11

「ごめん、く~ださ~い」

 妙に明るい声。わざとらしい笑み。あたしは真木から距離を取った。

「……ふむ、人の気配が無いね」

 真木は一歩下がり、眼帯をめくり、おう、と小さい呟きが漏らした。よく見れば玄関までの敷石や、外壁に点々と黒い染みがある。

 真木は玄関横にあるポストを開けた。

「うん、水道補修のマグネットステッカー三枚とガス会社の請求書か。世帯主の名前は葦田あしだ千鶴子ちづこ

「へえ、そんな名前だったんだ」

 あたしの吃驚した表情に、真木は眉を顰めた。

「ううむ、隣人に興味のない日本社会の病巣を垣間見た気分だが、まあ、それは置いておいて――ステッカーは色褪せており、請求書の発行日は先週だな。他には何も入っていない、という所から楽観的に推理すると、葦田のおばちゃんはしばらく前から留守という事だな」

 真木は喋りながら懐から小さな印鑑ケースのような物を取り出した。途端に空気がねっとりと重くなったように感じる。

「お、京さん、表情が険しいねえ」

 あたしは額を親指で叩いた。

「ここがチリチリする。で、またイワクツキか?」

「その通り。便利なんだが、呪われていてねぇ、酷く疲れてしまうんだよ……よし、と」

 あたしが真木から再び距離を取る前に、鍵の開く音が聞こえた。

「え、あ、おいっ……」

 何の躊躇もなく真木はドアを開くと、あたしの手を引っ張って中に滑り込んだ。

「ふむ、薄暗いな」

「いや、お前、何してくれてんだよ……」

 あたしが小声で抗議すると、真木は片眉を上げてみせた。

「悪いね。僕は葦田のおばちゃんの顔を知らないんだ」

 まあ、確かにさっきまで語ってた事件とやらが本当にあるとするならば、不法侵入ぐらいは目を瞑る状況ではあるのだが……。

 よし! いざとなったら、こいつに無理やり連れ込まれたってことにしよう。だから、あたしの指紋は残さないようにしよう!

