第24話 それぞれに想いを抱えながら

 その頃、山崎は大阪で鴻池こうのいけと合流し長州へ向かっていた。鴻池は数名の男衆おとこしゅうを引き連れいている。そしてなによりこの男、話好きである。

 新選組の優秀な監察方の山崎だが、この男から逃げる術を持っていなかった。


「あんた、大阪の出なんやて」

「はい」

「なんやいつも厳しい顔をしとるな。もっと笑ろうたほうがええで」

「はぁ」

「あれやで。顔のここら辺、口の回りを動かさんと、早よ爺さんになる。ホンマやで」

「……」


 山崎はこの男の隣から逃れようと足を緩めてみたが、鴻池も同じように速度を落とす。少し速めてみると、これまた同じようについて来る。本人を置いて先に行くわけにもいかず、けれど話に付き合うのも苦痛だ。山崎の顔がいつも以上に険しい表情になってしまうのは仕方のない事だ。


「けど、あれやな。よう見たらあんた男前やな。目のあたりがシュッとして女が好きな目ぇやわ」

「……」

「あんたそうとう遊んできたんやろ。間違いないわ」

「遊んでなどいません」

「嘘やな。男やったら女遊びくらいするやろ。隠さんでええんやで。わては口は堅いんで有名やさかい」


 口が堅いは、今の状況ではなんとも信じがたいことであった。


「少なくとも俺はしていません」

「ははぁん……。あんた、衆道やな」

「しゅ、しゅう。違います!」


 山崎が怒って否定してもも鴻池ははいはいとかるくあしらう。


「怒った顔もなかなかええ男や」


 などと言って、全く悪びれた様子がない。山崎はますます険しい顔になる。しかし、鴻池のお陰で長州入りができるのだ。ここは新選組のために堪えるしかない。この男が居なければ新選組の運営も上手くいかなかった。局長も副長も頭が上がらないのが正直なところ。

 それを知ってか知らずか、鴻池の口撃は止まらない。


「女の一人や二人、知っとかなあかんで。いざ好いた女ができても、満足さしてやれんかったじゃ男が泣きまっせ!」


 本当に余計な御世話である。こんな調子で何か月も過ごさなければならないのかと思うと、溜息の他なにも出てこない。山崎は軽く目を閉じ、心の落ち着きを取り戻そうとしていた。


「長州の女は、大阪の女と変わらんくらい気が強いらしいで。あんた会った事ないやろ」

「……はい」

「そりゃあもう、大したもんでっせ。ただ、違うのんは此処や。ほんま敵わんで」


 鴻池はここと言いながら、自身の頭を軽く突いてみせた。


「そうですか」

「それにな……」


 山崎は内心、もう女の話は要らないと心の中で叫んでいた。俺が知りたいのは長州の内政なのだと。


「男に混じって鉄砲を扱う練習もしとるらしいで」

「えっ。女が、ですか」

「そうや。男がいくさに出たら、家には女と年寄しか残らんやろ。家を守るためには女も武器を扱わんといかん言うてな、訓練しとるらしいで」

「……」

「この間は、異国の大砲から守るために堤防をこさえたらしい」

「堤防、ですか」

「それも全て女の手で造ったんやて。時間があったら見てみたらええ。凄いらしいで」


 この鴻池という男、話好きなだけあって情報はたくさん持っていた。この男と行動を共にすれば間違いないという事は分かった。分かったのだが、半分以上は聞きたくない話である。すでに山崎は精神的疲労を感じていた。


ーー椿さんはどうしていますか……。


 そんな時は椿の事を想うことにする。それがこの頃の、山崎の唯一の安らぎとなりつつあった。

 それにしても鴻池の口は止まらない。


「せや! 山崎はんのために長州の女をいっぺん見繕うてやるさかい。しっかりと男を磨きなはれ」

「はあ!?」

「遠慮はいらんて。土方さんにはようしてもろてるさかい、あんたの一人や二人安いもんや」

「いえ、そういうのは結構です」

「あきまへん!」

「っ!」


 へらへらと笑っているかと思えば、ギロッと山崎を睨む。さすがの山崎も思わずヒクリと肩を揺らした。


「預かったからには、わてが男にさしてみせます!」


 そんな不吉な言葉を述べている。

 山崎はまさかの己の貞操を心配するはめとなってしまったのだ。


 前途多難である。



 そうは言っても、鴻池の力は長州でも素晴らしかった。貸し付けている屋敷は殆どが倒幕派に肩入れをしていたため、内政を探るのに苦労はしなかった。


「早よ、返してや。わてかていつまでも待てへんで。みんなこの時勢で火の車や。幕府やら倒幕やらわてはどちらでも構いまへん。けど、約束は守ってもらわなあきませんねん」


 などと表面的には金を返せと言うものの、一通りの世間話の中から山崎が聞きたい事を上手く引き出していく。実はこの男、なかなか出来るのである。


「ほな、また来ます。次来たときは、耳揃えて返してもらいます。忘れんといてください」

「もちろんです。道中、お気をつせて」


 こんな調子であるから、煙たがれはしても他の金貸しとは違い丁寧に扱われているのだ。

 

