第八十話:執事の覚悟と教師の遊び。


「せんに…?」



「お嬢様。申し訳有りませんが少々この者と語り合わねばならぬ事があるようなのです。一人で先にお進み下さい」



 そんな事を言われても有栖は困る。何せここまでの道順全て多野中任せて進んできたのだ。彼女の頭の中からここの見取り図は綺麗に消失してしまっている。



「おいおい。行っていいって言ってるんだからさっさと行きな。行かねぇならまずはお譲ちゃんから…」



「お嬢様。必ずすぐに追いかけますから先にいって下さいませ」



 今まで見た事のない様な真剣な表情に有栖は覚悟を決めた。



「わ、わかりました。でも…必ず、出来る限り早く追いかけてきてくださいまし」



 有栖はゆっくりと、ジャバウォックを避けるように壁に背を向けてカニ歩きを始めた。



「…オイ。取って食ったりしねぇからそんな変な歩き方じゃなくてさっさと行けよ」



「あまりお嬢様を苛めないで下さい。お嬢様は臆病で気が小さいのをツンとデレを駆使して誤魔化している素晴らしいお方なのです」



 ジャバウォックはちょこちょことカニ歩きをしながらこちらをチラチラ伺いつつ通り過ぎていく有栖を脱力しながら見つめる事しかできなかった。



「まぁ、なんだ。お前の趣味にどうこういうつもりはねぇけどよ…ああいうのが」



「勘違いなされるな。あくまでもお嬢様は私がお使えする御伽家のご令嬢。さすがに妙な好意を邪推されても困りますな。しいて言うならば…そう、孫を見ているような気分ですよ」


「まぁどっちでもいいけどよ、邪魔者も行った事だしそろそろ本気出してくれるんだろうな?」



 ジャバウォックが静かに構えを取ると、それに合わせるように多野中もすっと右手を前に出し掌だけを自分の方へと向ける独特の構えを取る。



「腕はなまってねぇんだろうな?」



「期待されても困りますな。何せ長い事執事業しかやっておりませんでしたもので」



「まぁ確かに…少々勘は鈍ってやがるみたいだな」


「何を…」


 そこで気付く。足元からじわりと感じる違和感。



「これは…遅効性の…毒?」



「その通りだ。最初に投げたボールがまさかただのゴムボールだなんて思ってないだろうな?あれには細かい棘の細工がしてある。昔のお前ならそれを素手で払おうなんて思わなかっただろうぜ」



 確かに油断していたのかもしれない。こんな所で本職に出会うという事は考えていなかった。



 それは多野中が戦場から離れて久しい事も理由の一つではあるが、この程度のミッション簡単にクリアして、屋敷に帰った後の紅茶を何にしようかなどと考えていた事も問題だ。



 そもそも多野中の手袋は特殊な繊維が織り込まれていて多少の刃物などは通さないように出来ている。細かい針がうまい具合にその繊維の隙間を突いて地肌に到達してしまったのだろう。油断、過信、慢心。そのどれもが昔の彼にはない物だった。



「確かに…少々油断が過ぎました。これは致死性の物ではなさそうなので早めに勝負をつければ」



「まぁ万が一にもこの戦いにお前が勝ったとして、いくらお前でも三十分程度は動けなくなるだろう。あのお譲ちゃんを追いかけるのは無理だな。…本来なら既に全身麻痺って呼吸困難になるような毒なんだが…致死性じゃないとかよく言うぜ」



 実際ジャバウォックがボールの棘に仕込んでいた毒は普通の人間ならば数分で全身の筋肉が麻痺して場合によっては死に至る場合もあるような代物だった。



「なるほど。私の毒への耐性のせいで逆に気付くのが遅くなったという事ですか。しかし、どちらにせよお嬢様を先に行かせたのは正解でした。私がここで勝てても自由に動き回る事は難しく、負ければお嬢様に危険が…」



「俺がお前を倒してさっきのお譲ちゃんを追いかけるかもしれないだろう?」



 その可能性は低いと多野中は考える。このジャバウォックという男は戦闘狂いであり、強い相手と戦う事そのものに快楽を感じるタイプの人間だった。仮に自分が倒されたとしてもわざわざ有栖を追いかけて害を成す事はないだろう。



 しかし今回の作戦を成功させるには一番大きな障害になるかもしれない。



 この男だけは自分が倒しておかなければと、久々の緊張感に包まれ多野中は額に汗を浮かべる。



「これは…なかなか厳しい戦いになりそうですな」








 織姫咲耶は正直がっかりしていた。



 彼女はとにかく少しでも危険が多そうな道を選んで通り、立ち塞がる障害を問答無用でねじ伏せて押し通り続けた。



 それ故に、本人も知らないうちに乙姫、舞華組を追い抜いていた。



「思ったよりつまんねぇな…」



 血に飢えた獣のように本能の赴くまままた一人地面に叩き伏せる。



「なーんか温いんだよなぁ…。多少の訓練はしているみたいだけど殺気が全然たりねぇんだよなぁ…実践なんかした事ねぇって感じだ」



 あまりの拍子抜け感についそんな独り言を呟きながらもまた一人殴り飛ばす。



 その時



「おっ」



 彼女が何かを感じ取る。



 どういう原理なのかは本人も理解していないが、本物の殺気という物はとても解りやすくその肌で感じ取る事ができた。



「なんか楽しそうな事やってる気がするぜ!」



 やっと自分の望んだ展開になってきた気がして咲耶は走り出す。



 その途中で出てきた黒服の連中は適当に走りながら薙ぎ倒し先を目指した。



 そして






「…おいおい、こりゃどーいう状況だぁ?」


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