絡繰舞台・参
その後、スクイアルで昼食を摂ってから三人は東都駅の少し外れにある劇場通りにやってきた。
「はぁ」
「そんな落ち込むなミケ。たまたま休みだっただけだろう」
三毛縞は肩を落として歩く。その理由は先ほど行ったスクイアルにあった。
「兎沢さん、大丈夫かな」
そう、三毛縞の思い人である女給の兎沢が体調不良で店を休んでいたのだ。
いつも密かに兎沢に会うのを楽しみにしている三毛縞は残念がりながらも兎沢の身を案じている。
「……ふふ、猫ちゃん先生って本当に純情なのね。どこかの誰かに爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
「ふっ、よくいうよ」
鴉取とリリは三毛縞を慰めながら歩く。
表通りは華やかでちょうど昼公演が終わった頃のようで、人通りが多かった。道行く人は皆、異様に目立つ三人の姿を見てひそひそ声を上げながらさっと道を開けていく。
「……大丈夫? もし嫌なら裏道を通ったほうが」
「平気。慣れっこだもの。それに悪いこともしてないのに道を変える必要なんてないでしょう?」
「……ふっ、リリのいう通りだ。いいたい者にはいわせておけばいい」
三毛縞の心配を余所にリリは堂々と道を歩く。
白い髪も真っ赤な瞳も隠すことは一切しない。毅然とした態度に三毛縞はリリに尊敬の眼差しを送った。
彼も好奇の視線を受けることが多かった。その度に視線を避けるようにしていたが、別に悪いことをしたわけじゃない。堂々としてていいのだと、三毛縞は僅かに背筋を伸ばして歩く。
「……あ、でも二人こそ、私なんかと歩いてて平気?」
しかし自分が一緒にいることで周囲の人間が傷つくのは嫌なのだろう、リリは不安げに両隣にいる二人を見上げた。
「今更なにを不安になってるんだ」
「全然。寧ろ芸人さんと歩く機会なんて早々ないから光栄だよ」
「おや、三毛縞先生もずいぶんいうようになったじゃないか」
二人は平然と言葉を返す。そのあっけらかんとした様子にリリは嬉しそうにはにかんだ。
そうしてリリが所属している見世物小屋があるという裏通りに入ると周囲の雰囲気が一変した。
ここは秋の祭りが近くなると毎年見世物小屋がずらりと軒を連ねるのだ。ハイカラな建物が並ぶ通りはまだ人通りが少ない。夜になればあちこちに灯りが灯り、表通り以上の賑わいを見せることになるだろう。
「ここよ」
リリが足を止めたのはその中でも一番大きな『露草一座』と垂れ幕が下された小屋。
そこには絡繰人形、獅子、曲芸などの演目が描かれた看板の横に白い女が描かれた大きな絵が飾られていた。
「これ、私なのよ。これでも花形なんだから」
「へぇ……とっても綺麗だね」
絵を指差しながら誇らしげにリリは微笑んだ。
その絵は彼女の特徴がこれでもかと誇張されて描かれているが、実物の方が数段と美しく見える。確かにこの人並外れた美しさをもつ彼女は一座の中で花形なのは頷けた。しかし決して傲ることもしないのは彼女の持って生まれた性格なのだろう。
「売れっ子芸人が表にいつまでもいていいのかい? 人だかりができたらどうするんだ」
「こんな時間からお客さんなんて来ないわよ。もう。クロウはせっかちなんだから」
鴉取の悪戯っぽい言葉にリリは頬を膨らまし怒る。
この妖艶ながらもまだどことなく幼さが残る白い少女に観客たちは皆魅了されるに違いない。
「さぁ、どうぞ」
リリを先頭に鴉取と三毛縞は見世物小屋の中に足を踏み入れた。
小屋の中は薄暗く、しんと静まり返っている。
表から見たよりも中は意外と大きい作りになっていて、リリは舞台裏へ回りながら奥へ奥へと進んでいく。
「ちょっと荷物が多くて廊下が細いけど……気をつけて進んでね」
人一人が通れる通路の両側には様々な舞台道具が所狭しと並んでいた。
背が高い三毛縞にとってはここの細い通路を通るのは一苦労だ。頭を低くしてあちらこちらにぶつかりながらどうにかして先を歩いている二人についていく。
「そういえば座長が変わったんだろう」
「ええ。前の座長さんは病気で春先に引退しちゃったの。先代の息子さんが後を継いだのよ」
「座長が変わってリリたちの生活に変わりはないか?」
リリの話を聞く鴉取の表情は穏やかで、離れて住む妹を心配する兄のようにも見えた。
「ええ。先代と同じように、こんな私たちにも普通の人と変わらず接してくれる。とても心が綺麗で、優しい素敵な人よ。でも猫ちゃん先生以上にウブだけどね」
ちらりとリリが後ろにいる三毛縞に視線を送る。
「それは中々の優男だな」
すると続いて鴉取もまたにやりと笑いながら振り返った。
「二人とも、それは僕を褒めてるのかい? それとも貶してるのかい?」
「もちろん、褒めているのよ」
「ああ、最高の褒め言葉だ」
「……それ完全に馬鹿にしてるよな」
二人に揶揄われながら先に進んでいると、ふと気が抜いた瞬間に三毛縞の頭に鈍い衝撃が走った。
「……っ!」
ごつんと音がして三毛縞は頭を押さえ足を止める。
