第22話 天使の溜め息

 食事を終えると、早々に自室へと引っ込む。

 皿洗いは兄の仕事だ。後、風呂洗いにゴミ捨て、後は共用スペースの掃除も。


 部屋に入るなり私は、勉強机の椅子いすに腰掛け、スマホをいじり始めた。

 友人とラインのやりとりをした後、ネットを少しサーフィンする。


 ホーム画面を適当に目で追い、気になるニュースがないか探す。俳優の不倫報道の続報。少し前まで普通にテレビに出ていたアイドルの現状。女優の結婚報道。

 最近は芸能人の結婚報道をよく目にする気がする。芸能界の中で結婚のハードルが段々下がり始めてきているのだろうか?


 そのまま色々なお気に入りに登録されたサイトを巡り、最後にネットノベルのサイトを開く。

 サイトを開くと、フォローした作品の更新をしらせるマークが、ふいに私の視界に飛び込んできた。


 もしかして――


 マークをタップして、通知を表示させる。


 やっぱり。


 そこには他の作品の更新報告と一緒に、あの作品の更新報告も載っていた。


 作者名はすばる。去年の十二月から投稿を開始した、比較的新人の作家さんだ。初めは短編の投稿から始まり、現在は『近くて遠い恋』という長編作品を投稿している。

 その作品も今は佳境に差し掛かっており、物語のクライマックス、あるいは区切りも見えてきている。


 期待に胸を膨らませ、更新を報せる通知をタップする。


 前々回の話でヒロインは、主人公に告白をしてそれを断られている。そしてそこから二人の関係はぎくしゃくし始めており……。

 告白以降何をするにも気がそぞろな主人公。それを同僚から指摘され、自分が思っていたよりヒロインからの告白を真剣に受け止めていた事に気付く。つまり主人公は、彼女の事を一人の女性としてそれ以前から認識していたのだ。そして、葛藤は別の形へと姿を変える。


 そこまで読んで私は、画面から視線を外し、ほぅと息を吐く。


 この物語を私が好きな理由の一つに、主人公のキャラクター性がある。


 真面目まじめで誠実、だけど軽口や冗談も口にする、優しく明るく格好かっこういい、年上の男性。

 まるであの人のようだ、と私は思う。しかも、台詞せりふ回しもどことなくあの人を彷彿ほうふつとさせ、余計に私は主人公とその彼を重ね合わせてしまう。

 香野こうの隆之たかゆき先輩。私のバイト先の先輩で、かつ私の好きな人だ。


 もし私が告白をしたら香野先輩は、この物語の主人公のように本気で悩んでくれるだろうか。

 ……いや、私とこの物語のヒロインでは、性格も置かれた立場も違い過ぎる。今の私は残念ながら香野先輩の恋人としての選択肢どころか、対象にすら入っていない始末。何かきっかけのようなものがない限り、その可能性はいつまで経っても0パーセントのまま、だろう。

 そう。何かきっかけのようなものがない限りは……。


 きっかけ。きっかけか……。


 この世界がもし物語なら、私はきっとメインヒロインではない。


 何かアクションを起こさなければ、私はきっと知らぬ間に敗北を期して、その事すら遠い過去の出来事になってしまう事だろう。

 それじゃダメだ。ファイティングポーズを取らせてもらう事すら出来ず負けるのだけは、絶対にダメだ。勝てないにしても、戦う姿勢は見せなければ。そうしなければ、そうでなければ、私はきっとこの先ずっと後悔する事になる。

 後少し、夏休みが始まるまでの間に何かアクションを起こさなければ。


 けど、どうやって? また映画に誘う? いや、それはさすがにスパンが短か過ぎるか。勉強。勉強なら……。でも、ウチに呼ぶのもな……。兄がいる時に呼ぶと、なんだかそっちに意識が行きそうだし、かと言って誰も家にいない時に呼ぶのもそれはそれで気がそぞろになりそうだし……。うーん……。となると、やっぱり図書館とか?

 一応、図書館には勉強をするスペースというか部屋があって、そこは予約をせずともいつでも誰でも使用が出来る。実際に私は使った亊はないのだが、はなは高校受験の際に何度も使用したという……。


 というわけで、華に電話をしてみる。

 ちょうど手元にスマホがあったのか、華はツーコールですぐに電話に出た。


『もしもし?』

「ごめん、今いい?」

『うん。全然大丈夫だよ。スマホいじってただけだから』


 どうやら華も、私と似たような事をしていたらしい。


「ちょっと華に聞きたい事があって」

『うん。何?』

坂崎さかざきの図書館に勉強出来る所あるじゃない? あそこってさー……どんな感じ?」


 自分でも要領を得ない質問だと思う。私がそう思っているのだから、聞かれている華はもっとそう思っている事だろう。


『うーん。土日は結構混むけど、座れない程じゃないと思うよ』


 それでもちゃんとした答えをくれる華。

 さすが華。私の親友だ。


「勉強を教えてもらおうと思ってるんだけど、おしゃべりとかって大丈夫?」

『だいじょーぶ……。まぁ、小さい声でなら大丈夫だと思うけど、人によっては嫌がるかもね』

「そっか」


 その答えはちょっと微妙だな。ある意味出たとこ勝負みたいになっちゃうし。


『勉強教えてもらうなら、家じゃダメなの?』

「家は……ねぇ?」

『あー。そういう事』


 私の物言いで何かを察したらしく、華の声のトーンが三段階くらい高くなる。


『だったら、最初からそう言えばいいのに』

「と、とにかく、勉強。そう。勉強出来るところを探してるの」


 ここぞとばかりにからかおうとしてくる華に対し私は、なかば強引に、話の方向を戻そうと頑張がんばる。


『はいはい。じゃあ、あそこなんてどう? フードコート』

「……あー」


 そうか。というか、なぜ今の今まで思いつかなかったのだろう? あそこなら少しくらい騒がしくして大丈夫だし、何よりテーブルがあって長居が出来る。勉強を教えてもらうのにうってつけじゃないか。


「うん。フードコート。いいかも」

『でしょ? けど、あそこはあそこで、一つ大きな問題があるんだよね』

「何? 問題って」

『学生が多い』

「……なるほど」


 学生が多いイコール知り合いに遭遇する率が高いと、そういうわけだ。しかも、そんな場所に長居をしようと言うのだから、見つかる確率は必然的に高くなる。


「とりあえず、第一候補として考えてみるわ」


 とはいえ、他に良案は浮かびそうにないし、例え見つかっても数日あるいは数週間の間、周りが騒がしくなる程度で、それによって被る実害は軽微と言っても差し支えはないだろう。


『受験生なんだから、あまり羽目はめ外し過ぎないようにね』

「だから、勉強教えてもらうって言ってるでしょ」

『そんな事言って、下心ありありなくせに』

「悪い?」

『ううん。悪くないよ。てんのそういうとこは素直にうらやましいし、素敵だと思う』

「……」


 思わぬ反撃に合い、私は思わず二の句がげなかった。


『天。私、本当にあなたの事応援してるから』

「……ありがとう。頑張がんばるわ。後悔しないように」


 通話を終え、私は天を見上げた。


 場所とは別に、私には考えなければいけない事がもう一つあった。

 それは、どうやって香野先輩をこの勉強会に誘うかだ。

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