世界の深淵を巡る大冒険は最弱種族と鬼畜ハイエルフのボディシェアから

おま風

00序章

 燃え盛る炎が、俺の視界を覆いつくしていた。頭ががんがんと痛み、思考が定まらない。視界もぼやけている。額に手をやると、ドロッとした感触がした。嫌な予感がしたが、恐る恐る額にやった手の平を眼前で開く。

あぁ、ご明察。案の定、真っ赤に染まった手の平。かなりの出血量だった。周りの景色も最新の記憶と比べると様変わりしている。一体、どれだけの時間気を失っていたのだろう。恐怖し逃げ惑う人々の悲鳴や、慈悲を求め助けを吃う声はもう聞こえない。

種族的強者による一方的な蹂躙。世界最大の大陸ダイロクスの南東サスクワ地方の山の中にある、人族のみが通う魔術師育成学校を、獣人族で構成された盗賊集団が襲撃したのだ。魔術の心得があるとはいっても、最弱種族である人族では到底優位種族に敵うはずもなく、故郷を失ってから十五年間、幼馴染のサンと共に身を寄せていた思い出の場所は、たった数時間の内に跡形もなく焼け落ちた。幸か不幸か気絶している間に、殺戮と強盗の嵐は過ぎ去ったようで弱者を狙う狼や虎の姿をした性悪人間どもの姿は見えなくなっていた。かつては立派な三階建ての建造物の一部であった木材がごーっぱちぱちと酸素を燃焼し朽ち果てていく音が四方八方から聞こえてくる。先ほどから、息苦しいわけだ。俺の脳みそが明確な酸素不足を訴えかけている。ごほっごほっと肺に流れ込む熱気に噎せ返りながら、さらに辺りを見渡す。学校は全壊。屋根は全て剥がれ落ち、壁の大部分は焼け落ちて炎を纏いながら地面に横たわっている。施設近辺の木々にも燃え移ってしまっているようで、どの方角を見ても火、火、火であった。そのため、周囲の温度はかなり高かった。視界は立ち上る煙のせいで遠くまでは見えないが、上空に広がる暗闇とは対照的に明明としていて、比較的良好であった。俺が倒れている場所は、体全体で感じる土の感覚から察するにおそらく中庭だろう。施設内で建造物の下敷きにならずに済み、なおかつ丸焼きになることなく気を失える場所と言ったらそこくらいだ。それに、そもそも授業にまじめに参加することの方が圧倒的に少なかったのだから、とりあえず教室ではない。そして、視界に映るほとんどの物が燃え盛る中まったく動じることなく威風堂々と佇む禿げた誰かさんの銅像と目が合った瞬間に、それは確信へと変わった。

自分の置かれている状況がある程度把握できたところで、体に異常がないかの確認も兼ねてゆっくりと立ち上がろうとしたが、そこでようやく足元に何かが転がっていることに気づいた。俺は、さっと後ろを振り返り驚愕した。

「サンっ!!」

 そこには、仰向けの体勢で倒れている幼馴染がいた。俺の呼びかけに対してサンの応答はない。さぁーっと、血の気が引いていく感覚がした。

「おい! サン! 大丈夫か。しっかりしろ」

 体の怪我とか火傷とか、そんなものを気にしている場合ではなかった。俺は、俯せの体を反転させて上体を起こし、倒れこむサンの頭を左手で支える。そのまま右手でサンの体を引き寄せ、膝の上で抱きかかえるような形で呼びかけた。

「返事をしてくれ。サン」

サンは、ひどい傷だった。胸部を鋭利な刃物のようなもので深々と切りつけられている。おそらく、獣人族の爪によるものだろう。そこ以外にも、体の至る所に裂傷箇所が発見できた。一目瞭然ではあるが出血もひどいようで、いつもならとめどなく憎まれ口を吐きだす活き活きとした唇は生気が抜け青白く変色していた。まだ体が消滅していないということは死んではいないようだが、周囲の熱気とは正反対に抱き寄せたサンの体は冷え切っていた。口元に耳を近づけると、かすかだが呼吸をしているのが確認できた。

