幽霊屋敷・陸


 ——午後十一時。振り子時計の低い鐘の音が響きわたった。

 八咫烏館二〇一号室客間。暖色の電灯の下で本を読んでいた三毛縞は酷使した目を労う様に眉間を抑えながらベッドの上に寝転んだ。


「はぁ……分からない」


 結論からいうとあれから鴉取は帰ってこず、進展もなにもなかった。

 鴉取の部屋には小説、論文、画集など怪異や幽霊、妖怪といった類のありとあらゆる書物があった。手掛かりになるやもと思い手当たり次第に読み進めたものの、大した収穫はなかった。

 ぼんやりと天井の灯りを眺める。ベッドで寝るのは何年ぶりになるだろうか。畳の上に一枚引いた煎餅布団とは全く違う寝心地がとても心地よい。

 固まった体を大きく伸ばすと、急に疲れが一気に押し寄せた。途端に睡魔が襲いかかり思い瞼を閉じては開けてを繰り返す。

 このまま微睡みに身を任せてしまえば楽なのだろうが、それでは何もわからないまま夜が開けてしまう。

 けれどこれ以上調べられることはなにもない。完全に詰んでしまった。


「……っ、駄目だ、駄目だ!」


 三毛縞はベッドから起き上がり、再び机に向かった。

 頬を叩き、眠い頭を必死に起こして考えを巡らせる。

 かつて英国人家族が住んでいた洋館。家族構成は夫婦と幼い女の子の三人。その一家が悲惨な事件に巻き込まれた、という情報はない。

 そして今の大家である鴉取がこの洋館を譲り受けアパートに改築した。その間、彼ははずっと此処に住んではいたが異変は一度たりとも起きなかった。

 しかし、住人の入居と同時に起きはじめた怪奇現象。それも各部屋、各住人によって起きる現象、見えるモノが異なっている。

 異音、気配、笑い声、老婆、若い女、幼女——部屋が満室になりそうな程の幽霊が此処に住み着いているとも思ったが、鴉取がいうにはこれらの現象は幽霊の仕業ではなく、あくまでも怪異に巻き込まれているだけだという。

 もし幽霊ならば何の霊能力を持たない三毛縞は太刀打ちができないが、これは怪異だ。怪異ならばその原因を解き明かすことはできる。

 何度も纏めた情報を脳内で繰り返しながら、両手で目を覆い困り果てた様に深い溜息をついた。


「いっそのこと怪異に巻き込まれてしまえば手っ取り早いのに」

 なんて冗談を零しながら一人嘲笑を浮かべた時だった。

「……なんだ?」


 こっ、と耳の端で足音に似た音が聞こえた気がした。だが、空耳だろうと最初は気に留めなかった。

 こっ、と間髪いれず先ほどよりも近いところで再び聞こえた同じ音。革靴のような足音に、ようやく鴉取が帰ってきたのかと思ったが、もう一度足音が鳴ったとき三毛縞は耳を疑った。


