第2話 私が『王太子』で弟は『お姫様』


『フェイランディア』大陸。

 私の国、ロンディニア王国のある大陸である。

 ロンディニア王国はこの『フェイランディア』の一番端っこで、西に位置する国。

 海と湖、そして豊かな森に囲まれて、農業と林業が盛ん。

 このように海にも山にも森にも恵まれている為、他国に比べて大変に豊か。

 しかし、国民性はその豊かさ故にやや怠惰で争い事には無頓着な平和主義。

 いえ、事なかれ主義かしら。

 かくいう私も、無益な争い事は好まない。


 好まないのだが……。



「去れ!」


 細剣を抜き、十人ばかりの野盗へ向ける。

 御者は真っ先に狙われた為、首を切られてすでに息絶えてしまった。

 大きな荷馬車は王族のものらしく、国の紋が堂々と描かれているのだが、奴らには見えなかったのか。

 それとも、それでも構わないほどに阿アホなのかしら。

 セイドリックを馬車の中に閉じ込めて、私、セシル・スカーレット・ロンディニアは目を細めた。


「へへへ、ガキが粋がりやがって。護衛も付けずに俺たちのシマを渡ろうってのが間抜けなのさ!」

「お綺麗な顔のガキがどうなるか知ってるか? お前らみたいな高貴な血筋がだぁい好きなお偉いさんがいるんだぜぇ? 高く買い取ってもらって……ククッ、そのままさぁ」


 卑下た笑いを浮かべる野盗たちは、少しずつ距離を空け私を囲うように広がる。

 囲まれるのはまずい。

 さて、とこから突破したものか。

 考えを巡らせて、いくつかの方法をまとめ上げる。

 うん、これでいこう。


「私は忠告した。聞かぬのであればロンディニア王家の者への敵対行動と見做し、全員この場で処刑する。逃げた者も同罪である。全員縛り首で処刑だ。良いのだな? これは最終通告である」

「ハハ! 王族だあ? 王族が護衛も付けずにーーー」


 それはさっき聞いた。

 私は唇を歪めて笑ってみせる。


「なぜだか分からないのか?」

「なに?」

「護衛を付けない理由だ」

「…………」


 野盗たちは押し黙った。

 慎重な顔付きになり、少し、何人かが私から更に間合いを取る。

 残念だが、その位置はまだ私の“間合い内”だ。


「教えてやろう。しかとその澱んだ目に焼き付けよ!」


 切っ先を私の後ろに回り込もうとしていた男へ向け、突く。

 まさか自分に来ると思っていなかった男は尻餅を付き、情けのない悲鳴を上げて顔を手で覆う。

 その声に驚いた隣の男も、咄嗟に後ろへと下がろうとした。

 だが、男の足元には道に突き出た倒木がある。

 それに尻を思い切り突き刺してしまった哀れな男が、これまた派手な悲鳴を上げた。

 残りの男たちはその様を見て、困惑しつつも武器を構え直す。

 しかし遅い。

 私の体勢はすでに飛びかかるよう腰を落としている。

 二人の悲鳴に気を取られていた残りの七人は、私の体勢が今にも飛びかからんものと気付く。

 だが、私の足はすでに地面から離れた。


「はあ!」

「ぎゃ!」

「ぎゃあぁ!」


 正面の男の肩を貫く。

 すぐにその方から剣先を外し、隣の男の太ももを刺す。

 中心が崩れ、それでも果敢に背後から襲ってくる男二人。

 左の男の左の鳩尾をヒールで蹴りつければ、右の男へぶつかる。

 これで残り三人。

 そうこうしているうちに、最初に私が剣先を向けた男が立ち上がる。

 だが、その前に手前の三人だ。

 左手に剣を持ち直し、一人がナイフで襲ってくるのをすかさず避ける。

 バランスを崩した男の項に柄で一撃を食らわせると、男は倒れた。

 倒れた先は、先ほど私の後ろにいた二人。

 さあ、次は残っていた手前の二人。

 おののいた二人は表情が引き攣っている。

 腰を落とし、足を片方曲げ、踵に重心を置き、腕を伸ばす。


「ひい!」

「ぎゃあ!」


 素早く男たちの太ももを刺す。

 そして、ようやく立ち上がった最初の男へもう一度剣先を向けて腿を突いた。


「ひいいぃ〜! い、痛い痛い痛い〜っ!」

「イフ! 縄を持ってきて」

「はい、こちらに」


 転げ回る男たちを、一人一人、そして最後に全員を繋げて木に括り付ける。

 ふむ、我ながらよいできでね!