「サン。こんなところで絶対に死ぬんじゃねえぞ」

 俺はサンを抱きかかえながら、助ける方法はないかとあたりを見渡した。だが、見えるのは木材と炎だけで、役に立ちそうなものは何もなさそうだった。助けを呼ぼうにもこの惨状では俺たち以外の生存者はおそらくもう、

 例えいたとしても、何かができるという訳もない。所詮は人族。人種ツリーの最下層。第八階層に位置する最弱の種族だ。この傷を癒せるほどの高位の魔術を使える魔術師がこの学校にいるとは考えづらい。

「くそ。なんでだよ」

 自分の無力さが悔しかった。十五年間、俺は何をしてきたんだ。魔術の才能は皆無で落ちこぼれと呼ばれ、捻くれて不貞腐れて授業もまともに受けず現実逃避ばかりしてきた。それに比べてサンは魔術の才能に恵まれていた。人族では一握りしか習得することのできない第参級魔術を十八歳の若さにして習得し、学校創立以来の天才と称され未来を有望視されていた。俺は親友であり家族のような存在であるサンが評価されることが誇らしくて、嬉しくてそれで満足していた。自分もサンと一緒に進歩し成長しているのだと錯覚していた。俺は何も変わっていなかった。十五年前のあの日から。故郷を失ったあの日から。俺はずっと逃げ続けてきた。

「兄貴が、いてくれれば」

 無力さと悔しさに耐えきれなかったのか瞳から自然と涙が零れ落ちる。俺は拳をぎゅうっと握りしめ、何とか現状を打開する方法はないかと思考を巡らせた。サンの『死』に対する恐怖と絶望が眼前にまで迫ってきていた。そんな時、

「兄貴が何だって。オーリンが、いなくて、も、君は、とても素晴らしい、存在だよ」

 苦しそうに途切れ途切れで言葉を紡ぐサンの声が聞こえた。その声はとても弱弱しかった。

「サン。気が付いたのか。何とかして、今助けてやるからな」

 俺は、虚ろに薄く開かれたサンの目をしっかりと見つめ、右手でサンの力なくだらりと垂れ下がった両手を自分の胸の辺りに引き寄せ強く握りしめた。絶対に助ける。何があっても、こいつだけは。そう決心していても、正直解決策は闇の中であった。残された時間は少ない。今この瞬間にもサンの命の灯は消えかかっている。焦りが俺の頭を支配していた。何とかしなければ、でもどうしたら良い。そんな堂々巡りが先ほどから永遠とめぐっている。焦れば焦るほどに考えがまとまらず、さらに焦りを募らせた。絶望がすぐ背後まで接近している気配を感じながら、俺は為す術なく「絶対に助けてやる」と繰り返すことしかできなかった。こんな時に、兄貴ならどうするのか。十五年前のあの日、俺とサンを絶望的な死地から無事救い出した兄貴。俺と同じ人族でありながら、豊富な知識と的確な判断力で、どんな問題も即座に解決してくれた頼れる存在。あの日、迫りくる狂気に怯えていた幼い俺達に兄貴は「絶対に助けます。」そう力強く約束した。俺にもできるのだろうか。大切なものを守ることが。目の前で死にかけた大切な家族を助けることが。

 だが、現実というものはとても非情で、俺にそんなチャンスを与えてくれることもなければ、超常的で神秘的な奇跡が起きることもなく、その時はあっさりと訪れた。

 右手で握りしめていたサンの両手に力がこもり俺の右手からするりと抜けだして、そのまま俺の両の頬にまるでとても大切で壊れやすい宝物を支えるかのようにそっと触れた。その手は、優しくそれでいて力強かった。

