第46話 (第20話解説付き)

 ―――――


「そうか」

 少なからず僕がショックを受けた話を、班長はあっさりと流して牛脛肉のシチューにスプーンを突っ込んだ。

「驚かないんですか?」

「実を言えばな、誰でも知っているはずのことだ」

「まさか」

 僕は抗議するような口調になってしまう。

「記録にはありませんでしたよ」


 班長は右手を出して指を折る。

「世界的に人口を減少させようとしていること。エネルギー不足に対処するためにVR技術開発が行われたこと。人間の活動がVR中心になっていること。主にVR世界での計測データを元にレーティングが決定されていること。そいつは統計的な数字だが、政策的な意図を持った操作があると同時にその信頼性には一定の限界があること」

 握りこぶしを解いて再びスプーンを握る。

「一つでも、秘密だった内容があるか?」


 言われて僕は言葉に詰まる。そう。知っていた筈なのだ。

 個別の事項は、全て。

「まあ、俺はレーティングシステムが導入された時代、その過渡期を知っている。だから、別に聞いても当たり前程度にしか感じないんだが」

 当たり前。その表現が僕を愕然とさせる。時代による認識の差。

「お前がショックを受けたのは、それが組み合わさってストーリーになったからだ。一つの意図を持った巨大な物語。だが、それはあの女性の視点から見た解釈でな、別の見方をすることだって十分に可能なんだぜ」


 なんともモヤモヤとした気分になった僕は、次の疑問をぶつけてみる。

「班長は、レーティングシステムの有効性についてどう思っているんですか?」

 班長は表情も変えず、単に事実を確認したいという口調で質問を返す。

「じゃあ先に答えろ。お前自身はどう思っているんだ?」


 僕は自身の考えをまとめようとした。女性はあれを自己暗示の仕組みだと言った。だが、単純にそれだけとは思えない。確率論的なアプローチは科学的にも有効なはずだった。

「そもそも、レーティングは成功を保証してくれるわけではありません」

 そう。それは過去の成功と失敗を数えているだけだ。

「だけど、成功の確率が高い方法を示してはくれる」

 つまり無意味ではない。そう思う。

「その点では機能していると思います。虚偽ではない」

 僕は老人と女性の顔を思い出す。彼らの抱く疑念。しかし。

「数学は科学です。なんの根拠も無い盲信とは違う。女性は自己暗示と言いましたが、現に人間の心理とは無関係な部分でも効果を上げている。単純に宗教呼ばわりするのは理不尽だと思います」


 そこから先の感情を、僕は上手く説明できなかった。

 班長はフンと息を吐き、口の端についたブラウンのソースを指で拭った。

「俺の評価で良いんだな」

 班長は暫し考え込んでから、話を始めた。

「過去のデータから正しい道を探すという手法には二つの欠点がある。お前に一つ問題を出してやろう。選択肢は二つ。一つ目は100%の確率で75点が取れる。二つ目は50%の確率で100点を取れるが残る50%では0点だ。どちらが優れていると思う?」

 単純な数学の問題だった。

「前者です。平均点を考えれば、そちらの方が効率は良い」

「よし。だが、ここでルールの追加だ。合格点は80点。残念だったな。お前が選んだ道は必敗のそれだ。もう一つの道を選べば50%の確率で成功があったのに」

 そんな。僕は抗議する。

「後付で条件を変えられたら、何が最善か分かるわけがありませんよ」

 班長はにやりと笑う。

「かつて絶滅した生き物たちもそう言いたかったろうな。ある日突然巨大な隕石が降って環境が激変し、巨大生物は生存出来なくなるなんてルールは聞いていなかったと」


 僕がその意味を咀嚼する間に、班長はスプーンを動かした。お互いがそれを呑み込んだタイミングで話が再開される。

「最善手なんてものを見つけられるのは、ゲームのルールが全て明らかな場合だけだ。生憎、現実の世界はそうなっていなくてな。聞いたこともないようなルールが日々後付けで追加されていく。こいつが技術的な限界さ。だが、根本的な問題は別にある。深刻なのはこっちの方だ」

 班長は細かめにちぎったパンをシチューに沈め始めた。

「そもそも、現実世界に正解は存在しない。恐竜は絶滅した。戦争のせいで地球環境が激変し、人間は資源を自由に使えなくなった。だがそれはただの事実だ。どの種が絶滅しようが、星ごと消滅しようが、それを間違いだなんて定義される謂れがどこある?」

「それは……確かにそうですけど」

「正解なんてものは、人間が勝手に定義したものだ」

 たっぷりと汁を吸ったパンの欠片を、班長は旨そうに口に運ぶ。


「レーティングシステムは一つの社会的な実験だったと言える。二十一世紀の前半において人々の価値観があまりにも多様化した結果、議論の収拾がつかなくなった。何が正解かという定義が増えすぎたんだな。互いが視点の異なる正しさを主張し合うと、合意を形成することが事実上不可能になる。正解という定義に対し計量的な根拠を与えることで、混沌と化したそれから意味を取り戻そうとしたのさ」


