死という概念のある世界 8
俺はアリスが試着した皮鎧を見て反応に困る。皮鎧のデザインは先日の注文通りで、胸や首を初めとした優先して護るべき部分のみが覆われた鎧である。
その点についてはなんの問題もない。
というか、どの点についても問題がないのだが――胸部の曲線が明らかに大きい。
いや、いまのアリスにはぴったりなんだけどな。採寸をしていたときのアリスの胸は、いまより明らかに小さかったはずだ。あのとき、アネットに耳打ちしてたのはこのことか。
「アルくん、どうかしたの?」
視線に気付いたアリスが、どこか緊張した面持ちで問い掛けてくる。察するに、胸のサイズが急に大きくなったことを俺に気付かれたくないんだろう。
「……いや、なんでもない」
俺がそう答えると、アリスはあからさまにホッとした顔をした。
いくらなんでも、気付かないはずないと思うんだけど……アリスがバレてないと思ってるなら、あえて指摘することもないだろう。
アリスは出会った頃からずっと、胸の豊かな女の子だったということにしておこう。
しかし、サイズが問題ないか確認のために試着したのに、サイズを確認しないのは明らかにおかしい。どうするべきか……とアネットに視線を向けると「二人とも、問題はなさそうかい?」と気を利かせてくれた。
ちょっと苦笑いを浮かべてるので、こちらの内心まで気付いてそうだ。
「俺は問題なさそうだ」
「私もぴったりだよ。採寸の通りだね!」
採寸の通りではないと思うぞ。いや、強調しておきたい気持ちは分かるけど。
なんて、もちろん口にするつもりはないけど、アネットの方は噴き出しそうになって、顔を逸らして震えている。がんばれ、そこで笑ったら俺までとばっちりを食らいそうだ。
とまぁそんなことはあったが、とにかく問題なさそうだったので、というかアリスが気付いて問題が起きる前に、今回の装備一式の報酬をアネットに支払った。
「たしかに受け取ったよ。あたしも腕を磨いておくから、良かったらまた注文してよ」
「ああ、もちろんだ。それにメンテナンスもあるし、魔石で強化も頼むつもりだから、そのうちアリスを通じて連絡させてもらう」
「魔石? そういえばそんなことも言ってたね。楽しみにしておくよ」
その後、新しい装備を試すために、ユイと合流して森に入ったのだが――
「なんか、妙に混んでるな」
出会うのは冒険者ばっかりで、ブラウンガルムはもちろん、薬草も見当たらない。
「一角ウサギで戦闘に慣れたプレイヤーが、この辺りを狩り場にしはじめたんだと思う」
「それは仕方ないけど……薬草が残ってないな」
周囲を見回して顔をしかめる。
冒険者が多いのは仕方ないけど、さっきから薬草がまるっきり見当たらない。根こそぎ採取されているようだ。
「この調子だと、今後は薬草が生えなくなるぞ」
「たしかにまったく見当たらないわね。あたしたちはアルに少し残さなきゃダメだって言われたから気付いたけど、普通は全部取っても生えてくるって思うものね」
ユイの呟きに俺は首を傾げた。
「……全部取ったら生えないって……普通は思わないか?」
「そこがプレイヤー心理なのよ。普通はそんなリアルな設定だなんて思わないもの。掲示板とかで、このゲームのリアルさを注意喚起した方が良いかもしれないわね」
「よく分からないが、注意できるならした方が良い」
アリスみたいに治癒魔術を使える者は少ないし、魔術師にだって魔力の回復を早めるポーションとかが必需品となってくる。
この調子で様々な薬草が採れなくなったら、冒険者達が苦労することになる。
「薬草の栽培も、本格的にやった方が良いかもしれないなぁ」
「あ、そうだね。腐葉土、可能な限りストレージに入れておくね」
アリスが手をかざした端から、ぽこぽこと地面に穴が空いていく。それからほどなく、周囲が水を抜いた池のような窪みになった。
「冗談でもなんでもなく、畑を作れるぐらいの土を収納できるんだな……」
「アリス……どれだけ課金したのよ?」
「ストレージは最大まで拡張したよぉ」
ユイがひくっと頬を引きつらせた。
なんだか知らないけど、アリスはユイから見ても規格外らしい。
