死という概念のある世界 6
アリスやユイと出会ってから一週間ほど過ぎたある日の夜。俺が宿で寝ようとしていると扉がノックされた。
俺が少し警戒して扉を開くと、腰に手を当ててたたずむユイの姿があった。なんだか紫の瞳が険しい気がするんだけど……気のせいだろうか?
「こんな時間にどうかしたのか?」
「少し話があるんだけど、部屋に上げてもらっても良いかしら?」
「……まあ、構わないけど」
「じゃあ、上がらせてもらうわね」
俺が答えるや否や、ユイは部屋の中にずかずかと上がり込んできた。
プラチナブロンドを振り乱して詰め寄ってくる。
あまりに距離が近くて俺が下がると、それと同じ距離を詰めてくる。何度か繰り返しているうちに、足を取られた俺はベッドの上に倒れ込む。
ユイは、そんな俺の上にのしかかってきた。
「おいおい、いきなりどうしたんだよ?」
「あたし、あなたに聞きたいことがあるんだけど」
「……聞きたいこと? なんだ、もしかしてスキルの話か?」
「それはアリス経由で聞いてるわ。というか……ありがとう、ずいぶん助かってるわ」
ユイの表情が一瞬和らぐ。
だが次の瞬間には、冷たく俺を見下ろした。
「でも、いま聞きたいことはそれじゃないの。アルは一体、アリスになにを言ったの?」
「え、なにをって……なんの話だ?」
心当たりがなくて、俺は何度かまばたいた。
「アリスがこの三日で、六回もエステ券を購入してるの。外見のことで、あなたがアリスになにか言ったんじゃないの?」
「えっと……エステ券ってなんだ?」
「エステ券っていうのは、体系を変更するための課金アイテムよ。リアルの自分をスキャンしたデータを基準値に、年齢や輪郭、各種のサイズを弄ることが出来るわ」
「ほう。マジックアイテムかなにか、なのか?」
「ええ、そうよ。それを、アリスが何度も何度も使ってるの。だから、あなたがなにか言ったんじゃないかって思ったんだけど……どう、心当たりはあるかしら?」
嘘は決して許さないとばかりに、俺の瞳を覗き込んでくる。その視線を受け止めながら思い出したのは、つい先日のやりとりだ。
だけど、それをユイに教えても良いのかどうかと迷う。
「ユイは、その……アリスの姉、なんだよな?」
「あたし達はリアルで血の繋がった姉妹よ」
「うぅん、なら良いのかな? 実はアリスの奴、自分の胸が小さいことにコンプレックスを抱いてるみたいなんだ」
「は? 胸が小さいことにコンプレックス? アリスが? なに言ってるの?」
理解できないとばかりに、ユイがパチクリとまばたきをする。
なので俺は、胸の豊かな女性と知り合った時に、大きい方が好きなのかとアリスが聞いてきたことを打ち明けた。
「ふむふむ。それで、アルはなんて答えたの?」
「アリスがコンプレックスを抱いてるのは分かったから、女性の魅力は胸だけじゃない。アリスは優しくて可愛いから問題ないってフォローした」
「へぇ~、あなた、意外と大胆なことを言うのね」
ユイはニヤニヤといっても差し支えのないような表情で笑う。
「あのときは、アリスを怒らせないように必死だったんだよ」
「まぁ……フォローとしては上出来よね。それで、アリスはなんて?」
「じゃあ、胸の大きい自分と、胸の小さい自分ならどっちが好きかって」
「……え? ……え?」
二度問い返した。俺も驚いたけど、ユイにとっても予想外だったんだろう。
「……アリスがそんなこと聞いたの?」
「ああ、そんなこと聞かれた。答えなきゃダメって感じで迫られてびっくりした」
「それは驚くわよね。それで、アルはなんて答えたの?」
「……誤魔化せそうになかったから、胸の大きいアリスだって答えた。それで機嫌を損ねるかと思ったんだけど、そうでもなかったんだよな」
「あぁ……それはそうでしょうね」
なにがそうなのか俺には分からないけど、ユイはクスクスと笑う。
「あれ? ちょっと待って。それじゃエステ券を連続で使ったのはどうしてよ?」
「知らないけど、そのエステ券で体型が変わるって言うなら、心当たりはあるぞ?」
「え、なに?」
「ここ数日、アリスの胸が会うたびにちょっとずつ大きくなってた」
「……はい?」
「最初は気のせいかと思ったけど、最初と比べると明らかに大きくなってるんだ。んで、そうやって意識してると、午前と午後でもサイズが変わってた」
「………………あぁ~~~」
なんともいえない顔で、ユイが何度か頷いた。
「……なんか分かったのか?」
「ええ、よく分かったわ。たぶん自然に成長したって思わせたくて、アリスは課金のエステ券を複数回使って段階的に胸を大きくしたのよ。……なんてお金の無駄遣い」
なにやらユイが呆れている。
まあ一度に胸を大きく出来るのなら、たしかに無駄遣いだな。そのエステ券とやらがどれだけの値段か知らないけど、体型を変えられるマジックアイテムなら安くはないだろう。
「というか、ユイが聞きたかったのってそれか? 見たら分かるだろ?」
「まぁ……言われてみればね。でも、いまのアリスはリアルに限りなく近い体型なのよ。だから、逆に違和感がなくて気付かなかったのよ」
「……ん? よく分からないけど、アリスは小さい胸にコンプレックスを抱いてるんじゃないのか? だから大きくしたんだろ?」