「リオン。聞いておくれ」

「おい。そんな」

 俺は、そこで察知した。終わりが来たのだと。タイムアップだ。涙で溢れているのであろう俺の瞳を真剣に見つめるサンの瞳がそう告げていた。唇がわなわなと震え、脳が思考を鈍化させ、適切な言葉が全く思い浮かばない。

「君は、とても素晴らしい存在だ。僕の、誇りだよ」

サンは、ごほっごほっと苦しそうにせき込む。

「サン。無理するな。しゃべらなくていい」

「いや、伝えたいんだ。これだけは」

「怪我してんだ。しゃべると傷が開くぞ。せっかく塞がってるのに、また開いちまう」

俺は、なぜかばればれの嘘をついていた。我ながら見事に無様な嘘だ。学長直々に「魔術の腕でお前に劣る奴はいないが、口先でお前に勝る奴はいない」と言われた俺様がこの様だ。悔しくて、涙が止まらない。

「君は、こんなところで終わるような器ではないよ。君は、何にでもなれるんだ。いつか、世界を救う英雄にだってなれるだろう」

「買い被り過ぎだろ。俺は、そんなすごい人間じゃねぇよ」

「いや、誓ってもいい。この命に賭けて」

「おいおい。洒落にならないだろ。この状況でかけるなよそんなもん」

「はは。そろそろ本格的にやばいかも」

「冗談やめろよ。相変わらず嘘が下手だな。こんな切り傷ごときで人が死ぬかよ。調理実習の時に、ほらあいつ。名前なんていったっけ。デブでいつも汗かいてたやつ。俺の席の斜め後ろのさ」

「レイブンかい」

「そうそうレイブンだった」

「君はあいかわらず人の名前を覚えないよね」

「仕方ないだろ。ほとんど教室にいなかったんだから。でさ、調理実習の時に、レイブンの美味そうな横腹をフォークでつついて、驚いたあいつが落とした包丁で脛きった時あっただろ。その時の俺の方が今よりずっと大怪我だったぞ」

「ふふ。そんなこともあったね」

「あぁ。だからさ。もうしゃべるなよ」

 これ以上、サンの言葉を聞くのが堪えられなかった。最後まで聞いてしまったら、本当に最後が訪れてしまう。そんな気がして。

「それはできないよ」

「しゃべるなって」

 嫌だった。これ以上、失うのは絶対に嫌だった。

「聞いてくれ」

「嫌だ」

「リオン」

「もういいって。しゃべらなくて良い。しゃべらなくて良いから、死なないでくれ」

 喉の奥から絞り出した本音は、自分でも驚くほどに弱く掠れていた。そんな俺の右手を、サンの両手が包み込む。

「約束だ。君はこれから、何があっても生き残るんだ。この過酷な世界で絶対に生き残って、種族を超えた沢山の仲間を作って、そしていつか英雄になるんだ。急がなくても良い。ゆっくりで良い。その時は必ず来る」

 ふっとサンの両手から力が抜ける。そのまま重力に従い落下するサンの腕。俺は、それをただ目で追うだけで何もできなかった。

「『世界の深淵』で、君を待つよ」

「サンっ!!」

 がくっと唐突にバランスを失うサンの体を支えようと、咄嗟に伸ばした俺の右手がサンに触れることはなかった。一瞬で重さを喪失したサンの体が、世界の理に則り跡形もなく消滅したのだ。後には、サンが着用していた衣類のみが残った。俺は、先ほどまでそこにいたはずのサンの存在を確かめるように力いっぱいにそれを抱きしめ、目を閉じる。

「サン。俺は、絶対に生き残るぞ。お前との約束を守るため。英雄になる云々は無理だと思うけどさ。なにがあっても生きてやる」





「あなたの胸の奥に、憎しみはないのですか」

「!!」

 突如、背後から声がして目を開けた。そこには、先ほどまでの凄惨な景色は跡形もなく、ただただ暗闇が広がっていた。噎せ返るような熱気もなければ、音もしない。単なる暗闇。腕の中にあったはずのサンが着ていた衣類もいつの間にかなくなっていた。あまりの急展開に情報処理能力がおいてけぼりを喰らっていたが、一番驚愕すべきはそこにいた人物であった。