「土はこれくらいでいいとして、後は薬草だよね。もう少し奥に入ってみる?」
「うぅん……そうだな。装備も一新したし、いまの二人なら大丈夫だろ」
アリスは治癒魔術をすぐに発動できるようになったし、ブラウンガルムと相対しても、杖で牽制くらいは出来るようになった。
ユイの方はもっと凄くて、ブラウンガルムが二体くらいなら同時に剣で対応できるようになっている。いまなら、もう少し上位の魔物が出てきても立ち回れるだろう。
ということで、薬草を求めてもう少し深いところを目指すことにした。
「ふむ。この辺はまだ、冒険者が来てないみたいだな」
地面に踏み荒らされた様子がないこの辺りなら、薬草も見つかるだろう。そう思って周辺を捜索すると、森の更に奥の方に人影が見えた。
「この辺にも冒険者がいるんだね」
「シッ、気付かれないように声を落とせ。あれはゴブリンだ」
木々の向こう、少し離れた場所に緑色の小人が三体たむろっている。背丈は人間の子供くらいで、力は見た目相応。知恵に関してはもう少し低い。人間の五、六歳くらいだろう。
だが、その気性は激しく、相対すれば武器を持って襲いかかってくる。
「冒険者として、二つ目の壁があいつらだ」
「……あら、そんなに強いの? ブラウンガルムの方が強そうに見えるわよ?」
「あいつらは石槍とかを持ってるからわりと厄介なんだ。まあそれでも、慣れてしまえばブラウンガルムの方が驚異だろうな。ただ……」
言うべきか言わざるべきかを考え、結局は言葉を呑み込んだ。どうせ戦えば実感するし、教えなければ意識せずにすむ可能性もある。
「ただ……なによ?」
「いや、取り敢えず戦ってみよう。危なかったら助けるから心配するな」
俺が無造作にゴブリン達の方へと歩き出すと、慌ててユイとアリスがついてくる。それからほどなく、ゴブリン達がこちらに気付き、三体纏めて襲いかかってきた。
「ひとまず俺が二体を始末するから、ユイとアリスで一体と戦ってみろ」
ゴブリンへと距離を詰め、新調した剣を抜刀! 一撃の下にゴブリン一体を斬り伏せた。そこへもう一体のゴブリンが石槍を突き出してくるが、俺は身体を捻って回避する。
続けて振るわれる槍の柄を剣で斬り飛ばし、怯んだゴブリンにとどめを刺す。慣れている俺にとっては作業でしかない。ブラウンガルムよりも楽に対処することが出来た。
だが――
「……くっ。このぉっ!」
ユイは振り回される槍を剣で捌きながらも攻めあぐねている。
槍を捌ききれないでいるわけじゃない。ゴブリンの石槍を捌き、相手の隙を見いだしているのに、反撃をしようとしては躊躇うような仕草を見せる。
……やっぱり、そうなるよな。
もしもの時には割って入れるように構えたまま、ユイの戦いを見守る。
ブラウンガルム二体と渡り合えるユイは、ゴブリンの技量を軽く上回っている。こうして見ているあいだにも、何回かはゴブリンを殺すチャンスを得ている。
だけど、人型の――人のような魔物を殺す。その事実にためらっているのだ。
ブラウンガルムは完全な獣だが、ゴブリンは緑色なだけで、子供のように見える。なにより、襲いかかってくるゴブリンの顔には、必死さや、死に対する恐怖が浮かんでいる。
だから、ゴブリンとの戦いは冒険者が成長するための壁。人型の魔物を殺すことが出来るかどうかという資質を問われるのだ。
ユイの場合はかなりの抵抗があるらしい。
俺だって最初は躊躇ったし、今回は無理そうだな……と思ってみていると、反撃を躊躇ったユイが足を滑らせ、その場に尻餅をつく。
不味いと救援に駆けつける瞬間、アリスがゴブリンの背後に回り込んでいるのが見えた。
そして――
「やああああああっ!」
迷いなく、ゴブリンの頭に杖を振り下ろした。
鉄の芯が入った杖の一撃に、ゴブリンは溜まらず膝をつくが――
「ていっ、ていっ! てーいっ!」
ごっ、がっ、ぐしゃっと、容赦なく杖を振り下ろす。二度、三度、四度と容赦なく、殴りつける。それは、ゴブリンが血を撒き散らして動かなくなるまで続けられた。
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