王国の聖女
空に朝は無い。
空に昼は無い。
空に太陽は無く、月は無く、星は無い。
天気は曇りか、雨か、その二択。
王国に九つある大工業都市。発展の礎、発展の歯車、贄。
発展の為に捧げられた街、ヒト、空。分厚い排煙の下に小さな、小さなヒト影。
鉛色の瞳と、鉛色の髪をした鋼種の女の子。
ボロ布を服の代わりに身体に巻きつけた女の子。
へばり付いた疲労で白くなった肌。対照的にどす黒く刻まれた隈。痩せてまるで枯れ枝の様な手足はそのまま彼女の栄養状態を示す様に、脆く、儚く、頼りない。
この都市ではどこでも見る事が出来るごく普通の少女だ。
貧しく、弱い少女だ。
好事家な貴族なら、そう。例えば宝石を見る事に慣れた貴族なら或は彼女の秘めた美しさを、可愛らしさを見抜き、彼女を磨きたがっただろう。
だが、それでも今は痩せて、がりがりの野良犬の様な少女。
排煙で薄く汚れた壁、道路、街。駆けていた少女が止まったのはバスガーニーの停留所。時計を見る。多分、未だ、大丈夫。一息、安心したように。
そうして数分。やって来たガーニーの運転手に彼女はつたない王国語で言う。「のります」。小さな彼女を車夫は見る。鼻で笑う。「皇国の蛮族が」。びく。彼女の身体が硬直する。どうしよう。困惑。どうしたらいいのだろう。困惑。以前もこういう事は有った。その時は、ガーニーに乗せて貰えなかった。それは困る。お仕事に遅刻してしまうから。
だが、今回は乗せて貰えた。「ありがとうございます」の言葉と料金を払ってガーニーに乗り込む。ただし、中では無く、外へ。お母さんとの約束だ。皇国人で、女の子の彼女は中に乗らない方が良い、乗ってはダメ。約束。理由は知らないけど、約束だから、守らないといけない。それに、ガーニーの外側は素敵だ。雨の日はちょっとだけ大変だけど、今日みたいな曇りの日は風を感じられる。
風は良い。だってどこにでも行ける。将来は風の様なヒトを好きに成ろう。それが、彼女の夢。
そうして数十分、風に抱かれて居れば、彼女の努める工場に着く。
モクもくモク。排煙。黒い排煙。空に。真黒な空に吐き出すどこにでもあるその工場で作っているモノはどこにでもある様なモノ。作っているのも、どこにでもいるヒト。薄く汚れて、痩せて、弱った、彼女の様なヒト。けほけほ。咳が出る。だめ。咳は、だめ。咳をしてると死んでしまう。ほら、例えば、そこで寝たまま動かなくなってしまったおばさんの様に――
けほけほ。でも止まらない。年上の男の子。意地悪な目。「お前もそろそろ死ぬな」。酷い事を言われた。「もう咳はしないからだいじょうぶ」。言い返した。「馬鹿だな、お前。咳で死ぬんじゃないんだよ。咳が出た時点でもう死にかけなんだよ」。
うそ。うそだ。だって。それなら、お母さんは――
一日が終わる。今日も指は五本と五本、合わせて十本残っている。機械に巻き込まれたら大変だ。指は無くなるし、親方に怒られてお給料が貰えないかもしれない。手を出す。「チッ」。舌打ち。それでも親方はお給料をくれる。「ありがとうございます」を言って家に帰る。
途中でパンを買う。二人分、彼女と、彼女の母親の分。
家に帰る。お母さんは寝ている様だ。朝から、ずっと。昨日の夜のごはんのパンも食べて居ない。声。小さな声。「ただいま」。だって、良く、眠っている。起こしてはいけない。一昨日までは酷い咳でお母さんは眠れなかった。今は良く眠っている。起こしては可哀想だ。けほけほ。咳が出る。
朝は来ない。それでも起きる時間は来た。蒸気時計のカラクリが作動して、起床時間を彼女に伝える。お母さんはまだ寝ている。だから、小さな声で「いってきます」。
ガーニーに乗る。工場でお給料を貰う。小さな声で「ただいま」。
けほけほ。咳が出る。
朝は来ない。時計が鳴る。寝ているお母さんに「いってきます」。小さな声で。
お給料を貰う。パンを買う。
けほ。けほけほ。咳が出る。
朝は来ない。お母さんはご飯を食べて居ない。四日。それ位、良く眠っている。だから、小さな声で、「いってきます」。
ガーニーに乗る。お給料を貰う。パンを買う。お母さんにただいまを――
言えなかった。
燃えていた。家が。彼女の家が。
周囲の会話。――伝染病にかかった死体が出たので、燃やした。
叫ぶ。彼女。――お母さんが居るんです、助けて下さい。
周囲のヒト。――立ち止まる。振り返る。彼女を見る。歩き出す。それは、無視。
叫ぶ。彼女。――お願いします、誰か!