 二人が外に出たところで、ちょうど目の前を女たちが列を作って歩いていた。もしやこれが噂に聞いた、戦の訓練なのではと思う。


「山崎はん。あんた見てみたいやろ」

「えっ、よいのですか」

「行ったらええやん。日が暮れる前に戻ってきてや」

「ありがとうございます」


 山崎は鴻池と別れ、その女たちの後を追った。





 山崎が見ても確かに力強く逞しいと思えた。この国は男女がそれ相応の仕事をこなし、皆がひとつの目的に向かって汗を流している。そこに男だから、女だからといった隔たりを感じない。敵とはいえ清々しいとさえ思えた。

 そして彼女たちの強さに、どことなく椿と重なる部分があった。幼い頃から奉公に出て、その間に親を病で亡くしたと聞いた。一人でも生きていけるようにと、男の世界と言われた医者になり、誰に何を言われようと決心を曲げたりしなかった。親がいない者、しかも女であることに信用のない世の中で、どれほど風あたりが強かったことか。


「椿さん、あなたは強いひとです。でも、それ以上に優しい」


 まもなく日が落ちる。

 椿は江戸を楽しんでいるだろうか。笑っているだろうか。彼女の屈託のない笑顔がこの長州の空にも浮かんだ。真っ直ぐで、聡明で、頑固で、それでいてとても優しい。そんな女が今や山崎のものになったのだ。

 日暮れと共に人肌恋しくなる。それは季節のせいなのか、はたまた体が覚えてしまった椿の体温を欲しているのか。離れて知る椿の温もりを胸に抱きしめて、今日がまた暮れていく。





 椿たちは先に着いていた藤堂と合流した。事前に情報はあったらしいが、藤堂と同じ流派の伊東甲子太郎かしたろうと言う男が募った隊士を、一緒に京へ連れて行くと言う話になっていた。近藤はそれに好意的で、最終確認のため土方が出向いた流れだ。


「藤堂さん。お元気そうで」

「椿さんも一緒だったのですね」

「はい」


 久しぶりに見た藤堂は以前よりも男らしさが増している様に見えた。江戸に滞在中は剣の腕を磨くため、暇があれば修業をしていたのだという。


ーー藤堂さんは僅かな月日で逞しく立派になられた。山崎さんもきっと……。


 椿は山崎と年齢としの近い藤堂を見て、そんなことを考えてしまったのだ。


「椿さん、どうかしました」


 沖田が背を屈めて椿の顔を覗き込む。気のせいか、椿の瞳は少しだけ陰が差したように寂しげだ。


ーーああ、なるほど。そろそろ恋しくなる頃ですよね。


「椿さん、今日は自由にしていいそうですよ。少し江戸を案内しましょうか」

「え、よいのですか」

「はい。行きましょう」


 沖田が少し強引に手を引くと「沖田さんっ」といつもの調子で椿は軽く睨む。沖田はいつも強がってばかりな椿を、今日は甘やかしてやろう決めた。


「山崎くんに土産でも探してみましょうか」

「お土産ですか」

「江戸の物なら他の人と被らないでしょう」

「はいっ!」


 椿が笑うと沖田も自然と笑顔になる。その笑顔が自分のためならどれ程嬉しいだろうか。沖田は切ない想いを心の中に仕舞い込んで、山崎の代わりを努める沖田であった。


ーー椿さんが泣くと、僕も泣きたくなるんですよね。困った人ですよ、あなたは。


 大阪とは違う賑やかさがある江戸は、椿には新鮮だった。きちんと髷を結ったお侍が歩いている。改めてここは、天下の徳川将軍の町なのだと思い知った。


「山崎くんらしい色ですね」

「そう思いますか。よかった」


 そして、椿が山崎のために買ったのは、うぐいす色の根付だ。落ち着いた模様のそれは、山崎の人と成りを思わせたのだ。きちんと食べているだろうか。夜は眠れているだろうか。椿は今がどんなに楽しく賑やかに過ごしていても、山崎恋しさは殺せない。土方や沖田には良くしてもらっている。それでもやっぱり山崎がいいのだと心の何処かで考えてしまうのだ。


