第4話 悪いことはだいたい二度ある

 翌朝、現在の時刻は七時三十分。


 いつもなら惰眠を貪っているはずの時間に俺は学校にいた。 

 理由は昨日、天方が帰った後に椿先生から頼まれたからだ。

 今度こそバックレようと思ったが夜、留守電に「抉りたくなってしまいますので、必ず来てくださいね。はーと」と、お決まりの殺害予告が入っていたので渋々、俺は早起きをしてくる羽目になった。

 自宅のある横須賀から学校のある鎌倉まではJRにのって三、四十分ほどかかる。

 そこから更に学校までたどり着くのに十分。合計五十分かかるので早起きは露骨にテンションが下がる。

 誰もいない渡り廊下を歩きながら溜息を溢す。

 窓からは、朝練に励むサッカー部の様子が映った。

 青春育成科といっても普通に部活動は行われている。しかし、朝練の様子は見たことが無かったので少し新鮮に見えた。

 ゴールネットにシュートを繰り返し入れ続けているのを眺めて、機械工場が自然と頭に思い浮ぶ。

 正直、もっと青春っぽいのものだと思っていたが違うようだ。みんな真剣に向き合っている。


 ……いい。とてもいい。そこまでキラキラしてないのが凄くいい。

 

 すると、練習していた生徒が一人、グラウンドから離れていった。

 自然とその様子を追いかけると、マネージャーらしき生徒からスポーツドリンクを受け取っていた。

 明るい髪色をした遠目でもリア充感あふれる女子生徒と汗を拭いながら爽やかな笑顔を浮かべるこれまたリア充成分強めの男子生徒。

 しばらく二人は会話を続けていると、女子の方がおもむろにチラチラと顔を右往左往させ周りを確認する、そして……なんといきなりキスをしたのだ。

 男子生徒が呆気にとられていると女子生徒は何かを言い残し、照れを隠すように走り去っていった。

 後に残ったのは茫然と立ち尽くす男子生徒とキラキラとした空間のみ。

 ……おい、てめぇら。なんてもんを朝から見せやがるんだ。スポーツ舐めてるんじゃねぇぞ、コラ。

 目の前に広がったラブコメ展開に朝食の味がこみあげてくる。つまり吐き気。

 さっきより重くなった足を引きずりながら生徒相談室のある職員室へと向かう。

 本日二度目になる小麦の味はほんの少しだけ、酸っぱく感じた。






 ◆◆◆






「朝早くに呼んでしまったことは謝りますけど……いくら何でもゾンビ度高過ぎではありませんか?」


 職員室に着くなり、椿先生は俺の顔を見て怪訝そうに顔を歪める。

 人の顔を見てゾンビ扱いするな、と言いたい所だが渡された手鏡に映っていた自分の顔を見る限り否定はできない。

 ガチのゾンビが映っていた。

 B級映画のゾンビだったらノーメイクでオファーを受けれそうクオリティー。メイク付きならハリウッドもワンチャンいける。


「少し気分が悪いだけです。気にしないでください。それより、今度はなんですか?」


 昨日の昼休みからこれで三度目の呼び出しだ。いい加減面倒くさい。

 俺に構わず話を進めるように促すと、先生は少し躊躇いながらも頷いた。


「分かりました。気分が悪くなったら言ってくださいね?」


「……はい。ありがとうございます」


 普段は見せない、心配気な表情で注意してくる。

 その優しさを常時、配っていただきたい。


「では改めて、今回朝早くに来てもらったのは昨日の課題の補足をするためです」


 バシッと胸を張り、本日の趣旨を説明する椿先生。

 その様子をみながら俺は、


「はぁ……」


 と、嘆息した。


「なんですか? そんな残業終わりの疲れ切った夢も希望もないサラリーマンみたいな顔をして」


 心外だと言わんばかりに、椿先生は抗議してくる。

 なぜそこまで残業終わりのサラリーマンに辛辣なのかは置いておくとして、俺のは多めにみてほしい。

 今までの流れからして、面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。

 一回目は先生の電話番号、二回目は天方雪花と強制パートナー。

 そして今日の三回目。

 ここまで見事に厄介ごとを押しつけられてきたのだ、そんな反応もしたくなる。

 しばらく先生は膨れっ面のままだったが「まぁ、いいです」と拗ねるような声で言うと、話を続けた。


