第2話:生まれた家は……
最も不便なこと。
それは、文字が読めないことである、と思っている。
なにせ、文字が読めなければ、正しい知識や情報が得られないからだ。
「というわけで、よろしくマシュー」
「ええ、勿論ですとも。しかし、まず文字を望まれるとは……素晴らしいですな」
そうかね?
はっきり言って現段階でそれなりに喋れる以上、文字を学ぶのは難しくはないだろう。
「だって、しゃべれるんだから。おぼえるだけじゃない」
「そう言いましてもな……どこぞの坊なんて『剣を振っていれば良いんだ!』と嫌がったものですからな……」
一体誰だろうね、そんな事を言う人は。
どうも身近にそんな事を言う人がいそうだけど。
「さ、これを使いましょうぞ。これは貴族の子弟ならば一度は使います……といっても、普通は五歳からですが」
そう言いながらマシューは、一つのパネルを持ってきた。
それはおよそ三十に区切られており、それぞれに二個の記号が書かれている。
「もしかして、これが?」
「そうですな、これが文字です。どこでも同じ言語ですから他の国でも使えますぞ。ちなみに上が『正文字』、下が『略文字』ですな」
そう言われると、上の文字は少し難しく、下は簡単である。
「わざわざめんどうな」
「まあ、それはそうですが。ただ、貴族階級の書類などは正文字で書かれますのでな。普段は略文字で問題ないのですが、正式な書類と認められるには正文字と定められております……しかし『面倒』など、難しい言葉をご存じですな?」
「ん? あー……まえどこかできいたからね」
危ない危ない。
まあ、本音正文字といわれても漢字ほどややこしいものではないし、アルファベットみたいに考えればいいわけだからすぐ覚えられるだろう。
後は単語だな。
「さ、では声に出しますぞ。まずは––」
* * *
「結局、二時間程度で文字を覚えましたな……」
「まあ、そう難しいものではないし。それよりもっと言葉を覚えたいから何かない?」
はっきり言って、文字を覚えるのはすぐ終わった。
それよりも語彙を増やしたりしなければ伝えたい言葉が伝わらない。
「ふむ……ではしばしお待ちください。
「らいぶら?」
「本が沢山置いてあるところですぞ」
ああ、図書室か。
……図書室!?
「マシュー! 僕も行く!」
図書室があるなら、自分で自由に読みたい!
それならいろんな知識を取り入れられる。
……
結局、図書室には入ってみたのだが、本が大きいことと、本自体が非常に高価なのであまり勝手に触れないので入り浸ることはできなかった。
だが、図鑑のようなものや辞書を貸してもらい、結局夕食前まで齧り付いていた。
夕食の時間になったので、強制終了させられて食堂に向かう。
さあ、今日の報告をしなければ。
まだ父は席に来ていない。
「レオン、今日は何をしてたんだい?」
ハリー兄が聞いてきた。
「今日は文字の勉強でした。後は本読んでました」
「おや、本を読めるようになったのかい?」
「ええ。図鑑と、歴史の本です」
「え?」
図鑑は中々面白いもので、色々な固有名詞を覚えるにはうってつけだった。
意外と名称がまともでありがたかった……
そして歴史の本も助かった。
御伽噺的なものも含まれていたが、まあ、千年も昔じゃな……
「もう歴史の本を?」
「いや、まだ半分ですよ? 単語も難しくて、辞書が要りますし……」
「うーん、辞書があっても読めないけどなあ、普通」
あれは難しい本なんですか……
* * *
「さて、レオン様」
「なんでしょう」
昨日誕生日を終え、次の知識のためにマシューに相談する……つもりだったのだが。
「既に歴史の本を読み終えられたとはどういうことですかな?」
「いや、言葉通りだよ。なんとか昨日のうちに読めたね。図鑑はまた今度だ」
「はあ……いえ、これは喜ばしいことですな。本日は如何しましょうかね……」
どうも、しばらく歴史の本を使って色々教えるつもりだったらしい。
あまりにもあっさり読まれたので、今日の予定が狂ったようだ。
ごめんよ、マシュー。
「うーん、できればこの家のことを知りたいんだよね」
「おや、左様ですかな」
「うん。歴史の本は世界のことは書いてあっても、この家とか、国のことは完全に分からないから」
昨日読んだ本は所謂「世界史」の本だ。
自分がどのような立場なのか。自分の国はどんな国なのか。これからどうやって生きていくか。
それを学ぶには実際に関わっている人が良いだろう。
「では、私めがお教えいたしましょう」
「うん、よろしく」
…………
………………
なるほど。
俺はイシュタリア王国という国で生まれた。
そして、ライプニッツ家という貴族家に生まれたと。
さらに、王国第二位の都市「エクレシア・エトワール」の領主家だと。
それで?
