中央聖堂
白き神に捧げられた踊りを、幼いグラインは見事に舞って見せた。愛らしいグラインが空色の衣装を翻して体を回す姿は何とも愛らしく、共に舞っていたアッシュも見惚れてしまったほどだ。
そんなグラインのことで話があると、アッシュは一人中央聖堂に呼ばれていた。 硝子の支柱が輝く聖堂の奥へとアッシュは足を踏み入れる。壁には吟遊詩人たちを閉じ込めた硝子の結晶が煌めき、その様相にアッシュは気圧された。
ここに来るたび、アッシュは彼らの穏やかな顔を見ることになる。自分を犠牲にしてこの国を支える彼らは、何を思い眠りについているのだろうか。
中央聖堂は、それそのものが無数の吟遊詩人が作り出した巨大な硝子細工の建物だ。その最奥にこの国を統べる長はいる。
「やぁ、久しぶりだね。灰の王」
澄んだ少年の声が上方から聞こえて、アッシュは顔をあげていた。たくさんの吟遊詩人を閉じ込めた歪な結晶の頂きにその人物は座っている。
銀の髪を暗闇に靡かせるアンは、聖句の書かれた書架に視線を落としていた。
「どのようなご用件で。アン」
「君の可愛い愛娘のことでちょっとね」
聖句を閉じ、アンはアッシュに微笑みかけてみせる。それでもアッシュは彼の蒼い眼が剣呑な光を帯びていることに息を呑んだ。
「あなたもグラインを祝福すると仰ってくださいました。あの子は――」
「あの子の母親が問題なんだ」
アッシュの言葉をアンは遮る。彼は鋭く眼を細め、言葉を続けた。
「あの子は、君を育てたウィッシュの娘だよ。そのウィッシュを処分した君なら、僕の言っている意味がわかるだろ?」
冷たい輝きを宿したアンの眼が、アッシュを捉えて離さない。唇を強く噛みしめ、アッシュは自身の主を見あげることしかできなかった。
「ウィッシュは夜の王の妹だ。亡命した彼女を、僕ら常世の国は快く受け入れた。だが、彼女は裏切り、君の手によって処分された」
「なにが、仰りたいんですか?」
「命令だ、夜の王。君の娘を殺しなさい」
夜の空に光が咲く。それは魔法陣の形を無数に作り出して、辺りを蒼い光で満たした。その魔法陣の上を疾駆する二つの人影がある。
一人は新緑の髪を月光に照らす少女。もう一人は、捻じれた三つ編みで顔の横側を飾る少女だ。
二人が祝詞を唱えるたび夜闇を照らす魔法陣が空に咲き、二人がそれを踏むたびに魔法陣は弾けて花火のように散っていく。
少女たちは竜の形をした飛行船を取り囲み、その飛行船めがけて祝詞を唱える。緑の髪をした少女グラインは魔法陣から光り輝く蝶を生み出し、その蝶は竜の飛行船を螺旋状に取り囲む。蝶たちはいっせいに爆発し、咆哮をあげる竜と共に夜の闇に散っていく。
三つ編みの少女エリジンが祝詞を唱える。彼女の生みだした魔法陣からは小さな鋼の竜を模した光が生じ、エリジンの横を飛ぶ竜の飛行船に咆哮を放ってみせた。
衝撃波が竜の飛行船を襲い、風に嬲られるそれをエリジンは魔法陣を蹴って追う。高く跳んで自身の鋼の竜を呼ぶと、彼女はその背に乗り、竜に高温の炎を吐かせてみせた。
飛行船は炎に包まれ、爆発を繰り返しながら落ちていく。その竜の背に光り輝く蝶たちを伴ったグラインが降りたった。
「あぁ、根の国のお姫様相手にこの歓迎はないよねぇ」
「自分で蒔いた種でしょ……」
外套の誇りを落としながら、グラインは泣きごとを言うエリジンに冷たい言葉を送っていた。酷いとエリジンはごちて、頬を膨らませてみせる。
「でも、これ以上は彼らも追ってこないと思うわ」
