第70話 静寂破られる時

 夜が深まり、魔狼の遠吠えが鳴り響く。日沈後のミスティアの駅周辺は日中のような華やかさとはうって変わり人気はほとんど見られず、最終便ということもあり都市への直通ではなく距離を少し置いた関所近辺で下車となり乗客も彼女一人だけであった。静寂に包まれ、明かりが僅かに揺らめく。星々と月がそれに勝るほど強く輝いているものの、駅に到着してからは徐々に暗雲が覆いかぶさっていく。列車から放たれる蒸気が周囲に広がり、霧のように立ち込めた。


 少し溜め息をつきながら列車を降りて、周囲を見渡すがやはり人気はない。大都市の王都でもこれほど静寂ではないにしろ最終便の出発の際には駅も閑散としている。数名の駅員が勤務しているだけで彼らに都市部への行き方を伺う。彼女を見るなり少しにやけた様な表情を見せていたが親切に道案内と地図を駅員は渡すともう一つ―…。


「ちょっと待ちな、あんた今から都市部に行く気だろ。おい! 余りの馬車があったろ。彼女を送ってやってくれ」


「いえ! そこまでしていただくわけには」


「馬鹿なこと言うんじゃない。ただでさえ野盗襲撃も頻繁に起こっているのに魔物だらけの道のりを一人でどうやって走破するっていうんだ」


 駅員は声を強めて彼女に忠告すると同時に馬車を用意するように仲間の駅員に伝える。数分足らずで馬車は用意され、彼女は深々と感謝の言葉と意を示して馬車でミスティアへと向かう。道中、御者席で手綱を握っている駅員との会話で魔物と多さとその活発さで増した活動域の拡大問題が顕著になっていることを聞きながら、対処方針について彼女は検討していた。


「単純に魔物を掃討するというよりも、警戒領域を拡大して彼らの行動範囲を制限させる方が良さそうね」


「あんた軍人さんなのか?」


「え? ええ! そうです」


 彼女の検討方針の独り言が聞こえたのか彼女の身の上について質問を投げかけてくる。正確に言えばそうではないのだが軍人だとわかるとなぜ軍人をやっているのかと訊ねられる。自分でも上手く答えることが出来ず成り行きでこうなってしまっているとだけ伝えた。実際ミスティアへも来たくて来たわけでもなかったが、魔物の対応に来てくれたことに感謝をしてくれる彼の言葉に少し胸を痛めた。


「気にしないで欲しい。命を受けてここへ来ただけなのだから、けど任は全うして帰るつもりです」


「あんたは責任感が強いんだな。他の連中でもそんな気骨のある奴がいればいいんだがな」


「みんな命がけなのには変わりないですよ」


 他の軍人も同じ覚悟持っていると彼女は言葉を返すが、彼らの話す実情はもっと深刻のようだ。


「軍は命がけだともさ。それでもくたびれたような連中ばっかだけど、毎日のように魔物の相手をさせられて死に物狂いだろうに。俺たちもそうだが…一番問題なのは役人の上層部だよ」


「なにかあったのですか?」


 彼の話を聞くにガザレリアから入り込んでくる人間が年々増加しており、今年は昨年の倍にも昇るとのこと。話だけなら単なる移民者ととれるのだろうが問題はその移民してきたガザレリアによってもたらされることであった。ガザレリアに馴染めないか何らかの理由があったためにドラストニアへと移民してくる人間は少なくはない。


 しかし彼らの性質上、魔物との共存という考え方がいまだ根強く強く残っている人間が多く、ミスティアは特にガザレリアからも近いこともあってその影響を最も受けてしまう。


「俺たちも魔物とは友好的に接してるけど、近年じゃ行き過ぎてる。魔物に縄を繋ぐことにさえ口を出してくるような連中が出始めて役所も穏便に済ませようと煙たがってまともに相手にすらしようとしない」


「そのせいで魔物の人間に対する見方が変化してきてるのか、攻撃的な魔物が増え始めてるんだよ」


「じゃあ、魔物の活発化はそのせいで?」


 一概には言えないが要因の一つであるのには変わらない。ガザレリアからやって来る移民者、彼らの主義主張と、どうやらこの一件単純な魔物の繁殖という話ではなさそうだ。


「それにもうじきここら一帯は雨季に入る。もっと凶暴な魔物が出てくる季節がやって来る」


「もっと凶暴?」


 石に乗り上げたのか馬車が強く揺れ、身体が跳ね上がる。ドラストニアの南部では一月ほど続く長期的な雨季がやって来ることがある。環境が変化するために通常時期では鳴りを潜めている魔物が活動を始め、捕食のために人間の生活圏へ侵入してくる事も報告されている。


