二十一話 蒼天の鐘

蒼天の鐘



――――なんで、こんな事になってしまったのだろうか。

俺は家で一人、苦悩していた。

家に帰ってから部屋に籠もり、ずっと最良の選択を思案していた。

だがやはり、答えは見つからず闇の中。


「どうしてイブなんだ……どうして……」


俺は多分、戦いに身を投じる事になるだろう。

たとえうまくいったとしても、イブを……殺す事になるかもしれない。


最悪の場合、この手で。

たとえ万が一に説得出来たとしても、既にこれだけ大きな事件を起こしている。

世間は、世界は、人々はあいつの事を許さないだろう。

捕まり、最後は処刑という可能性も十分あり得る。

どう転んでも最悪なフィナーレを迎えてしまう。


「……イブ……」


涙がこみ上げ、流れ落ちた。


確かに希望はあった。

小さな希望だが、人類にとっては最後の希望。

だけど俺にとっては依然、八方塞がりのまま。

説得する機会があるかもわからないし、説得が通じるかもわからない。

通じなかったら、やはり戦うしかなくなる。

あの夏を共に、仲間の一人として過ごしたイブと、戦わなければならないのだ。


「くそ……くそ……」


俺は……どうすれば……



どうすれば……














――――「イチニッサン!イチニッサン!イチニッサンシッ……」


「あんた今、どういう状況かわかってるの?」


『必勝』と書かれた鉢巻きを頭に巻き、三三七拍子をする男がいた。

その様子に半ば呆れた顔をしながら、彼の姉がため息を吐いた。


「病は気からという言葉があるだろ?」


「何よいきなり」


「つまり重い病気を患っていたとしても、強い意志、気持ちを持つ事で病を乗り越える事も可能」


「それがどうかしたの?」


「今の俺たちに必要な物はそういう物だろ」


伸明は得意気に笑った。

姉の珠美佳もつられて笑ってしまう。


「あんたらしいっちゃらしい言い分ね」


絶望の中にいる世界だが、絶望を悲観しても結果は好転しない。


「どんなに辛い明日が待ち構えてても、それに負けない意志さえあれば、未来は自ずと明るくなるもの。だろ姉貴?」


「あんたもたまにはマトモな事言うようになったのね」


「あぁ、なんたって俺は……」


彼は汗の滲んだ鉢巻きを解き、それを姉に向けて投げる。

反射的にそれを受け取ってしまった珠美佳。


「ヒーローだから」


彼は走り出していた。


「あ!ちょっと待ちなさいよ!どこへ行くの!?」


「空まで散歩してくる」


珠美佳は渡された鉢巻きを改めて見つめる。


「……必勝……ねぇ」














――――「外は危ないわよ!?」


「知ってるよ、みんな知ってる」


亜莉沙が自宅に帰ると、両親は荷造りをしている最中であった。


空にはまだ宇宙船がある。

次にいつ攻撃が始まるかはわからない。

村人達の中には、その不安と恐怖に耐えきれず、村を後にする人達も数多く存在した。


そして亜莉沙の両親もその例外ではない。


「二人は逃げて、この村を出て。アタシはまだ、やらなきゃいけない事があるの」


亜莉沙は冷蔵庫からパックの牛乳を取り出し、それを飲みながら、あんパンを食べる。


「ダメだ亜莉沙!父さん達と一緒に来なさい!」


「そうよ!娘を置いていけるわけないじゃない!」


あんパンを飲み込んで、亜莉沙は真面目な顔で二人に反論した。


「もう、決めた事なの。これがアタシの生きる道。何を言われても、アタシの決意は揺るがない」


「亜莉沙……」


「アタシはね、みんな大好き。お父さんもお母さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、友達も、先輩も後輩も」


