第45話 少年の回想

 午前三時半。


 いつもより早く目覚めた晃陽こうようは、眼鏡を掛け、なんとなく学校に行くからと制服に着替えて、未明の母校へと向かった。


 微かな虫の声。

 風の騒めき。

 人いきれ。

 川の流れ。

 街灯。

 月光。

 匂い。

 音。


 静かではある。だが、そこには確かな時の流れがあった。そして、天を穿つ円柱など立ってはいない。そこには、いつも通り、学校の正門があった。


 まだ誰も来ていない。


 不審に思われないか多少は不安だったが、なに、こういうときは逆に堂々としていればいいのだと意味の分からない理屈で自分を納得させ、仁王立ちで待つ。


 思えば、あの給食消失事件からして、影喰いが絡んでいたのかもしれない。そして、そこに深くかかわった香美奈が狙われた。いつも通りの益体もない妄想だったが、今回だけは、半ばあたりまで自分の考えを信じていた。


 そう、黎からは笑われ、氷月には苦笑され、明からは冷笑を頂戴する自分の言動について、晃陽には自覚があった。


 所詮は妄想だと。


 分かっている。


 でも、やめられなかった。


 この自分をやめてしまったら、心に修復不可能な穴が空いて、二度と戻って来られなくなるという不安があったからだ。


 晃陽は、自分自身を、つまらない人間だと思っていた。


 勉強も運動もダメで、目も悪くてしかも潜行障害。


 東雲晃陽という人間には、中身も魅力もない。


 それを埋め合わせる手段としての、世界アルケアカンドであり、この世界の調停員ピースメーカーという“設定”だった。


 小学五年生まで、友達は一人もできなかった。


 理由は、自信がなかったから。自信が無いのは、自分が鈍臭かったからだ。何もかもを潜行障害のせいにはできない。


 そう考えていた晃陽が、いつも通り一人遊びをしに公園に行くと、知らない大人が、子供たちの鬼ごっこの“審判”をやっていた。


 危ない大人だ。


 だが、いつもなら声が大きく力の強い物が勝手に捻じ曲げてしまうルールがきちんと守られ、平和な遊び風景だった。


 それをじっと遠巻きに眺めていた晃陽に、子供達と走り回って汗だくになった男が声をかけてきた。


『君、名前は?』


 何となくヤバいと思って、知らない、と答えた。


『そうか。名もなき少年、君は一人で何をしているんだい』


 嫌なことを訊くなと思ったが、正直に、見てるだけ、と言った。


『なるほど、君はそのブランコに座って、みんなを見守っているんだな。偉いぞ』


 やっぱり危ない大人だ。そう思いつつ、どこか晴れがましい気分にもなった。


『しかし、見ているだけで公園の平和は守れまい。行動を起こしたまえ、調停員』


 調停員? 


 と、そう呼ばれて与えられた仕事は、鬼ごっこの審判。


 アンタが疲れて代わりが欲しかっただけだろうと思ったが、大人の監視もあってか、誰も晃陽の裁定に文句は言わなかった。晃陽自身も、公正なジャッジを心がけた。


 とても楽しい時間だった。


 一人、二人と子供たちが帰宅していっても、晃陽は最後まで残った。家が公園から近かったし、こんな幸福な時間を一秒でも長く体感していたいと思ったからだった。


 そして、ついに晃陽と男の二人だけになった。男も決して運動神経が良いわけではないのか、しょっちゅう転んで、来ているスウェットは土と砂でボロボロだった。顔は無精髭だし、そもそも、晃陽ら小学生が遊ぶ放課後など、大抵の大人は仕事中だ。


 三度思う。

 危ない大人。

 優しく、危険な大人。


 そんな大人と並んでブランコを漕いでいる自分も相当に変だと思う。まぁ、潜行障害だし、変なのは確かなのだけど。


『名もなき少年』


 きいきい揺れながら、右隣の男が呼びかける。なぁに? と、気の無い返事をする。


『君が、正しく君らしく生きられる“世界”が、どこかにある。きっとその世界は、今も君の行いを見つめているはずだ』


 やっぱり訳が分からなくて、曖昧に頷いた晃陽に、男は、ブランコに立ち上がり、勢いよく漕ぐと、とぅっ! と言いながら、そのまま空に飛び出した。


『―――だッ!?』


 尻から落ちた。痛そう。


『……ッ~~~!!!』


 前言撤回。痛そう。


『少年、大丈夫だぞ』


 悶絶から立ち上がった男は、涙目を無理やり笑顔に変えて、言った。


『なんだっていい。君のやりたいようにやってごらん』


 ―――。


「……よう、晃陽! 起きろアホ」

「いたっ!?」

「なに器用な寝方してんだお前は」


 立ったまま眠っているような状態だった晃陽が覚醒する。頭をはたいた手の主に午前四時前の挨拶をする。


「遅かったな、黎―――と」


 明と月菜までいた。何故か二人とも制服姿。明は冬服、月菜は夏服。


「何でお前は制服じゃないんだ、黎」

「逆になんで俺以外は制服なんだよ」


 普段着のジーンズスタイルな黎は仲間外れが不服そうだ。


 それにしても。


「何で二人がいるんだ?」


 正門前の小さな街灯に照らされた小柄な少女二人は、顔を見合わせて言った。


「「任務」」

「……!」


 なんだそれは、と言おうとした喉が動かなくなった。


 してやったりな表情の明と月菜。


「だとよ、晃陽」

「……ああ」


 要するに、二人も「好きなようにやる」ことにしたのだろう。自分と同じ。なら、危ないと止めることはできないし、止める気もない。


「よし、今から作戦を説明する」

「こっそり学校に不法侵入して、校長室で“影の街”の入り口ができるのを待つ、慎重に行くぞ」

「おい、黎」


 “作戦”の説明を取られた晃陽の抗議にもかかわらず、明と月菜が当然のように黎についていくのを慌てて追いかける。


 まだたった一ヶ月と少し前なのに、この正門の前で香美奈と友達になったのが、随分昔に感じる。


 ―――待ってろよ、香美奈。


 帰ってくるときは、五人だ。

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