに嫁入りするのだったわ……。

 ロンディニアには、もう、多分帰れないのよね。

 少なくとも卒業後、結婚式の準備とシャゴインの仕来りを学ぶ時間が設けられる。

 どのくらいかは分からないけれど、王太子妃として恥じない立ち居振る舞いを身に付けねばならない。

 それは、まあ、これまでの生活である程度は身に付いているし、嫁ぎ先がシャゴインに決まってからあちらの国の王太子妃の生活や文明文化習慣、立ち居振る舞いは学んできたけれど……。

 お相手が、アレなのよね。

 ……そういえば、ジーニア様にもいずれ私がセシルだと打ち明けなければいけない。

 自分の妻には私に扮したセイドリックが来ると思っているだろうし。

 いや、まさかジーニア様がザグレに留学してくるなんて正直思わなかった。

 ジーニア様はすでに自国の学校を卒業していると伺っていたのだもの。

 私……あの方と上手くやっていけるのかしら。

 いつか殴る未来しか見えない……。



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