「実は昨日、お二人に伝え忘れたことがあります」


「聞きたくないので遠慮しておきます」


「聞かせたいので遠慮させません」


 左右の耳に両手を当て、音を遮断するが呆気なく先生に剥がされてしまう。


「実は昨日、お二人に伝え忘れたことがあります」


 わざとらしくさっきと同じ言葉を繰り返す。


「だから、聞きたくないですって……」


「貴方たちが破局した場合は二人とも退学とします」


 おい、今なんて言った?


「はぁ?」


 素っ頓狂な声が喉から漏れる。ほとんど無意識で出た声だ。

 それにしても……今なんて言った?

 聞き間違いじゃなかったら『退学』って聞こえたはずだが……。


「え、えーと椿先生? 今、なんて言いましたか?」


 俺の聞き間違いを祈って再度、確認する。


「退学です」


 だが、返ってきたのは救済ではなく絶望だった。


「退学ってあの退学? 鯛が喰う、とかじゃなくて?」


「下手なうえに面白くありません。トークスキルもモテる男の常識ですよ?」


 余計な一言と共に現実を見させられる。どうやら、本当に退学らしい。

 言葉に詰まる俺の様子を見て椿先生は話を続ける。


「火曜日の職員会議で決まった話です。もう変えられませんよ」


「いや、俺そんな話は一度も……」


「結構前から言っていましたよ? 私。二十回目ぐらいから」


 海馬から記憶を引き出そうとするがいかんせん、全く憶えていない。

 どこかの議員みたく、記憶にございません状態だ。

 説教を聞き流していたのがここに来て仇となった。ガッデム。


「まぁ、憶えていないものは仕方がありません。ですがこうなった以上、簡単に別れないでくださいよ? 私に余計な業務をさせないためにも」


「……そう、ですね」


 乾いた肯定が口から出た。

 どうやら椿先生のボケに反応できないぐらいには驚いているらしい。

 らしい、というのはこの状況が本当に想定外だったからだ。自分のことなのにどこか他人事のような感覚。所謂、俯瞰した視点というやつになっている。

 想像と違う俺の反応に困惑した表情を椿先生は見せる。

 そして、わざとらしく「はぁぁぁ」と、大きなため息を見せると、下からのぞき込むような形でこちらに視線を向けてきた。


「そんなに驚かないでくださいよ。大体、二十八人と破局する貴方がいけないんですからね?」


「うぐ! それは……」


 ぐうの音も出ない正論を吐かれ、反論の機会を失う。

 あと、顔近い。いい匂いがするから許すけど。


「というか別れなければ済む話ですよね。むしろ、ちょうどいい機会だったんじゃないですか? 彼女の病気ではないですけど、貴方も立派な病気の域ですから。この機会で克服した方がいいですよ」


「失礼な。勝手に病気扱いしないでください。俺はあんな特殊なレーダーとか持ってないですし、普通に青春送りたいです。むしろ、女子とか大好きです。アンケートで好物は? って聞かれたら女子高生って書くぐらい好きです」


 そうだ、俺だって普通に青春を謳歌したいんだ!

 なぜか、二十八人と破局してしまったが……。


「より変態臭が強い気がします……」


 鼻をつまみながら先生は顔をしかめる。

 確かに自分でもヤバい発言だったと振り返ってみて思うが気にしたら負けだ。

 話をすり替えるように、慌てて会話のキャッチボールに復帰する。


「ま、まぁ、俺は大丈夫なんで、天方の方をなんとかします。てか、あいつの病気が治ったら退学は取り消しですよね?」


「そうですね」


「だったら大丈夫です。任してください」


 そう、俺は面倒なことは逃げるが、逃げたらもっと面倒になることからは逃げない主義の人間だ。

『逃げるが最強』はケースバイケース。

 最悪、破局しそうになったら土下座してなんとかしよう。

 今ならセットで靴舐めと荷物持ち、更には焼きそばパンのパシリ権が付いてきます。

 ……現実でパシリの時に焼きそばパンってあんまり無いよなぁ。

 俺が自信を込めて力強く頷くと、呆れた表所で椿先生は背もたれをオフィスチェアに投げ出した。

 ギシッ、と反発するスプリングの音が部屋に響く。

 余談だが、ギシッ、の擬音ってエロいイメージが浮かんでくる。うん、あるよな?

