竜殺しの恋物語
ポチ吉
八十一
木漏れ日が降り注いでいた。
花々が咲き誇り、木々が濃緑に色付いていた。
周囲を満たすのは圧倒的なまでの生命力。
蒸気機関の吐き出す排煙が空を侵し、空からの雨が大地を、森を侵したその結果。発生したのは高負荷環境における植物の異常進化。
それを成し、自らの手でヒトより領地を取り戻した大森林には今日も命が息づいている。
太く、頑強な木々に、大輪の花々により育まれた虫たちは大型犬程の大きさに育ち、その虫を餌とするモノも、更にそれを餌にするモノも大きく、強く育つ。
そこはヒトに優しくない世界だった。
そこはヒトすらも食らう世界だった。
それでもそこは確かにヒトの世界だった。
木々の根に食い破られた石畳。倒された家々。そんなヒトの息吹き、残骸が転がる場所に一台のガーニーが転がっていた。
蒸気機関式の四輪車。森に飲まれて尚、その原型を留めているのは、そのガーニーが極めて大型のモノだからだろう。過っては都市の中でヒトの為に走っていた巨体はヒトが街を、己を捨てた事が理解出来ないかの様に、錆びつき、苔むして尚もヒトを待つ様に形を保っていた。
だから、現状は彼にとっては本望なのだろう。
彼は今、確かにヒトの為にその身体を使っていた。
横倒しの彼と、彼の重さを支える大岩の間。狭く、暗く、湿った空間に、影は身を隠していた。
「……」
息を殺し、気配を殺し、何よりも己を殺す。
それが狩りにおいて最も大事な事だと影、
火を思わせる赤い髪に、赤い瞳。常に不機嫌そうに周囲を睨み付ける三白眼と、苦虫を噛み潰したように『へ』の字に結ばれた口。見た目で得した事は覚えている範囲では一度も無く、それどころか血の気の多い同業者には何もしていなくても絡まれる悪人面な十七歳。
そんな彼、
「――……」
狩りに置いて最も大切な事を理解しているが故、八十一は待つ。ただ、ただ、待ち続ける。身体の右側に愛用の槍を寝かし、魔道刻印の刻まれた左腕を地面に、否、地面に刻んだ狩りの仕掛けに宛がい、待つ。
「――……――」
長時間の待機で凝り固まった身体を軽くほぐす様に右手を一回転。
先の言葉を八十一に教え込んだ師、祖父ならば同じ姿勢で三日でも待ち続ける事が出来るが、生憎と八十一はそこまで我慢強い方ではない。それでも、今、どうにか待機を続けていられるのは――
「――くぅん」
一重に、もっと我慢が効かない奴が身近に居るからだ。
待機に飽きたのか、八十一の右脇腹に鼻を押し当て、情けない声を上げるのは、一匹の獣。灰色の毛皮を持ち、胸に赤い竜の瞳を持った
これから八十一が狩る対象と広義では同種である《竜》。
それでも確かに八十一の大切な相棒である《竜》。
――ヤチ
口の中で転がす様に名前を呼んでやれば、三角形の耳は、ぴこん、と起き上がり、瞳は期待に輝き、しっぽは楽しげに揺れだしてしまう未熟な対竜獣。
そんな相棒に手本を示さなければならないので、八十一は待つ事が出来ている。
(――とは言え、そろそろ場所を変えた方が良いかもしれねーな)
中天に差し掛かりそうな太陽を眺めながら、ふと、そんな事を考える八十一。
仕掛けを施し、この暗がりに潜り込んだ時は未だ日が昇っていなかった事を考えると――かれこれ六時間近くこうして待っている事になる。
折角、仕掛けた罠が使えなくなるのは確かに痛いが――
(やっぱり、どこかで追跡ミスったのか? 三日前の雨で匂いが流れちまったか……)
罠を仕掛けた地点から視線を自身の身体に横に移せば、期待に満ちた顔のヤチ。
飼い犬ならぬ、飼い狼であるヤチは残念な事に狩りの経験が野生の個体と比べると低い。その分、対竜戦闘はこなせるのだが……正直、全面的に『鼻』を信じてやる事は出来ないと言うのが八十一のヤチに対する評価だった。