周囲のヒト。――無視
だって、ありふれた光景だ。親を失った子供なんて。
けほけほ。けほけほ。咳がでる。叫ぶ。けほけほけほ。助けて下さい。お金。お給料。貯めていた、お金、握り締め、叫ぶ。誰かがお金を受け取る。安堵。助けてくれるんだ。お腹を蹴られた。吹き飛ぶ。そのヒト、お金だけ持って立ち去る。涙が、出る。それでも、叫ぶ。けほ、けほ。咳が――……出ない。
身体が動かない。倒れた。息が、もう――
「――? ――! !」
誰かが、何かを叫んで、彼女を抱きかかえた。
咳が止まった。
身体が動く。空、青い、空。王都の空。
彼女は生きている。助けられたのだ。目の前の男に。
角。額に角持つ鬼種の男。『神父だよ』。名前を聞いたらそう名乗った。だから、『神父様』。そう呼ぶことにした。
黒い空を工業都市に押し付け、成果だけを奪う青い王都の空。そこで彼女の新しい暮らしは始まる。母を、家を、奪われた彼女。それでも新たに聖女の才能を見出された彼女の、新しい生活が始まる。
学んだ。遊んだ。色々なヒトに出会った。街のヒトは優しく、黒い空を押し付けて来た事に対する文句も無くなった。素敵な日々だった。煌びやかな日々だった。
十年。彼女が十五歳になった時、神父様と小さなパーティをした。嬉しかった。幸せだった。こんな日がずっと続いて行くんだ。――彼女は、そう、思った。
ある日、聖王姫が王都にやって来た。
綺麗な子だな。それが、聖女の頂点を見た彼女の感想。
そして、ターニングポイント。
それは単なるパフォーマンスだった。
教会が保有し、王都に結界を張る聖遺物。時の彼方で
そんな、パフォーマンス。
ただの、パフォーマンス。
聖女ならば見習いでも出来るそのパフォーマンスが――失敗した。
原因なんて簡単だ。聖王姫は、見習いの聖女ですら無かった。聖女の素質は有れど、ただ、それだけ。血脈と金と権威。それだけで役職を買った紛い物の聖王姫には結界を張る力がなかった。
讃えるべきはその隠蔽能力だろう。
聖王姫一派はその事実を同じ教会の関係者は疎か、本人にすら悟らせなかった。だから、今回のパフォーマンスも、聖王姫自身は何時も通りに行えると思っていた。
その一派も同様に、だ。
ただ。ただ、その聖王姫の替え玉だけが、それが行えない事を知っていた。
替え玉の聖女は黒い空の下で生まれた聖女だった。
黒い空の下で、家族を、家を、生活を奪われて、運よく聖女になった。
まるで彼女の様な聖女だった。
ただ、その後もヒトに恵まれず、王都を憎んでいた聖女だった。
街に、《竜》が踏み込んだ。
各して一人の聖女の青い空への復讐は成る――……はずだった。
彼女は、それを良しとしない。
ヒトは、美しい。この街は、青い空は美しい。だから彼女は結界を張る。無能の聖王姫を押しのけ、権威で動けない先輩を、体力が無くて動けない先達を差し置いて、彼女は十郎冠者に手を翳し、結界を張った。
その結果はハッピーエンドだ。
町は救われ、聖王姫は讃えられ、今回の主犯、黒い空の下で生まれた――二人の聖女に処罰が下る。
そう。彼女にも処罰が下る。
聖王姫に恥をかかせた彼女を聖王姫は許さなかった。
下らない、プライド。
努力も、実力も、何も無く、ただ有るだけのプライド。
伽藍堂のそれが彼女に喰らい付く。
そして聖女二人の下に処罰が下る。
一人の聖女の頭の上にはギロチンの刃。
一人の聖女の前には、ギロチンの刃と育ての親、神父様。
彼女は、裁かれない。いかに聖王姫と言えど、その我が儘を通す程、教会は腐っていない。あの場に居た騎士が、聖女が、神父が彼女を庇った。故に、これが、落とし所。
シナリオ。哀れな聖女を騙した皇国出身の鬼種の神父の処刑。
最後の瞬間まで彼女に笑い掛け、泣く彼女を泣き止ませようとしていた神父に対する処刑。取って付けた様なシナリオの安っぽい。それ。
彼女の、前で、執行されて――
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