第12話

ゴーヘーの次走が正式に決まった。

9月2週の特別戦。距離は1200メートル。

ここを使って若鯱賞に出る。ここまでが今決まってる予定。

年末の川崎に連れて行くとすれば、どっちも勝たなきゃ賞金が間に合わない。

いや、勝っても厳しいと思われたら11月にも使うしかないだろう。

そうなればほぼ使い詰めになることは間違いないわけだ。


馬を鍛えるのは先生や番頭の仕事。一方俺ら厩務員は馬の世話と健康管理が仕事。

予定に合わせて仕上げなくちゃいけないが、使い詰めとなるとそうそうきっちり仕上げていられない。

仕上げすぎると反動が来て、その後の予定が狂うことがある。

そこだけは気をつけないと。


ゴーヘーの調教も再開された。

新馬戦の後は疲労も考慮して軽めの曳き運動ぐらいしかやってなかったんだが、今週からハッキングとキャンターもやることになった。

アンチャンを背にしたゴーヘーを連れて本馬場へ向かう。

しばらくまともに走ってないからか、いつもより元気が有り余ってる気がする。

引き綱を持っていかれそうになるが、アンチャンが手綱をうまいこと抑えてくれてる。

少しは力ついてきたかなあ。

引き綱を抑えながら、ちょっとうれしくなる。

きっと、久しぶりに思いっきり走れると思ってるんだろう。



本馬場に着いた。

見ての通り、元気有り余ってるから気をつけて。

アンチャンに一言告げてから引き綱を離す。

その途端、ゴーヘーはいきなり立ち上がろうとする。

それをアンチャンが宥めて、ダクを踏みながら遠ざかっていく。

口を割り、行きたがってるのが遠目にもわかる。

アンチャン、今日は大変だろうなあ……。

苦笑いしながら眺めてた。

……おっと、いかんいかん。

早く戻ってチーコに飼葉つけてやらんと。


2時間くらいでゴーヘーたちは戻ってきた。

「こんなに元気だとは思いませんでしたよー。もう抑えるのに大変で」

アンチャンは汗を拭いながら笑う。

そりゃあしばらく楽させてたもんな。まだ走り足りないって顔してるぜ。

俺も笑いながら引き綱をかける。

「この先使い詰めになりそうなんですよね。ゴーヘーなら大丈夫ですよー」

アンチャンはニコニコしながらこう言ってくれる。

「輪乗りでもドシッと構えてましたからねー。案外無駄なことはしないタイプかもしれないですよー」

そうかぁ。

ゴーヘーはかなり小さい方だからあまり使い詰めになるのはどうなんだろうと思ってたが、この分なら心配ないかもな。

そんなことを思いながら洗い場へ向かった。


午前の作業が終わって一息ついてると、競馬新聞の記者が後輩を連れてやって来た。

「この間はおめでとう。やっと1勝したなあ」

俺のことはどうでもいいんだよ。

わざとこう答える。向こうも気にかけてはいたんだろう。

「で、ゴーヘーの次走はいつ?」

俺に聞く前に先生んとこ行けばいいじゃねぇか。

「先生よりもあんたからの方が信頼出来るからなあ。こと状態とローテに関しては普段見てる人間に聞くのが一番だからさ」

記者はこんなことを言いながらゴーヘーを見る。

ゴーヘーはと言えば、牧草を食べるのに忙しそうでこっちには無関心を決め込んでる。

次走なぁ……。来月の自己条件の特別戦って聞いてる。その先はまだわからんけどね。

「いきなり重賞使わないんだねぇ。たぶん世代で一番だからいきなりでもいいのに」

記者はそう言いながら腕組みをしてる。

評価してくれるのはありがたいが、まだモノになるかどうかもわからんのよ。

今日も行きたがってアンチャン大変だったんだから。

「それだけ元気なら次も本命だな。大丈夫、ゴーヘーに勝てる奴ぁこのあたりにゃいないから」

記者はそんなことを言って隣の厩舎へ向かって行った。

後輩がここに残ってる。

あれ?まだ何か聞きたいことあるの?

そう聞くと、彼女は少し緊張した様子でこう言い出した。

「あ、あの……。ゴーヘー君の長所って何かありますか?どんなことでもいいんです」

……ははぁ、俺インタビューの練習台にされちまったのか。まあいいや。


飼葉を残したことはないなあ。そこは長所だと思ってるよ。

あとは嫌なことは嫌だってちゃんと主張してくるね。

彼女はメモを取るのに必死な様子。一語一句も聞き逃すまいとしているようだ。

でも、これは予想にあまり関係ないかもなぁ……。


「ありがとうございます。……実はうちもブログで情報発信することになりまして。わたしがその担当になったんです」

おお、大役もらったんだね。頑張らなくちゃだ。

「ええ。それで予想以外にも有力馬の情報を載せたいと言ったら上からOKが出たんで、ゴーヘー君のことを書きたいなと思ったんです」

これにはびっくりした。


まだ新馬勝ったばっかりの仔だよ?

走らなかったらどうすんのよ。

「いえいえ。他の厩舎回ってもゴーヘー君のことを皆さん褒めてましたから。きっとここの看板になる仔だから追っかけなさいっておっしゃった先生もいたくらいなんです」

……よその先生も見てるもんなぁ……。

ここの競馬場の看板背負えるかどうかはまだわからんねぇ。

とりあえずは次のレースで結果出さなくちゃだ。

そう言うと、彼女はニッコリ笑って「勝ったらまた取材させてくださいね」と言った。


午後は飼葉をつけてから脚元のチェックとケアに費やす。

ゴーヘーは右の前脚が少し曲がってる。鉄屋さんからも負担かからないようにはすると言われてるが、この時期の2歳は何があるかわからない。

だから慎重すぎるくらいケアはやらなきゃいけないんだ。


脚元にかがみ込んでるんでゴーヘーの様子はよく見えない。

ふと気がつくと、汗止めにと頭に巻いてたタオルをゴーヘーがくわえて取り上げようとする。

後ろにいた同僚がこら!と叱りつけるとすぐに口を離した。

同僚が目を離した隙にこういうことをするんだから、油断がならない。

明日からはメットかぶってやんなきゃだな。


それにしても。

本当によその先生も認めるくらいの馬なんだろうか。

ここの看板背負えるくらいになれるんだろうか。

確かに新馬戦はとんでもない勝ち方したが、それっきりの可能性だってある。

まずは次のレースできっちり結果出さなくちゃだ。

そう思えば思うほど、不安が募る。

ベテランの厩務員ならこんなことは思わないのかもしれないが、こっちはまだ経験が足りない。

早く次のレースが来ないものか、そんな気分にさえなってしまう。

そう思いながらゴーヘーを見れば、遊んでくれよと前掻きをしてる。

……いつも通りだなぁ。お前にプレッシャーかかるわけじゃないもんな。

ブラッシングが終わったら遊んでやることにして、用具入れにブラシを取りに行った。

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