「雨季ね―…」


 漆黒に揺れ流れる暗雲を眺めながら彼女は呟く。まるで彼女の心の中にある不安を表しているかのようにその目には映っていた。イヴに与えられたミスティアの任は彼女が考えているよりも複雑な問題を抱えているようであった。



 ◇



 夜会が開催され夜が深まったにも関わらず会場は昼間のように賑やかで華やかな光に満ちていた。貴族と言えどこうした人々の中で事業に投資する資本家の存在は国家にとって非常に大きな存在。全ての人間が享楽に耽るわけでもなく新たなる出資先、ビジネスの機会を求めて顔を出す人間も多数存在する。人の集まる場所に新たなるものが存在するのもまた然り。


 ロゼットは相変わらずおぼつかない足をよろよろと運ばせながらグラスを運び、放置された食事痕の残った食器の後片付けを行いながら周囲の人間の話を聞いて回っていた。こんな場所でも普段注意していた癖が出てしまい、もはや一種の職業病のようなものに掛かっていたのかもしれない。


 彼女の事を気にかけて仲間のハウスキーパーも声をかけるが、奥方の目もある手前ロゼットも無理をしつつも仕事をこなしていた。頭の回らない彼女があちこちと目をきょろきょろさせていると一人の青年が映る。そして彼に対して興味深く談笑を行っている群衆が目立った。


 青年は少し白色掛かった黄金の髪に端麗な顔立ち、立ち振る舞いも優雅そのものでどこかの国の王太子と言われても遜色ないほどの美男子で派手さのない礼装に品位も感じられた。


 端からは彼に熱い視線を送り続ける貴婦人達が声色を変えて彼にも聞こえるような声で持て囃している様子が伺える。会話が弾み喉の渇きを覚えた青年は近くを通りかかったロゼットに声をかけようと向かっていくと、彼女の視界から外れた横から貴族達が数名会話に没頭した様子で向かってくる。ロゼットは寸前のところで気がつき慌てて避けようとしたが、気づかない貴族達にぶつかられ転倒してしまう。貴族達はそのまま気にする素振りさえも見せずに立ち去っていくのに対して青年はロゼットの手を取って怪我がないか訊ねる。


「大丈夫? こんな小さな子供にハウスキーパーをやらせているとは…」


 彼女の心配をする一方で子供が彼らのパーティー会場で深夜まで労働に従事していることに対して辛辣な言葉を吐く。それでも慌てて立ち上がり謝罪するロゼットに対して面を食らう。彼女達の元に数名のハウスキーパー達もやって来て、彼女の安否の心配と共に青年に謝罪を行う。ちょっとした騒ぎにもなってしまったためにそれを聞きつけた甲高い声を上げて奥方がやって来ることに気づく一同。奥方にすぐに頭を下げて出来事を報告すると彼女はロゼットを睨みつけるような視線を向ける。絵面だけを見ればまるで蛇に睨まれた蛙のようだ。怯えるロゼットを横目に奥方は青年に対して謝罪し、青年には満面の笑みを見せてる。表裏の激しいその表情を前に青年も思わず乾いた笑いが零れる。


「彼への対応は私がしておきますので、貴女達は仕事に戻りなさい」


「彼女は如何されますか? 流石に無理をさせすぎたのではありませんか?」


 ハウスキーパー仲間の一人がロゼットの体調を心配して奥方に申し出ると、彼女も宿へつれて行くよう指示した。ロゼットも解放されると安心して申し出た仲間に連れられて会場を後にした。道中で彼女に迷惑をかけてしまった事を謝罪するロゼットだったが彼女は気にしないで欲しいと笑いかける。


「今日は謝ってばかりで大変ね。あ、私はクローディアよ」


「ありがとうございます。わざわざ宿まで送っていただいたりして…」


「小さな女の子をこんな闇夜の中、一人で帰らせるわけにも行かないでしょ」


 都市内部とはいえ深夜の一人歩きを配慮して彼女は付いてきてくれたことになんだか申し訳なさそうに表情を伺うロゼット。けれど彼女の表情は晴れやかなもので笑みさえ溢しているようだった。