ライプニッツ家は本当は貴族家ではなく、「イシュタリア公家」という王族に連なる一族。
爵位は公爵だそうだ。といっても「イシュタリア王国貴族」の公爵より上。
「––そのようなわけで、千年前の『旧世界の滅亡』に生き残った『騎士王』と『魔導師』によって立てられたのがイシュタリア王国であり、イシュタリア王家なのです。そして、その初代国王の弟で『竜騎士』だった少年。それが我がライプニッツ家の興りなのです。よって『公家』の名を頂戴し、当主だけでなく家の皆が『殿下』の敬称で呼ばれるのです」
「成る程ね。つまり、うちの家の上には王家しかないんだ」
「そういうことですな。そして定期的に婚姻を結んでおりますので、血統も間違いなく王族ですな」
なんというハイスペック。
聞くところによると、三代前の王弟がライプニッツ家に婿入りしたらしい。
そして、先代王弟の娘、つまり現国王陛下の従姉妹が母であるヒルデ。
ちょっと離れているが親戚には違いない。
「ちなみに第一王妃殿下は旦那様の妹君ですぞ」
「うわっ、完全に一族じゃないか!」
つまり、国王陛下は叔父。
というか父ジークフリードは、義理とはいえ国王の兄かよ。
もはや身内で固めたカオスにしか見えない。大丈夫か遺伝子。
「––ということで、ご理解いただけましたかな?」
「……ああ」
挙げ句の果てに、父は国軍の元帥。母は元とはいえ魔導師団長。
……ここまでだと、本気で不遇フラグが立ちそうである。
そんな事を考えながら、昼食に向かった。
* * *
「どうだレオン、進んでるか?」
昼食後、父が聞いてきた。
マシューに色々教えてもらっているということを当然知っている。
「まずまずですね。この家についても詳しく知ることができましたし、楽しいです」
「そうか、それは良かった……いずれ王都に連れて行ってやるからな」
「ええ。でも、それまでに作法を勉強しないといけませんね」
いずれは王都に行く。
つまりは王家との顔見せをしなければいけない。そのための心準備をしておけということだろう。
そんな父に内心感謝しつつ、未だ見ぬ親族という王家に思いを馳せながら、改めてしっかり勉強しようと––
「まあまあ、そんな事はすぐに練習しなくて良いんだ。この後は剣を教えてやるからな!」
……単に早いところ自分の分野を教えたかっただけらしい。
* * *
都市「エクレシア・エトワール」は領都であると同時に、国軍の駐屯地であり、訓練施設を含む軍事基地である。
そして、そのトップが父。
剣を教えるからといわれ、連れてこられたのは明らかに軍の訓練場である。
「さあ! 始めるぞ!」
「お願いします、父上」
そう言って、お辞儀をする––
「馬鹿者! ここでは『教官殿』と呼ぶのだ! 良いか!?」
「はっ!」
思わず敬礼する。
ちなみに敬礼は、右手を水平にあげ、左胸の前で握った状態にするのだ。
「……はっ!? すまん、レオン! つい、いつもの癖で……」
「いえ、構いません。というより、『いつも』なんですね」
父は軍の元帥。
トップなのに教導官もしているのか……忙しいな。
「む、うむ……」
ん? どうしたのだろう。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。しかし、お前が構わないというならこのままいかせてもらおう……よし!」
そう気合いを入れると同時に。
「良いか! お前は子供とはいえ新兵として鍛えてやる! 甘えたことをいうなら容赦なく叩き出すぞ!」
「はい、教官殿!」
「声が小さい!!」
「はい! 教官殿!!」
「ではまず走るぞ! 軍人は一に体力、二に体力! 身体の強さがものをいう! 付いてこい!」
「はっ!」
そのようなわけで、午後からは突然「
結果、俺は達成感と疲労感に苛まれ、父はというと、母の雷を食らうのであった。
……
その様子を見ていた兵士はこう呟く。
「また元帥閣下は……書類仕事を嫌がって逃げてきたな? 隊長に報告しておこうっと」
この後ジークフリードの仕事がどうなったか……
それは神と、副軍団長のみぞ知る。
=*= =*= =*=
一年後。