「兄貴」

 数㎝先も認識できないほどの濃い闇の中、兄貴ことオーリンの姿だけはしっかりと認識できた。俺より十歳ほど年上で、身長百九十㎝と人族にしては長身。物腰の柔らかい落ち着いた言葉遣い。十五年前に故郷を抜け出す際に全身に大火傷を負い、その痕を隠すために真っ白なローブに身を包み、真っ白な仮面を被った独特のシルエット。あの夜から一度も兄貴の素顔を見たことはないが、こんな奇抜な格好をした人物は兄貴しかいない。さらに、故郷に咲いていたパルムンの花の香りがしたのが、それを確信付けた。兄貴は、好んでこの香りの香水を使っている。

「なんで、こんなところに」

 当然の疑問だった。つい数分前まで、俺は学校にいて、そこでサンを失った。何もしてやれずに。ただサンの命が尽きるのを眺めていた。自分の無力さが、無能さが惨めで情けなくて、せめてサンとの最後の約束だけでも守ろうと心に決めた。そこに兄貴はいなかったはずだ。兄貴は一年に二、三回しか学校には立ち寄らない。世界を旅して、助けを必要とする人族を救って回っているからだ。

「兄貴?聞いてんのか?」

 兄貴の返答はない。こちらに顔を向けたまま、不気味なくらい微塵も動かなかった。俺は状況が飲み込めず、様子を伺う。しばらくの沈黙。

「あなたの胸の奥に、憎しみはないのですか」

 すると、兄貴は再び同じ問いかけを繰り出してきた。俺はこの問いかけに、違和感を覚えた。聞き覚えのある問いだ。あぁ。なるほど。それもそうか。

 そこでようやくすべてに合点がいった。この言葉は、数年前に兄貴が学校を訪れた夜に直接尋ねられたものだ。たしかその時俺は、「ある」と答えた。それを聞いて兄貴はこう続けた。

「復讐をしたいと思いませんか。私達から故郷を奪った帝国に」

 目の前の兄貴が頭に描いたものと一言一句同じ言葉を紡ぐ。

「いや、それはない」

 俺は、あの時もこう答えた。

「そうですか」

 兄貴は少し残念そうに頷く。あの時は、すぐに別の話題を振られ、それ以降この話が会話の議題になることはなかった。

 思えば、先ほどから不自然なことは何点かあったな。

 ふう―っと、俺はゆっくりと息を吐きだすと再び目を閉じる。そして、強く念じた。

「起きろ! 俺」


――


体がだるい。背中が冷たい。床が硬い。あと、寒いしなんか臭い。

「・・・」

 おはよう、俺。目を開けると現実がいた。冷たい金属の床に直に寝そべり、布団はない。周囲からはごーっごーっと、獣の唸り声のような鼾が聞こえてくる。正面に見えるのは天井。それほど高くはない。四メートル程度か。視線を上、左、下と順番に移動させる。壁だ。それも、ただの壁ではない。壱級対魔術鉱石であり世界一硬いと言われるヴィルライト鉱石が混ぜ込んである特注品だ。巨人族の腕力でもびくともしない程の頑丈さと、魔術に対する絶対的な耐性。つまるところ、世界で一番丈夫な壁だ。ちなみに、左側の壁の上部には同じ鉱石で作られた格子が設置された、縦横二十センチ程のサイズの窓がついていた。そして、右側には等間隔に並んだ格子。もちろん、人が通り抜けできるような隙間は空いていない。