「上だ……」


 こっ、こっ、と一定の速度で続く足音は、三毛縞の頭上から聞こえていたのだ。

 現在三毛縞がいる部屋は二〇一号室。最初に足音を聞いたという一〇四号室とは場所が異なる。

 おまけにこの屋敷は二階建て。屋根裏部屋などはないので、天井から足音が聞こえるなんてことまずあり得ない。

 とうとう今まで無関係だったこの部屋にも怪異の魔の手が忍び寄ってきたというのだろうか。


「……午後十一時九分。八咫烏館二〇一号室、客室。天井から足音が聞こえる」


 眠気は一瞬にして吹き飛んだ。

 三毛縞は愛用の手帳を開き、自分の身に起きていることを事細かに記し始めた。


 最初はゆっくりと歩いていた足音は、次第に忙しなく早足で歩き回る異様な音へと変化していく。

 ごっ、ごっ、と三毛縞の頭上でなにかが動き回っているのだ。


「足音が激しくなった。これだけ激しく歩き回っているのに、振動は感じない」


 この異様な状況でも三毛縞は冷静さをかけることなく、怯えた様子も一切ない。

 頭上で鳴り止まない音にしっかり耳を傾けながら、手帳の頁を何度も捲り、今まで得た情報と照らし合わせていく。

 凄まじい集中力で鉛筆を走らせるその姿は熟練の記者のように非常に手慣れたものだった。


「止んだ……?」


 ある瞬間、足音がぴたりと止んだ。

 騒がしさから一変して不気味なほどの静寂に包まれ、三毛縞が時計を確認するとそれはぴたりと止まっていた。


「時計が止まってる」


 時計を軽く叩いても針はぴくりとも動かない。


「まさか……」


 自分もいよいよ怪異に巻き込まれたのかと、三毛縞は顔を硬らせた。

 いつの間に、と部屋の中を見回していた時、扉が叩かれた。

 こん。こん。と二度。

 三毛縞は椅子に座ったまま体を捻り扉を凝視する。そして再び扉が叩かれる。

 こん。こん。こん。手の甲で軽く叩いているかのような軽い音。しかし、回数を重ねていくごとにそれは拳で思い切り叩いているかのような低く鈍い音へと変わる。

 この部屋に鍵はかかっていない。外に立っているモノは入ってこようと思えば扉を開けられるはずなのに、ただずっと扉を叩いている。


「なんで、入ってこない……」


 三毛縞は疑問を覚えながら、ゆっくりと立ち上がり煩く叩かれている扉の方へ歩み寄る。

 この扉を開けたらその音の正体がわかるだろうか、と意を決しドアノブを回した時だった。


「ふふふっ」

「——っ!」


 耳元で女の笑い声が聞こえ、三毛縞は驚いて振り返った——が、そこには誰もいなかった。

 頭上の足音、扉を叩く音、そして笑い声。これまでの住人が目撃した怪異現象が順番に三毛縞に襲いかかっている。


「この感じなら次は……」


 扉から離れ部屋の中央に立ち部屋全体を見回していると、電灯が消えかかっているかのように点滅を始めた。

 自分の読みが正しければまだ怪異現象は起こるはずだと三毛縞はじっと目を凝らす。

 その瞬間、上階の足音、扉の音、女の笑い声が止んだ。

 不気味なほどの静寂に包まれる室内。ふと、頭上から冷ややかな視線を感じ三毛縞はゆっくりと上に視線を向けた。


「——っ」


 ごくりと息を飲んだ。

 視線の先には、天井から垂れる長い黒髪。

 簾のように天井から垂れた長髪の間から、青白い顔が三毛縞をじっと見つめているではないか。


「天井に見える……顔」


 感情の色を感じない瞳。氷のように凍えた瞳に三毛縞の顔に冷や汗が伝う。

 だが、気味悪さを感じたのはそこまでだった。

 天井の女はそれ以上動くことはなかった。底暗い瞳でじっと此方を見ているのみで言葉を発することもなければ動くこともない。

 声も聞こえない。笑みも浮かべない。泣きもしない。襲いかかってくるわけでもない。感情という感情が全く感じ取れなかった。

 恐る恐る三毛縞は部屋の中をゆっくりと歩き回ってみた。すると女は視線だけで彼を追い続けてたのだ。

 ——もしかしたら、これらの現象の正体は。


「……わかったぞ」


 三毛縞はにやりと笑い手に持っていた手帳を閉じた。

 そしてそれと同時に女の顔は消え、時計の針が動き出す。日よけの隙間から日が差し込んでおり、いつの間にか夜明けを告げていた。


「勝負だ、鴉取」


 意気揚々と三毛縞は扉を開けて部屋の外に出た。 

 先程まで何者かが叩いていたはずの扉の前には、やはり誰もいなかった。

 

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