「逆よ。アリスは華奢なくせに大きい胸にコンプレックスを抱いてたの。だから、アバターは胸に一番マイナス補正を掛けられるエルフにしてたのよ。それなのに……」
俺にのし掛かったまま、ユイが俺の顔を覗き込んでくる。
「なんだよ?」
「アルは……アリスのこと、どう思ってるの?」
「どうって……可愛いとは思うぞ? ユイも整った顔立ちだし、美人姉妹だよな」
「あら、それって、あたしでもアリスでも、どっちでも良いってことかしら? もしかしてあなた、見かけによらず遊んでるの?」
からかってるような口調。だけど、目の前にあるアメジストのような瞳は笑っていない。
少し気を引き締めて答えた方が良さそうだ。
「なんでそんな話になるんだ?」
「あたしがアリスのことを聞いたのに、あなたがはぐらかすからでしょ?」
「アリスのことって……アリスには想い人がいるんじゃなかったのか?」
「ええ、いるわよ。ずっと昔から……って、あたしはそう聞いてる」
「なら、なんで俺にそんなことを聞くんだ?」
アリスに想い人がいないのなら、もしくは俺を思っているのならともかく、そうじゃないのに俺をけしかけたって、なにも良いことはないと思う。
そんな俺の問い掛けに、ユイは静に瞳を揺らした。
「それが分からないから聞いてるのよ。あの子には決まった未来がある。他でもないあの子自身がそれを意識してたはずなのに、いまはそれを忘れてるみたいに見える」
「……どういうことだ?」
ユイはフイッと視線を逸らす。
「なんでもない、いまのは忘れて」
「忘れてって……まぁ良いけど。話が終わったのなら、そろそろ退いてくれないか?」
今更だけど、俺の両足を割り開くようにユイの片膝がおかれているし、ユイのプラチナブロンドは俺の頬をくすぐっている。
ぶっちゃけ、ユイが俺を襲ってるといっても過言じゃない。
「あら、いまならどさくさで胸を触っても、不可抗力で許されるかもしれないわよ?」
「はぁ? おまえはなにを言ってるんだ?」
「ふふん、どうせ、アルにそんな勇気はないわよね」
「……ったく」
調子に乗ってからかうユイに呆れて、俺はその大きな胸に手のひらを押しつけた。布越しに、柔らかな感覚と温もりが伝わってくる。
「ひゃうっ!?」
俺の予想通り――いや、予想以上に驚いて、ユイは弾かれたように飛び退いた。そして「ア、アルのエッチ、ロリコン、変態!」と思いつく限りの罵声を浴びせてくる。
自分から挑発してきたのに酷い言い様である。
「……ったく、どういうつもりか知らないけど、その気もないのに人をからかうな。ホントに襲われても知らないぞ?」
俺は溜息交じりにベッドから降り立ち、ぺたんと座り込んでいるユイを見下ろす。
「べ、別にからかったわけじゃないわよ?」
「ほう? ならどういうつもりだ?」
ジト目で睨みつけると、「むぐぐ」とユイは呻いた。そして恨みがましそうな顔で、俺のことを見上げてくる。
「……アルって、意外に女の子慣れしてるの?」
「そういうユイは、意外と初心だな」
「~~~っ」
ユイがあからさまに動揺した。俺が明言を避けたことにも気付かない程度には、男に慣れていないらしい。
しばらく恥ずかしそうにしていたユイは、ほどなく咳払いをして取り繕った。
「ま、まあ良いわ。少なくともアルは酷いことはしないと思うし」
「……なんの話だ?」
「あたしはアリスと違って学校に行ってるから、ログイン出来る時間が限られてるの」
「あぁ、なんかそんなことをアリスが言ってたな」
「だから、私のいないあいだ、アリスのことを見てて欲しいのよ」
ユイの話によると、アリスは掲示板なる場所で注目を浴びているらしい。だから変な男が寄ってこないか心配とのことだ。
「掲示板って言うのがよく分からないけど、ナイト役を引き受けろってことか?」
「ええ。アルが引き受けてくれたら安心できるんだけど」
「俺なら安心できる? 最初は俺のことも警戒してただろ? ……もしかして、俺が安全かどうか確かめたのか?」
そのために、こんな時間に男の部屋に来たのかと睨むと、ユイはクスリと笑った。
「ナイト役はちゃんと選ばなくっちゃいけないでしょ?」
「ふぅん、それで慣れないことをしたんだな」
まさか自分から挑発してきて、あんな悲鳴を上げるなんて思わなかったと笑う。
「そ、それは忘れなさい!」
「はいはい。それで、ホントに俺に任せていいのか?」
お前の胸を触ったのに? と、挑発すると、ユイは不機嫌そうに眉をひそめた。
「馬鹿にしないで。あたしだって、アルが本気だったかどうかくらい分かるわ。軽はずみなことをしたあたしに、警告する意味もあったんでしょ?」
今度は俺の方が驚く番だった。
だけど、頷くのはしゃくだったので黙っていると、ユイは「それで、アリスのこと、お願いしても良いかしら?」と重ねて問い掛けてきた。
そこまで言われたら、断るわけにはいかない。
「一緒にいるときだけで良ければ、引き受けても良いぞ」
「ありがとう、頼りにしてるわね」
ユイはパチリとウィンクをして微笑んだ。けど、さっきの初心な反応からして、実は背伸びしてるだけなんじゃないだろうか?
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