プレイヤー達に散々と見下されたが、堕ちた彼女は意外と可愛い
緋色の雨
プロローグ
柔らかな陽の光が降り注ぐ大通りは活気にあふれている。交易馬車や、仕事にいそしむ人々がせわしなく行き交う道の真ん中で、俺はいつからか立ち尽くしていた。
自分がどうしてここにいるのか、それまでなにをしていたのか思い出せない。
だけど、自分がアルベルトという名の冒険者で、ここがローゼンベルク子爵領にあるエレニアの街だということは理解できた。
……なんだろう、この言いようのない感情は。なんでもない普通の街並みなはずなのに、無性に泣きたくなってくる。
トン――と、背中になにかが当たった。
「……あ、ごめんなさい」
俺にぶつかったのは金髪の女の子だった。吸い込まれそうな青い瞳、背丈が俺の鎖骨くらいまでしかない小さな女の子は、ぺこりと頭を下げてまた歩き始める。
――なんとなく放っておけないような、保護欲をかき立てられる女の子だ。
そんな風に思って見ていると、今度は曲がり角から飛び出してきた冒険者の男とぶつかって跳ね飛ばされた。結構な勢いで地面の上を転がって動かなくなる。
事故の現場を目の当たりにして背筋が凍り付いた。だから、永遠にも思える一瞬のあと、女の子が起き上がろうとするのを見て心から安堵する。
だけど――
「なんだ、てめぇは、どこ見て歩いてやがる!」
ぶつかった男の口から飛び出したのは、気遣いの欠片もない言葉だった。
「あ、う……ごめん、なさい」
「ごめんで済んだら警察はいらねぇんだよ!」
冒険者の男はあろうことか少女に詰め寄り、いまだ起き上がれない彼女に蹴りを放った。
――嫌な予感を覚えた俺は、男が詰め寄った瞬間、二人のあいだに割って入るべく踏み込んだ。だが、なぜか身体が重く、余裕で届くはずのタイミングがギリギリになる。俺は女の子を庇うように身体を割り込ませるのが精一杯だった。
脇腹に走る衝撃。俺は歯を食いしばって痛みに耐え、冒険者の男を睨みつけた。
「どういう、つもりだ?」
「……あぁん? なんだ、てめぇは」
「それはこっちのセリフだ。こんな小さな子になにを考えてやがる!」
「はあ? そのガキがぶつかって来たんだろうがよ」
「嘘つけ、おまえも余所見してただろうが!」
女の子が不注意だったのは事実だが、男も同じく不注意だった。
「あぁん? ごちゃごちゃうるせぇんだよ」
「――おい、ジャーク。なにやってんだ?」
冒険者風の男に、別の男が駆け寄る。最初の黒髪に対して、あとから現れたのは茶髪。容姿は似ていないが、出で立ちがよく似ている。
「おう、聞いてくれよ。こいつが絡んで来やがったんだ」
「――違う。そいつがこの子とぶつかった上に、蹴り飛ばそうとしたんだ」
そんなねじ曲げられた内容を事実にされてたまるかと訂正する。
「はぁ? そうなのか?」
「そのガキがぶつかって来たんだって」
「……はぁ。どうでも良いじゃねぇか、そんなこと。なんでNPCなんか相手にムキになってるんだよ。それより、スタートダッシュを決めるんだろ?」
あとから来た男の方は、やりあうつもりはないらしい。もっとも、言い争いが不毛だと思っているだけで、こちらに対する気遣いは一切なさそうだが。
「スタートダッシュ……そういや、戦闘スキルや魔術を習得するって話だったか?」
「そうだ。事前情報によると、中級や上級に位置する技術の大半はロストしていて、最初に再現したやつの名前がサーバーに登録されるんだ。使い方が分かる文献なりNPCなりを探さないと、他の奴らに先を越されるぞ? 俺らで独占するんだろ?」
「……ち、分かったよ」
冒険者風の男は舌打ちをして身を翻す。
「おい、待て。この子に謝っていけよ」
その背中に呼びかける――が、男は一度こちらを見ると、馬鹿にしたような顔をして立ち去っていった。希に見るレベルの最低野郎だ。
茶色の髪で、名前がジャークとか言ってたな。今度あったら絶対謝らせてやる。
だけど、いまは女の子の方が大切だ。女の子は俺の腕の中で、恐怖にその身を震わせている。俺は出来るだけ恐がらせないように、女の子へと声を掛けた。
「――大丈夫だったか?」
「……え? あ、はい。大丈夫、です」
「そうか、無事で良かった」
俺は女の子の土を払って、立ち上がらせてやった。
「……あの、庇ってくれてありがとうございました」
「気にするな。でも……相手がこっちを見てくれるとは限らないから、ちゃんと注意して歩いた方が良いぞ?」
「はい、気を付けます」