 そう、ここは天下のダムディリアス帝国が誇る重要犯罪人を投獄する牢獄だ。帝国の兵士の話では、この建物は『帝都第参監獄』と呼ばれているらしい。

「さすがに、これは現実だよな。はは」

 俺は、この絶望的な状況をなんとか受け止めようと努力した。

 それにしても、嫌な夢だった。いや、夢というよりは記憶の断片。かなりリアルだった。獣人族の襲撃によりサンを失ってから約二年。俺はあの惨事の後、ひっそりと山を下り、比較的弱い野生モンスターが生息するこのサスクワ地方で各地の村々を巡りながら必死で生きてきた。いくらモンスターが弱いと言っても、魔術も剣術も体術もろくに使えない俺にとっては、遭遇しただけで即刻命の危機の到来であった。この二年間で、サスクワ地方全域に幅広く生息し全モンスターの中でも最低ランクだと言われるホーンラビやスライムに何度殺されかけたことか。我ながら、よく今日まで生き延びることが出来たものだ。俺はかなりの幸運の持ち主のようだ。普通の人族であれば、十人ほどのパーティーを組んだとしても旅の開始一週間くらいで全滅だろう。それほど、外の世界は厳しい環境なのだ。一瞬の油断や、躊躇により取り返しのつかない代償を払うことになる。まぁ、これまでの様々な経験のおかげで外の世界で生きぬく術を学ぶことができた。サバイバルについては、もうプロフェッショナルといっても過言ではないかもしれない。

 だが、現在の状況は最悪だ。まったく打開策が思いつかない。体は自由だ。牢屋に入れられる前に枷は外された。立つことも歩くことも可能だが、この牢獄から脱出する方法がまったく思いつかない。投獄されてすぐの頃は試しに壁を殴ってみたりしたが、まぁ、結果は火を見るよりも明らかだった。上位種族である巨人族でさえ壊せないのだ。そもそも俺ごときになんとかできる代物ではなかった。唯一の救いは、一人部屋だということだろう。周りから聞こえる大型モンスターの唸り声のような鼾。一枚、いやもっとかもしれない、壁を挟んでもこの大音量だ。相部屋だったらと考えるだけで血の気が引いた。

「はぁ、どうしたものか」

 このまま、投獄された状態で事態が収まるのを待つのも良いが、果たして無事釈放という訳にいくだろうか。あれ程のことをしでかしたのだ。下手したら死罪の可能性も零ではない。

「こんなところで死ぬ訳にはいかないんだけどなぁ」

 俺は寝転がったままの体勢から動く気も起きず、天井を見つめながらぽつりと呟いた。

《起きたか小僧。随分と魘されておったようじゃのう》

 ふいに、少し高めで澄んだ少女の声が頭の中に直接語りかけてきた。

「あぁ、おかげさまでな。あと、俺は小僧じゃなくてリオンだ。大年増」

《なんじゃと。誰が大年増じゃ。口を慎め、愚か者が。この傲慢な下等種族め。確かに、お主達人族と比べるとわしは長い年月を生きてはいるが、まだぴちぴちの可憐な少女じゃわい。それに、わしにはマーリーという高尚な名がある。きちんと名で呼ばぬか。不敬じゃぞ。大馬鹿者》

 おぉ、おぉ、そこまで言うか。罵詈雑言のオンパレードですね。

 俺の頭の中に寄生虫のように巣食うマーリーこと、自称『可憐な少女』はハイエルフという種族の魔術師だ。ハイエルフは、エルフの上位互換のような種族で膨大な魔力を保有しており、巨人族や龍人族と同じように上位種族として広く知られている。人種ツリーにおいては第参階層に位置し、個体数はそれほど多くはない。同種族のほとんどは魔術師であり、エルフを含む中位種族以下の種族が第肆級魔術、特別に強い個体でも第参級魔術までしか使用できないのに対して、ハイエルフの全個体は第参級魔術以上の魔術が使用できる。また、他にもエルフとの違いとして挙げられる大きな点は、全体的にステータスが一回り強化されていることと、平均的に五百年から八百年生きると言われるエルフよりもさらに長寿で、だいたい千年から千五百年の年月を生きるということだろう。人族の短い人生からは考えられない程の途方もない時間を生きるハイエルフ。上位種族であり、目立った天敵もいない彼等の死因の大多数は自殺であり、目立った目的や確固たる野望がない個体は人生を全うする前に生きることに飽きて自ら命を絶つという。色々な意味で恐ろしい種族である。

