track:10 SKITⅠ データ [2tani, Aoba]


 二谷にたに縨眞ほろまはリビングのソファで目を覚ました。

 陽射しの匂いで朝と昼の間だとわかる。痛む頭。怠い手足。ライブハウスで夜通し遊んだ結果がこれだ。

 寝転んだまま見回すと、白い封筒を手にして歩いてくる青葉あおばらしきものと視線が合った。

「二谷先輩。これ、今届いたんですけど」

「……大丈夫か?」

「危険物は入ってないみたいです」

「そうじゃなくて声」

 青葉は冗談を受け流すように微笑んで首を傾げた。「たぶんそのうち治ります」

 あまり詮索しない方がよさそうだ。身体を起こし、渡された封筒を観察する。

 L館の住所の下に『offオフ・ theザ・ lightsライツの皆さま』と書かれた印刷の宛名。差出人の名前はない。

 中には折り畳まれた紙と野外ライブのチケットが2枚。

 本文は『タナオカヒロキを捜せ。彼の親友が秘密を握っている。制限時間はライブの終了予定時刻』のみ。ちなみに公演は本日の夕方だ。

 それまでに見つけられなければ棚岡は死ぬのだろうか。実在するかは半信半疑だが、親友という断トツにくだらないワードを使って協力者の存在も仄めかしている。

 便箋の余白にプリントされた正方形の箱。黒と赤のフラジールラベル。これがヒントらしい。同封されていた地図によると、会場の森林公園全体が捜索エリアになっている。悪戯かもしれないが放置するわけにはいかない。