うん、素直な女の子だな。歳は十歳と少しくらいだろうか? 金髪を左右で分けて縛っている。見た目は質素だけど、どことなく育ちの良さそうな物腰だ。
ただ、やはり気がそぞろ――というか、元気がないように見える。
「なにか心配事でもあるのか?」
「……え?」
「いや、なんか元気がないように思ったからさ」
「それは……その。えっと……」
女の子は口を開き掛けては閉じるという行為を繰り返した。だけど、唇をぎゅっと噛むと、明らかに無理をして作った笑顔を浮かべた。
「ちょっとぼーっとしてただけです。心配してくれてありがとうございます」
「……そうか」
他人には話せないような話かな? 無理に聞き出さない方が良さそうだ。
「それじゃ、その……本当にありがとうございました」
「どういたしまして。……あ、一つ聞かせてもらっても良いか?」
「はい、なんでしょう?」
女の子が小首をかしげる。
「初級以外の技術が失われたとか、さっきの連中が言ってたけど間違いだよな?」
「……え? いえ、事実です、けど?」
「なら、技術って言うのはなにを指しているんだ? なにか、限定的な話か?」
「いえ、戦闘スキルや、生産スキル全般だと思います、けど……?」
なぜそんな当たり前のことを聞くか分からない――とでも言いたげな顔。俺はなんでもないと首を横に振ってその話を打ち切った。
「引き留めて悪かった。どこへ行くか知らないけど、気を付けてな」
「あ、はい。ありがとうございました!」
女の子はぺこりと頭を下げて、今度こそ立ち去っていった。
「……中級や上級がロスト、ねぇ?」
率直にいって意味が分からない。俺の中でロスト――失われた技術といえば、上級より更に上にある、最上級のことだ。
俺は剣寄りの魔法剣士だから、剣技や自分に適性のある魔術以外は聞きかじった程度だけど、少なくとも剣技に関してはほぼすべて覚えている自信がある。
というか、中級や上級がロストしたなんて記憶は欠片もない。実際にロストしているのは最上級の各種技能だし、それらもわりと復活している。
あいつらが急いで探すとか言ってたロストって、もしかしてほとんど俺が知ってる技術じゃないか? ……まあ、あんな奴らに教えてやろうとは思わないけど。
それより、いまはこれからどうするかだな。
たしか……街の外れに孤児院があったはずだ。
この街の知識として、孤児院のことがが強く印象に残っている。俺の記憶に繋がるなにかがあるかもしれないから、まずはそこに行ってみよう。
そう思って歩き出すが、やはり身体が重く感じる。なんというか、こう……自分の身体が自分の身体じゃない、みたいな。
……呪いでも掛けられたか?
「フィジカルエンチャント――ダブル」
俺は上級の自己強化魔術を、最上級のスキルで重ね掛けして、軽くなった足取りで街外れにある孤児院へと向かった。
たしか……と俺は大通りを歩き、裏道を抜けて街の外れへと向かう。しばらく歩いて角を曲がった先には、古びた孤児院が――ない。
そこには噴水のある憩いの広場があった。いくつもの花壇に花が植えられ、中心にはこの世界の管理者といわれる女神像が奉られている。
俺の記憶にある街の、記憶にない広場。思い違いだった可能性は否定できないけど……俺の記憶には孤児院の色や形、それに少しかび臭いニオイまでもが残っている。
「……あれ?」
不意に視界が滲んでいく。なんだろ、目にゴミでも入ったのかな?
「うわぁぁぁあっ、見て見てっ! このゲーム、すっごくリアルだよ!」
「見てるわよ。さすが最新のダイブ型VRね、本当に綺麗だわ」
女の子達のはしゃぐ声が聞こえてきて、俺は慌てて涙を拭う。
声のする方を見れば、桜の色味を帯びたブロンドをなびかせるエルフの少女と、プラチナブロンドをなびかせる妖艶な少女が並び立っていた。
花のある二人だが――エルフの少女は杖を背負っていて、プラチナブロンドの少女は腰に剣を携えている。加えて、その服装がさきほどの最低野郎と同系列だ。
さっきの奴らの仲間かもしれないと、俺は少女達に警戒心を抱く。
「だよね、だよね! ユイもそう思う……って、あれ? ユイのしゃべり方が……って、あれ? ユイ……だよね? その姿どうしちゃったの!?」
「ふふん、キャラメイク、がんばったのよ。……おかしいかしら?」
「うぅん、そんなことないよ。ちょっと驚いたけど、よく見たらユイって分かるし」
ユイと呼ばれた少女は、いつもと姿が違うらしい。
どう見ても初心者冒険者だけど……もしかして偽装、なのか? 街の中で変装をするなんて、犯罪でも犯す予定、なんだろうか?