 ちなみに、大陸最大の帝国であるここダムディリアス帝国を統治するのもこのハイエルフだ。現皇帝であるジェイクは代々ダムディリアス帝国の皇帝を継承している由緒あるハイエルフの家系であり、その配下で帝国の全軍事力を指揮する絶対的な権限を持つ軍事総司令官はかつて魔人族との戦争の際に『帝国の七英雄』として活躍したハイエルフ、『大英雄』ジングである。

「はいはい。マーリー様万歳」

 俺は、理不尽なマーリーの激昂に適当に返事をしておいた。しかし、当のマーリーはかなり満足したようで、《分かれば良いのじゃ。小僧よ。この偉大なるマーリー様を讃えるが良いぞ。ぬわははは》と、高らかに奇天烈な笑い声をあげていた。あぁ、俺は小僧のままなんですね。

 マーリーは、約三百年近く生きていると言っていた。人族で言うと十五歳くらいだろうか。その割には単純というか、ちょろ過ぎるというか。

《それにしても小僧》

「ん。どうした」

《この牢屋を見ると、つい先刻までのわしに戻ってしまったようじゃの》

「何を言い出すかと思ったらお前は。はぁ。誰のせいでこんなことになったと思っているんだ」

 俺は、胸の奥底から湧き上がる怒りを深いため息に変えて吐き出した。俺がマーリーと出会ったのは、つい数時間前のことであった。初めて彼女を見た時は、運命だと感じた。ただただ無駄に広い何もない空間の真ん中で、小さな檻に閉じ込められ涙で目を潤ませながら、上目遣いで俺を見つめる幼き少女。まさか、その儚い姿を見ただけでこんな横暴な奴だと誰が思うだろう。まぁ、見事に騙された俺も大概ではあるが。今思うと、運命だと感じたあの時の俺を殺してやりたい。運命なんかではなく呪いだった。後悔後に絶たずとはこのことだろう。

「だいたいなぁ」

 俺は、小言の一つでもいってやろうかと、上体を起こし頭をかきながら口を開いた。

 ちょうどその時、

「ハイエルフの餓鬼が。まだ起きてたのか」と、突然格子の外側から話しかけられた。

 ハイエルフ? あぁ。俺のことか。俺は、声のした方に顔を向けた。そこには帝国の鎧を身に纏った兵士が立っていた。がたいが良く、身長も高い。おそらく見回りの兵士だろう。暗い牢獄内をランプも持たずに巡回しているところを見ると、暗視の魔術でも使っているのか。

「どうも眠れなくてな」

「そうか。まさかとは思うが、何か悪巧みでも考えている訳ではないだろうな。」

 兵士はかなり警戒をしているようであった。まぁ、仕方ないことか。腰に刺してある角笛に右手をかけ、いつでも取り出せるようにしていた。兵士が持つ角笛は、おそらく『ファブリスの笛』という第肆級魔道具だ。確か効果は、吹くと角笛に名前を記した者のみに聞こえる音が鳴るだったか。角笛に記されたおびただしいほどの名前を見る限り、一吹きでとんでもない量の兵士が駆けつけることだろう。

 この体になってから、俺はかなり夜目が聞くようになった。人族の体であった頃は、真っ暗で何も見えなかっただろうが、今は暗闇の中でも目の前の兵士の顔の皺まで確認できる。

 あぁ、そういえば今の俺の見た目は、人族ではなくハイエルフ。より正確に言えば、マーリーの体そのものになっている。こうなった理由を話すと、長くなるのだが。今はまず、この気まずい状況を打破しなければ。さて、どう返答したものか。

