第三部 第二話

 水脈をたどっていけば、出たのは神社の裏の滝だった。清流を血で汚してしまった事には少し申し訳なく思ったが、今はそれどころじゃない。俺はいつも護摩の焚かれてある玄の部屋に向かい、いつかのように綾姫の手と手を繋がせた。

「かふっ」

 飲んだ水と血を吐いて、ぜーぜーと呼吸をする綾姫はまだ生きている。ならば玄の能力で傷の治癒は出来るだろう。勾玉も拾って持ってきておいたが、こちらは様々な色が混じり合って大混乱の様子だった。いつの間にか俺の首の裏に戻っている黒龍も、びくびくと怯えている。金色、銀色、緑、青、赤、紫、その他諸々の色が、綾姫に向けて思念を向けていた。

 それが呪いでないことに、俺は少し安心してしまう。

「蒼! 綾様はっ」

 銀が連れて来た朱は寝間着姿だ。

「玄の治療を受けてる。三日で十分だろう、呪が肺で止まって良かった」

「良いことなんて何にもないですよ! 綾様苦しかったろうに、辛かったろうにっ」

「だが命は存えた。それに喜ぶしかないんだ、今は」

「蒼、……」

 掌に建てた爪、血が出ているそれに気付いたのか、朱はそれ以上何も言わずに俺の隣に座った。同じく、服を代えた銀も。

 俺達はただ。

 座っているしかなかった。

 勾玉の中身は鎮まることがなく、それを綾姫の胸に乗せて眺める事だけが、俺達に出来る事だった。



 ぱんっ、と俺に最初の平手打ちをかましてきたのは湍だった。

 朝には解ける結界にしておいたから、すぐにやって来たんだろう。目の下に真っ黒な隈を作った湍は、わなわな震えて俺を睨み上げていた。まだ羊柄のパジャマ姿なのが結構可愛い。小学生の頃のパジャマパーティーでも同じの着てた気がするが、気の所為だと思っておこう。他所事を思って痛みを逃がしていると、今度は八月朔日姉妹に両側から拳骨を食らった。流石に痛い。

「あたし達が足手まといにしかならないのは解ってるよ、解ってるけどねえっ」

「盾にぐらいなれた」

「弾くぐらい出来た」

「そう考えなかったの、蒼君!?」

 ああ本当、綾姫は一生懸命、愛されてるなあ。俺でなくても。俺が居なくても。誰かが綾姫を愛してくれる。銀かもしれないし、皇児かもしれない。この三人娘てあるのかも。自己愛。自愛。他愛。めぐりめぐる言葉の奥で、綾姫の白い顔を思い出す。否。まだだここでは死ねない。

「んなことしたら俺が綾姫にぶん殴られる。あいつはお前たち分家連中も、家族だと思ってるからな」

「だったら何で! 何だってこんな危険なことしたの!? 家族に黙ってすることじゃないよ、こんなの!」

「心配ばっかりさせないでよ!」

「ちょっとぐらい手伝わせてよ!」

「「「あたし達の言ってること、何かおかしい!?」」」

「お三方ともお静かに願います。姫様はまだ、治療中ですので」

 やってきた銀の言葉に、ぐっと三人が黙る。

「傷の様子は?」

 問えばふるるっと頭を振られる。

「術か何かを使われていたらしい。思わしくない。龍達が静かなのが不気味なぐらいだ」

「台継の様子は?」

「表立った行動はしていない。今頃浮足立って皇児様を待っているだろう」

「あの野郎っ……」

 低くつぶやいたのは雛罌粟だった。

「親族会ではいつもちょこんとしていやがったくせに」

「本家を弑して器を取り上げようと考えていたなんて」

「反吐が出る」

「分家の面汚しめ」

 酷い言われ様だが、事実なので俺は黙して語らない。すまんな台継。思ってもいない事は言えない性質なんだ、俺達。下手すると言霊になっちまうから。

 例えば死んじまえとか、冗談でも言えないんだ。

 本気なら言えるんだが。

「綾姫の呪力供給、あたし達も手伝う。玄ちゃん任せにしてられないでしょ、いつまでも」

「あ、おいこらお前らっ」

「好きにさせておいてあげよう、蒼」

「銀?」

「いつまでも玄だよりには出来ない。事実だよ」

 俺は鳥居を殴る。

 みしっと小さく、音がした。

 俺は。

 俺達には何ができる?

「俺達も手伝いに行くぞ、銀」

「朱は朝からもうやっている」

「三日だ。三日で綾姫を完全に治して見せる。でなきゃ本家の顔が立たん」

「ああ、そうだね」

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