第17話 バケモノは豆腐メンタル



 その日の放課後、円の命により私は寺浄を呼び出した。


 場所は神社の近くにある公園、その展望台だ。



 その公園は、山の中腹の開けたところにあり、展望台からは昔と変わらずこの町を一望できる。


 私は展望台の端に立ち、近くに円が潜んでいることを確認しながら景色を眺めた。



 ――いくら時が経っても、ここから見える人の営みは変わらないわね。



 手すりを握る手にほんの少しの感傷を滲ませながら、背後による気配へと振り向く。 



「呼び出してすまないわね、これから告白するのでしょう?」



「いいえ、心配には及びません。まだ時間はあります」



 澄ました顔の寺浄。


 声色も揺れるところがなく、とても告白する人物には見えない。


 しかし昨日とは違い口には紅を薄っすらと引き、睫毛は若干長めに見えるところ等、彼女なりに気合を入れているのだろう。



 ――可愛らしいこと。



「随分と、平静なのね」



 私は、余所行きの笑みを浮かべて彼女に近づく。



「そうでもありません火澄様。告白の前に確認したいことがあるというのは何でしょう?」



 無表情のまま、首を傾げる寺浄。


 私はその頬の手を当て、目を覗き込む。



「貴女の気持ちを」



 寺浄の瞳が震える、肉体という壁を透過し心を、魂とでも言うべき彼女の精神の形が浮かぶ。


 何の装飾も無い、無骨な西洋剣。


 清浄な輝きを放つ其れは黒く澱んだ靄に包まれ、今にも漆黒に染まりそうだ。



 ――美味しそうだわ。



「な、にを?」



 心を私に覗かれている寺浄は、その異常性を本能で理解したのだろうか体を警戒で堅くする。



「貴女が彼を想っているのは間違いないわ。けど、それだけじゃないでしょう?」



 獲物を前にして期待で高まる体と、彼女の歪みを惜しむ心。


 彼女の不安定な歪みを発現させ、食べてしまうだけでいい。


 その恋心は消えてしまうけれど、私の本能は満たされる。



 けれど、そうしてしまえばバケモノとなった彼女の先が判らない。


 相反する自己を振り払うように、寺浄へ哂いかけた。



「っ! 私が文虎様に二心があると考えですか!」



 寺浄は私の手を振り払い、睨みつける。



「ふふ、そうではないわ。自分でも解っているのでしょう。……ねぇ、誤魔化さなくてもいいのよ」



 私は彼女の腰を抱き寄せ、立ち位置をくるりと入れ替える。



「火澄!」


「ふふ、可愛い娘。素直になりなさい」



 彼女のスカートの中に手をいれ、太腿に巻きつけられた鞭を抜き取る。


 ついで、彼女の右手と展望台の柵を鞭で繋ぎ、拘束する。



「くっ! こんな事をして何が目的なのです!」



 声を荒げる寺浄、けれど私はその目に浮かんだ熱情を見逃さない。



 ――そう、それが貴女の本当。



 心を見透かすと鋭い刀身に、黒く薄い棘の文様が入っている。



「貴女の闇を、認めなさい」



 私は力を使う。


 心の闇を増幅し、剣への侵食を早める。



「あ、あっ、ああっ!」



 熱に浮かされたように、寺浄は短く喘ぎ出す。


 剣が心の闇で華美な装飾が為されてゆく、簡素な柄は黒色の薔薇の刻印がなされ、其処から全体に渡り蔦と棘の文様が彫られている。



 清浄な輝きはほぼ無くなり、鈍く紫色に光る中、僅かに残るばかりだ。


 私は彼女の心を読み込み、囁きかける。



「彼が愛おしかったんでしょう。でも憎かった。だって、貴女の気持ちは無視されていたものね」



「……」



 寺浄は俯き震える。



「彼に纏わり着く邪魔者が羨ましかった。だから彼に気付かれないように排除してきたのよね」



「……っ!」



 寺浄は崩れ落ち、座り込む。



「貴女は彼に縛られたいのね。そして同時に彼を縛っておきたい」



「……言わないで、火澄様!」



 寺浄は空いている左腕で体を抱きしめる。



「鞭なんか持ち歩いて、彼を如何するつもりだったの? 浅ましいわ」



「言うなあああ!」



「苦しかったわね。だって貴女と彼が結ばれることを、他の誰にも望まれていない。そう、彼本人からも」



「ううううぅ、ああああああ!」



 寺浄が大声を上げ、私を睨む。


 勢いのままに私の襟首を掴もうとした左手は、途中で止まり、ふらふらと下ろされる。



「身分の差が、家が、憎かったわね。そのせいで貴女の想いは一生叶わない」



「…………でも、耀子さまの力があれば」



「身分の差を乗り越えられる? 思いが通じ合える?」



「……」



「解っているのでしょう。そんなはずはないって、例え結ばれても皆が貴女に後ろ指をさすわ。両方の家族だって悲しむ」



「……それでも、私は」



 寺浄は再び俯き、頭を横に振る。



「……」



「どうすれば……私は……」



 苦悩する寺浄に、私は甘い言葉をかける。



「……たった一つ、方法があるわ」



 その言葉に、寺浄は顔を上げる。


 心に闇が侵食している彼女は、自分が陥っている異常事態に気がつかず、目を妖しく光らせた。



「それは、どういう」



「認めなさい、心の闇を。そして、人をやめてしまうの」



「……人を、やめる?」



「ええ、人の善悪なんか全て捨てて、貴女の思い通りに」



