第三部 第二話
水脈をたどっていけば、出たのは神社の裏の滝だった。清流を血で汚してしまった事には少し申し訳なく思ったが、今はそれどころじゃない。俺はいつも護摩の焚かれてある玄の部屋に向かい、いつかのように綾姫の手と手を繋がせた。
「かふっ」
飲んだ水と血を吐いて、ぜーぜーと呼吸をする綾姫はまだ生きている。ならば玄の能力で傷の治癒は出来るだろう。勾玉も拾って持ってきておいたが、こちらは様々な色が混じり合って大混乱の様子だった。いつの間にか俺の首の裏に戻っている黒龍も、びくびくと怯えている。金色、銀色、緑、青、赤、紫、その他諸々の色が、綾姫に向けて思念を向けていた。
それが呪いでないことに、俺は少し安心してしまう。
「蒼! 綾様はっ」
銀が連れて来た朱は寝間着姿だ。
「玄の治療を受けてる。三日で十分だろう、呪が肺で止まって良かった」
「良いことなんて何にもないですよ! 綾様苦しかったろうに、辛かったろうにっ」
「だが命は存えた。それに喜ぶしかないんだ、今は」
「蒼、……」
掌に建てた爪、血が出ているそれに気付いたのか、朱はそれ以上何も言わずに俺の隣に座った。同じく、服を代えた銀も。
俺達はただ。
座っているしかなかった。
勾玉の中身は鎮まることがなく、それを綾姫の胸に乗せて眺める事だけが、俺達に出来る事だった。
※
ぱんっ、と俺に最初の平手打ちをかましてきたのは湍だった。
朝には解ける結界にしておいたから、すぐにやって来たんだろう。目の下に真っ黒な隈を作った湍は、わなわな震えて俺を睨み上げていた。まだ羊柄のパジャマ姿なのが結構可愛い。小学生の頃のパジャマパーティーでも同じの着てた気がするが、気の所為だと思っておこう。他所事を思って痛みを逃がしていると、今度は八月朔日姉妹に両側から拳骨を食らった。流石に痛い。
「あたし達が足手まといにしかならないのは解ってるよ、解ってるけどねえっ」
「盾にぐらいなれた」
「弾くぐらい出来た」
「そう考えなかったの、蒼君!?」
ああ本当、綾姫は一生懸命、愛されてるなあ。俺でなくても。俺が居なくても。誰かが綾姫を愛してくれる。銀かもしれないし、皇児かもしれない。この三人娘てあるのかも。自己愛。自愛。他愛。めぐりめぐる言葉の奥で、綾姫の白い顔を思い出す。否。まだだここでは死ねない。
「んなことしたら俺が綾姫にぶん殴られる。あいつはお前たち分家連中も、家族だと思ってるからな」
「だったら何で! 何だってこんな危険なことしたの!? 家族に黙ってすることじゃないよ、こんなの!」
「心配ばっかりさせないでよ!」
「ちょっとぐらい手伝わせてよ!」
「「「あたし達の言ってること、何かおかしい!?」」」
「お三方ともお静かに願います。姫様はまだ、治療中ですので」
やってきた銀の言葉に、ぐっと三人が黙る。
「傷の様子は?」
問えばふるるっと頭を振られる。
「術か何かを使われていたらしい。思わしくない。龍達が静かなのが不気味なぐらいだ」
「台継の様子は?」
「表立った行動はしていない。今頃浮足立って皇児様を待っているだろう」
「あの野郎っ……」
低くつぶやいたのは雛罌粟だった。
「親族会ではいつもちょこんとしていやがったくせに」
「本家を弑して器を取り上げようと考えていたなんて」
「反吐が出る」
「分家の面汚しめ」
酷い言われ様だが、事実なので俺は黙して語らない。すまんな台継。思ってもいない事は言えない性質なんだ、俺達。下手すると言霊になっちまうから。
例えば死んじまえとか、冗談でも言えないんだ。
本気なら言えるんだが。
「綾姫の呪力供給、あたし達も手伝う。玄ちゃん任せにしてられないでしょ、いつまでも」
「あ、おいこらお前らっ」
「好きにさせておいてあげよう、蒼」
「銀?」
「いつまでも玄だよりには出来ない。事実だよ」
俺は鳥居を殴る。
みしっと小さく、音がした。
俺は。
俺達には何ができる?
「俺達も手伝いに行くぞ、銀」
「朱は朝からもうやっている」
「三日だ。三日で綾姫を完全に治して見せる。でなきゃ本家の顔が立たん」
「ああ、そうだね」
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