「へっへっへ」
「……――」
そんな八十一の評価を知らないヤチは楽しげに舌を出してワクワクしている。相棒――八十一の緊張が途切れかけているのを敏感に察したのだろう。
(……仕切りなおした方が良さそうだな)
それを見て、八十一が大きなため息を一つ吐き出す。
そのまま、表情を緩め、『行くぞ』と声を掛けようとした瞬間――
「「!」」
一人と一匹が再度の緊張状態に移る。
仕掛けに繋がる『線』に刻印の刻まれた左腕を宛がう八十一。
ポインティング。猟犬の様に身体を伏せ、鼻面を獲物に向けるヤチ。
木々が、震えていた。
葉が、舞っていた。
それは迫る力のある生き物に森が震えている様であり、正しくソレであった。
羽ばたきに合わせるように叩き付けられる轟音、疾風。
殆ど重さの無いはずの空気に重さを持たせるソレは、最早、生物が行うモノと言うよりは自然災害に近かった。いや――
(ヒトの手に負えないって意味ではコレも自然災害みたいなもんだよな)
唇を軽く湿らせ、左手の刻印を意識する八十一。その視線の先には――木々を薙ぎ倒して降り立った《竜》。
それは大きな生き物だった。
それは羽をもった生き物だった。
それは長い首を、鋭い牙を、太い尾を持つ生き物だった。
それはヒトの敵として生まれてきた《竜》と言う生き物だった。
種別としてはヤチ、竜狼と同じく生殖能力持った
漆黒の鱗では無く、暗い緑の鱗を持っている所を見るに、若い個体。
つまりは、八十一が今回狩ろうとしている獲物。
降り立った翅蜥蜴は何かを探す様に鼻をひくつかせて周囲を伺っている。
(大丈夫。風向きは変わってねぇ。俺の匂いは流れてねぇ……だから今、アイツの鼻に届いてるのは――)
ピクン、と跳ね上がるヤチの耳を撫でる事で喜びを共有し、『その時』が近い事を言外に伝える八十一。その目には、順調に仕掛けに向かって歩いて行く翅蜥蜴が映っていた。
どう言う生命力をしているのか、六時間前に致命傷を負わせたにも関わらず、翅蜥蜴の接近に暴れだし、血の匂いを周囲にまき散らすのは三つ目猪。この森の中の生態系では比較的上位に位置するが、翅蜥蜴にとっては好物でしかない《竜》。
一歩。のたうち回る三つ目猪の姿を翅蜥蜴の単眼が見据える。
二歩。周囲に何も仕掛けがない事を翅蜥蜴が確認する。
三歩。雑な警戒。周囲を見渡すが、若さ故に食欲に負けて歩を進める。
四歩。八十一の仕掛けた罠の中に入る。僅かに違和感を感じたのか、停止。
五歩。獲物の匂いに耐え兼ね、翅蜥蜴が更に歩を進め――
「参式・
自身が次の獲物となった。
奔る/走る
奔る。八十一の左腕に刻まれた魔導刻印の中を架空元素(エーテル)が奔り、その先、罠からここまで引いた不可視の導火線に奔り、陣が起動。六時間もの間、のたうち回っていた三つ目猪に漸くの安らぎを与え、翅蜥蜴に絶望を突きつけるべく空に向かって火柱が奔る。
走る。待ちの間に溜め込んでいた鬱憤を地面に叩き付ける様に、柔軟な四肢の性能を誇る様に、狩人が、ヤチが風の様に走る。火柱に中で悶える獲物を視界に捉えながらヤチは大きく回り込む様に走り抜ける。
ヤチは理解している。初撃は八十一に譲った。だから二発目は自分に任せられているのだと。
故に。故に、そこに躊躇は、戸惑いは無い。
走る勢いそのままに、火柱が治まるか治まらないかのタイミングで弾丸の様に跳んだヤチの一手は爪。振りかぶり架空元素を纏った事により薄っすら光るソレで切り裂いたのは翅。
薄く、しかして強靭な膜で出来た翅。風を掴む事よりも、斬る事で滑る様に飛ぶ事を持主に許す《竜》の翅を《竜》の爪が切り裂く。
――GYAAAAAAAA!
