狂う歯車

■■■■

 

 ――首都・洛陽。

 劉備は夕刻、やっと洛陽に辿り着いた。本来ならもっと日数が掛かるはずだったのだが、道行く中で商人や荷運びの庶民と遭遇し、洛陽までなら乗せてってやると親切心を受けて洛陽までやって来た。そんな事が度々あったため洛陽へは思ったよりも早く着いた訳である。洛陽に来たのは初めてだ。本来なら母を助けるために訪れるはずだったが致し方ない。まずは目的の関羽と張飛を探すとしよう――。そう思い洛陽の町を歩いていると嫌な話が流れてくる。

「董相国(董卓)の軍がまた女官を陵辱したんだと」

「おらは村祭りの農民を虐殺したと聞いたぞ」

「富豪を襲って金品を強奪したとか……」

「この国もそろそろ終わりかもな」

 そもそも董卓がこのように政権を掌握しているのは、宮中の宦官が虐殺され宦官の一人が皇帝とその弟を連れて逃げ、董卓が皇帝と弟を保護したからである。皇帝から信頼されている董卓には誰も逆らえない。

 だが董卓暗殺の話が存在しない訳ではない。

 そういう事を企んでいるからこそ、董卓は楼桑村に滞在しているのだろうし、洛陽を家臣に任せているのだ。奪われるのではという考えは彼に存在しない。そんな事、皇帝が許さないからである。皇帝も董卓によって操られている傀儡だが、一番厄介なところは「自分の意思で董卓に従っている」という事だ。

 これは急いで関羽達と合流した方がいい。劉備は足を早めるが、日は既に落ちてきている。探すのは少々難しい。明日にするか――と、まずは寝泊まりする場所を探そうとしたところだった。

「劉玄徳殿でございますな」

 後ろから、か細く今にも消え入りそうな声。振り返るとそこには白髭を蓄えた男がいた。年齢は六十以上だろうか。この国では滅多に見られない老人だった。

「失礼致した。私は王允と申す者。貂蝉の養父でございます。雲長殿、翼徳殿がお待ちです。どうぞ、私に着いてきてください」

 劉備は老人――王允の後に着いていく。どうして王允が劉備の事を知っているのかという事は後回しにして今は彼の案内に着いて行く事が先決だ。

 洛陽は煌びやかで賑やか、それでいて誰もが笑顔。花が咲くような美女に、勇ましく勇猛な豪傑が揃っている――生前の父がそんな事を言っていた。

 だが、今の洛陽は父が言っていた事と正反対だ。

 行き交う人々には生気がなく、笑顔もその顔にはない。誰もが怯えたような、恐怖したような、夢を失った表情を漂わせていた。劉備は下ろされた手で拳を作って力を込める。掌に爪の形が刻まれるくらいに。

 建物と建物の間を通り抜け、洛陽郊外までやって来ると一つの酒場の前にやって来た。王允は遠慮無く入り劉備も中へ。すれば見慣れた巨漢が二名、中央の席に腰掛けていた。

「兄者!」

 酒が入った杯を高らかに上げる張飛。劉備は少々驚きを見せながらも王允と共に彼らの前へ腰を下ろした。

「雲長に翼徳、何故お前らが此処に……」

「司徒の旦那(王允)に協力を頼まれたんだよ。まあ、全部妙な男が俺達を司徒の旦那へ導いた訳だけどな」

 張飛の言に少々心当たりがあった。妙な男――もしかして。既に酒を何杯も飲んでいる張飛と関羽に劉備は尋ねる。

「それは……法孝直と名乗っていなかったか?」

「兄上、ご存じか。その男が我々を司徒殿の元へ導いてくださったのだ。劉玄徳殿から伝言だと告げて」

 つまり法正は洛陽へ来ていたのか。しかし些か疑問が残る。作戦を決めたのは昨日、そして法正は劉備が出発するまで楼桑村にいた。彼が楼桑村を出られる暇はないはずだ。法正には村での事を全て頼んできたのだから。何か胸に引っ掛かったようなものを感じる劉備だが、今は関係ないため一先ず頭の隅へ追いやった。

「兄上、まず華佗先生だが……董卓によって監禁されているそうです。名医である華佗先生は董卓専属の医者になる事を拒み、洛陽から逃げようとしたところを捕まったとか」

 それは真実らしく隣の王允は申し訳なさそうに、悔しげに顔を歪め静かに首を縦に振る。何にせよ董卓を倒さなければ、母も村も救えないという事である。改めて再認識させられ、劉備は「そうか」とだけ言葉をこぼした。

「で、俺達は助けようとしたところによ、この司徒の旦那が助けてくれたって訳だ。俺達が劉玄徳の弟だって聞けばすぐに匿ってくれてよ。助かったぜ!」

 どうやら関羽と張飛の二人は王允から全て聞いているようだ。それも法正の手回しだと二人は言う。法正は一体何処まで先を読んでいるのか――。

「……玄徳殿は呂布に会いに来たのでしょうが、申し訳ない。呂布はもう洛陽にいません」

「呂布が、いない?」

 どういう事だと劉備は隣の王允へ視線を向ける。表情には焦りが浮かぶ。嫌な予感がしたからである。その予感はどうやら的中したようだった。

「呂布は楼桑村へ向かいました。私には彼を止める事も、籠絡する事も出来なかった。だからせめてにと貂蝉への竹簡を持たせました」

「呂布を丸め込めなければ、董卓と呂布が結託したら……ッ!」

「もちろん、村もただでは済みますまい。――ですが、董卓と呂布が連携したら、の話。連携を絶ち切れば呂布も董卓から心は離れていくでしょう」

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