青春に疑似恋愛は含まれない

株式会社 無乳の境地

第1話 やっぱ、青春はクソだ

 ニコニコとした笑顔を浮かべながら俺のクラスの担任である椿京子はこちらを見つめていた。

 ——いや、何この状況。

 職員室に呼び出しされて説教覚悟で来たらこのザマだ。かれこれ五分以上は無言で見つめられている。これがもし、ギャルゲーなら確実にフラグが立っていたことだろう。

 しかし残念なことにここは三次元。

 奇跡も希望もありはしない弱肉強食だけが摂理のクソ次元だ。本当に奇跡という物があるのなら俺に彼女の一つでも作ってくれよ神様さんよ!

 ……話が少し逸れた。とにかく今はこの若干狂気染みた空間をどうにかすることが最優先だ。

 俺はゆっくりと深呼吸してできるだけ優しい声で話し掛けた。


「あのー椿先生。俺は何でここに呼ばれたんですか?」


「……逆になんで呼ばれたと思いますか鈴木ずずきさん」


 笑顔の表情を崩さずに椿つばき先生は俺の質問に対して返答した。

 ああこれ、一番めんどくさいやつだ。質問を質問で返すのはよくないってお母さんに習わなかったの?ともあれこれが唯一の会話の話題に他ならない。正直、さっきの空間の方が何倍も嫌なのでいやいや先生の質問に答える。


「うーん、提出物関連ですか?」


「いえ違います」


「それじゃあ、何か雑用の手伝いとかですかね」


「いえ、それも違います。というか私とあなたの関係ならもうわかるでしょう?」


 相変わらずのニコニコスマイルでこちらに相対する椿先生。

 てか、何だよ。俺と椿先生の関係って、普通に教師と生徒だろ。御幣のありまくる言い方はやめてくれ。確かに俺は童貞だが、いきなり先生と関係を持つような真似はしない。

 いくら先生が独り身だからってそれを狙うような腐った真似はしないのだ。

 真の童貞とは無駄に純朴なのである。

 俺がしばらく椿先生の発言について悶々と脳内で自問自答を繰り返していると、むこうから声が上がった。


「本当に分からないのですか?」

 

 声のトーンが少し低くなり笑顔が段々と影を帯び始める。ここら辺が潮時かな。

 少し嘆息をこぼしながら俺は先生の欲しがっていた答えを口にした。


「どうせ、ペアのことでしょ?」


「ご明察です。鈴木さん」


 予想していた答えを口にする。すると椿先生は「ようやくですか」といわんばかりに溜息をつき普通の表情に戻る。その様子はエクソシストも引くほどの変わりっぷりだ。うえっ。


「それじゃあ、呼び出しされた理由についてもわかりますよね」


「まあ、何となくは……」


 俺が答えると先生は何枚もの分厚い紙の束を机の上にドサッとおく。そして再び笑顔というなの殺人鬼フェイスを顔面に張り付けながら明るい声を上げた。


「おめでとうございます、鈴木さん。ついに最高記録更新ですよ」


 にこやかに言い放つ椿先生。しかしその瞳にハイライトは宿っていない。

 うわーなんの最高記録なんだろう。俺なんかしたっけなー帰宅部なんだけどなー。

 もしかして俺のドッペルゲンガーが何か賞でも取ったのかなー。

 現実逃避気味に思考をご都合主義に変換していく。まあ、冗談だけどね。

 そんな俺のSAN値ガリガリと削りながら先生は言葉を続けた。


「すごいですよ。まさか前人未到の二十八人連続ペア解消を達成するなんて」


 すごーいと言わんばかりにパチパチと拍手しながら祝辞を送る先生。

 いやー、ストレートに褒められると照れちゃうよ。だから先生、痙攣させたまま笑顔にならないでください。本当に怖いから。


「いや、ありがとうございます。でもこれも先生の助力あってこその達成ですよ」


「……さりげなく私のせいにするのはやめてください。抉りますよ?」


 そう言いながら椿先生は胸ポケットに手を掛ける。影からひっそりとみえる銀の光沢はきっと俺の視力が悪いせいに違いない。最近はずっと小説ばっかり読んでたからその影響だな。うん、これからは少し控えよう。だから先生、そのナイフのグリップみたいな部分をしまってください。お願いします、何でもしますから……。