《のう小僧。そろそろ抜け出すとするか》

俺が兵士に対して何か上手い言い訳はないかと思考を巡らせていた時、マーリーが突拍子もないことを語りかけてきた。

「な、抜け出すってお前。あっ」

 思わず、返事をしてしまう俺だが、言い終えてからはっとした。

「貴様! 今抜け出すといったか」

 しまったー。心の中で頭を抱え崩れ落ちる。兵士は完全に臨戦態勢だ。角笛を腰から抜き、いつでも吹けるようにしている。くそぉ。マーリー。この野郎。後で覚えてろよ。後があればだけど。

「いや、ヌケダースンって言ったんだ。俺の故郷の挨拶みたいなものさ。はは。」

 苦しい。あまりにも苦しい言い訳だ。体から変な汗が滲み出してくるのが分かる。

「ヌケ、ダースン? 聞いたことないぞ」

 ですよね。今思いついた言葉ですから。兵士の顔は相変わらず険しい。

《何をしておる小僧。交代じゃ。抜け出すぞ》

 マーリーは、俺の焦りなど気にしていないようであった。

「できるのか」

 俺は、こちらをきっと睨みつける兵士から視線を逸らさずに小声でささやく。

《わしを誰だと思っておる》

 自信満々のようだ。

兵士は、「何をこそこそとしている」と、今にも仲間を呼び出しそうな勢いでこちらを伺っている。兵士を言いくるめてここをなんとか凌いだとしても、釈放が待っているとは限らない。下手したら死罪だって有り得る。賭けるか。このハイエルフの少女の姿をした悪魔に。

「一つ、約束してくれ」

 俺は、一大決心をしてマーリーに提案した。この短期間で俺はどれだけの回数の一大決心をしただろう。感覚が麻痺して馬鹿になっているのかもしれない。こんな大博打。冷静だった頃の俺なら絶対しなかっただろうに。

「この兵士も含めて、だれも殺さずに事を運んでくれ」

《ぬわははは。優しいのう。承知したぞ。わしに全て委ねるとよい》

 はぁ。本当に大丈夫だろうか。まぁ、もう取り返しはつかないが。そして俺は、体の支配権を完全に手放した。

「な、何をした。貴様」

 兵士は、俺の気配が変化したことをすぐに察知したようであった。角笛を握る手に力がこもるのが見えた。

「ふふふ。ぬわははは。怖いか。この偉大なるマーリー様が。やはり自分の体はしっくりくるのう」

 俺が手放した体の支配権は、現在マーリーが所有している。高らかに笑い声をあげ、すくっと立ち上がるマーリー。

「感謝するが良い。本来なら、貴様のような下等種族なぞ、わしの暗黒魔術で消してしまうところだが、小僧と約束したのでな。生かしておいてやろう。おっと、角笛を吹くつもりか。だが、残念じゃな。控えておる間に、魔術陣の形成は完了しておるわい。ぬわははは」

《随分と楽しそうだな》

 マーリーは、狼狽する兵士の姿を見て舌なめずりをした。まったく、性格が悪いやつだ。

「この、餓鬼め。何をしようとしているかは知らんが、この牢獄からは一歩も出さんぞ」

 兵士は、急激に高まるマーリーの周囲の魔力に危険を感じたのか、角笛に口をつけ思い切り空気を吐き出した。その瞬間、ざわざわどたばたと牢獄内の至る所から物音が聞こえ始める。

「潮時か。それではのう、下等種族ども。ステイトチェンジマジック ダークネスミスト」

 その瞬間、俺達の体は平衡感覚を完全に失い、固体という概念を捨てて四散した。

「安心せい小僧。次は捕まらぬよ。ぬわはははは」

 頼むぜ本当に。俺は、人生で初めてになるかもしれない神頼みを、心の中でしておいた。

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