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 動画の再生が終わると、あたしは大きく溜息をついた。

 こんな朝っぱらから……。

 イヤホンを外し、バスの窓の外を見る。八月である。暑い。しかも今は早朝(と言っても十時は過ぎているが)である。

 あたし、こと田沢京子たざわけいこは大変不機嫌だった。

 大学は夏季休業中であり、昨夜は友達の小川おがわ保美やすみとB級ホラーのDVDを肴に三時くらいまで部室でダラダラと飲んでいた。六月に二十歳になってからこっち、機会を見つけては酒を飲んでいるのだけど、日本酒をグイグイ飲む保美に比べて、あたしはサワー一杯でいい気持ちになれるのでふところ的に大変楽である。そんな感じで明け方まで飲んで、ぶらぶら徒歩で帰りながら飲んで、よっしゃー昼過ぎまでは寝てやるぜと意気込んでいたら、いつも通り明け方に飛び起きた。

 最近、夢見が悪い。ぼんやりと断片的にしか覚えてないけども、どうやら悪夢を見ていたらしい。そして例によって例のごとく、酷く気分が落ち込んだ。

 今の今まで、とても大切な事を思い出していたはずなのに、目が覚めた瞬間それは高級な石鹸から発生する上品な泡のごとく、ぱっと滑らかに弾けて消えてしまう。

 しかも今朝は妙な焦燥感があった。

 今すぐに、何かをしなければ――そんな感じだ。

 でも、何かって何だ?

 ま、これも社会人と学生の中間生命体である大学生特有の気分というやつなのかもしれない。そんな事をぼんやりと考え、明るくなって、ようやくとろとろと二度寝に突入ってタイミングでメールが到着。

 保美からだ。

『重要。急遽、お客さんご来店。大至急来られたし』ときた。

 しかも、見慣れた一文『けいちゃんご指名です』が付いておる。

 かくして、あたしは蝉の声やかましく、風まったくなし、陽射し最高、ついでに言えば金欠真っ盛りの中、大至急の文字に、歩くのがたるいので、わざわざバス代を払って、大学にやってきたのだ。目指すは中庭にある階段教室、通称『中講義堂』。

 今日は碌なことが無いに違いない。

 そう確信した。


 中講義堂は半地下の教室でクーラーなしでも割と涼しい。そこを会談場所に選んでくれたのは、今、目の前で壁にもたれかかって煙管きせるを吹かしている保美である。

「うーす」

 あたしは挨拶すると頭をバリバリと掻き、額の汗をぬぐって地面に飛ばした。片手を上げた保美は昨日と同じ黒いワンピースである。

「もしかしてオール?」

「もしかしなくてもね」

 心底うんざりだ、という保美の口調。聞けば部室でそのままビデオを見ていたらしい。

「紙コップの片づけをして、ついでにロッカーの整理してたら、奥から木スペのUFO特集のビデオが出てきちゃってね、観ながら寝落ちしようと思ったら、テンション上がっちゃってさ……」