悲鳴。痛みにより発せられる嘆きの声。
咆哮。怒りにより発せられる戦場の声。
それを叩き付けられたヤチの体毛が一気に逆立つ。自身と敵。その間に存在する生き物としての強度に生存本能が震え上がり、硬直。
それは致命的な隙だった。
ヤチの命が終わるには十分な隙だった。
それでも――
「弐式・爆火ッ!」
ヤチは自分が助かると言う確信があった。
旋回速度を、加速を捨て、初速に全てを掛ける突撃。
付加、エンチャントされた槍が爆炎掃き出し翅蜥蜴の眼前に躍り出ると同時、残った翅を槍にて切り捨てたのは八十一。殺しきれぬ勢いそのままに地面を削り、《竜》の眼前に立つ赤拵え纏う鬼種の若武者。
「走れや、ヤチぃ!」
「ウォン!」
自身が発したその言葉に背中を押され、或は若武者が発したその指示に従い、一人と一匹は翅蜥蜴を中心に左右に別れ走り出す。
八十一達は理解していた。
種族。生物としては相手の方が優れていると。だから、止まらない。走り、技を使い、武器を使い個として相手を上回らんとする。
翅蜥蜴は理解していた。
種族。生物としては自分の方が優れていると。だから生きる為に、勝つ為に、一瞬で思考を切り替え、個々に沈める事にした。狙うのは――速い狼ではなく、遅いヒト。
鞭の様にしなる尾で大地を砕き、砂礫を飛ばして八十一に受けさせ、動きを止めた所に、本命。身体の内側、首の骨を目一杯引き伸ばしリーチを誤魔化しての――噛み付き。
虚を突き、亜音速領域にて唸る一撃。
それをヒトの眼は捉える事は出来ない。
それにただのヒトは反応できず、それを少し強いだけのヒトは防げず、竜狩りを生業とするモノでも九割はそこで終わる。
「っこぉぉぉおぉぉ――」
だが、鬼灯八十一は終わらない。
呼吸音。独特なソレ、響いて。
白煙。体内の熱、世界を侵す様に吐き出されて。
一人の
迫る《竜》の首、牙、即ち――死。
それに合わせるのは、一手。
足の運びを止め、身体は半身。重心は後ろに倒し、左一本で槍を握り、右は眼前にて手刀を掲ぐ――受けの構え。
一撃/迫って/一撃/合わせる
右の手刀、振り下ろされ身体が流れて右足に引き足に変えての半歩後退、半身ずらし。勢い活かし突き出された左の槍が《竜》の一撃、顔面を削り、その勢いで更に身体を逃がす。
一瞬でもタイミングが外れれば成り立たない返し技。突くのでは無く、その表面を撫でる様にしてダメージを与えるその技の名は、
「
――GYA! GYAAAAAAAA!
残身。突きを放った体制そのままの八十一の耳に届く翅蜥蜴の絶叫。
それは八十一の返し技に依るものであり、同時、伸び切った首に食い込んだヤチに牙に依るものであった。
「――ははっ」
抜け目の無い相棒の働きに軽い笑いを一つ。『負けてなるものか』と、追撃、振り上げた槍にて斬撃一つ。
――GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAO!
「鵺式葬竜術・虎方が葬竜拳士、鬼灯八十一――行くぜッ!」
そうして、三度あがる《竜》の叫びの中、八十一は高らかに名乗りを上げた。
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