第48話 (第22話解説付き)

 ―――――


 何をするべきなのか。どうすべきなのか。

 まるで答えがでないままに数日が経過していた。

 気の乗らない受付事務の最中に来庁者のサインが表示された時、我ながら心境の変化に驚いた物だ。

 気分転換になるかも。

 まさかそんな感想を抱くようになるとは、数日前には思いもしなかった。


 =====


「こんにちわ」

 覚えのある声が僕を呼んだ。少年が笑顔を向けてくる。

「今日は井沢さんが担当なんですね。良かった」

 どういう意味なのだろうか。

 担当が誰かということなど、事前に確認出来ることだ。

 だが、どこか心が軽くなった。誰かが自分を特別に扱い、言葉を交わしたいと思っている。そんな意思表示を聞くのは悪い気分ではなかった。


「本日のご要望はなんでしょうか?」

 型どおりの挨拶に対し、どこか戸惑った様子で少年は言った。

「あの、一人なんですか?」

 僕はくすりと笑った。

「先日の来庁で臨時職員が辞めてしまったからね。ああいうのが続くと困るんだ」

 少年の態度がどこか硬くなる。

 安心させるように、僕は語りかけた。

「大丈夫。僕一人でもちゃんと対応するから」

 しかし、なぜかその雰囲気は変わらなかった。


 むしろ挑戦的な空気を纏わせつつ、少年が語り出す。

「井沢さんが北関東州に来たのは最近なんですね」

「ああ、そうだね」

「以前と比較して、どうですか?」

 AIには回答の難しい問いかけだな、と僕は思った。自然に笑みが零れる。

「前は東京州だったからね。生活の雰囲気は、ちょっと変わったかな」

「東京ですか」

 少年が思考を巡らしているのが分かる。うん。同時に幾つもの作業を進めるのは難しいのだろう。僕と会話をしながら検索し、他のメンバーとの意見交換もしているのかも知れない。それは優秀なマルチタスク処理だ。

 勿論、機械には及ばないにしても。


「あちらなら、北関東よりは賑やかでしょうね。人も多いでしょうし」

「絶対的な人口は多いけど、減少率も大きいから」

 そう言ってから、僕は東京の街並みを思い出す。

「賑やかと言えば賑やかかな。向こうではね、連日ビルが解体されていて、いつもその音が響きわたってたよ」

 五十年以上前に建築された高層集合住宅の数々。権利関係が複雑であるが故に改修も出来ず、時代遅れの巨大なオブジェと化したそれらに、無数の作業機械が取り付いていた。

 大木を食らい尽くそうとする蟲の群れ。見慣れてしまっていたその光景が、今にしてみると人類の行く末を暗示する暗い絵だったように思える。


**************

【解説:高層マンション】

 所有権が入り組んでいる高層マンションは全面改修が難しいため、結局は短期間で「旧式」の扱いを受け、事実上放棄されるものもが増えていくだろう。半ば廃墟と化したとき、所有者がその撤去費用を負担することなど出来ず、結局は行政が費用を出すしかない。要するに皆様の税金がそれに投入されることになるのだ。

 現在ではまだ土地や建物に価値を見出す機会が多いため問題は表面化していないが、やがて人工減少に伴って住宅の価値は下がっていく。その時にどうやって対処するのか。巨大建築物は撤去のための費用を積み立てなければならない、といった法律が出来る日も遠くないように思える。

 なお、移民云々の政策をしても結果は変わらないと筆者は思う。世界人口が増えるのは最早リスク要因でしかない。同時に生産の分野における機械、AIの重要性が高まって、人口が国力の源だという思考自体が時代遅れになるだろう。

 そもそも、国力とは地球上において相対的優位を保つための要素、その一つである。我々は現在、国力を上げるために世界が滅ぶリスクを容認している。しかし、そんな贅沢をいつまでも続けられるとは思えないのである。

**************


「どんな仕事をされていたんでしょうか」

「こんな風に、直接の市民対応はしていなかったよ」

 僕はちょっとぼやかして答えてみる。

 どうやら少年は、僕の過去をなんとか暴こうとしているらしい。向こう側で彼らがどんな作業をしているのか、ちょっと興味が湧いた。

 僕に対し、旧世代ネット情報を使用する手は使えない。しかも、正規職員は情報検索に対して保護が掛けられている。それでも少年達はそれに挑んでいた。

 だから僕も、人力でどこまでの事が出来るのか見てみたかった。


 曖昧な会話が続き、小出しの情報を与えていく。しばらくそんなやりとりをしていると、少年が自信ありげな態度で、しかし疑問形の口調で僕に言った。

「井沢さんは、二種採用の方ですか?」

 へえ、凄いものだ。僕は感心して少年の顔を見た。

 成程。検索結果が出てこないこと自体が推測の根拠となるのか。後はおそらく、僕の態度から判断したのだろう。見つけられない自信があるということは、その理由があるのだと。