「いや、すいません。全部俺の責任です。生まれてきてすいません」


「……まあ、分かればいいのです。分かれば。というかホントにいつも貴方は卑屈ですね。流石に私も引きます」


 豊満な胸をぎゅっと抱きしめながら身震いする。

 これが美人じゃなかったら鼻で笑いながら軽くあしらえたが、残念なことに先生は美形だ。

 腰まで伸びた絹のような黒髪を揺らしながら身震いする様子はなんだか少し背徳的な気持ちになる。

 くそ、これが美人の特権か……。


「まあ、貴方の卑屈さは今は置いておきましょう。とにかく今の問題はペアについてです。

 今回はどうしたのですか?」


「いやー、まあ、価値観の不一致といいますか何と言いますか……」


「その、言い訳は今回で十三回目です」


「えーと。まあ、とにかくいつもの感じです」


「まったく、貴方という人は……」


 こめかみに手をあてがいながら俯く先生。その表情には悲壮感がひしひしと漂っている。


「鈴木さん。この学校がどういった目的の施設か分かっていますか?」


 そう言いながら先生は虚ろな目で俺に問いかけてきた。

 まったく、失礼にも程がある。俺だってそれぐらいは分かってるつーの。。

 俺は少し口角をあげながら口を開く。ちなみに口角を上げたのは俺流のドヤ顔だ。

 どうだ、果てしなくウザイだろ。


桔梗院高等学校ききょういんこうとうがっこう。青春育成化に力を入れたことが特徴の高校です。てか、自分の高校の特色を高二にもなって分からない生徒がいると思いますか?」


「目の前にいると思ったから質問したのですが……」


 何か辛辣な言葉が聞こえたが今は気にしないでおこう。

 ふうーっと溜息が先生から漏れる。なんだろう、何にもしていないのに心に迫るものがある。

 まるで、親不孝のヤンキーになったかのような感覚。そんな憐れむような顔でこっちをみないでほしい。結構ダメージ来るんだから。主に良心に。

 心中一人で騒いでいると足を組み替えてこちらに視線を送ってくる。だからその目はやめてくれ。


「ともかく貴方が施設の目的を忘れていなくてほっとしました。それさえ忘れてしまった様なら本当に抉るつもりだったんですけどね♡」


 抉るつもりだったんですけどね♡じゃねえよ。

 可愛くもなんともない上に最後の♡に関してはもはや犯罪臭しかしない。まったく、法治国家で何やらかそうとしてんだこの教師は。

 犯罪者予備軍にかつて感じたことのない戦慄を覚えながらも俺は静かに嘆息した。


 ——青春育成科せいしゅんいくせいか


 それは昨今できた新しい教育システムの一つだ。

 少子高齢化が進む日本。その背景には医療の発達による平均寿命増加と若者の恋愛に対する消極性が問題視されている。

 これの対応策として練られたのが、この青春育成化だ。

 青春育成科の主な特徴は二つ。一つはパートナー制だ。

 パートナー制とは、文字通りパートナーを作る制度のこと。簡単に言うと疑似恋人体験みたいな感じ。

 組まれるペアは申告制と抽選制の二つが主な決め方だ。ちなみに俺は抽選で当たった女子の大多数が泣き崩れることからクライシス鈴木の二つ名を影で冠された。とりあえず最初にその名前つけたヤツ、いつか絶対コロス。

 ……ごほん。続いて二つ目の特長だが、これが中々の曲者だ。いや曲がってないものなんか殆ど無いんだけどねこの学校。

 まぁ、とにかく二つ目の特長だが、それは昇級の仕方だ。

 この学校において昇級するのはかなり難易度がいる。

 まず一つは学力。ここに関しては言わずもがな、高校生として当然のことだろう。

 しかし問題は二つ目だ。

 それは昇級する時に出される試験、正式名称は確か青春進行度テストとかいった無駄に爽やかな名前の試験のことだ。これが、とにかくキツイ。

 出される内容については試験期間の十二月にその場で発表される。試験内容はランダムでその年ごとに決まるらしい。

 ちょっとした余談だが一年の試験で俺はその恐ろしさを直に経験している。

 あれは、去年の冬のことだ。出された試験の内容は手つなぎデートをすること。

 これに最初は楽勝だな、と高をくくっていた俺は即座に当時のパートナーの子をデートに誘った。


『これからデート行かない?』


『え……なんで』


『あ、いや、試験でさ。手つな——』


『あ、ごめん。うち無理だわ。他の人と行ってきて。てか、そろそろペア解消しない? うちにも未来があるからさー』


『え、いや……試験……てか、未来って……』


 こんな感じです。はい。

 それから俺は奔走してどうにか手つなぎデートをしてくれる女子を見つけて試験をどうにか突破した。

 デート後にその子が隠れて手を洗っていたのは今でもおえている。ああー思い出したら死にたくなっていた……。

 とにかく、だ。こんな感じで物凄ッい大変なのである。いや、もうほんと大変。舐めてかかると即死レベルだ。

 去年のことを思い出して軽い頭痛がおこる。フラフラと体を右往左往させながら俺は椅子の背もたれに寄りかかった。


「どうしましたか鈴木さん。どこか体調でも悪いのですか?」


 心配した顔つきで先生がこちらを見てくる。くそ、不覚にもドキッとしてしまった。いきなりいい人ぶりやがって。


「いや、少し頭痛がしただけです。俺、基本低血圧なんで」


「まあそうでしょうね。いつも貴方、ゾンビみたいな顔してますから」


 うるせえ、そんなの俺が一番分かってるっつーの。

 ニコニコと俺の反応を楽しむように愉悦する椿先生。

 そんな性格だからアラサーなのにまだ独身なんだよ、と言えたらどんなに楽だろうか。

 独身女の一番痛いところは自分に問題があるとは考えず、周りのせいにするとところだ。

 サンプルはもちろん椿先生。

 そんなことを思っていると、不意に椿先生は何かを俺の目の前に突きつける。

 なにそれ、脅迫状?