 真木は靴を脱ぐと中に踏み込んだ。あたしは辺りを見回した。

 靴ベラのかかった小さな靴箱が玄関の左に置いてある。正面の壁には、小さな額縁がかけてあり、かぼちゃとにんじんの可愛らしい切り絵が中に入っていた。

 靴箱の上に目をやると、ややくすんだ金色の蛙の置物がでんと置いてあった。木彫りのクマよりはいい感じだ。玄関マットはピンクのもこもこのついたやつ。

 ……なんか、普通の小奇麗な家、だな。

 早く来たまえ京さん、という真木のせっつく声に、あたしも靴を脱いだ。

 謎の事件の為に、近所に住んでいる謎の老婆の家に不法侵入捜査、正直言えば中々に楽しいシチュエーションで、しっかり観察も始めている。

 ……はしゃがないようにしなければ。

「うん、しょうのうの匂い」

 突然の言葉にあたしは硬直する。

「の、脳みその匂ぃ?」

「違う違う違う! 樟脳、防虫剤の匂いだよ。いわゆる異臭の類はしないな」

「なんだよ、紛らわしい……」

「いや、脳みその匂いって何だよ、君?」

 廊下がやけに軋む。平屋で、外観通りそんなに大きくない家だ。真木は次々とドアを開けていく。

「玄関から順にトイレ、台所、ふろ場ときて残りの部屋は二つか。京さん、僕が見落としたものがあったなら、すぐに報告してくれたまえ」

「いや、眼帯外してみればいいんじゃねーの?」

 真木は振り返ると、いや、それがねえ、と頭を掻いた。

「僕の目には実は反動があってね、ポンポン見ることができないんだよ。だからしてこういう眼帯をつけてるわけでね」

 あたしは相変わらず小声で、おおと唸った。

「実に中二病臭い設定、最高だな! で、どんな反動があるんだ? 全身に激痛とか、寿命が縮まるとか、そんな感じの――」

「いや、眼精疲労で目が回るのだ。ブルーベリーのサプリを毎日飲んでいるんだがねえ」

「……あ、そう」

「さっきの鍵の呪いもあって、今むちゃくちゃタルいんだよ。僕が倒れた時には、君、卵をたっぷり使った親子丼を頼む」

「それ、昼飯食ってねえから腹減ってるだけじゃね?」

 廊下の突き当たりは壁で、その手前に襖が二つあった。

「まずは左からいってみるか」

 ゆっくりと襖を開けると真木は半身で中を伺う。

「……寝室か」

 狭い部屋だった。畳敷きで中央には布団が敷かれており、寝たまま灯を点けれるように紐が蛍光灯からぶら下げられている。

 真木はさっと紅色の薄手の掛布団をめくった。シーツには染み一つない。髪の毛一本落ちていない。

「枕は蕎麦殻か。僕もこれが好きでね。低反発枕もいいのだが、やはり蕎麦殻の音がね」

 真木は枕をぷすぷすと指でさした後、立ち上がると押入れを無造作に開けた。

 古いデザインの褪せた緑色の衣装ケースが下段を占めており、上の段には冬物の掛布団や毛布がきちんと折り畳まれて入っていた。

「どう思う、京さん」

 あたしは部屋を見回した。

「……綺麗すぎる」

「ここにはヘルパーさんが出入りしているのかな?」

 あたしは首を振った。

 そんな話は聞いたことが無い。いつも古い色褪せた同じ服を着ていた葦田のおばちゃん。でも、考えてみれば、不思議と不潔な感じはしなかった……。

 真木は衣装ケースを引っ張り出すと驚きの声を上げた。

「空だぞ!」

 蓋を開けると廊下で微かに漂っていた匂いの大元がここだったことが判った。中には防虫剤の束と、衣服を包む際に使ったと思われる薄紙が折り畳まれて入っていた。

「ふん、他には何も入っていない、か……」

 真木は押入れの中に首を突っ込む。

「区切り板の裏や天井に異常はなし、か」

 あたしは廊下に戻る。やはり掃除が行き届いている。思い起こせば、トイレも風呂もそうだった。

「……葦田のおばちゃん、綺麗好きだったんだ……」

「綺麗好きどころか、キッチリと廊下にワックスまでかけてある。奇行を繰り返す老人像とは結びつかないねえ。さて、疑問は尽きないが、とにかく進もう。最後の部屋だ」

 真木は右の部屋の襖を少しずらし、部屋の中を確かめると中に入った。あたしも続く。

 真ん中に炬燵兼テーブルが一つ。正面と左側には窓があり厚手のカーテンがかかっていた。右側にテレビ一式。左の窓の下には小さなチェスト。壁にはカレンダーとラップに包まれた黄ばんだ絵。真木は部屋を見回した後、絵に近づいた。

「子供が画用紙にクレヨンで――」

 真木の言葉が途切れる。あたしも絵に近づいた。

 黒い絵だった。

 黒以外使われていない絵だった。

 人物と思われる物が二つ。多分子供と大人の女性だ。大きなスカートで足は見えない。大人の方は頭がもじゃもじゃと描かれており、どうやらパーマがあてられているようだ。

 場所はよく判らないが、多分屋外だろう。真っ黒い切り株のような物がそこら中にある。

「京さん、これ、何だと思う?」

 絵の下半分は大きな黒い楕円が描かれていた。楕円は黒のクレヨンでぐりぐりと塗りつぶされている。

「……池か? 真っ黒池。ほら支流みたいなのが描いてあるじゃん」

 真っ黒池の周りにはいくつも細長い線があった。あたしは絵に顔を近づける。真木も顔を近づけた。

「はて、何やら、この真っ黒池の中に何か描かれているような……」

 あたしは引き攣ったような声を上げた。

 足から力が抜け、思わず真木の肩にもたれかかる。意外なほど迅速に真木はあたしの体を支えてくれた。

「どうした、京さん?」

「……花。黒い花」

「何っ!?」

 あたしは深呼吸をすると、真木と一緒に絵から一歩離れ、真っ黒池を指でなぞった。

「うん……真っ黒い、まるで彼岸花みたいなのが描かれてる……これ、あたしが夢に見たやつに似てるわ……」

 真木は絵をしばらく睨むと、あたしを座らせた。

「京さん、少し休みたまえ」

 あたしはああ、と小さく答える。

 真木はテレビ棚の下を覗き、それからあたしの背後に回る。多分チェストを物色しているのだろう、引き出しを開ける音と、硬い物がじゃらじゃらとぶつかる音がする。

 あたしは長く息を吐いた。

「参ったな……しかも、これ――あたしが子供の頃、描いてた絵に似てる気がするわ」

「ほう。根拠は?」

「黒い染みと同じくピンときた感じ。ま、自分のタッチは自分でわかるもんだよ」

 その時、真木が鋭く、あっと声を上げた。

 あたしが振り返ると、真木はこちらに背を向け、首を傾げて立っていた。

「……何かあったのか?」

 真木はぐりっとこちらに首を向け、ざっと鋭くしゃがみ込んだ。細長い手足をバッタみたいに折り曲げ、かなりきもい格好であるが、そう、もしかしたらあたしを笑わせようとわざとやったのかもしれない。現にあたしは笑ってしまった。

「先輩、動きがキモいんだよなあ」

 真木は片眉を上げ、頭をぐらぐらさせ、にやりと笑った。

「良く言われるよ。さて……君はこの家をどう思う?」

「よくわかんねえ……。あたしの夢についてもっと聞かないのか?」

「もっと言えることがあるのならどうぞ」

 あたしは真木をじっと見た。真木は首を傾げ小さく、ぷぅと言った。またも吹き出してしまった。

「ばっかじゃねえの! あんた、ガキかよ」

「おいおい、もっと声をひそめて! ところで、そこの引き出しに面白い物が入っていた」

 真木は握った手をあたしに近づけて、さっと返した。

 掌の上には小さな金属が乗っていた。手に取ってじっくりと見てみる。

 それは小さなブローチのように見えた。金色で、裏には安物の押ピンが取り付けてある。だが、形が妙だ。細長い長方形で、両端は蛸の足のように枝分かれしている。

「なんだこりゃ?」

「それは、木だよ。樹木だ」

 成程、葉をつけていない枝と根がむき出しになった樹木か。

「で、これの何が面白いんだ?」

 真木は顔を歪め、ばりばりと頭を掻き、立ち上がった。

「京さん、我々に残された時間は少ない。そう感じないか?」

 あたしはしばらく真木を見つめた後、頷いた。

 なんか、こう……早くやらなくちゃならないことがある気がして仕方がない。

 では、と真木。

「ここにはもう用はない。我々はどんどん移動しなくてはならないのだ!」

 あたしも立ち上がる。

「何処に行くってんだ? それに、そのブローチはなんなんだ?」

 真木はブローチをくるくると回した。

「……こいつは非常に見覚えがあるものでね。某宗教団体のシンボルなのだよ。

 この家を見たまえ。塵一つ落ちていない、整然とした空間。まるで、寺社仏閣のようだと思わないかね?」

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