 僕は班長の言葉を思い出す。

 人間は証拠が存在しない状態から、一足飛びに正解に辿り着く能力を持っているのだと。

 驚くべき力だ。


 同時に、甘く見すぎたな、と反省する。多分、この辺りが潮時だろう。迂闊なことを言って、本当に自分の個人情報を把握される気にはなれなかった。

「公僕だよ、只の」

 にっこりと笑う僕と、何故か怪訝な顔をする少年。

 まるで想像外の対応をされたかのような。

「ああ、ところで訪問の目的はなんでしょうか」

 笑顔のまま僕は尋ねる。

「環境負荷ポイントは貴重だから。理由も無く消費する習慣をつけるのは、今後の為にも良くないと思う。下手をすると、君達自身が受付の席に座る羽目になるよ」


 冗談めいた僕の言葉に、少年が一瞬怯んだ。

 誤解を解こうと、両手を胸の前で軽く振ってみせる。

「ああ、違う違う。別に脅している訳じゃないんだ」

 確かに、こんなことをずっと続けていたら、ポイントを無用に消費する浪費傾向保持者として何らかの罰則対象になってもおかしくはない。

「僕にそんな権限は無いよ。将来、そういう危険があるかも知れないから気をつけて欲しいだけで」

 だが、少年の表情は更に硬くなる。うーん、どうすれば素直に分かって貰えるのだろうか。

「むしろ、勿体ないと思っているんだ」

 安心させるように、ややオーバーに身を乗り出してみる。

「君たちの技術は大したものだと思う。もっとも、人を傷つけることにそれを使うのは、感心しないけどね」

 多分この少年たちは、自分が行動して何かを為したいと思っただけなのだろう。

 そして自らの実力を示したいと望んだ。そのためには、他人を傷つけるのが一番簡単だったのだ。分かりやすい勝利感を得て、自分の優位を味わおうとした。

 それ自体を全面的に肯定する積りはないけれど。

「だけど、自分を高めたいと思ったこと。そのために努力したことについて、僕は否定すべきではないと思う。今時にはあまりない、貴重な資質だよ」


 再び少年の表情が変わる。まだ混乱はしているが、さっきよりはずっと好意的な反応。

「折角の技術があるのに、こんな憂さ晴らしをしても何にもならない。違うかな」

 暫しの沈黙の後、少年は口を開いた。

「井沢さんには、僕のやっていることが分かるんですか?」

「うん、完全にではないけど。あれって、過去のアーカイブからデータを検索したんだろう? やり方を見つけるのも大変だっただろうし、あの短時間で必要な情報を収集する手際は評価されるべきだと思う」

 再び黙りこくる少年に対し、僕は語りかける。

「調べてみたんだ。この手法は一般的な検索では表示されない。言ってみれば、完璧に合法とも言いがたい内容だからね。つまり君たちは、自分で探し出したんだ。そういうことだろう? そして、チームワークを発揮して実現した。これは結構、凄い事だよ」


 検索の対象とならない情報を入手するのは極めて難しい。

 いや、勿論可能ではある。昔の人々と同じような努力を厭わなければ。

 しかし、それは簡単な事ではない。例えば現存する紙の本を読んで探すといったような、とてつもない労力が必要となる。まして単にやり方を知るだけではなく、実行に移すともなれば。


「今の世の中で、そういった行動力を持つ存在は貴重なんだ」

 僕は心からそう思っていた。

 この少年のような人々が、未来のために必要なのだと。

「君たちは、不幸な世代だと思う。生まれたときから何もかもを機械に依存して、自分たちで何かをすることを禁じられてしまった」

 彼らは衣食住の安全と引き換えに、檻に閉じ込められた。

 彼らが望んだ事ではなく、彼らに責任があることでもないのに。

「言わば世界の主人公であることを否定されてしまったんだ。それは哀しいことで、その原因を引き起こした人々に怒りを抱くのは正当なことだと思う」

 少年が、何か強い衝撃を受けたように俯いた。


 慌てた僕は何か声を掛けようとして……そして思い留まる。

 そっとした方が良いのだと、何故か分かった。

 やがて俯いたままの少年が、僕に視線を合わさないままに語り始める。 

「戦前の人たちは良かったですよね。溢れるほどの物資とエネルギーに囲まれて、好き勝手にそれを消費できて。生きている意味をAIに脅かされることもなく、未来が続くことを簡単に信じていけた」