「全て、捨てて……」



 私は彼女を拘束から解放し、立たせる。



「今の貴女なら出来るわ。――さあ、その歪みを解き放って!」



 彼女の心を視て、その闇を溢れさせ――。



 ――心の闇が、歪みが溢れない?



 私が疑問を感じた瞬間、極度の不快感が体を襲う。



「――――今、わかりました。それでは、駄目なのですね」



 寺浄は祈るように目を閉じ、片膝をつく。


 同時に、展望台一帯が囲われた感触がした。


 中心点に目を向けると、寺浄のスカート、そのポケットの中に耀子が渡したお守りの存在が感じられる。


 慌てて彼女の歪みを膨れ上がらせようとするが、力自体が発動しない。



 ――不愉快だわ!



 これ以上にないほど気持ち悪かった。


 全身の皮膚が剥がれてしまったかの様な激痛が襲い、立っていられないほどに景色が目の奥に突き刺さる。


 胸の刻印を通じて必死に助けを求めるが、円と繋がる気配すらしない。



「……聖、域」



 私は己の迂闊さを呪った。


 耀子は、私に対して最善の対抗策を用意していたようだ。


 この身が土地の歪みと繋がっている以上、その土地の状態に左右される。


 結界で一時的に土地との繋がりを切り離し、その上で清浄なる空間で弱らせる。



 ――良い手だけれど、円との繋がりも断たれている今なら……。



 私は用を成さない枷を外そうとし、取りやめる。



 ――違う。



 それでは耀子の思う壺だろう。


 いくら私を弱体化させたといっても、この程度の聖域で完封することが出来ないことなど、彼女にも解っているはず。


 それならば狙いは私ではなく――。



「――火澄様」



 寺浄暦、彼女だ。



「……寺浄」



 穏やかな笑みを浮かべ、彼女は立ち上がった。


 私は不快感でふらつく体をおして、彼女と向き合う。



「火澄様、――有難う御座います」



「え?」



 予想外の言葉に、私は硬直した。


 嫌な予感が脳裏を駆け巡る。



「先輩の仰っていた私の気持ち、理解できました」



「……」



 私は寺浄の晴れやかな顔、空気に一歩下がった。



「私は今まで、自分の醜い思いから目を逸らし、都合の良い部分しか見ていなかった。相手を想うということは、暗い部分もあるというのに」



「……」



 ――そんな馬鹿な。



 私は寺浄の心を視て愕然となった。


 彼女の心から闇が消え、黒い薔薇やその蔦、棘は綺麗な装飾に変わっている。



 ――在り得ない。



 今まで幾百も心が闇に飲まれ歪んだ人間を見てきたが、元に戻った人間などいない。


 恐らくはこの子の自身の精神構造が、増幅する心の闇を吹き飛ばすほど異常なのだろう。


 そうだとしても――。



「――私は捩れていた、間違っていました」



「……」



 ――そんな。



「もう、心の闇になど囚われません」



「…………っ!」



 ――そんなことって……。



「私は文虎様に告白します。その結果がどうあれ、素直に受け入れて前に進めると想います」



「……ぁ」



 ――なら。



「もう迷いません」



「……ぅ」



 ――歪みに堕ちた私の魂は。



「伊神先輩、本当に有難う御座いました」



 ――私の、私の存在は。



 寺浄が顔を赤らめ、はにかみながら私に話しかけている。


 けれど、その言葉は私の中を素通りしていった。



 時間の感覚が無くなる。



 一瞬か永劫か、いつの間にか耀子と苺やってきて私を円の隠れいている木陰に連れて行く。


 途中で寺浄に引止めらて囁かれる。




「――好きな人を信じてください。素直になってください。火澄様もきっと私と同じですから…………」




 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。




 視線の向こうでは、寺浄と橘が話している。


 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。



 視線の向こうでは、寺浄が橘に抱きしめられている。


 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。



 視線の向こうでは、二人が去ってゆく。


 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。



 二人の姿が見えなくなる。


 私は、ふらふらと木陰から出る。



 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。



 展望台から町を眺める。


 真っ赤な夕焼け。



 いつものように笑う苺に安堵し、心配そうな哀れむような耀子の瞳に苛立つ。


 円の顔を見れなかった。




 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。


 頭の中で、囁かれた言葉が繰り返される。




 私と円だけがいる。



 夕焼けが陰ろうとしていた。

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