2 とある病院にて

 コンコン、とノックの音が響く。

「どうぞ。」

 カウンセラーが入室を促すと、男が一人入ってきた。男は、どうも、と頭を下げ、スタスタとカウンセラーの前へと歩き椅子に座った。

「今日はどうしましたか。」

 カウンセラーの問いに、男はまっすぐ前を見つめたまま淡々と答えた。

「はい。憂鬱で重苦しく、湿っぽくて、どこか鬱陶しくてとても憂鬱なのです。」

「はあ。それは大変でしたね。」

 男の発言に違和感をおぼえたカウンセラーは、多少困惑しながらも返答した。男は物悲しいという表現をいくつも使っていたのだった。まあ、それはよくあることなのだが、男の態度もどこかおかしい。未だにまっすぐ前を向いたまま、一点を見つめる男の様子は、ある種の不気味さを醸し出している。

 男は一点を見つめたまま発言を続ける。

「とにかく、ゴギガガゴギというようなあ感じでして。」

「えっ。」

 思わず驚きの声を上げてしまったカウンセラー。この男は何を言っているんだろうと思った。と、同時に、ふと、男の言動や態度に思い当たることがあり、カウンセラーは、メンタルセーブプログラムのセントラルコンピュータへアクセスする。

 カウンセラーの体は例のごとく機械化されている。もれなく脳は電脳化している。そして電脳は常にメンタルセーブプログラムのネットワークに接続されており、データベースやセントラルコンピュータにアクセスすることができる。これによってカウンセラーは、患者とスムーズかつ、的確なカウンセリングを行うことができるのである。

 男との会話を自動会話モードで行いながら、電脳内にて、セントラルコンピュータと会話する。

『患者に、表現の重複、意味不明な単語の使用、一か所への視点の集中等の症状がみられます。これらの症状に該当する機能不全の検索を願います。』

《解答。ゼネラルコントロール社製二〇五年式ナノマシンの影響であると断定。》

 ゼネラルコントロール社。通称ゼネコンは、かつて宇宙シェアの八割を占めた大企業である。しかし、ゼネコンが宇宙シェアトップを占めたのは遠い昔。人間がただ長生きしている時代の企業である。ゼネコンは人間の死の克服という革命についていけず倒産。死の概念が存在するナノマシンを残して消え去ったのであった。

死の概念が存在するナノマシンは大きく二種類に分けられる。一つは、ただ活動を停止するだけのもの。もう一つは、活動停止が、身体に影響を及ぼすものである。

 今回の患者は圧倒的に後者であった。迅速な対応が求められる。さもなければ、自殺するであろう。

 カウンセラーはデータベースにアクセスし、対応を調べる。

【二〇五年式ナノマシンの除去に関して。患者は「手術」や「除去」という単語に反応し、暴れる可能性あり。穏便に対応せよ。】

 とある。暴れられては困る。最悪、死傷者が出るかもしれない。防がなくてはと、カウンセラーに緊張が走る。

 自動会話モードを停止し、通常モードへ移行する。それはスムーズに行われた。

「頭をすっきりさせる方法として、冷凍睡眠療法などありますが、如何でしょう。」

「レイトウ…。コールドスリープのことでしょうか。人生に疲れた人間のやるるるるやつでしょう。いやですよ。」

 明らかな言語障害を表しながら拒否する。冷凍睡眠時に手術を行おうとしたのだが、失敗した。しかしカウンセラーは、睡眠という手段を強行する。相手の命、他人の命もかかっている。

 カウンセラーは、通常会話を行いながら、室内の空調システムにアクセスする。医療モードを選択し、睡眠導入プログラムを起動させる。レベルは最大に設定。本来、催眠療法で使用されるが今回は非常時である為、多少荒々しくなってしまう。空調の風に催眠ガスが混じる。濃度はとても濃く、一呼吸で深い眠りにつくレベルである。

 スッと息を吸い込んだ男はガクッと力をなくしたようにして眠りにつき、椅子から崩れ落ちそうになるが、カウンセラーがそっと抱きかかえる。

 カウンセラーの体には、あらゆる医療行為に対応するための装備が備え付けられている。催眠ガスを分解するナノマシンが、カウンセラーの命令の下、体内で静かに働くため、このような環境下でも活動することができる。

 男はカウンセラーに抱きかかえられ、出口まで運ばれる。扉は自動で開き、その向こうには病院の職員が二人、担架を持って待機していた。男は担架で運ばれ、手術室に向かう。手術室ではナノマシンの置換術が行われる。ものの数分で終わる手術である。たったこれだけの治療でも、細心の注意を払わなければならないのは、人の体が機械化されたことによる弊害であろう。

 手術室に運ばれる男をカウンセラーは見守る。ある程度すると、部屋に戻り、少し乱れた室内を整える。手術後、男は眠ったまま、またこの部屋に帰ってくる。戻ってきた男が、何事もなかったかのように会話を再開し、その会話が正常になっていることを確認するまで、カウンセラーの仕事は終わらない。カウンセラーは一人部屋で、男の帰りを待つ。

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