 2人分のチケットをもう一度眺めてみた。ステージは『off the lights』の活動スタイルが気に入らないと熱く語っていた音楽スクール生のボーカルグループだ。

「確実に嫌がらせだろ……」


 美術館に行ってしまったヨエルとシュンを呼び戻してこの件を共有したかったが時間がない。すぐに出発しても開始時刻までに入場できるか不安だ。

 日を追う毎に加矢間かやまめいの行動が本人の意思ではない線が濃くなっている。首謀者を捕まえて、そいつの真の目的を暴かない限りは何も解決しない。

 素肌を晒した青葉を見て『煮炊き』の恐怖が過ったが、急いで着替えてL館を出る。

 フォレストサイド・トレインの車内で不在のメンバーと風上ふうじょうみねに現状を連絡した。



 列車を降りて見上げると、涼しげな空に夜の支配が迫っていた。

 オープニングには間に合わなかったようだ。大音量で聴こえてくるポジティブ信仰曲に耳を塞ぎたくなる。

 不審なチケットで入場し、指定のブロックに向かうふりをして辺りを捜索した。

「スタンディングエリアにはないと思います」

 人々が美しく列を為しているので箱の置き場がない。ステージ周辺にもなさそうだ。

 勢いづいてここまで来てしまったが、あの箱が実際に存在するのか疑いたくなってくる。

 それ以前に、なぜ自分たちが仲間に危害を加えたかもしれない男を捜さなければならないのか。


 裏から接近し、機材車の一帯を確認したが、それらしい箱はひとつもない。

 時間をかけて来場者用の駐車スペースと遊びの広場も捜し尽くした。他に見落としているところはあるだろうか。汗を拭いながら地図を開き、すべての方角を細見する。

「ステージ3連よりきついですね……。倒れそうです」

「しばらくダンスの練習してないからだ」


 終盤の暗転に乗じて観客エリアに戻る途中、森の木立ちを背にした臨時のグッズショップを通り過ぎた。直後、予兆に似た確信に襲われる。

「青葉、待て」

 人の往来がある場所を避けて捜していたが、それが誤りだったのかもしれない。

「どうしたんですか」

 振り返った青葉を連れて裏手に回り、芝生の地面に膝を着く。静かに、けれど鋭く、乱雑に積まれたダンボール箱の群れを調査した。品名が呆れるほどTシャツとタオルだ。

 もうあまり時間がない。

 店のスタッフは通路でアンコールを楽しむつもりらしい。このタイミングで客は来ないので好都合だ。

 便箋に印刷されていた箱の外観を思い出す。正方形。赤と黒のラベル。

 滴る汗を振り払って辺りを窺った。ステージライトの切り替えで眩暈がする。猛烈な鬱陶しさを感じながら草叢の奥まで視線を巡らせたとき、衝撃で一瞬声を失くした。

「……あった。あれだ!」

 立ち上がって箱に駆け寄る。

 下半分は草に隠れているが、形もラベルの位置も同じだ。間違いない。

「離れてろ。オレが開ける」

 青葉は躊躇いを声に出さず指示に従った。

 盛大に爆発するかもしれないが、サプライズは有り難く受け取るべきだろう。ようやく地下室の記憶ともお別れだ。

 多少の緊張を感じつつ、封をしていたテープを引き剥がす。

 ここで手足を縛られた棚岡弘輝と対面するつもりだったが、目にしたものを現実として処理することを怖れた。脳が五感を遮断しろと叫ぶ。指先から温度が消えた。

「何だよこれ……」

 箱の中には、口にフルートを突っ込まれた人間がひとり、膝を抱えるような体勢で収まっていた。よく見えないが、おそらく楽器の先端が頭の方に貫通している。斑に黒ずんだ皮膚。9枚並んだ紫の爪。控えめに見ても生存者の色ではなかった。

 乾いた血が顔中に貼りついていて、これが本当に棚岡弘輝なのかも判断できない。

 嵌められたのだろうか。この状態は、極めて高い確率で手紙の投函前に殺害されている。

 不意打ちのライトで、死体の胸と脚の隙間に置かれたカメラに気がついた。

「早く下がってください。アンコールが終わります!」

 リミットだ。弾かれるようにカメラを手にして距離を取る。

 刹那、背後から叩きつける爆発音と風圧。

 激突した樹に腕を擦って肉が抉れた。

 耳を刺す観客の悲鳴。走る警備員。そして、冷静さを装い、密かに狂いかけている自分。


 苦渋の決断で森林公園から離れ、駆け足で復路のトレインに乗った。

「大丈夫ですか……? 今から帰るってL館のふたりに連絡しておきます」

「ああ、Danke」

 空いている車内でカメラを調べると、ストラップの穴に『hinto』と書かれた紙のタグが括りつけられていた。

 写真の記録は4枚あり、そこには加矢間詺のものと思われるロッカーの鍵をバールで壊そうとしている男子生徒が写っていた。斜め後ろから撮っているので表情まではわからないが、正気の沙汰ではない。

 こいつが首謀者なのか。今の時点では、棚岡は口封じに殺されたとしか考えられない。

 しかし、このミッションを押しつけてきたサイコと、加矢間詺を自殺に追い込んだ犯人、棚岡殺しがすべて同一人物だとしたら、なぜ自らを危険に晒す情報を渡してきたのだろう。通常はすぐにデータを奪うか、カメラごと処分するはずだ。

 L館に帰ったら警察を呼んで事の顛末を話さなければ。会場は相当な騒ぎになっている。


 車内で眠れるわけもなく、風上峰に死体と写真について伝えるべきか迷っていた。

 いつかのあたたかい感触を思い出して胸が軋む。酷く疲れていて、あの白い首に縋りたくなってしまった。ふざけた空想をやめられないのは、犯人があの男の生まれ変わりに思えて動揺しているせいだ。利己的な態度で峰の領域を侵すような素振りを見せれば、無音の地下室に監禁され、精神に爪痕と傷痕の違いを刻まれることになるだろう。すでにこちらの弱点とプロファイルは彼女の中にある。

 愚かな望みを断ち切るように、壊れた皮膚を指で穿つ。

 今夜、意識が滅ぶまでピアノを弾き続けたい。腕から流した血で、鍵盤と床を滅茶苦茶にして。

「二谷先輩、やめてください! ……何が可笑しいんですか?」

「いや、別に」

 自虐の果てに待ち受けるのは、閉じた目を手の平で覆う悲痛と同じ闇だ。



                               track:10 end.

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