亜莉沙は少しだけ俯いた。その目が潤むのを両親に見せたくなかったのだ。


「だからね。行かなきゃダメなの。アタシにはアタシにしか出来ない事があるから」


「……もういい。何も言わなくていい」


父親は娘の言葉に強い意志がこもっている事を悟る。


「あなた……でも……」


「親が子を信じてやらないでどうする。亜莉沙は自分の道を見つけたんだ。なら、親としてそれを応援してやるのが最後の務めだ」


溢れ出しそうになる涙を必死に堪え、掠れた言葉を呟いた亜莉沙。


「ありがとう……お父さん……。大好きだよ二人とも」


やがて名残惜しみながらも、両親がその家を出て行く。

一人取り残された亜莉沙の中に寂しさはなかった。

両親が共働きだった亜莉沙の家、亜莉沙の相手をしてくれたのはいつも祖父であった。


「お爺ちゃん。ただいま」


亜莉沙は祖父の遺影の立てられた仏壇の前に座って、もう言葉を返さない祖父に話しかける。


「まともにこうやって向き合うの、随分久しぶりだね」


懐かしい祖父の写真を見ていると、次第に亜莉沙の目に涙が浮かび始める。

亜莉沙の頭の中を駆け巡っているのは祖父と過ごした日々。


「あのねお爺ちゃん。昔さ、聞いたよね?どうして戦争に行ったのかって」





【家族の為、友人の為、愛する者の為、この国の未来の為。人は皆、大きな物を背負って戦ったんだ】





「アタシもね……戦う事に決めたよ。この……命を懸けて」


数々の記憶、思い出が、涙となり流れ落ちた。


「この世界を生きる人間として……私にも、守りたいものは沢山ある……だから……」


亜莉沙は腕で涙を拭う。そして呼吸を整えるとゆっくり立ち上がった。

その顔はかつての戦いへ向かった彼女自身が見せた、祖父を驚かせたあの凛々しい顔だった。


「行ってくるね。お爺ちゃん」



『あぁ……行っておいで』



聞こえるはずのない声が、亜莉沙には聞こえていた。

凛々しい顔も少しだけ崩れ、口元には笑みが浮かぶ。


「さーって、さっさと終わらせちゃいますか」


真夏の青い空の下を彼女は走り出す。


すぐに噴き出した汗をまき散らしながら。














――――「恋南……」


未だに目を覚まさない妹の横に座り、心配そうに眉を顰める兄、貴史。

両親もそんな二人を見て胸を痛める。


「貴史のせいじゃないわ。仕方なかったのよ。誰にだってどうしようもない時はあるの」


それはもちろん言われなくても彼自身よくわかっていた。

彼は警官、どうしようもない事は特段珍しい事ではない。

だが、そう簡単に割り切れないのは、彼がまだ若いという証拠なのかもしれない。


「自分の大切な存在すらも守れないなんて、自分の無力さに本当に嫌気が射すよ」


「自分を責めないで。怪我は負ったけど、貴史がすぐに診療所に行ってくれたお陰で命に別状はないんだから。むしろ誇っていいわ」


「……」


「貴史が恋南を救ったのよ。私たちはそれだけで胸がいっぱいなの」


「……まだだよ……」


「え?」


「まだ……やり残した事があるんだ……」


彼は俯いたままだったが、その手は強く握られていた。

その背中を見た両親はそれ以上何も言えなくなる。


「少しだけ……二人にさせて……」


息子の言葉を素直に受け入れた両親は、心配しながらも部屋を後にした。

残されたのは兄と、眠ったままの妹の姿。

何年も同じ時間を過ごしてきた二人だが、今日は特別異なる時間が流れていた。

兄は妹の手を割れ物に触れるように優しく握った。


「恋南……。昔、言ったよな。お前はもう、覚えてないかもしれないけど……。お兄ちゃんは世界を救うヒーローだって」


かつて少年だった彼はもう大きく成長した。


大人になった。


「あれは……嘘じゃないぞ恋南。俺やりょーちん、ノブちゃん、しーちゃん、あっちん、ゆっち。そしてイブちゃんも。あの時、みんながヒーローになったんだ」


同じ夜空を見上げていた仲間達は皆、それぞれ大人になったのだ。


「世界を救うヒーローは、もう一度、戦う事を決めたよ」


誰よりも正義感の強い貴史は、体が小さくて優柔不断だった。


だがもう、その時の彼はここにはいない。

その背中は大きく、頼もしい、逞しい背中だった。


「もう……会えなくなるかもしれない……これが、最後かもしれない……。だから、一つだけ言わせてくれ」


こみ上げてくるものを飲み込んで、震える声でその一言を放った。


「幸せになれ、恋南」


その瞬間、彼の握っていた妹の手が、僅かにだが動いた。

彼は一瞬驚いたが、ため息混じりに優しい笑みを見せ、その手をゆっくりとほどく。


そして立ち上がる貴史。

窓の外を見れば、そこにはこれから向かう敵の本拠地が浮かんでいた。


「これが最後の戦いだ」














――――25年前、リョークが眠りについた直後、美紗子は自分の妊娠を知る。

当時、彼女は悩んだ。どうするべきか。


だがすぐに答えは出る。

自分は子供を生むと、まだ若かった彼女は決意を固めたのだ。

北嵩部に生まれ育った美紗子は、自分の妊娠を両親に報告したが、父親からの猛反発をくらう事になる。


「どこの誰の子かもわからない子を生むってのか!?そんな事は断じて許さん!」


「私の子よ!私は生む!絶対に生むんだから!」


「ふざけるな!俺はお前をそんな風に育てた覚えはない!」


「そんな風に育てられた覚えもないわ!何て言われようと私はこの子を生む!」


「なら出てけ!二度と戻ってくるな!」


「言われなくったって出て行くわよ!こんな所、二度と戻ってこないから!」


激しい反発に、美紗子は家を追い出され、そしてさらに大きな決意を固めた。

自分の中に新しい命が宿っている。

それは自分のお腹に手を当ててみれば、十分に理解出来た。


「あなたは私が必ず育てて見せるから、だから安心してね」


そこからは美紗子にとって苦難の連続であった。

一人暮らしを始めて、身ごもりながらも仕事を続ける日々。

以前から貯めていた貯金は心許ないものだった、それを補う為に懸命に朝から晩まで働いた。


そして同年11月23日、七ヶ月の早産で男児が産声を上げた。


「龍太……あなたの名前は龍太よ……。父親と一文字違いでリョータ……」


ただ、やはり女手一つで子供を育てるのは容易な事ではない。

生きていく為にはお金が必要不可欠、美紗子はさらに仕事を増やして、毎日毎日働き続けた。

寝る間を惜しみ、疲れてクタクタになりながら、それでも愛する息子の為に、彼女は懸命に働いた。

時には息子を、友人や隣人、親戚に預ける事もあった。

いくら辛くても、息子の存在が彼女の支えとなっていたのだ。


「あなたは幸せになるの。私よりもずっと、ずっと幸せになるの。大丈夫だよ。お母さんが絶対あなたを守るからね」


そうしてあっという間に三年の月日が流れる。

美紗子にとってその三年は、一日が過ぎるくらいのスピードで、本当にあっという間に過ぎていった。


そんなある日、三年間、完全に連絡を断っていた母親から、突然の連絡が入る。

その電話は、美紗子の父親が亡くなったという電話だった。

仕事を早退し、息子を連れて久し振りに北嵩部へと足を踏み入れた美紗子。


「りょーちゃん、ここが北嵩部村。私が生まれ育った村だよ」


息子の手を引いて、初めて二人で踏み入れた北嵩部。

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