第18話

ジュニアカップへ向けての調教が始まった。

遠征で芝を使うとはいえ、稽古そのものはいつもどおり。

追い切りもいい感じで出来たと先生も番頭もニコニコしてる。

俺はと言えば前日輸送になるんでその分余裕を持たせて作らなきゃなあと頭を悩ませているところ。

こっちはいつもどおりとは行かないようだ。


いつもどおりとは行かないことがもうひとつ。

中央参戦ということで、普段はまず来ないスポーツ紙の取材が連日来てる。

いつもなら地元の競馬新聞の記者だけ、しかもみんな顔なじみなんで取材なのか茶飲み話なのかわからないうちに終わってしまう。

ところが、今回ばかりはそうもいかない。


普段なら鼻にもかけないようなスポーツ紙やテレビ局の人たちがコメントを取りにやってくる。

先生は天狗山から降りてこないし、番頭も稽古つけるのに忙しくしててなかなか捕まらないらしい。

そこで、彼らマスコミは俺のところにやってくるってわけだ。


調子はまずまずいいです。挑戦者なんで力を出し切れるように頑張りたいですね。

そんな当たり障りのないコメントしか出来なかったが、どう切り取られるかは向こう次第。

地元の競馬新聞ならまずまず意図したとおりに書いてくれるが、知らない相手だからなあ。

もっとも、そこを心配しても仕方がない。

こっちにはこっちのやることがある。


ゴーヘーは追い切りの後だからか、少しカリカリしている。

俺がチーコの世話で手が離せなくて、同僚が飼い葉を持っていったら噛みつかれそうになったとぼやいてる。

一声掛けてからやれば良かったのにと言うと、「いやぁ、ゴーヘーにはご飯だよーって声掛けたんすけどねぇ」と返ってきた。

噛まれてなきゃセーフだわ。大方機嫌の悪いとこに行っちまったんだろう。気にすんな。

そう言ってゴーヘーの様子を見に行く。


ゴーヘーは俺の顔を見ると馬房から顔を出してきた。

いつもどおりに見えるが、ホッとしたような表情をチラッとしていたのは見逃さなかった。

お前もしんどいよな。次のレースが終わったら休みだって言ってたからな。

俺も頑張るからさ、もうちょい頑張ろうぜ。

こう言うと、ゴーヘーはうんうんと頷いた。

ジュニアカップが終われば放牧の予定になってる。だからきっちり仕上げてもいいんだけども。

でも、ここで使い潰しにするわけにはいかないからね。


次の日は輸送当日。

馬運車の運転手さんは「ここから中山までなんて久しぶりですねぇ」と懐かしそうに言う。

かつてはここからも中央に遠征する馬がいたらしい。

「今だって頼まれれば中山だって府中だって連れていけるんですが、なかなかそういうこともなくてションボリしてたとこですよ。頑張って運びますからね」

そう言って、運転手さんは荷台の扉を開く。

ゴーヘーはおとなしく馬運車に乗り込んでくれた。

それじゃあよろしくお願いします。

こう言って車を離れようとしたら、ゴーヘーが大きな声で嘶いた。

大丈夫だよ。向こうで待ってるからな。

そう声を掛けて扉を閉めてもらう。

それでも、ゴーヘーが少しでも落ち着いてくれるならと、馬運車が見えなくなるまで見送った。

「いいコミュニケーション取れてるんじゃない?」

後ろから番頭が声を掛けてきた。

「最初預かるとなって聞いたのは、すごく難しい馬だってことだった。実際他のスタッフだったら今でも手こずってたと思う」

俺は黙って聞いていた。

「だが、お前やアンチャンはそこをうまくこなしてくれた。おかげで重賞勝てたし、こうして中央に殴り込みもかけられる。礼を言わなきゃいかんな」

いやいや、なんもしてませんって。

苦笑いしながらその場を離れる。

「そろそろ俺らも出発だぜ。荷物持って集合だ」

はい、了解です。



中山競馬場に着いて馬運車の来るのを待っていると、中央の仔を載せた馬運車がやってきた。

どうやら前日輸送はうちだけじゃないらしい。

中央の厩務員さんたちが馬を馬房に入れて飼い葉をつけてるところを見ていると、そのうちの一人から声を掛けられた。

「あれ、もしかして地方から来る馬の担当さんですか?」

そうだと返事をすると、その厩務員さんはニッコリと笑ってこう言う。

「もし困ったことがあったら言ってくださいね。応援してますんで」

……え?