 はい、俺だけですね……すいません、死できます。


「なんでそんなに自信があるんですかね、全く……まぁ、卑屈になられるよりはいいですけど」


 そう言いながら、ほのかに笑顔を見せる椿先生。

 ……この笑顔をずっとしていれば貰い手なんて幾らでも来るのにと思ったが、癪なので言わない。


「でも、そうですね。はい。彼女は意外に照れ屋なので仲良くなると案外簡単に治るかもしれませんね」


 え、あれ照れなの⁉

 衝撃の事実だ。けど多分昨日のは違うと思う。あいつは本当に男が嫌いなのだ。

 女子から嫌悪の視線を受けて幾星霜いくせいそうの俺が太鼓判を押すぐらいなのだから間違いない。


「あれがツンデレ属性とか世も末過ぎだろ……」


 俺の溢した独り言に椿先生は苦笑する。


「デレさせるのは貴方の役目ですよ。頑張ってくださいね、鈴木さん」


 頑張る前に俺のメンタルが死ぬ可能性があるが今は考えないでおこう。

『逃げるが最強』の逃げるケースだ。


「はぁ、一応やれるだけはやります」


「はい、やれるだけやってください。任せました」


 そう言いながら、先生は両腕を上げ、伸びをする。


「そろそろ、朝の会議が始まるので終わりにしましょうか」


 八時十分を示すデジタル式時計を目の前に差し出し、終わりを告げてくる。

 朝のめんどくさい用事を済ましたことによる安心からか、自然と肩の力が抜けた。


「じゃあ、俺教室帰りますね」


「はい、ありがとうございます。あと、パートナーになっている間は、呼び出しは課題を出す時以外しませんので思う存分、彼女と青春を満喫してくださいね」


「はい、はい」


 なにやら後の方で不穏な単語を聞いた気がするが、確認するのも億劫おっくうだ。

 ソファーから立ち上がり、ベージュのフローリングを歩いて扉に手を掛けると、


「鈴木さん」


 と、呼び止められた。


「……なんですか。ドアを開けると呼び止められるジンクスでもあるんですか?」


 デジャヴを感じる。昨日の昼も同じ光景を目にした気がした。

 だが、俺の言葉を意に介さず、椿先生は塞がった口を開いた。


「彼女を助けられますか?」


 真っ直ぐにこちらを向いた双眸はピクリとも動かずに、俺に注がれる。

 今日、見た顔の中で一番の真剣な表情だ。

 生半可な答えは許さない、そう目が言っている。

 多分、誤魔化しはきかない。そんなことをしたら、この場で退学になりそうな雰囲気だ。

 言えるはずがない。

 ——ここで白か黒を決めろ。

 セリフは違うが、意味に違いはないだろう。


「……まぁ」


 でも生憎と俺が言えることは決まっている。


「やれるだけ、やります」


 曖昧な答えに一瞬、叱られることを覚悟したが、どうやら平気らしい。

 ここで、大丈夫、俺に任せろ!と言えたらカッコよかったが俺にはそんな無責任なことは言えない。

 サルに相対性理論が語れないように、童貞陰キャが他人に青春を学ばせるのにも無理がある。むしろ、こっちが教えて欲しいぐらいだ。

 だからこれが俺の出せる最大限の答え。最大限のカッコつけだ。


「そうですね」


 先ほどの悲壮感すら漂う表情から一転して、カラッとした笑顔に戻る。

 心なしか、スッキリしているようにも見えた。


「じゃあ、失礼しました」


 ガラガラと相談室の扉を開き、部屋から出る。職員会議が始まると言っていたが意外に人は少ない。

 今になって、増してきた眠気をあくびで解消しながら教室に向かう。

 今日もおっぱいの揺れは抜群でした。

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