「うわ、馬鹿がいる」

 保美は普段から気怠い雰囲気を醸し出しているが、今のそれは雪山で寝落ち寸前のはかなさに達しつつあった。

「んじゃ、部室で寝てろよ。あたしが後は上手くやっとくからさ」

「駄目よ。外部の人と会談をする時は、必ず二人で会う。もしくは近くに一人控える事ってみんなで決めたでしょ」

「まー、そーだけどさー。お前、死にそうじゃん。熱中症でぶっ倒れるんじゃね?」

 保美はふうと細く煙を吐きだした。

「いいから、とっととやってきて。あたしはここにいるから、なんかあったらすぐに呼んで頂戴」

 あたしは中講義堂の扉に手をかけた。

「で、どんなやつ? いつもの?」

「いや、京ちゃん目当てじゃなくて、怪談動画を見て来たみたい。京ちゃん担当パートの喋ってる人に会いたいんだってさ」

 あたしは片眉を上げた。

「へえ! あれの感想とか反応とかって、もしかして初じゃね?」

「で、あるかな。どう、会ってみたいっしょ」

「うーん……」

「ただ、まあいきなりメールがきて、返事も待たずに部室に来るようなやつだからね、私の中ではまともな奴じゃないわね」

 あたしは苦笑いした。

「そんなのとあたしを会わせようっての? 血も涙もない会長様だこと」

 保美はあたしをじっと見て、また煙をふうっと吐いた。

「でもさあ、『この喋っている人が長年抱いている疑問に答えを出せるかもしれない』とか言われたらさ、うちのサークル的には、ね? 

 あんたが時々言ってる朝起きた時に感じる諸々に、もしかしたら答えがって思ったらさ、こうするしかないでしょう?」


 あたしは今ちょっとした有名人らしい。検索したい誘惑に駆られるが、何となく何かに負けたような気がするのでしていない。

 そもそもの始まりはあたしが入っているサークルにある。

 あたしが所属しているのは、オカルト研究会。会員は五人で全員女性。役員は一人、昨夜一緒に呑んでいた保美で、彼女は会長だ。

 オカ研は一昨年まではオカルトを口実に皆で騒いだり旅行に行ったりする実に大学生らしいサークルで、それを長年続けてきたらしい。しかし、あたしらが入学する直前に車の箱乗り(四人乗りの車に八人乗せたらしい。これぞオカルトよね、と保美は煙をくゆらせた)が原因で、廃部と相成った。

 しかし廃部になったのは春休みであり、新入生歓迎パンフレットには削除されずに紹介されてしまい、あたしらはサークル説明会会場、つまりは部室に来てしまった。上級生は誰も現れず、さてどうしたものか、と暇を持て余していたのだが、いつの間にか保美を中心に車座で馬鹿話からのオカルト談義に花が咲き、まあ、元々そういうのが好きでなければ入部しようなどとは考えないわけだから、あたしらはコンビニに買いだしをしつつ最終的には七時間近くだべりつくし、隣の囲碁部にオカ研は春休みに壊滅したと聞かされたのは完全に闇のとばりが落ちた後だったのだが、まあ、そんな事はどうでもよくなっていたわけで、

「じゃあ、あたし、オカ研復活させるわー」

 とその場のノリで保美が行った宣言に異論が出るわけもなく、あっという間に新生オカルト研究会はスタートを切ったのであった。主な活動は『フィールドワークの成果を会誌として発表』となり、本を三冊出したところで一年が過ぎた。まずますの一年であったと言っていいだろう。

 さて新年度になり保美は新企画を立ち上げた。発表した会誌は、読み返してみると、かなり真面目な内容であったためか、反応がいまひとつ。発行部数を抑えていたので金銭的ダメージは皆無だったが、新入生は今の所ゼロ。まあ好事家が集まって、身内で発表会をやっているようなものだ。後から入ってくる人にはハードルが高いわけで、それではよろしくない、と保美は紫煙を吐きながら三十路もかくや、という爛れた色気を出しながら眉をしかめた。

「できることなら、私らが卒業しても続く部にしないとね」

 成程、流石は会長である。で、具体的にはどうするのかと問うと、保美は『娯楽』に挑戦してみようじゃないか、と言った。

「今まで通りの活動も継続しつつ、プラスアルファということでね。まずは怪談動画とかどうかしらん?」

 そそるっ、と瞬間的にあたしの背骨に電流が走った。勿論、またしても満場一致。どうしてこう皆が皆お祭り好きかねぇ、と溜息をつきながら、あたしは勿論駆けずり回った。自称他称問わず、霊感を持っている人間を学内、市内と探しまわり、八名ほどかき集めた。

 更に、演劇部から一人――まあ、色々とあったが、春先に作り始めた動画は五月の末に完成。六月中旬に動画サイトへの投稿とあいなった。無名の素人集団が作ったものとしては視聴数四桁を二週間で達成。反応も上々である。