 静かな口調の中に、強い怒りが込められていた。

「だけど、本当はそんな生き方が続けられるはずがなかった。自分たちの間違いを認めて違う道を選ぶべきだったのに、彼らは放逸な生き方を捨てられずに全てを放置しました。その結果戦争が起きて、世界はこんな風になってしまったんです」


 残念ながら、僕が少年の怒り全てを共有することは出来なかった。

 老人や女性の顔が思い浮かぶ。

 そして考えてしまうのだ。彼らは彼らの言い分があるだろう、と。


「その愚かさと怠惰。彼らのしたことは、歴史的な犯罪ですらあります」

 だが黙って話を聞いた。この少年が抱く感情も、僕には理解できたから。

「僕達にはニセモノだけが与えられた。映像と電気刺激による快楽。全てを機械任せにして、努力も成果も求められない社会。彼らは自分たちの間違いを僕たちに押しつけて、それで全てを済まそうとしているんです」

 その怒りを見て思う。あの行為は、少年にとって一種の復讐のようなものだったのかも知れない。戦前の人々を貶め、自分たちの下に置くこと。現代の社会に反抗し、それを維持する公務員と戦うこと。それは彼らの正義だったに違いない。

 同時に僕は思う。怒りに任せて何かを壊しても意味が無いのではないかと。

 その力は、前に進むことに使うべきなのだ。それを何とか伝えたいと思った。


「今の社会を作ったのは、戦前の人々だけど」

 少年たちはそれに縛られている。しかし。

「言ってしまえば、彼らのやってきたことは間違いだらけだ。その人たちが作った社会が正しいと信じる理由は無いと思う」

 少年の視線が上がり、僕の顔を捉えた。

「でもっ!」

 抑えた声を絞り出す。

「ボクはもうすぐ成人になります。そうなれば、単なるレーティングの世界に取り込まれて、取るに足らない存在になっていく。社会が間違っていたとしても、ボクはその中で生きて、そこで評価される存在でしかないんです!!」

 僕は少年を落ち着かせるように、軽く頷いた。

「不安は分かるよ。でも、こうも思えないかな。彼らが作った社会が、そんなに頑丈だと考える必要は無いんだと。君たちが敵わない程、それは大きな存在なんだろうか」

 少年が大きく瞬く。僕はもう一度頷いた。

「だって君の言うとおり、こんなにも間違いを繰り返した人たちが造ったものなんだよ。だとすれば、そんなものは出来損ないに決まっている」

 確信を込めてそう言う。少年の不安を取り除くように、笑顔を向けて。

 なにせ、制作者の一人がそう断言しているのだ。

 僕の理解に間違いはないだろう。


「今の社会を嘆いてばかりいても仕方がないと思う。彼らの失敗を責めてもどのみち先は無い。未来に繋がるためには、自分たちが正していかないといけない。そういう考えを持つことが大事なんじゃないかな」

