幻影電車・陸


 ——午後五時過ぎ。

 定刻からかなり遅れたものの、怪異に巻き込まれた電車はなんとか終点——東都駅に辿り着いた。

 乗客達は皆窶れた様子で電車を降りて行く。


「あの……お兄さんのお陰で助かりました。有難う御座いました」

「息子がすっかり気に入っちゃって……でんでん太鼓、有難う御座います」


 憔悴しきった様子でふらふらと姿を消した髭面の男とは違い、女学生と母子は改札に向かって歩き出していた黒男を引き止めた。


「いえ……私は私の役目を果たしたまで。また、ご縁があればお会いすることもあるでしょう。この雨だ。帰り道、お気をつけて」


 目元こそ見えないが、口元は弧を描き人当たりの良い笑みを浮かべた男は女達に一礼して、再び歩き出す。

 遅れて電車から風呂敷を抱え降りてきた運転手は、改札へと消えて行く鴉の様に黒い男に向かって深々と頭を下げたのであった。



「やれやれ……どうするかね」


 改札を出ても、外は相変わらずの土砂降りだった。

 男は疲れた様子で拳で肩を叩きながら歩いていると、傘を腕に二つ抱え、柱に凭れかかり誰かを待っているであろう男の姿を視界の端に捉えた。

 男の視線に気づいたのか、彼は此方を見て嗚呼、と手を上げながら男の元へと歩み寄って来た。


鴉取あとり。やっと帰ってきた。傘を持って行かなかったから迎えにきたんだよ」

「恋人でもないのにいつ来るとも知らない相手の帰りを待つなんて相変わらず律儀な男だな——ミケ」


 鴉取と呼ばれた男が見上げるのは亜麻色の髪が目立つ長身の美丈夫——三毛、もとい三毛縞みけしま

 和装の自分とは対照的に、洋装を着こなした明るい雰囲気を放つ三毛縞を見て鴉取は微笑を浮かべた。


「それにしても待ちくたびれたよ。雨で脱線だなんて酷い目にあったな」

「くくっ……なんだ、こっちではそんな風に報じられていたのか」

「なんだ? 違うのかい?」


 不思議そうにきょとんと首を傾げる三毛縞を見て鴉取は思わず吹き出した。


「まぁ、人間なんて自分の目で見たものしか信じないからなぁ……」

「まさか——」

「そこは小説家先生お得意の想像力、というものを働かせたまえよ」

「おい、ちょっと待って。後で必ず聞かせてよ。何かのネタになるかもしれない……」


 怪しく笑う鴉取を見て、三毛縞は唖然と問いかけた。

 しかし鴉取は噛み殺した様な怪しい笑いを繰り返すばかりで、本筋を答えることはなく、三毛縞の肩を軽く叩いてその腕から傘をひったくった。


「嗚呼、腹が減った。牛鍋でも食って帰ろうか」

「君の奢りなら喜んで」

「嗚呼いいだろう。待たせた詫びと、傘を持って来てくれた礼だ」


 ブーツを鳴らし、傘を僅かに回して歩く鴉取の隣に三毛縞は足取り軽く並んだ。


「そういえば、ミケ。ずっとあの柱に凭れ掛かって待っているほど、君も馬鹿ではないだろう?」

「流石にそれはないよ。ちょっと前まで駅前の喫茶店にいたんだ」


 その声を聞いて、ほぉ、と鴉取は三毛縞を見上げた。


「逢い引きなんて、偉くなったじゃないか先生も」

「はぁ? 何いってるんだ。君じゃあるまいし、逢い引きなんて——」

「駅前の喫茶店の給仕ウェイトレス——想い人だろう」


 全てを見透かした様に怪しく笑う鴉取に三毛縞はぴたりと表情を固めた。


「何故、それを」

「君はえらく分かりやすいからな」

「そ、んなに分かりやすいかい……」


 図星か、と再び鴉取は可笑しそうに笑い、三毛は顔を赤面させた。


「俺が危険に瀕していた時に、君は幸せなひと時を過ごしていたのだから……うん。牛鍋を奢る必要はないな」

「なっ……そりゃああんまりだ! 約束が違うぞ、鴉取!」


 愕然とした表情を浮かべ、三毛縞は鴉取に縋った。

 急にふと足を止め、一点を見つめた鴉取の背中に三毛縞は思わずぶつかった。

 目の前。建物と建物の間。人一人通れるか通れないか位の隙間に、光る目が二つ見えた。その正体は狸の親子だ。


「あ、狸。こんな街中にまだいるんだな」


 三毛縞はしゃがんで、その狸の親子を見つめた。

 母は子を守る様に前に立ち、毛を逆立てさせながら威嚇をする。


「行くんだ。此処にはもう近づかないほうがいい。遠くへ行けば山や森がある。其処へ行けば食料もたんとあるだろうし、仲間も沢山いる。お前達の住処を奪った我々がいうことは非常におこがましいことだが……悲しいことにここはもうお前達の住処ではなくなってしまったんだ」

 鴉取が諭す様に狸の親子に話しかけると、親子は二人を一瞥して闇の中へと消えていった。

 狸の姿を見送りながら、三毛縞は立ち上がってそそくさと先を歩き出した鴉取の元へ駆け足で駆け寄った。


「あの親子大丈夫だろうか」

「子を守る親は強い。きっと強く生きていくだろう」

「……そうだな。きっと、大丈夫だ」


 そんな言葉を交わしながら、二人は街灯の灯りが灯り、雨に濡れる煉瓦街に消えていった。

 


 それから間も無くして、東都駅の近くに轢死した動物を悼む碑が建てられた。

 綺麗な花を咲かせる花壇の近くにひっそりと建てられたそれはあまり人目につくことはない。それでも時折駅員や、通行人などが足を止めて手を合わせることもあった。

 それから幻影電車を見る者は少なくなったと聞くが——それでも時折、急停止する電車があったとか、なかったとか。


壱話「幻影電車」 完

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