第92話 雲霞の如く
再び暗く長い夜が始まる。城壁の高台から降りて外の空気を吸うために城壁の廊下を歩く。外の空気は冷たく霧のように周囲の空気が目に見えて分かる。この静けさが不安を助長させて身体も少しだけ震えていた。兵の人達一人ひとりの表情を見ても私と同じなんだということが分かる。
銃の手入れをしている兵士、見張りで目を凝らしながら周囲の見張りを行う人達。遠くまでは見えなくともその近辺は城壁からも見えるけど徘徊する黒い影がいくつも散見される。魔物なのは状況でわかる。
そんな陰鬱とした周辺との温度差が見てわかるように街中では今までの鬱憤を晴らすかのように酒場や宿場が活気づいてた。中には傭兵として覇権された男の人達も一緒になってどんちゃん騒ぎをしているのがなんとも呑気に思えてしまう。
「前々から思ってたけど『エンティア』の人たちってすごくマイペース…」
普段は大人に呆れられることが多い私でもこの時ばかりは大人の胆力に関心してるのか呆れていたのか。クルス教徒とも協力し合うという形にもなって複雑な気分だ。一人でも多くの助けが必要なのは理解できるけどあの狂気に映る目を忘れる事ができない。まだ痛む頬を少し擦りながら周囲を見渡しながら歩いていると城壁の片隅でカブスさんが軍人の話しているところを見つける。この二人の会話にも花が咲いていた。ただ騒ぐというものではなく、互いに懐かしむようなささやかなものに思えた。
「お前は役人で俺は今も現役か…。あれだけ家系嫌いしていたお前がな」
「好きでなったわけじゃない。俺には誰かを育てるなんてことは出来ん。それだけだ」
「しかし…時間だけが過ぎていっちまうな。三十年前にマスケットと蒸気機関が普及して、今じゃこんな回転式の小銃が出てきて。時代の早さに置いていかれそうだ」
どこか寂しくて悲しくも感じる。自分達はどんどんと年だけを取っていっても周りはあっという間に変わっていってしまう。置いてけぼりになってしまう寂しさ。
なんとなくだけど…私もこの時、同じものを感じていた。そんなことを考えながら色んな思いが思い出されて、現代と『エンティア』とで自分の居場所を思っていると不意に声を掛けられた。
「また盗み聞きか?」
二人の会話を聞き入ってしまっていたのか、カブスさんに声をかけられるまでその場で呆然と立ちつくしていた。驚きはしたもののなんとなく気づかれるだろうとは思っていた。というのは嘘で本当は気づいて欲しかったのかもしれない。私がそそくさと二人の元へ向かうと軍人さんは少し微笑んでその場を立ち去る。
「ご、ごめんなさい…。なんかお邪魔しちゃったみたいで」
「大丈夫なのか?」
「みんなもう準備はできてるみたいですよ」
私はてっきり防備体制のことをいっているのだと思いそう答えるとカブスさんの意図はそうではなかったらしい。私の頭を擦って、身体の事を心配してくれていた。確かに節々は痛むけれど、思っていたよりは平気でむしろ身体を動かしたい、じっとしていられないくらいには元気はあった。それはカブスさんも分かっているみたいでちょっとだけ笑って見せてくれた。
「なんだかな…お前を見てると
「そんなに似てるんですか?」
男の子に似ているという意味なのか、彼の息子さんに似てるという意味なのか私の思いは少し複雑だったけど懐かしんでいる時のカブスさんの表情は柔らか。なんだかパパを思い起こさせるような、『お父さん』ってこんな風なのかなって私自身も少し考えてしまう。
「昔だが…あの『黒い少女』の話を倅にもしてやったことがあるんだ」
『黒い少女』―…。
あの時、現われたあの漆黒の少女は今でも脳裏に焼きついて離れない。あの悲しそうな表情は…魔物ではなく間違いなく『人』のものだった。
彼の話す『黒い少女』の話もフローゼル行きの列車でシャーナルさんから聞かされたものと同じだった。この地に伝わる古い伝承のような、伝記とも言っていたけれどそれを魔物と現実に起こったことを重ね合わせたものなのか。伝えた人々にしかきっとわからないことなんだろう―…。
「倅と女房の…その現場で俺は初めて『アレ』を見たんだ」
「え?」
奥さんと息子さんの襲撃現場で彼はあの少女を目撃したのだと。悲しくすすり泣いて、自分のことのように嘆く彼女をその時は彼女が襲撃したのだと思い込んでいたそうだ。
「以来そいつを追いかける事だけを考えていた。恐ろしいという気持ちや悲しみよりもそいつに対する怒りと殺意だけで俺は生きていた。後に襲撃は他の魔物によるものだったということが判明するんだが…その時はそいつのことしか見えちゃいなかった」
彼はそれから十年以上も追い続けていたけどそれ以来、出会うことさえなかったのだそうだ。彼の執着っぷりを見て周囲は止めようともそれを聞き入れずにただ闇雲に何も考えずに突っ走っていた。そんな状況が最も危険であったということは長年軍にいた彼自身分かっていたはずなのにと、懺悔をするかのような口調で話す。
そして事は起こってしまう。
軍がまだクルス教徒と協定を結び共同戦線を一時期張っていたこともあり、その日も彼らと協力して南部集落の近辺調査の任務があったそうだ。長期の任務でその集落でしばらく駐屯することになったのだそうだ。当時のクルス教の権威は今の比較にならないほど強力で彼らは各国に分布しながらも独自に軍事力も持っており、いくつもの小国を植民地としていたほど。今もその名残があるのは私もあの時の出来事を振り返って理解できた。