「それにあたしも早く帰りたかったしね」


 そんな一言を耳打ちするように笑って添えるあたりちゃっかりしている女性という印象を抱きロゼットも笑顔を見せていると背後から呼び止める声が一つ。彼女達の後を追って来たのは先ほどの青年で女性だけで返すわけにもいかないと送り届けにわざわざやって来たのである。


「そんな、わざわざ送り迎えなどとんでもございません」


「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。私も実はただの商人ですから」


 彼も貴族のような身分というわけではなく、商人として名を売るためと取引先を探していた事が目的で今回の夜会に参加したとのことであった。実際二人でも不安であったところ、男性の護衛がつくのは安心できる。深夜の都市は何件か夜の店は営業しているが街灯と民家の明かりだけが灯されているだけで不気味な雰囲気を感じる。魔物なのか狼なのか分からないような遠吠えも響いており、梟のような鳴声にロゼットは僅かに身震いさせていた。


「夜を出歩くのは始めてかな?」


「そ、そんなことないです。でも…街中なのに思ったよりも不気味というか…」


 僅かに震える声に反して、彼女の手はクローディアの手を強く握り締めていた。クローディアは少し笑ってみせて優しく握り返して彼女を安心させようと努める。


「確かに街中といえど安心は出来ないからね。あんな猟奇的な事件があった後ではね」


「事件?」


 青年は昨日に起こったと思われる身元不明の男性の遺体が発見された事件の内容を話し始めた。役人が都市部はおろか農地帯にまで聞き込みに及んでいると話していた時にロゼットは屋敷にやって来た奥方と険悪だった役人の事を思い出す。


「犯人は魔物なのか人間なのかわからないような傷痕を残していたと野次馬からは聞いてるよ。けど…そんな話も知らずに君達はこんな深夜に二人で帰ろうとしてたのか?」


 少し呆れた表情を見せる青年。ロゼットとクローディアは互いに顔を見合わせてロゼットは固唾を飲んだ。考えてもみたらミスティアも広大な都市でありながら深夜の街並みは頼れる明かりも少なく、恐ろしく静寂。人攫いが起こっても目撃者などおそらく出ないだろう。


 しかし同時にクローディアは疑問を抱く。


「けど、ここに住んでる私達よりも随分と詳しいのですね」


 クローディアはこのミスティアに身を寄せてから数年近くは経つが青年と出会ったのは今日が初めてだと言う。今まで夜会にも参加したことはあるし、貴族の集まりでも今まで見かけたこともなかったそうだ。彼女の指摘に落ち着いた様子で返す青年。


「実はまだここへ滞在して一週間も経っていなくてね、ただ仕事柄情報だけは仕入れておきたいから聞きたくないことまでも耳に入ってくるんだよ」


「ビレフで市場を開拓するためと、近隣地域についても知っておきたくてね」


 ビレフとは共和国制のドラストニアの隣国だがドラストニアとは国交が結ばれていない。現在は産業と貿易が盛況し急速的に成長しつつある国家であった。そこにある飛行艇技術は特に目を張るものがあり、近隣諸国からして見ても魅力的であると同時に脅威としても捉えられるものだった。


「近隣と言えど、ミスティアはドラストニア領で国交もありませんしビレフの都市からミスティアまでどれほどの距離があるのかご存知ないのですか?」


 クローディアは不審そうに彼の言葉に反論にも似た口調で返す。彼女の話しぶりからしても相当の距離があるのは想像に難しくない。


「貴女ほどわけではありませんよ」


 青年は自分以上に「ビレフのことをよく知っている」と言わんばかりの言葉を返す。クローディア自身の出身がどこかは分からないが、仮にビレフの出身者だったとして国交のないドラストニアに現在は身を置いているということは少々不思議な話だ。


「地主のブレジステン殿はハウスキーパーを連れ歩くような御仁ではないと伺いますが?」


「奥方に連れられて何度か足を運んだ事があるだけですよ」


 土地勘があるということだけを返していたが、単にそれだけではないと青年は続けて問いかける。クローディアは嫌気が差した様子で足を止めて手を引かれていたロゼットも少し驚いて足を止め二人の方を心配そうに見つめる。二人に助けてもらったこともあり、険悪な雰囲気になっているのが心苦しく感じているようだった。目を閉じ意を決して二人の間に入り込もうとした瞬間に彼女はあることに気がつく。