 しかし、色々と面倒な事が持ち上がり始めた。

 例えば、怪談の雰囲気を盛り上げる為に出演者は『全員匿名』にしたのに、それを反故にして自分の動画へのリンクを貼るアホ。怪談の一つがある実話怪談本からの丸パクリだと声高に指摘するバカ(念の為に確かめたところ、超極一部引用というくらい別の話だった)。更には自分の体験談を盗まれたとして金銭を要求してくるトンチキ。と、まあ次から次へとポンポン湧く。

 そんな中、あいつが来た。


 御霊桃子みたまとうこ


 ネットでは有名な『霊能力者』らしい。専用のチャンネルを持ち、そこで自作の怪談動画や心霊実況、心霊スポットを紹介する番組を作成し、放送しているらしい。

 本人と言えば中々に高飛車な奴で、信者の数が云々、守護霊と星の導きが云々、風水的に視るとこの大学は云々、まあ色々ずらずら喋ってたが要約すると、お前らの動画いい感じなんで、あたしと組まね? ということだった。

 会長の保美は御霊桃子を知っていた。

 彼女曰く、多分モノホンとのこと。御霊の作った心霊番組はバラエティ寄りだが、かなりマズいモノが映ってるように思える動画もあるそうな。

 で、そんな情報を事前に聞いたのが、あたし的にマズかったんだろう。

 実のところ、あたしは霊感じみたものを持っている。夢で見た風景の場所に、数日後に訪れる、なんて事が結構ある。そこが心霊スポットで夢の中で気分が悪くなったのを思い出し、勇気ある撤退をしたこともある。決して想像以上にヤバそうな雰囲気にビビったワケではない、と思う。

 そんなあたしだから、大先輩というか、勝手に師匠認定した凄い人がくる! そんな風にクリスマス前みたいにワクワクしてしまったのだ。

 ところがどっこい、来たのは――

 壱:人の話を聞かない

 弐:香水がキツイ

 参:上から目線

 という、あたしが嫌いな要素がぎゅっと濃縮されたような奴だったからさあ大変。しかも、何処をどう考えたらそういう結論になるんだか不明だが、最終的に金を要求してきたのだ。要約すると『受講料をよこせ。その代わり、お前らはあたしと一緒に有名になる権利をやろう』、といった感じだ。

 へー、そりゃ、ありがてえや。勝手に来て、金くれって? おほほほ、お前面白いこと言うなあ!

 保美がげぇっと声に出して呻くのが聞こえたところから察するに、心の中で毒づいたはずがどうやら声に出ていたようである。その証拠に、御霊桃子様の御尊顔はみるみる赤くなりまして、お前! あたしに! なんて口をっ! と漫画の台詞の表現でしかお目にかかったことが無い、言葉を分けて激昂という珍しい現象を引き起こし、きるぇえっと中々の奇声をあげてあたしに掴みかかってきた。

 ところで、あたしについてまだ言ってなかった事がある。

 あたしはサークル内では『隊長』と呼ばれている。まあ色々齧ってきたんで腕っぷしは強い方だと思うし、悩むくらいなら行っちまえとフィールドワーク中にちょっと危険な場所に(一応自分の中では節度があるつもりだが)ホイホイ行ってしまうんで某水曜秘境探検隊よろしく『隊長』らしい。

 女子としては複雑だが、悪口ではないから、まあ良し。

 で、まあそんな『隊長』なあたしであるわけだから、薔薇系のきっつぃ香水を振りまきながら顔に爪を立てようとする下衆の顔面に手が出るのは当然のことで、それでも、向こうが手を出すまでは辛抱はした。

 その点は保美は褒めていた。

 だけど、頬を思い切りガリッとやられ、あいつの爪に血がついてるのを見た時――いや、それでも自制はした。

 拳は握らなかった。

 うん、あれだけ怒ってて、瞬間的に手加減ができたってのは凄い事だと思う。まあ、その点は保美は褒めてくれなかったんだけど。

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