そういえば、エルフは森で暮らす長寿の妖精で、人里に現れることは珍しいはずだ。そんなエルフの少女が、初心者の状態で人里にいるなんて不自然だ。
だとしたら、やはり偽装――
「――ひゃうっ」
こ、転けた? エルフの少女が転けた、だと?
馬鹿な。なにもないところで転けるなんて、普通の人間でも不自然だ。
ましてや敏捷な種族であるエルフの少女が、なにもないところで転けるなんて、偽装だとしてもやりすぎだ。逆に注目を集めるだけじゃないか。
だとしたら……素、なのか? だが、エルフの少女が素で転ける……? 分からない、こいつらが何者なのか分からない。
「ちょっと、アリス、大丈夫?」
「……あはは、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった」
困惑していると、起き上がろうとしているエルフの少女と目が合った。
「こんにちは~」
人なつっこい笑顔を浮かべ、エルフの少女が小走りに駆け寄ってくる。一瞬警戒するが、少女は特に攻撃をしてくることもなく、俺の目の前で立ち止まった。
深緑の瞳が、俺を見つめている。その吸い込まれそうな瞳の輝きに、俺はどこか懐かしい感情を抱いた。それと同時に、彼女に対する警戒心が少し薄れる。
「えっと……俺になにか用か?」
「用……って訳じゃないんだけどね。この感動を誰かと分かち合いたくて。あなたが近くにいたから思わず声を掛けちゃった、えへへ。――すごいよね、この世界!」
両手を広げてクルリと回る。桜の色味を帯びた金髪がふわりと広がる。美形揃いのエルフの中でも、かなりの美少女だと思うけど……テンション高いな。
いまの俺には、友人や家族といった記憶がない。
けど、俺はこの意志の強そうな瞳を見たことがある気がする。
――ぶんっ。と、俺の思考を断ち切るように、風を切る音が響いた。なにごとかと、とっさに剣の柄に手を掛ける。そして俺が目撃したのは――
「えいっ。やっ、はああああっ!」
隣で剣を振り回す少女の姿だった。
な、なんだ? なんでいきなり、広場のど真ん中で剣の素振りをしてるんだ!? 無言の圧力、なのか? それにしては剣筋が素人同然だが……訳が分からない。
「うぅん、発動しないわね。ただ剣を振るだけじゃダメなのかしら? 良く分からないわね」
分からないのは、おまえの突飛な行動だ!
どうなってるんだ……と、俺は助けを求めてエルフの少女に視線を向けた。
「ねぇねぇ、この世界凄いよね? あなたはそう思わない?」
目の前の奇行を全スルーで、質問を繰り返す、だと。こいつはこいつで訳が分からない。本気でなにがどうなってるんだ? 俺は常識の違う異世界にでも飛ばされたのか?
「ねぇねぇ、聞いてる?」
「こーら、咲夜(さくや)。じゃなくて……えっと、アリステーゼ?」
「アリスで良いよ、ユイ」
「じゃあ、アリス。彼が困ってるでしょ」
プラチナブロンドの少女がエルフの少女をたしなめる。
たしかに俺は困ってる。
困ってるが、俺が困ってるのはエルフの少女だけじゃなくて、二人ともの行動が意味不明だからだ――なんて、初対面の相手に言えるはずもなく、俺は思わず沈黙する。
「えっと……そうだよね。ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった。ごめんなさい」
エルフの少女は俺に向かってぺこりと頭を下げた。
ちょっとという意味を調べて欲しい。
「――ところで、ユイはそういうキャラで行くの?」
「あら、あたしはもとから、こういうキャラよ。産まれたときから、ね?」
プラチナブロンドの少女が髪を掻き上げる。ウェーブの掛かった髪がふわりと広がり、陽の光を浴びてキラキラと輝きを放つ。
顔立ちが整った種族であるエルフの少女と並んでも、まったく見劣りしていない。
希に見る美少女の二人だが……なんだろうな、この残念美少女達は。生態が謎すぎる。
俺は頬を掻きながら、「結局、なんのようだ?」と繰り返した。
「あ、戸惑わせてごめんね。私達はたったいまWorldOverOnlineにログインしたばっかりなの。だから、物凄くリアルで綺麗な光景に思わずはしゃいじゃった」
ぺろっと舌を出す少女がなにを言っているのか、俺にはさっぱり分からなかった。
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