 再び黙り込む少年を僕は力づける。

「考えて見てほしい。僕と君たちとは対して年齢が離れている訳じゃ無い。十年にも満たない程度の差なんだ」

 少年と会話したことで、今まで認識出来なかったものが僕の視界に浮かんできた。

「それでも、世界は大きく変化した。逆に言えば、世界がこんな風になったのは精々この十年の間でしかないんだ」

 そう、たったそれだけなのだから。

「だとすれば、世の中はまた直ぐに変わるかも知れない。それは、努力して行動する人間の存在次第なんだと思う」


 少年達は、ある意味尊敬すべき存在なのだ。僕が本当にそう思っていることを、なんとか彼らに伝えたかった。

「君たちの行ったこと。あんなことが可能だなんて、少なくとも僕は知らなかった。やろうと考えたことすらない」

 そう、大事なのはその姿勢だ。

「他の人が行かない道を進む。新しい世界を造れるのは、そういった人間だけなんだ。だから僕は、君たちの存在が貴重だと思っているよ」

 少年の表情が、驚きから喜びへと変わっていく。

「いえ、そのっ……そう言って貰えると、なんだか嬉しいです」

 その言葉は、何故か僕を笑顔にさせた。不思議なことに、自分自身にも喜びの感情が沸き上がり、どこか照れ臭くなる。

「でも、本当に大丈夫なんでしょうか。社会の流れ、それに合わない生き方をすれば、レーティングはどんどん悪化していきます。そうなったら」

 そういった生き方は他人には非難されるのかも知れない。一般的な基準からは外れた生き方になるのだろう。 

「うん。誰もが受け入れてはくれないと思う。でも、それを分かってくれる人も必ず居るはずだ。きちんと語りあえば、きっと理解してくれる」

 僕は心からの感情を込めた。彼らの生き方の価値を認めたいと。

「それが保証になるかは分からないけれど、少なくとも僕は好きだよ」


 老人も言っていた。過去を見て生きるだけでは、決して届かない世界があるのだと。社会にはきっと必要なのだ。こういった若い世代が。

 決まり切った古い評価の中に安住しない者達が。

「自分以外の誰かと関わり合うのは難しいことで、最初から上手くは行かないと思う。だけど最初から出来ないと決めつけるのは間違っている。昔の人たちだって、色々と失敗をしながら他人との関係を築いていた。そうして多彩な価値観に触れていくことを、昔の人たちは大事にしていたんじゃないかな」


 班長や老人はその悪い面を語っていたけれど、当時の統計を調べても、悪意を持って他人を否定する人々は少数派だったように思える。

 きっと戦前の人達も基本的には、他人を否定することよりもこうして話し合い、互いを認め合うことを愉しんでいたのではないだろうか。

「気が付いていると思うけれど、僕は今、AIのアシストを使っていない。使っていたら、こんな会話は出来ないからね」

 少年の瞳が潤む。

「これからの時代であっても、こうして自分自身の感情を素直に触れ合わせることの大切さは変わらないのだと思う。だから君たちも余計な障壁は取り去って、誰かと分かりあうために話し合っていって欲しい」


 多分それが、現代から失われたものだ。誰かから個人的に与えられる評価よりも、AIが集計した数字の多さを重視して。目の前に居る相手に何を与え、与えられるかよりも、画面の端に写されるレーティングの動きばかりを気にするようになってしまった。

 効率性を重視する余り、本当に大切なものを見失った。それが現代社会の病理なのだろう。だが、それに疑問を抱く人だってまだこの世界には残っているのだ。


「他人が作った世界に安住するのではなく、自分たちで新しい世の中を生み出していく。そのために努力する。そう約束して貰えると、嬉しいな」

 僕の言葉に少年は身を乗り出した。

「そう、そうです! 僕もそう思います」

 少年の興奮が、僕に伝わってくる。

「約束します! 必ず、そのために精一杯っ!」

 先ほどの思いが確信に変わる。

 自分の正しさと価値を認められることに対する渇望。

 それを要求するのは、決して不当なことではない。

 それを惜しみなく与える社会だったら。戦前のように、人間同士の心の触れ合いが残る社会であれば。この子が他人を傷つけるような行為をする必要は無かったに違いない。

 彼もきっと、この時代の犠牲者なのだ。

「大丈夫。君は行動をする意思がある。VRに独り籠っている訳じゃ無い。こうやって話し合って、現実の人々と信頼関係を築いていけば、きっと上手くいくよ」

 感動に溢れた顔が僕に向けられる。

「分かりました、頑張ってみますっ!」

 少年は僕の手を取らんばかりの勢いだった。いや、ひょっとしたら彼の側ではそうしていた積りだったのかも知れない。

 思わずこぼれた涙に気付いて、少年は慌ててそれを拭った。

「今日はこれで帰ります。ですが、出来ればまたこういったお話をしたいです。お仕事中ではお邪魔でしょうから。もし機会がありましたら、プライベートにでも」


 そう言って一瞬僕の顔を見詰めてから、少年は退出した。独り受付に残ったまま、僕はそもそもの要件が何であったのか確認していないことに気付いた。

 受付記録にはどう残そう。

 語り掛けると喜んでくれるのが嬉しく、脈絡の無いことを喋り続けてしまった気がする。高揚する気分のままに流された話の内容は、落ち着いて考えれば支離滅裂で、まるで一貫性を欠いていたのではないだろうか。論理チェックを受ければ、間違いなく失格だろう。

 だがそれでも、少年は満足してくれた。

 人間というものは、こんなにも自分が特別な存在だと信じたがっているのだろうか。レーティングのように、信頼性が高く、多数に認められるそれでなくとも。僕だけが私的に与える評価であっても、彼にとっては大きな意味を持っている。

 彼がそう感じてくれることが、僕の心を軽くした。


 成程。

 僕は何かのヒントを掴んだ気がした。

 誰も正解を知らない問いかけに対しては。

 自分自身の正解を提示するしかないのだ。

 それ以外の方法など、ありはしないのだから。

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