「ああ、うちのは古馬の500万下なんで。それに、自分が個人的に応援してるだけですから」

ありがたいですが、でもどうして?

こう聞くと、彼はこう言い出した。


「自分の父親が、地方競馬で厩務員してたんです。自分も大きくなったらそこの厩務員になりたいなと思ってたんですが」

ならなかったんですか?

「いえ、なれなかったんです。そこの競馬場、廃止になってしまいましてね」

そうだったんですか……。


「幸いにして中央で馬の仕事出来るようになりましたけど、自分のルーツは地方競馬ですから。だから地方の馬は応援してしまうんです。なのでなんでも言ってくださいね」

彼はそう言ってまたニッコリと笑った。

ありがとうございます。何かあったら頼らせてもらいます。

彼にそう言ってると、ゴーヘーを乗せた馬運車が到着した。


長旅にもかかわらず、ゴーヘーはいつもと変わりないように見える。

馬房に入れて飼い葉をつける。カイ食いもいつもと変わらない。

「やっぱり落ち着いてたか。いつもどおりだな」

番頭もやってきてゴーヘーの様子を見てる。

「下手に連れ回してテンション上げるよか、当日までのんびりさせとこうや」と番頭は言う。つまりスクーリングはやらないということ。

了解です。それにしてもゴーヘーは逞しくなりましたね。

「だなあ。見た目にも大きくなったが、ドシッとしてて古馬のオープンクラスみたいな風格だぜ。これでもうちょい大きけりゃうちには来てなかっただろうな」

でしょうねぇ。こんだけの馬扱えるなんて、思ってもみませんでしたよ。

「俺も現役以来久々に中央に来ることが出来たし、それもこれも担当さんのおかげだ」と、番頭は俺を持ち上げる。

いやいや、ゴーヘーが頑張ったんですよ。俺は大したことしてませんし。

というか、番頭さん中央でも乗ったことあるんですか。

「ああ、一度だけ乗ったことあるよ。でも未勝利戦で落馬してそれっきりさ。その後のメインに乗りに行ったのに乗れなくてなあ……」

番頭はそう言いながら頭をかく。

番頭さんのリベンジで勝ちたいですね。ゴーヘーがやってくれるはずですよ。

「俺のはいいんだよ。下手だっただけなんだから。そんなことよりもゴーヘーがやってくれたらいいわ」

番頭は照れたような顔をしながら手続きをしに競馬場の奥に入っていった。

俺は馬房に入り、ゴーヘーの身体をチェックする。


しゃがみこんで脚元をチェックしていると、ゴーヘーがこっちを見ろと言わんばかりに俺の頭をつつく。

かぶったヘルメットにコツコツと歯が当たる。

おいおい、明日は大事なレースだぞ。そんなリラックスしてんのかい?

そう言いながら顔を上げると、ゴーヘーはホッとしたような顔になる。

……やっぱ、緊張するよな。

牧草の入った桶からひとつかみ取り出して食わせる。

聞いてたと思うが、明日は番頭のリベンジだ。

アンチャンも明日来るし、ふたりで思いっきりやってこいよ。

明日走ったら休みもらえるからな。

そう言うとゴーヘーはうんうんと頷いた。

気がつけばすっかり日も暮れて、こっちも宿に戻らなきゃいかん時間。

じゃあ、明日なと言って馬房から出る。


馬房から出たら、自分の脚がガクガクと震えてるのに気がついた。

どうやら、俺も緊張してるらしい。

こんなんじゃいかんと気合を入れ直す。

明日はいよいよ本番当日。自分のやるべきことを思い浮かべながら、宿へ急いだ。

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