竜の進む前方へと顔を向け、グラインは真摯な言葉を放つ。グラインの眼前には、常世の国の中心部たる中央聖堂が鎮座していた。
薄く水のはった雪の平原に、それは突如として現れる。まるで峻厳な岩山のごとく聳え立つ硝子の結晶の中には、巨大な白い竜が閉じ込められていた。竜は咢を開き、今にも飛び立たんと蒼い静脈の浮かびあがる銀翼の羽根を広げている。
竜を閉じ込めた結晶の山には小さな穴が無数に開いている。よく見ると、それは鉄で造られた巨大な鎧戸だったり、精緻な彫刻の施された二重窓だったりした。
これが、この国の中心部である中央聖堂だ。この白き竜を封印した結晶の内部をくり抜き、常世の国の人々は自らの国の中心部を作り上げた。
「いつみても、白き神は恐いねぇ……」
エリジンが呟く。彼女へと振り向くと、エリジンは夜色の眼を鋭く細め、今にも飛び立とうとする結晶の中の竜を見つめていた。
硝子の結晶の中には白き神の亡骸が閉じ込められている。遠い昔、黒き神との争いによって朽ちた彼女はこの地に封じられた。
けれどもその魂は世界樹のもとで今もなお生き続け、同じく朽ちた黒き神を終わりのない戦いを繰り広げているのだ。
「黒き神も、私は同じぐらい怖いわ……」
グラインは硝子の中に閉じ込められた白き神を見つめながら、小さく呟いた。根の国の中央にもこれと同じものがある。黒い竜を閉じ込めたその硝子の結晶は、人形遣いたちの聖堂として機能していた。
グラインは、夜の王に祝詞を教えてもらいながら、灰の空を飛び何度もその聖堂を眺めている。今にも飛び立とうとする硝子の中の黒い竜を見るたび、グラインは何ともいえない胸のざわめきを感じたものだ。
それと同じものを、硝子に閉じ込められた白き神からも感じられる。
「あそこに父さんが……」
不安な気持ちが言葉になる。そんなグラインの手を握りしめるものがあった。
「大丈夫、あのおっさん悪い人にはみえなかったから」
隣にいるエリジンを見つめる。彼女の夜色の眼が優しげにグラインに向けられていた。
「それに、私はこれでも姫だしねっ」
空いたもう片方の手で彼女は自分の胸を叩いてみせる。彼女の笑顔を見て、グラインは自然と微笑んでいた。
ダラムはこの中央聖堂が昔から好きになれなかった。今にも飛び立とうとする白き神を頂いたこの場所は、来るものに得体の知れない威圧感しか与えない。
それは、自分と対峙する微笑みを浮かべた少年も同様だった。
「ご苦労様、火の王よ。灰の王が僕らの前に舞い戻った」
いつも登っている硝子の結晶を前に、アンは蒼い眼を細め自身の隣に佇むアッシュを見つめる。アッシュは無感動な眼をかつての主に向けるばかりだ。
ずぶ濡れだった彼は銀糸の刺繍が美しい外套を着せられ、灰の髪も三つ編みで纏められている。
「うん、やっぱり君は着飾った方がいい。とても似合ってるよ……。僕の灰の王……」
うっとりと眼を細めて、アンはアッシュの手を取る。アッシュは無感動な眼をダラムに向けてきた。
「行こう、アッシュ。大丈夫。君の大切なお姫さまももうじきここに来るよ」
ぴくりとアッシュがアンの言葉に反応する。彼は色のない眼でアンを見つめ、彼の手を握り返した。アンは薄く笑って、アッシュの手を引き歩き出す。
支柱が建ち並ぶ通路を歩き、二人は聖堂の奥へと消えていく。二人を見つめるグラムをアッシュが一瞬だけ振り返る。
――。
彼が何かを口ずさむ。それを聞いて、グラムは大きく眼を見開いていた。
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