 ああ、でも念の為、周りの木々にもきつーく縛り付けておきますか。


「ふう、完成です。運がよければ、獣に喰われずに巡回騎士に見付けてもらえますよ。さあ、私たちは先を急ぎましょう」

「はっ」


 亡くなった御者を放置できないので、持ってきた絨毯で包み、後ろの荷台へ乗せる。

 はあ、仕方ない。御者はイフに任せよう。


「イフ、御者を頼んでも?」

「もちろんでございます」


 イフはボックスの扉を開く。

 私は、セイドリックの待つボックスのソファーへ腰を下ろして足を組む。

 座ってすぐに、セイドリックのキラキラとした眼差しに気が付いた。


「セイドリック? どうかしたの?」

「姉様、強いです! すごいです! カッコいいですー!」

「あ、ありがとう」


 しかし、ザグレに向かう道すがら、野盗に襲われるなんて運がないわ。

 ザグレまであと一週間はあるというのに。

 出鼻を挫かれた気分。


「そうだわ。ザグレに着いたらもう私はセイドリックとして振る舞わねばならない。きちんと練習しておきましょう」

「はい! 姉様! …………何を練習するのですか?」

「ボロが出ないようにお互いの呼び方をです。違和感はしばらく拭えないでしょうが……」


 バレるわけにはいかない。

 私がセイドリックで、セイドリックが私のふりをしているなんて!

 最悪、バレた時に王族の戯れと言ってしまえば、その場はなんとかなるかもしれないけれど……さすがに王族として、ロンディニア王国の代表としてそれは避けたい。

 確実に陰口の温床になる。

 特に『王太子が姫騎士になりたいと言い出した』という部分は全力で隠さなければ!

 いくらセイドリックの婚約者は国内で探しておくと言われていても、お相手にドン引きされるのは避けられないでしょう。

 頭が痛い。

 こんな事、異母姉たちにバレたら何を言われるか〜。

 特に一番上のエリザベートお姉様がお父様に『セイドリックではなく、私の息子を次期王に!』と言い出しかねない案件だわ。


「分かりました! えっと、姉様は『私』になるのですから……えーと、セ、セイドリック!」

「はい、姉様」


 …………違和感〜。


「こほん。こんな感じで、まずは呼び方を徹底しますよ」

「はい! 気を付けます!」

「私も気を付けます」





 ガララン、ガララン。

 幸い、馬車はあれ以降なんのトラブルもなくザグレへ進む事ができた。

 そろそろロンディニアを出て一週間……。


「…………いよいよね」


 大国ザグレ。

 この大陸の約三分の一を領土に持つ。

 最も海に面した西南に位置し、神域『スフレアの森』と『レンギレスの背骨山脈』に阻まれ他国からの侵攻は困難。

 我が国『ロンディニア』と隣国『シャゴイン』のみが、ジルの森を挟んで隣接している。

 ちなみに、我が国と『シャゴイン』の北にはもう一つの神獣の森『スフレの森』という神域があるので、国土はザグレの三分の一程度。

 ザグレは我が国のように農業、漁業以外にプラス林業や鉱物資源も豊富。

 特に宝石の類はザグレ側の『レンギレスの背骨山脈』からしか採れない。

 各国の王族にとって宝石は財の証明であり、ザグレとの親密さアピールにも使われる重要なアイテム。

 ふう、とため息をつく。

 とことん、ザグレはこの大陸の覇者であると思い知る事ばかりだわ。


 そして、私たちがこれから通うザグレの王立ザグレディア学園は二年制。

 下級クラス、中級クラス、上級クラスと分かれている。

 資料では各国の王族と一部位の高い貴族には庭付きの邸が用意されており、中級と下級のクラスは身分関係なく寮住まい。

 まあ、これは王族や爵位の高い貴族ともあろうものが中級以下にはなるはずがない、という前提があるから。

 そう、つまり……王族である私とセイドリックは『二年間上級クラスが当たり前』という前提のもと、三十人しか用意されていない上級クラスの席に座り続けなければならないのよ。

 ザグレの王族貴族も無論、上級クラスにいるはず。

 ロンディニア王国の王族として、そして代表として、これは当然の義務。

 しかし私たちはそれプラス、セイドリックと私が入れ替わっている事実をなんとしてでも隠さねばならない。

 学業はともかく、男女で必須科目は違っていたはず。

 不安だわ……セイドリックもだけど、私だって剣と乗馬ぐらいしか紳士の嗜みは学んでいないもの……。

 一番の不安要素は『ダンス』!

