第26話 観覧車

 なぜ女性はこうも観覧車に乗りたがるのだろうか?


 ゆっくりと動き続けるゴンドラに乗り込みながら、俺はふとそんな事を考える。

 別に観覧車が嫌いというわけではない。ただ絶対に乗りたいかというと決してそうではない。どちらでもいいというのが正直な俺の気持ちだった。


 先に乗り込んだ俺が進行方向側の席に座ったため、後から乗り込んだ鈴羽すずははその対面である反対側の席にそそくさと腰を降ろす。


「なんだか、ワクワクしますね」

「そうか?」


 どちらかと言うと高い所に向かうのだから、ワクワクというよりソワソワの方が、観覧車に乗る時に抱く感情としてはなんとなく正しいような気がするのだが。


 扉が閉まり、ゴンドラがわずかの間、密室になる。


 カップルならこういう時、これ幸いとばかりにいちゃつくのだろうが、残念ながら俺達はそれには当てはまらないので、お行儀よく向かい合って座る事にする。


「どんどん高くなってきますよ」


 外の景色を見ながら、鈴羽が楽しそうにそんな事を言う。


「高い所好きなのか?」

「うーん。好きか嫌いかと聞かれたら、好きですね。多分」

「多分かよ」

「だって、特別に好きなわけじゃないですし、すごく高い所に行きたいわけでもないですから。まぁ、精々、観覧車とかスカイツリーくらい? ですかね」


 なるほど。なんとなく言いたい事は分かる。つまりは、自ら高い所が好きと公言する程の熱意や思いは、少なくとも今の鈴羽にはないという事だろう。

 俺もカレーは好きだが、だからと言ってどこか遠くの店に行ってまで食べたいかというと決してそうではない。それと鈴羽の高い所好きは似ているのかもしれない。


「そういうせんぱいはどうなんです? 高い所」

「俺は別に好きでも嫌いでもないし、得意でも苦手でもないかな。観覧車くらいならまだ平気だけど、さくのない岸壁がんぺきとかに立ったら多分普通に足が震えると思う」

「柵のない岸壁は私もヤダな。あれ、普通に落ちる人いるじゃないですか。しかも、年に何人も」


 まぁ、大抵そういう人間は、調子に乗ったやつかもしくは調子に乗ったやつに運悪く巻き込まれた人間か、あるいは自ら落ちたやつのいずれかなのだが、落ちたくなければ近付かない方が賢明だろう。


 そうこうしている間にも、ゴンドラの高度は少しずつ上がっていき、ついにその高さは周りの建物の屋根を越え始めた。


「うわぁ……。せんぱい、せんぱい。ほら、あそこ。海、海ですよ」


 この遊園地は海沿いに建てられているので、場所や高さによっては海が見える事がある。なので、その事自体はそれ程珍しい事ではないのだが……。


「ホントだ……」


 その光景を見て、俺は思わず言葉を失う。

 ゴンドラの中から見る海は、他の場所から見るそれとはまたおもむきが違い、尚つそこに昼と夕の境というスパイスが加われば、その感動もひとしおである。


「今日は本当にありがとうございました」

「なんだよ、急に」


 なんの脈絡もなく、唐突に告げられたその言葉に俺は、そう少しぞんざいに言葉を返す。


「いや、なんとなく、言うなら今かなって思って」

「……そうか」


 まぁ、鈴羽の言いたい事も分かる。言われた方としてはよく分からないタイミングだったとしても、言う方としてはそれがベストなタイミングだと思い言葉を発するという事は、残念ながらよくある事だ。かくいう俺もたまによくやる。


「正直俺も楽しかったし、礼は別にいいよ。機会があったらまた来ようぜ、一緒に」

「はい! 是非ぜひ!」

「いや、立ち上がるのは止めとけよ。危ないぞ、普通に」

「はい……。すみません」


 俺にしかられ、軽く肩を落とし座る鈴羽。それを見て俺は、思わず苦笑をらす。


「まったく、お前はどこでもマイペースというか、変わらないな」

「……」

「鈴羽?」

「私らしさってなんでしょう?」

「は?」


 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。


「元気で、能天気で、悩みなんてなさそうって、みんなそう言いますけど、それってある意味悪口ですよね。馬鹿ばか丸出しっていうか、脳みそ足りなそうっていうか……」

「いやいや、誰もそんな事思ってないって」


 まぁ、馬鹿っぽいとはいつも思っているけど、それはそれ、これはこれという事で。


「でも、色気なんてないし、女の子らしさの欠片かけらも……」

「それこそ、女の子らしさって何って話だろ? 色気のあるなしだけが女の子らしさの基準じゃ決してないし、元気で明るいっていうのはむしろ、女の子らしさ的にはポイント高いんじゃないか?」

「せんぱい……」


 結構思い付きでしゃべった内容で、ちゃんとフォローとして機能しているか心配だったけど、どうやら鈴羽には杞憂きゆうだったらしい。


「つまり、せんぱいは私みたいな子が好みって事ですよね?」

「……」

「なぜそこで黙る」

「いやだって、別に好みとかないし」


 現に一人目の彼女と二人目の彼女はタイプが別だし、こういうタイプが好きって事も自分的には特にないつもりだ。


「なるほど。ロリでも熟女でもなんでもござれって事ですね。さすがせんぱい、生粋きっすいの女たらし、天然のジゴロ」

「おい、誰がいつそんな事をした」

「無意識だからこそ、生粋であり天然なんですよ、せんぱいは」

「なんだそれ」


 もう、なんでもいいよ。好きにしてくれ。


 これ以上の反論は無駄とあきらめ、視線を鈴羽からゴンドラの外へと移す。

 ゴンドラはついに頂点にまで到達し、後は下がる一方だ。


「あっという間でしたね、遊園地」


 俺と同じようにゴンドラの外に目をやっていた鈴羽が、そうつぶやくように言う。


「また来ればいいさ」

「はい」


 うなずき、こちらを見やり、その顔に笑顔を浮かべる鈴羽。


「――!」

「どうかしました?」


 それに対し、不自然な反応をした俺に、鈴羽が小首をかしげそうたずねる。


「いや、ちょっと夕日が眩しくて……」

「あぁ……」


 良かった。なんとか誤魔化ごまかせたようだ。


 危ない、危ない。ここで深く突っ込まれていたら、おそらく上手うまくは返せなかっただろう。


 動揺のせいか、まだ心臓がバクバク言っている。


 それにしても、まさか鈴羽にドキっとされる日が来ようとは……。観覧車のせい、もしくは夕日のせいだろうか。後は疲れているからっていう可能性もなくはないが。


 気を付けよう、色々と。今日は特に。


「せんぱい」

「なんだよ」

「また来ましょうね、絶対」

「あぁ、そうだな」


 それがいつになるかは知らないが、その時までにもっと体力を付けておこう。せめて、絶叫系のアトラクションに三つ連続で乗れるくらいには。

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