「送迎はここまでで結構です。ここからは私達だけでも大丈夫ですので、ありがとうございました」


 冷たく彼に感謝の言葉を述べるとそのままロゼットの手を引いて帰ろうとしたがロゼットは足を止めたままだった。


「どうかしたの?」


「え、聞こえませんか?」


 青年も彼女達の様子がおかしい事に気づきロゼットに訊ねる。不気味な風が肌を嘗め回すように吹き抜けて、それに乗って『聞こえてくる』のだと彼女は答えた。


『泣き声が聞こえる』と。


 彼らは訝しげに顔を見合わせて聞き耳を立ててみる。すると確かに少女の啜り泣くような声が聞こえてきたのであった。昨日起こった事件のこともあるため少女が被害に遭っているかもしれないと彼らは互いの目が届く範囲で周囲を見渡し探してみる。だがどの方向から声が聞こえてくるのかが分からなかった。ロゼットはまるでこの空間全域に聞こえているような錯覚に陥っており空を見上げてみる。


 民家の屋根に浮かびあがる黒い影。それは赤い目を輝かせて大きな両腕を広げて彼女目掛けて飛び掛ってくる。あまりに突然の事に固まってしまったロゼットは反応する間もなく目と鼻の先というところまで一挙に距離を詰められる。


 青年に寸でのところで助けられその場に一緒に倒れこみ向かってきた黒い影を見るとくちばしにずらりと生え揃った牙を持つ怪鳥のような形状の魔物。気味の悪い鳴き声を断続的に上げてまるで威嚇をするように彼らに再び向かっていく。


 青年とロゼットは二手に分かれて攻撃を避けてロゼットは持っていた剣を抜こうと手をかけた直後、民家の隙間の物陰となっていたすぐ側面から赤く光る眼光と気配を察知する。飛び掛ってきた魔物に今度は反応する事が出来抜きかけた剣で魔物の牙を受け止めた。


「な、なんで街中に魔物が…!?」


 相手は魔狼のようだ。以前戦ったウェアウルフほどの大きさと人型の躯体でもなければ、力も劣っているように感じられる。それでもロゼットの力よりは強力で強靭な顎で彼女の剣の刀身をくわえ込み身体を揺さぶられるように引き込もうとしてくる。ぐらついた身体で左足が地面から離れた瞬間を狙って魔狼の横っ腹目掛けて蹴り込んだ。


 魔狼は短い悲鳴を上げて転がり、再びロゼットの方を向いて飛び掛ってきた。今度は剣を抜き魔狼の動きから攻撃を見切り、すれ違いざまに薙ぎ払いによる一閃。悲鳴を上げる間もなく一撃で仕留め鮮血を流しながらその場に横たわった。


 怪鳥は青年を追い、だらしなく涎を垂らしながら狂ったように襲い掛かる。その横から標的を自身に向けようとクローディアが石を投げ込む。怪鳥の頭部に命中しよろめいて頭を横に振った後、クローディアへと標的を変える。


「まずい!! 武器もなしに危険だぞ!」


 追い回されていた青年はクローディアを追う怪鳥へと今度は向かってゆく。怪鳥は少し高く飛び上がって勢いの乗って滑空するように彼女へと襲い掛かる。地面に伏せて攻撃の手から逃れるが、再び怪鳥は上空へと舞い上がる。すぐ横に目をやると魔物にやられたのか兵士が倒れておりその手に握られていた剣の存在に気づく。怪鳥は今度は青年へと狙いを定めると再び滑空。


「使って!!」


 クローディアは青年の足元に剣を投げ込む。ロゼットも二人の援護へ向かうべく駆けて出していたが間に合うような間合いではなかった。焦りの表情で諦めようとはしていなかったが青年の行動に彼女の表情は驚きへと変わった。


 青年は剣を拾い上げて構えると、手のひらから魔力を発したのだ。剣にまるで付与するかのように剣の刀身に叩き込む。


 そして一気に振り払うと光の弾となって怪鳥へと襲い掛かる。何発もの攻撃を受けた怪鳥は悲鳴のような鳴声を上げて身体を燃やす。炎の塊となったそれはゆっくりと落ちて来て、彼女達は呆気に取られていた。商人と称していた人物がたった今魔力を用いたのだから当然の反応である。


 騒ぎを聞きつけた衛兵が何事かと数名集まりちょっとした騒ぎへと発展。次の瞬間城壁の外で大きな爆発音のようなものが鳴り響き、煙が立ち込める。そのせいで民家の人々も目が覚めたのか周囲に明かりが灯され、静寂の夜は打ち破られてしまった。

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