 社交ダンスは男女で役割が異なる。

 来る前に一通り教わってはきたけれど、完璧かと言われると否だ。

 だって幼い頃から王家の淑女として恥じないよう学んできたのだもの。

 いきなり体が覚えている事を叩き直すなんて……!


「最初の難関は入学の夜会ね」

「入学の夜会?」

「まあ、セイドリック……ではなく……姉様、予定表に目を通していないのですか? いけませんよ、ザグレに着いたらやる事は山のようにあるのです」

「ご、ごめんなさい姉、ではなく、セイドリック……。ええと、何をすればいいのですか?」

「まず入学の夜会の準備です。私たちの使用人たちはイフ以外、荷の重さの関係で明日以降の到着となります。夜会は一週間後。それまでに私たちに用意されている邸を二年間問題なく住める環境にしつつ、お客様のご訪問を問題なく受け入れられる状態にせねばなりません。夜会の準備としては、やはりダンスです。私たちにとってダンスは最大の課題になります。なにしろ、私は女性パート、貴方は男性パートしか経験がありませんからね」

「そ、そうですね。でも、なぜお客様をお迎えする準備もせねばならないのですか?」

「セ、……んん、姉様、ここは異国です。そして、異国には異国の礼儀があります。我が国の礼節が通用しない事もあるでしょう。特に東側は、隣接する場所に越して来たら挨拶へ伺う、という文化があるそうよ、ではなく、あるそうです。お客様がいらっしゃったらおもてなしに全力を注ぐ。これは我が国の文化です。そういう方々がいらっしゃったら、きちんとおもてなしできるよう準備するのは当たり前でしょう?」

「ほ、ほぁあ……」


 ……このように、これは私が『ロンディニアの淑女』として学んできた事柄。

 でも、セイドリックにはこのような教育がなされていないのだ。

 おもてなしは淑女の仕事だから。

 セイドリックは私よりも学ぶ事が多いだろう。

 本当に大丈夫かしら……?


「姉様、貴方はロンディニア王国の姫としてこの国に来たのです。ロンディニア王国の品位を貶めぬよう、恥じない言動を心がけてください。学ぶ事は多いですよ?」

「は、はい……」


 少し脅しすぎたかしら……?

 セイドリックが見るからに萎縮してしまったわ。


「……それとも、私との入れ替わりは、やめる?」


 私としてはそちらの方がいいのだけれど。


「や、やめません! 私頑張ります! 私のせいで姉様の名を貶める事などないように! だから姉様は思う存分、二年間楽しい思い出をお作りください!」

「セッ、セイドリック……!」


 ギュン!

 と、胸が痛む。

 て、天使!

 くぁぁ、胸が痛い!

 なんという圧倒的天使なの私の弟!


「そうね、お互い頑張りましょうね」


 いけないいけない、セイドリックに忠告してる場合ではなかったわ。

 私も『セイドリック』……ロンディニアの王太子に恥じない言動をしなくてはダメなんだもの!

 気合いを入れ直さなくてはね!


「セシル様、セイドリック様、お屋敷に着きましたよ」

「ええ」

「はい!」


 気合いを入れ直した直後、イフが表から声をかける。

 扉が開き、私が先に降りて『姉』をエスコート。


「おお、さすが。完璧です、セイドリック様」

「あ、ありがとう。このくらいはね」


 イフの褒め言葉にどう反応していいのか……。

 複雑だわ。


「ありがとうございます、セイドリック」

「ここがロンディニアに用意された邸なのね」

「こほん」

「あ、や、邸なのですね」


 気を抜くと女言葉が出てしまう。

 け、敬語を徹底しましょう! でないとボロが出てしまうかもしれない!

 イフに無駄な咳き込みさせない為にも!