「山崎さん。早く、お会いしたいです」


ーーごまかして笑ってみても、貴方の事は一時だって忘れられません。貴方の体温が夜になると恋しくて、寂しくて、ひとり体を抱き締めてしまうのですよ。


 江戸の日暮れは早く、恋しい気持ちは長くなるばかりだった。





 椿と山崎はそれぞれの想いを抱えて三月みつきを過ごした。京に残る近藤からの知らせによると、山崎の方が先に帰ってくるという。椿はその半月後に屯所に帰り着く予定になっている。


 土方と沖田と椿。たったの三人だった旅も、帰りは十数名に膨れ上がった。土方を先頭に伊東、三木(伊東の実弟)と藤堂が続き、その後ろをその他の隊士らが続いた。椿は列の一番後ろを沖田と並んで歩いていた。


「沖田さん、伊東さんって大丈夫な方ですよね」

「大丈夫って、何がさ」

「私が言う事ではないのですが、ちょっと違う気がして」

「どんなふうに」

「えっと。考え方が新選組と違いませんか」


 椿が言うと沖田はすっと目を細めた。


「鈍感じゃなかったんですね」

「沖田さんは失礼ですよ」

「仕方がありません。近藤さんが気に入っていますから」


 どこか諦めたように言う沖田に、椿はそれ以上何も言わなかった。ただ、嫌な予感だけが心に残る。


ーーぜったいに土方さんとは、馬が合わないと思うのですよ……。


 順調に京へ向けて旅を続けながらも椿は時折、土方の機嫌が気になった。しかし、今のところ特に変わりはない。土方は短気に見えるが、実は感情を隠し相手の腹を探るのが得意で、見た目とは違い繊細な部分も持っているのだ。


 椿はそんな事を考えながら歩いていた。


「椿さんと言いましたか」

「っ、はい」


 前方にいた伊東が突然、椿と並んで歩き始めた。伊東の思いもよらぬ行動に椿はしばし焦る。


「新選組に医者がいると聞いて驚きました。こんな美しい方だったとは。土方くんの戦略はかなり進んでいますね。医者と共にあるとはなかなか思いつきません。以後、宜しくお願いします」

「はい、こちらこそ。尽力いたします」


 伊東という男は色白の美男子で、身なりも言動も丁寧だ。人として嫌う要素は見当たらない。しかし彼は本当に新選組の為ためになるのかどうかという疑問はある。新選組は佐幕派であり、異国からの力を排除し幕府中心の政治を支持している幕府の侍だ。しかし、伊東の思想は尊王攘夷であり、天皇中心の政治をするというものだ。共通しているのは「攘夷じょうい」だけである。


※攘夷=異国の力を排除する動き

佐幕さばく=幕府派

尊王そんのう=天皇派

※倒幕派=幕府を倒し、新たな政府を作ろうとする動き


 土方が休憩先の手配を済ませたのか、椿のもとにやって来た。


「椿。疲れていないか」

「はい、大丈夫です」

「そうか。まあもうちっと我慢すればあいつに会えるしな」

「はい!」

「おまえは、あからさま過ぎるな」


 土方は続きの額を軽くつつく。

 もうすぐ、長かった旅が終わる。そうしたら山崎に会える。それだけが椿の心を支えていた。


ーー山崎さんに会う時、どんな顔をして会ったらいいかしら。


 ぽっと頬を染める椿に、隣にいた沖田はただ苦笑するばかりだ。


「ねえ土方さん。椿さんと山崎くんの感動の再会を賭けませんか」

「あ? 賭けるって、どうやって」

「くくっ。山崎くんを目の前にした時の、椿さんの行動ですよ。島原での一杯を、どうです」


 沖田は悪戯な笑みを浮かべながら、土方にそんな話を持ちかけた。土方は難しい顔をして考えていたが、同じように悪い笑みで了承したのだ。


「椿さん」

「はい」

「期待していますよ」

「何をですか。なんなんですか、そのお顔は!」


 椿は沖田の得体のしれない黒い笑みと、土方の何か企んだ時に歪む口元に嫌な予感を覚える。


『僕、泣き笑いでただ今戻りましたって、言うと思うんですよ』

『俺はそうだな、満面な笑顔で山崎の名を叫ぶと思うぞ』


 他人の再会を面白がってはいけないが、さてどちらに軍配が上がるのか。

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