第63話 最終決戦⑥再びの飛翔

 2030年、4月29日。二色町の空は、少し雲が垂れ込め、春本番にしては冷たく湿った風が流れ込む怪しい天気だった。


 三好みよし貴江きえは、実家の手伝いを終え、仕事着である巫女服から普段着の青のチュニックと白のロングスカートに着替えたところだった。


「貴江? 光ちゃんのところ行くんでしょ。このお花も持っていってくれない」

「うん、いいよ」

「ほんとに? 持っていける?」

「大丈夫だよ。タクシー乗って行くし」


 母・奈江の心配そうな声に笑顔で答える。行方不明だった幼馴染の親友に何を持っていこうか考えて、既にかなり大荷物になってしまっているが、どうせ自動運転の無人タクシーを使うし、総合病院には荷物を運んでくれるドローンのサービスもある。それに、多分あの明るい彼女は、泊りがけの旅行に行くかの如き自分の姿を見て、きっと笑ってくれる。


 二人の関係は、中学生になってからというもの、ややぎこちなくなった。


 仲良し三人組で、女子二人に男子一人。よくある成り行きだ。喧嘩してるわけではない。ただ、このままの緩い関係ではいられないという圧倒的な現実が押し寄せてくる予感が、貴江と光の間に、薄い膜のようなものを作っていた。


れいが悪いんだからね)


 旅行バッグをよいしょよいしょとタクシーに詰め込み、行き先を告げると、光と入れ違いに行方不明になった少年にすべての責任を転嫁する。


 ある日、光が“拾って”きたのは、今までも、そしてこれからも見ることがないほど、美しい顔をした男の子だった。ぼんやりしていて、母のようにハキハキとできたらいいなと思うことが多いのだが、彼との初対面では、自分でも驚くほど迅速に恋に落ちた。


 駅の裏手にある高層マンションの最上階に住んでいる立派な社長さんの養子になって、何不自由なく生活しているはずの黎はしかし、何か秘めた陰のある少年で、貴江や光意外とはほぼ人と交わらず、それでいて人当たりは悪くないので人気はあった。


 そして常に、とても寂しそうだった。


 もっと彼を知りたいと思った。あなたの抱えたもの、すべて教えてくれるような関係に、なりたいと願った。


 だが、それは果たされなかった。


 決定的だったのが、中学三年、黎が一年生のときの、光消失事件だ。確か、あの日を境に、自分への呼び名が「三好先輩」になった。きっと、黎は線を引いたのだ。自分と、自分以外の人々が生きる世界を隔てる線を。これ以上、誰も巻き込まないように。


「……晃陽こうようくん」


 我知らず呟いた名前は、そんな悲愴な決意を胸に秘めた黎の見えない壁を突破していた人物だった。


 黎とは真逆な実直さと熱さを持ちながら、黎と同じような世界に対して寂寥感を抱えている少年は、これまでの事情を話し「本当にすまない」と平謝りしていた。


 虫の良い話だが、貴江は晃陽に黎を任せていた。あれほど近しい男友達ができたことも初めてだったろうし、男女なら難しい部分も、男同士なら何とかなるのではと思っていた。


 ―――ダメだな、私は。


 貴江は少し涙をにじませた目元に薄い笑い皺を作る。自分から動けないのを棚に上げて、人に頼って。


「こんなんじゃ、黎が戻ってきても、光には勝てないな」


 鼻をすすりながら、気分を変えようと外を見る。そういえば、先ほどから車の進みがやけに遅々としている。休日とはいえ、渋滞が起こるような道ではないはずだが―――。


 そう思って車窓から見た景色に、唖然となった。


「嘘……」


 あれは、母校である二色南中学校の方だろうか。揺らめく炎のような黒煙が立ち上っている。


 そして、この渋滞は、自動運転を敢えて切っている運転好きなドライバーが、どこかであの異常な状況に唖然としていることによって起きていた。


「どうしよう……」


 一応、この道は二車線で、右車線は空いているのだが、変更しても先の交差点で右折しかできないはずだった。困った。


「あれ?」


 と、軽快なエンジン音が背後から聞こえてきた。


 すごいスピードだなと思って後部座席から後ろの窓を見ると、左ハンドルの外車が猛烈な速度で右車線を走っている。どう考えても道交法違反だが、それ以上に驚くべきことがあった。


「晃陽くん!?」


 あっという間に通り過ぎ、右折専用も無視して直進していった運転手の顔が見えたのは一瞬だった。しかし、先ほどまでずっと頭の中にあった顔だったからか、はっきりと分かった。


 矢も楯もたまらず、貴江はCTの電子決済機能でタクシー代をペイすると、その場で歩道に降り立った。


 何が起こっているのかは分からない。だが、晃陽の行く先には、きっと黎がいる。そんな予感がした。


 自分から動かなきゃ、変わらないものがある。


 貴江は一人頷くと、空を見上げて立ち尽くす通行人の間を縫うように駆け出した。


※※


 街がひっくり返った様な騒ぎ、という例えを、晃陽こうようは自作の小説でよく使う。


「お前の作る街はちゃぶ台みたいだな」とれいには言われ、「ひっくり返り過ぎて、むしろ裏の裏は表、みたいになってる。つまり凡庸ぼんよう陳腐ちんぷ」とあかりには創作意欲をガリッと削られたものだ。


 そんな晃陽は、今まさにひっくり返った街のおかげで、無免許運転と速度制限違反を誰にもとがめられずに、明の身体を操った影喰いの王のもとに突っ走って行けている。もっとも、自分だって暴走車両で街をひっくり返しているのだが。


 何はともあれ、見よう見真似の素人運転で、奇跡の“登校”を果たした晃陽は、急いで車を降りた。何台かの警察車両も引き連れてしまっていたが、いや、これは計算だから。警察を事件現場に誘導していただけだから。と、必死の言い訳をこさえつつ、校庭に飛び込む。


 休日にも部活にいそしむ健全な魂の生徒たちが、パニックに陥っている。


 避難誘導を急がせる教師たちを無視して、校庭を駆ける。


東雲しののめっ!!」

月菜つきなか」


 突如かかった声は、ソフトボール部のエースのものだった。晃陽は足を止め、彼女と周りにいる部員全員に告げる。


「月菜、それにみんなも早く逃げろ。先生たちの指示に従え」

「東雲、これなんだ? 火事じゃないみたいだけど、まるであれみたいじゃないかっ!」


 あれ、とは月菜も体験した影の街のことだろう。校舎から立ち上る黒い影は、その屋上に立つ小さな人物に纏わりついている。


「あいつ、なんなんだっ?」

「……あかりだ」

「え?」

「来い、シルディア」


 月菜の疑問には答えず、晃陽はく叫び、かげばらいの剣を取り出した。


「東雲?」

「頼む……飛んでくれ」


 呟き、目を閉じる。


 影喰いの王がこの世界を侵攻するというのは、この街もまた、影の街と同じようになるということだろう。なら、この剣の能力も再び使えるようになっているはずだ。


陽光ようこうは天へ

 冥闇めいあんは地へ

 彼の名の下 差し昇れ

 彼の名の下 墜落せよ

 影の街より出でし邪悪を祓う光のつるぎ

 汝の名を ここに名状する」


 それはいわば祝詞のりとだった。


 これまで何度も失敗と己の不甲斐なさを思い知らされてきた少年の祈り。


 力無き自分に力をと望んだ。

 重力の支配に抗う力をと望んだ。

 たった一人の女の子を助けたいと望んだ。


 晃陽は、その意志の強い―――意志だけは強い目を大きく見開いた。


「明は、俺が助ける」

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