最近は剣を振るのも慣れてきた。といっても、今使っているのは短剣だが。
それでも普通の短剣より幅広で、長めなので短めの片手剣という感じだ。グラディウスともいう種類である。
最近はマシューのマナー訓練も厳しく、一つ一つの所作を見られている。
廊下を歩くときであっても、である。
唯一なにも言われずにすむのは自分の部屋のみ。
「うーん、まだまだ意識しないと難しいな……」
部屋でストレッチをしながら呟く。
父の訓練を始めた頃から、柔軟性を得るために続けてきた。
前世で見ていた某格闘漫画では、格闘家の柔軟性の大切さが言われていたからな。
今では踵落としだって、上段回し蹴りだってできる。……前世なら無理だったな。
さて、今日は何をするかというと……
––コンコン。
「どうぞ」
「どうぞ、じゃないわよ! 弟なんだから姉を迎えなさいよ!」
「はいはい、セルティ姉様。今日はよろしくお願いしますね」
ふん、とそっぽを向く姉。
そうしながらも、手を差し伸べてくる。
「ほらっ」
「なんでしょう」
「手」
「ええ」
わざとはぐらかしてみた。
おっと……このままだとキレてしまう。ほら、肩が震えている。
「アンタ、いい加減……」
「冗談です。……では、公女殿下。お手をどうぞ」
「ええ、いいわよ…………後で覚えておきなさいね」
遅かったか。
* * *
今日はダンスレッスンの日。
実は姉であるセルティは年齢以上に上手であり、既に大人顔負けに踊る。
そして、俺のパートナーでもある。
さて、ダンスは貴族にとって必要不可欠。
特に、舞踏会などの国主催の”社交場”に参加するには、どれだけ上手であるかがその人や家を知る指標になる。
そのため高位貴族であれば特に、専門の講師を招いて子供の頃より叩き込むのだ。
うちの場合、領内には軍関係の下級貴族が一部暮らしているため、その伝手で講師を紹介してもらう。
といっても、大体その貴族の妹とか、親族である。
「はい、
習うのはやはりワルツである。
何であるんだろうね、ワルツなんて。異世界なのに。
「はい、よろしい。公子殿下は筋がいいですわ。この調子であれば、いずれクラリッサ先生に紹介してあげましてよ?」
誰ですそれ?
「本当!? …………い、いえ、まだレオンはだめよ。そうよ! この程度当然、できて当然なのよ! ほらっ! アンタもしっかりしなさい!」
「はは、これは手厳しい」
いきなり大声出して喜んだかと思ったら、怒るとか。
もうちょっと落ち着くべきだね、姉上。
「あらあら、公女殿下? お顔が真っ赤でしてよ? しかし、公子殿下にとっては『当然』だそうですわよ? これは頑張って見返しませんとね」
「確かに。これでは姉上に捨てられてしまうかもしれませんね」
「あら。それなら私が”いい娘”をご紹介しましょうか」
パートナー選びというのは重要である。
基本的に未婚のうちは家族と踊る。下手にパートナーを作ると、その相手と長時間過ごすことが増え、そのまま婚約者が……ということにもなりかねないのだ。
教えてくれている講師とはいえ貴族。
ちなみに今日の講師は、軍に籍を置く男爵の奥方だ。名をオーレリア・フォン・デュティユ男爵夫人という。
彼女は非常にダンスの才能に恵まれ、王国で最も有名な講師の一番弟子だったそうだ。
そして、確か今年八歳になる娘がいたはずである。
下級貴族である以上、最上級とも言えるうちの家との縁を欲して当然だろう。
といっても、これはあくまで社交の訓練なので本気ではないのだが。
こういう分野は、マシューが至るところに仕掛けてくるので、下手に応対をすると後が怖いのだ。
「さて、レッスンはここまで。また来週ですわね」
「ありがとうございます、夫人」
「ありがとうございます、先生」
俺は右手甲を相手に向け、胸に手を当てて目礼する。
姉はカーテシを軽めに。
オーレリア夫人が退出すると、お互い向かい合う。
「さ、今日の復習よ」
「そうですね。では……」
こうやって、毎日の訓練に追われながら、また一年が過ぎて行く。
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