「なので、これでも食べて少しでも人間に戻ってください。生徒が人外なのはめんどくさいので」


 ぽいっと俺にカロリーメイトを投げつけてくる。

 しれっーと俺をモンスター扱いしたことは華麗にスルーして渡されたカロリーメイトをもそもそと食べた。

 人生初の餌付け(受け)体験。なんだろう、結構悪くない。

 というか、そもそも女性から食べ物をもらうのなんていつぶりだ?俺の記憶が正しかったら小五の時に妹から渡されたバレンタインチョコレートが最後なんだが。

 しかも「兄さん。チョコ失敗したから処理してください」といわれたやつ。

 ……なんだか無性に泣きたくなってきたのでこの話はやめよう。

 気分を紛らわすようにカロリーメイトをむしゃむしゃと豪快に頬張る。

 するといつの間に移動したのか、椿先生が横に立っていた。

 黒漆のように艶やかな髪を耳に掛けるその様子は、難しく言うと煽情的。簡単に言うとエロい。

 しかも今は隣にいるので、ちょっとした息づかいなんかも聞こえてくる。

 なんかもう、全体的にエロい。

 俺は目前に迫ったおっぱ……もとい双丘から目をそらしつつ、バレない程度にチラ見する。

 くそ、けしからん光景だ。しっかりと見ておく必要があるな。もぐもぐもぐ。


「ところで貴方に質問があるのですけど、いままで女子生徒とセックスした経験はありますか?」


「ぶっふ!」


 いきなりのド変化球に思わず食べていたカロリーメイトが変な気管に詰まり、咳が漏れる。

 ゴホゴホと涙目になりながら何度も嗚咽してなんとか窒息死の危機を回避した。

 くそ、危うくおっぱいが最後の光景になるところだった。最高かよ。

 俺は怨みと少しの感謝を込めて椿先生を睨みつける。

 そんな俺の視線を気にすることなく、むしろ笑いながら先生はおもむろに肩を叩いてきた。

 くそ、込めた感謝の量が多過ぎたか。


「その様子じゃ平気そうですね。フフフ」


「……ったく。てか、何でそんなこと聞いたんですか先生?」


「まあ、それは放課後になったらわかりますよ。きっと……フフフフフ」


 なんで、無駄に意味深にしちゃうんだよ、余計に気になっちゃうだろ。あと、笑い過ぎ。


「はあ、いいですけどそろそろ俺、教室に戻りますよ。そろそろチャイムが——」


 俺がそう言いかけた瞬間、奇跡的にチャイムが鳴り始める。こんなところで出てくるなよ奇跡。


「じゃ、失礼しました」


 軽い会釈をして椅子から腰を浮かせる。すると、先生はそれを妨げるように目の前で、仁王立ちをした。あんたは金剛力士像か。


「……なんですか椿先生」


「まぁ、そう焦らないでください。重要な要件を伝えていなかったので今伝えます」


「はぁ……で、その重要な要件ってなんですか。まさか、パートナー解消反省作文の提出とかですか?」


「いえ、もうあれは貴方に出しても意味が無いようなので出しませんよ。まったく……。いえ、そんな話ではなくて今日放課後に予定は空いていますか?」


「まあ、一応は……それでどうすればいいんですか」


 それを聞くと先生はほっとしたような素振りをする。そして今度は嗜虐的な笑みを浮かべると双眸をきらりと輝かせた。


「では、放課後この場所にきてください。もちろん、すっぽかしやバックレは問答無用で抉ります♡もし、何か急用が出来た場合は私の電話に掛けてください」


 そういうと先生は、自分の電話番号が記されたメモ用紙を俺に渡してきた。

 本来なら女性の電話番号を知れただけでも昇竜拳をかましながらガッツポーズを決めるはずだが今回は素直に喜べない。鉄の首輪をはめられた犬の気分だ。

 てか、これ暗に逃げないようにするための措置だよね。絶対に。


「……わかりました。放課後ですね」


「はい、よろしくお願いしますね。鈴木さん」


 にこやかに微笑みながら先生は俺の見送りをしてくれた。うむ、いい揺れだ眼福、眼福。


「それじゃ、失礼しました」


 ガラガラと扉を閉めて静かな廊下に出る。そして軽く走りながら教室に向かった。


「はあ、面倒くさい匂いしかしねぇ………………」


 誰にも聞こえない小さな独白をひっそりと溢す。静かに吐かれた音声は廊下に響いた自分の足音によってかき消され、日差しに照りつけられた校舎の背景に霧散していった。

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