そして当時も今と同じく雨季に差し掛かった頃、疲れてた身体を休めて部隊の兵は皆休んでいた時彼は一睡も出来ずに外の空気を吸いに出歩いていたそうだ。
そう―…そこにいた。それは本当に不意の出来事。
あの日のようにすすり泣いて嘆く『黒い少女』の姿。武器もなく不意打ちを食らう形での遭遇に驚くだけだったのだ。あれだけ追い続け、恋焦がれるように待ち望んでいたにも関わらず、不思議とそれまで感じていた殺意と怒りは湧いてこなかったのだという。
けれども次に気づいた時は周囲は血まみれ、阿鼻叫喚の渦の中。魔物撲滅に乗り出していた過激な思想に染まってしまったクルス教徒達が魔物討伐のついでに赴いたこの地で『黒い少女』に手を出してしまっていた。自身はミカルさんに抱えられ部隊も壊滅状態。クルス教徒も応戦していたが、あの強さに適う筈もなく次々と引き裂かれていく兵士達。
その時にミカルさんも負傷してしまい、数名の生き残った兵を引き連れて帰還することがやっとであった。逃げている最中、振り返ってあの『黒い少女』を見て彼は全てを悟ったのだ。
黒い少女のあの奇声のような甲高い絶叫が泣き声のように聞こえ、赤い涙を流しながら彼女が作り出す死屍累々とその様は、苦しみもがく哀れな少女そのものだと。
帰還後の報告で集落の住民を逃がすことは出来たものの、部隊を失ったということでその責任を問われ閑職へと追いやられる。以後兵達の教官として任を全うし除隊した。
「それっきりだったさ」
「それ以降は出会うことも泣き声を聞くことさえもなかった」
「前みたいに探さなかったんですか?」
彼は笑いながら「その必要がなくなった」と答える。
彼女も元は宗教の信者の一人だった。何かを信じるただの一人の少女。そんな彼女がなぜ魔物のような異形へと変わってしまったのか、なんとく分かってしまった気がする。そういう時代だからなのかもしれないし、人がそう変えていってしまっているのかもしれない。そして彼女が涙を流し続けることも…。
「あの少女はただ…死に対して悲しんで嘆いていただけだった」
「そういうことだったんだと思うと今だからこそ気づけた」
今でこそカブスさんの横顔は厳しくも優しい表情だけれど、その当時は憎しみを抱いていたなんて想像も出来ない。今の彼があるのは彼なりに折り合いをつけることが出来たから、何だと思う。実際に見ていない私でもそれが分かるくらいに彼の表情は柔らかでどこか暖かく感じられて…。
そう思っていた矢先のこと。
穏やかな空気が一変。城壁外にて大きな爆発音が巻き起こり、魔物の群れが一斉に行動を始めていた。私たちは驚き、顔を見合わせすぐに外壁から覗いてみると、私が配置されていた城壁付近より煙が上がっていた。兵士の一人が駆け足に私たちの元へと来て報告を行う。
「爆発!?」
「将軍! 東砦より火の手あり」
「見れば分かる馬鹿野郎! 俺はもう軍人じゃない! 上官に伝えろ!!」
兵士はすでに上官への報告は出していると答えてすぐに体制を整えるように城壁へ向かうように促す。流石というのか緊急時でもカブスさんは冷静に落ち着いて兵士に状況判断と指示を出し、用意していた回転式小銃を私に譲る。
「カブスさんはどうするんですか!?」
「俺はマスケットがある。近代兵器の扱いがよくわからん」
湿度の高い状況、しかも雨もいつ降りだすかも分からないという中でマスケットでの応戦は得策とは言えない。しかし扱い慣れ親しんだ装備で戦うのが彼のやり方のようで私は特に引き止めることも出来ずに渡された銃を抱え、持ち場へと向かう。
もしかしたらすでにシェイド君とシンシアさんは迎撃しているかもしれないと一抹の不安も一緒に抱えながら城壁をひたすら走り抜ける。ふと、視線を城壁外、都市の外側へ向けると恐ろしい光景が広がっていた。恐怖の訪れと共に身体の熱が一気に抜けていく身体の感覚。
「な、なんなのこの数…!?」
異様な光景―…。
蠢く森林地帯そのものがまるで進軍するかのような勢いでこちらへと向かってきている。よく見るとその森と思しき塊一つ一つが魔物である。
「あんなのどうやって相手にするの……?」
私はその場で足を止めて絶望していると、城壁外にあるの新兵器として運ばれてきた『榴弾砲』による防衛が機能し始める。少し空気交じりの発射音が城壁で響き渡った後に群となった黒い塊に次々と着弾したのか赤い爆煙を上げている。音も大砲というよりももっと鋭く、甲高い音だったが銃声よりも重くずっしりとした地響きが城壁にいても分かるくらいに伝わる。
まるで『戦争』のような光景―…いやこれがきっと『戦争』そのものなんだ。
今まで生活してきた中で皮肉にもこの光景がいつもテレビ越しでしか見たことのなかった『戦争』そのもので現代にもっとも近いものを感じてしまう。
しかしそんな考える余裕など与えてはくれない。
私の真上から翼鳥型の魔物が強襲を仕掛ける。奇声のような鳴声を上げて、こちらへ向かってくる。すぐに迎撃のために剣を構えて応戦しようとしたが―…。乾いた音と共に翼鳥はよろめき城壁へ落ちてくる。
「ボーっと突っ立てるんじゃない!」
翼鳥を撃ち落したのはシェイド君。彼はすでに回転式小銃の扱いに慣れていたのか早速使用して迎撃に打って出ていた。そして次々と襲来してくる翼鳥を他の兵士も銃で応戦し正に一瞬の間に戦場と化していたのだった。
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