涙目になりながら頭上を見てみると、棚の上に乗っていた木箱の角が頭に当たったようだ。
「猫ちゃん先生背が高いから、ぶつからないように気をつけてね」
「一応は気をつけていたんだけどな。ぶつかってしまってごめんよ」
ぶつかってしまった衝撃でずれた箱を持ち上げ元の位置に戻そうとする。
その瞬間、手が滑り箱の蓋が開き中から子供が抱えられる大きさの人形が落ちてきた。
「わっ!」
地面に落ちるすんでのところで三毛縞は見事人形を受け止めることができた。
「大丈夫か」
「……ごめん! 壊れていないかな」
はっとして三毛縞は人形を確認する。
それは今にも動き出しそうなほど精巧な人形だった。西洋の子供がよく持っているような可愛らしい女の子の人形。
ふと周囲に目をやると、通路に置かれている物の多くが人形だった。
「すごい数の人形だな」
「ええ。先代座長も今の座長も絡繰人形作りが本業なのよ。ここのお人形さんたちは私の次に人気者なのよ」
三毛縞の手からするりと人形を抜き去ったリリは、人形の頭を軽く動かし挨拶する。
茶運び人形などの絡繰人形。本物の人間そっくりな生き人形。丹念に作り込まれているそれらは今にも動き出しそうなほどで、可愛らしくもあり不気味にも思えた。
「どの人形も丁寧に管理されているな。これほどまでに大切に扱われれば人形たちもさぞ嬉しいことだろう」
鴉取は人形に顔を近づけ間近で観察する。
「お人形さんたちも大切な仲間だからね。座長はお人形をとってもとっても愛しているのよ」
リリはどことなく誇らしげに話しながら、舞台裏の最奥にある暖簾をあげた。
「座長。クロウを連れてきたわよ」
そこは人形置き場だった。たくさんの人形たちが棚一面にずらりと整列している。
命は宿っていないはずだというのに、四方八方から人形の視線を感じなんとなく萎縮してしまう。
その部屋に洋装をした猫背の男が一人、熱心に人形の手入れをしていた。
「座長ったら!」
一向にこちらに気づく気配のない男に痺れを切らし、リリは声を張り上げる。
すると男は驚いたようにびくりと肩を震わせてゆっくりとした動きで来客を見上げた。
「ああ、リリさん。お帰りなさい。そちらは……」
眼鏡の位置を直しながら男はリリの背後に立つ鴉取と三毛縞を見た。
「こっちは前から話してた怪異の専門家のクロウ。そっちは助手の猫ちゃん先生よ。小説を書いているんですって」
「猫ちゃん先生って……」
リリの大雑把な紹介に三毛縞は苦笑を浮かべる。
「お初にお目にかかります。鴉取怪異探偵事務所の鴉取です。こちらは助手の三毛縞」
「リリさんがお呼びだてしたそうで。お越しくださりありがとうございます。私、この露草一座の二代目座長を務めております、
丁寧に頭を下げた露草。年の頃は鴉取たちよりも五つ程上に見える。
瓶ぞこ眼鏡の向こうに見える小さな瞳は、どことなく優しげで。物腰柔らかい印象の男。右足のズボンの裾から覗く足は生身のものではなく、あまり目にすることはない義足であった。
「先代やリリさんからいつも鴉取さんのお話を伺っておりました。いつもお世話になっております」
「……ほぉ、リリが私の話を」
露草の微笑ましそうな視線を受け、鴉取はじろりとリリを睨んだ。
殺気のようなものを感じたリリはささっと三毛縞の後ろに隠れる。
「何故隠れる」
「だってクロウの視線が怖いんだもの」
「それはお前が人の話を勝手にするからじゃないか。座長殿に一体何を話したんだ」
「別に悪いことは話してないわ。ちょっとお話しするくらいいいでしょう!」
リリは三毛縞の後ろから顔をひょこりと覗かせ、鴉取と火花を散らしている。
やはり鴉取がこのように反応するのは珍しいなと三毛縞は微笑ましそうに二人のやりとりに耳を傾ける。ふと露草のほうに視線を向けると、やはり彼も彼女たちを眺めながら微笑ましそうに口元を緩めていた。
そんな三毛縞と露草が目が合うと、どちらからともなく自然と笑みを溢すのであった。
「——……それで。怪異が起こるというのは」
このままでは埒があかないと思ったのだろう。リリに詰め寄っていた鴉取は呆れたように溜息をつくと、彼女から露草に視線を移した。
その瞬間、微笑んでいた露草の顔が強張り少し青ざめ始める。
「怪異、と呼んでいいのかもわからないのですが。この頃、公演中におかしなことが起こるんです」
「……おかしなこと、とは?」
鴉取の問いに露草は言いづらそうに視線を泳がせる。
「お客さんが消えるの」
露草の代わりに背後からリリの声が聞こえた。
三毛縞の背から出てきたリリはじっと鴉取を見つめる。先ほどのように戯けた様子ではなく、真剣に。
「私の出番になると、お客さんが消えるの」
「客が、消える?」
三毛縞は困惑しつつ隣に立つリリを見下ろした。そこから露草に目配せすると彼もぎこちなく頷いた。
「……ほぉ」
それを聞いた鴉取の口元は興味深そうに綺麗な弧を描いたのであった。
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