第56話 暁井さん家の明さん
「組織の予算をふんだくって買った」
そうのたまった
「これが、“暁の鐘”か」
助手席に座った
「そうだ。そして、≪シャドウ・ワールド≫へ至る道を開く鍵だ」
「氷月先生」
「氷月でいい。いや、そう呼んでくれ。君とは対等な関係でいたい」
「……氷月、もう教えてくれるんだろう。シャドウ・ワールドってなんなんだ」
「簡単にいえば、ここと似て非なる人々が住まう異世界だ。しかし、影喰いに侵略され、滅びた。この街は、いわば影喰いの王を捕えるための牢獄だ。奴が現実の世界に現れれば、手の付けようがない事態に陥る」
「どんな?」
「最悪、奴を滅ぼすためこの二色町ごと吹き飛ばすなんて手段も取りかねない」
「な……!」
「もちろん、そんなことはさせないよう、組織には釘を刺しておいたがね。臆病な連中だ。約束を
氷月が暴れたら組織がどうなるのかについても興味が尽きなかったが、とりあえず話を前に進める。
「今はどこに向かっているんだ」
「
「知っているさ。だが、この車で向かうには、道が狭いぞ」
「それなら大丈夫。既に話は通してある」
「どこに?」
「この街の事実上の支配者、
※※
いわゆる地元の有力者、名士、市長を超える権力者。
「ちょっと、大人の話し合いというものをしてくるよ」
街の北にある巨大な邸宅。武家屋敷もかくやという暁井家に踏み入れた氷月がいなくなって十分程度。
「東雲くん!?」
通された広すぎる客間の隅でじっと座っていた晃陽に、暁井
「どうしたの?」
「……お前こそどうしたんだ」
部活仲間兼同級生は、いつもと違い花柄のあしらわれたレースワンピースを着ていた。
「いきなりご挨拶だね。どういう意味なのかな」
「そのままの意味だ。なんでこの家にいるんだ」
彼女には珍しくニコリと笑い、同時に彼女には珍しくもない怒気を放つ。まったく意に介さず、晃陽は言った。
「そっちか……。おじいさまが、しばらくこっちに居ろって言ったの。おかげでお母さんの肩身が狭くて。東雲くん、お父さんとは仲良くしておいた方が良いよ」
「心配には及ばない」
「そう―――ねぇ、何でそんな隅っこのテーブルに座ってるの?」
「社宅住まいには広過ぎるんだ」
本気で所在なさげな晃陽に表情を柔らかくした明も一緒に座る。
「光は? ここにはいないのか」
「お姉ちゃん? うん、まだ病院。何しろ二年ぶりの帰宅だから」
「そうか。
「そうだね。東雲くん、浅井さんの部屋に何があっても突っ込まないであげてね」
「なぜだ」
「いいから」
あのネトゲ廃人の恋する乙女は、不格好な割り箸細工をまだ大事に持っている可能性がある。明が刺した釘の意味を掴みかねている晃陽に念押しする。
「で、何をしているの」
「氷月が帰ってきた」
「え?」
晃陽はできるだけ細かい部分を割愛しながらこれまでのことを話した。
「明、俺たちは今から、
決然とした声に、明は無言で頷く。
「また三人、いや、光も含めて、四人の文芸部だ。待っていてくれ」
その言葉には、頷かなかった。
「……あのね」
その代わり、言えていなかったことを一つ、言った。
「しのの……晃陽くん」
言い直した瞬間、身体の奥から熱いものがこみ上げてくる感触があったが、今ではない、鎮まれ私の心……! と明は自分に言い聞かせる。
「お姉ちゃんを助けてくれて、本当にありがとう」
「……いや、そんなことは―――」
晃陽の言葉は、珍しく血相を変えて部屋に飛び込んできた氷月に
「……晃陽。交渉が決裂した。逃げるぞ」
「何を言ったんだ」
「暁井家の敷地に踏み込もうとしたら断られた。返す刀で前回の市長選でやった不正を二、三個突っついてやったらガチギレだ」
「大人の話し合いとは」
「こうなったら強行突破だ。車に乗り込め」
やれやれ、といった調子で立ち上がる。
「というわけだ。明、慌ただしくてすまないな」
「晃陽くんのその落ち着きようがとてもおかしく見えるんだけど、間違ってるのかな」
氷月が内側から開かない客間の窓を壊している。もともと、暁井家の連中もこちらを閉じ込める気満々だったようだ。大人は怖い。
「いろいろ経験し過ぎて、感覚がおかしくなってきている実感はある」
「そう、なら、おかしいついでに、私も一緒に行くっていうのはどう?」
「はぁ!?」
驚き過ぎて眼鏡が若干ずり落ちてしまう。
「あはは! そんなビックリしないでよ」
明は声を上げて笑い、その銀縁のフレームを持ち上げ、直してやる。
「この眼鏡、似合ってるよ」
今まで言えなかったことを添えた。
「……そうか」
少し頬が赤くなっている。かな? いや、そのはずだと自分に言い聞かせる。名前呼びまで解禁して取れ高が少なすぎるのはごめんだ。
「あと、頑張ってね、なんて、
その言葉に、晃陽が破顔した。
「なら、一緒に行くか」
「うん」
「お二人さん、窓が開いたぞ。逃避行の始まりだ」
氷月の掛け声に走り出す少年少女。庭を突っ切り、ひらひらとした服で走りにくそうな明の手を、ギュッと掴む晃陽。
「そうだ、明、その服は似合っていないな」
「なんだと?」
車の後部座席に乗り込むと同時に飛んできた言葉に、再び剣呑な声が上げる。
「こんなヒラヒラフワフワの服じゃ、お前の中身が全然出ていない」
それは明自身も思う。ただ、そんな直球で言わなくても。
「もっとこう、可愛いとか、さぁ」
小声で呟く。
「それはもう知ってる」
「……っ!!」
あーもう、この男子ほんと。ホント、苦手っ!
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