「わあ、お花が咲いています〜」

「こ、こら、姉様走っては転びます! ……もう仕方のない……。イフ、邸のチェックを頼みます」

「はい、お任せください。一時間以内に快適にお過ごし頂けるよう、整理して参ります」

「よろしくね」


 ロンディニアに用意された邸は、高い塀で囲まれたL字型のお邸。

 左手には花壇と、その奥にはガゼボと長椅子とテーブルがあった。

 庭はきちんと手入れされており、邸自体も外壁の塗装が新しい。

 二階建てで、庭を囲むように大きな窓が並んでいる。

 これは東の二階の部屋からはさぞ、お庭が美しく見える事だろう。

 うん、ならセイドリックには東の二階の部屋がいいでしょうね。

 一階右手に見えるのは前面ガラス扉の食堂。

 なるほど、庭が見えるよう食堂が配置されているのね。

 優雅だわ。

 ここから見る限り家具も一級品。

 さすがザグレ王国。

 学生とはいえ、王族へのもてなしとしてこんなレベルの屋敷を三十は用意している、と……。

 我が国には真似できないかもしれないわね。


「…………」


 そうか、最初から……いえ、王族に対してもこの邸を通じて国力の差を見せ付けるのね。

 良くも悪くもやはりさすがと言わざるを得ないわ……。


「ん?」


 ガサ、と塀の上の木の葉が揺れる。

 鳥?

 それともなにかの小動物かしら?

 見上げるとなにやら随分大きく、そして色の組み合わせがーーー。

 おかしい、と思い、少し離れたところにあった木から塀に登ってその木へと近付く。


「え?」

「ん?」


 ひ、ひと?


「おっと、もう人が来たのか。君はどこの国の人?」

「は? はあ? い、いや、まず貴様が何者か⁉︎ そのようなところでなにをしている⁉︎ 狼藉者ならば容赦しないぞ!」


 塀の上よ、塀の上!

 思わず腰を落として剣を抜く。

 セイドリックはーーーぐっ、ガゼボの中で花冠を製作中だと⁉︎

 なんて呑気な子なの⁉︎ 天使かな⁉︎

 男を改めて睨み付ける。

 長身で、銀緑色の髪と緑の瞳。

 平民の出で立ち。

 賊?

 ……にしては真昼間から堂々と現れるし、来ている服は平民のそれだが生地そのものは悪い物ではないわね……?

 あの光沢ある刺繍はミゴ繭の糸で縫われているわ。

 何者?

 歳は私と変わらない感じだけれど……。

 どこぞの貴族のお忍び?

 そ、それにしたって塀の上って……。


「シッ! 今隠れん坊をしているんだ。声は出さないで?」

「は…………」


 絶句した。

 男はしゃがみ込み、人差し指に手を当ててゆっくり塀の上を移動して木の陰に隠れる。

 か、隠れん坊⁉︎


「ふう、危なかった〜。でも、君に見付かってしまったから、隠れる場所を変えるとしよう」

「は、ま、待て⁉︎」

「どこの国の人かは知らないけど許してよ。あとでお詫びの品を届けるからさぁ〜」

「逃すか!」


 こんな不審者、取り逃がしてなるものか。

 剣を鞘に戻して、袖を掴む。


「わっ」

「っ!」


 バランスが崩れる。

 しまった、塀の上だという事を忘れていた。

 この程度の細い道など、剣の訓練の時によく登っていたから平気だと思っていたけれど……高さが……。


「危ないな」

「……あ」


 木を背にした不審者が、私を受け止めていた。

 なんという事!

 不審者に支えられてしまうなんて!

 けれど、そのせいで顔がとても近い。

 銀緑の髪が風で私の頰を撫でていく。

 整った顔立ち。

 どこか楽しそうな口許。

 緑色の瞳がふと、優しげに細められた。


「勇敢だね、君は」

「うっ」

「でも、場所が場所だから。ね?」


 私の肩を優しく引き離し、ウインクして離れていく。

 塀の近くの木を伝い、それだけ言い残して去っていく男。

 さ、猿か! あの男は!


「はっ!」


 いや、逆に考えればこんな木があると今後も不埒者が登ってきて邸内に侵入してくる恐れがある!

 すぐに切り倒さねば!

 急いで邸内の木を伝い、下に降りる。

 この屋敷の塀の外に大きな木が植わっているのは、賊の良い侵入経路になってしまう!

 今分かってよかったが、それにしてもーー綺麗な男だったな……。


「いや、いやっ! それどころではないわ! イフ! どこにいるの! 塀の外にある木をすぐにーーー」

「姉様!」


 たたた、とガゼボにいたセイドリックが駆け寄ってくる。

 その手には花冠。

 まさか……。


「はい、姉様!」

「…………。ありがとうございます、姉様?」

「はっ! す、すみませんセイドリック!」


 頭に載せられる花冠。

 ……一瞬で毒気を抜かれてしまったわ……。



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