**************

【解説:レーティング】

 あまりにも多様化した価値基準が、現代の混乱の要因であることは疑いない。社会を維持するために、このトレンドに対する反動が必ず生まれるだろうが、それがどういった方向性になるのかはさっぱり分からない。古典的な全体主義思想を選択する可能性も低くはないだろうが、作中世界では人々がレーティングによる数値化を選ぶものとした。

 それはフィギュアスケートの採点のように機能する。どれが最高であるかを判定するような場面では、あまり納得出来ない結果が出ることも珍しくはないが、素人の点がプロのそれを上回るようなことはない。概ね信頼出来て、一律の評価基準。一定期間ごとに採点のルール改正が行われ、人々の感性に沿ったものに変化していく。それなりに「合理的」なシステムは、まあまあ支持を得られる気がする。

 ただし、結局のところこれも一種の欺瞞に過ぎない。各種のゲームにおける自分の評価レート。その余りの低さに憤慨した経験のある人ならば、作中世界がひどいディストピアであることに同意して貰えるのではないだろうか。

**************


 軽いぼやきのような口調。

 だがそれは同時に、全てを達観したような遠い声だった。

「だがな、元がいい加減なシロモノなんだぜ。どうやったって本質的な欠点は消せない」

 班長は軽く頷く。

「レーティングシステムってのは、「正しさ」を分かりやすくするためのVR、その一種と言えるだろう。現実の細部を潰し、デフォルメをしてくれるおかげでそれはひどく理解しやすい。同時に、繊細だが意味のある部分も全て失われる」


 明るく、あっけらかんとした声。

「だけど、そんなものを使い続けていたら」

 驚くほどに僕の心は沈んでいた。

「人間が人間でいられるんでしょうか」

「貨幣経済ってのはどんなに遡っても一万年かそこらだろうが、それより前の人類にとって、物の価値を数字に変換して取り扱うなんてのは理解不能な行為だっただろうな。だが、それを始めた後だって人は自分たちを人間だと主張していた。感情を数字でしか把握出来なくなっても、やはり自分を人間だと主張するだろうさ」

 なんでもない。そう言いたげな口調で、二つ目の肉を拾い出す。

「だから逆にな。レーティングシステムで人類が滅ぶなんてのは過大評価な気がするぜ。人間がいつもやっている信仰。その新しいバージョンというだけで特別なモンじゃない。その方が真実に近いんじゃないのか」


 僕は深く、長い溜息をつく。とてもそこまでの達観は出来そうにない。

「班長は、悩んだりすることはないんですか?」

「なんで俺が悩む必要があるんだよ」

 皿に残されたシチューが手早く掬い取られていく。

「現代人の信仰がどこに向いていようが知った事か。第一、未来に不安があるなら必要なのは行動する事だろ。ただ悩んだって何の解決にもならない」

 駄目だ。とても勝てる気がしない。

 理解はしてもらえないかも知れないが、それでも自分の不安を打ち明けてみた。

「おっしゃる通りかも知れません。ですけど、やはり不安です。人間の世界は縮小を続けているんですよね。人口が減って、社会の主体となる熱意も、これまで持っていた力まで失って、その先に生き延びる道が残されているんでしょうか」

 感情も、正しさも、物事の価値も。人は全て数字でそれを把握するようになっていくのだろうか。数字は人にとってひどく理解しやすい。だがそれは抽象化された仮想だ。人にとってそれが世界を見る唯一の手段になってしまったとしたら。


「お前に、面白いことを教えてやろう」

 軽い音と共にスプーンが置かれた。

「遠い昔、人類の生活圏は現代よりも遥かに危機的なレベルで縮小したことがある」

 危機的な現象?

「同レベル以上となると。黒死病とか、ローマ帝国の崩壊ぐらいしか思いつきませんけど」

「もっと深刻だ。DNAの共有率から証明されている。氷河期において一時、人類は赤道付近の一角まで追い詰められた。そこが残る唯一のコロニーさ。その時の人類は、個体数が二千程度しか残っていない絶滅危惧種だった。そこから、この惑星を覆い尽くすにまでなったんだぜ」

「……だから、また復活することが出来ると?」

「さてな、そいつは分からんが」

 班長は肩を竦めて見せる。

「だけどな。これまで人類は自分の都合で無数の種を絶滅させてきた。人口の六割を失った程度で絶望しているようじゃご先祖様に、まして今まで滅ぼした連中に顔向けができんだろうよ。違うか?」


 僕は沈黙するしかない。

 遠い視点で見れば、そんな考え方が正しいのかも知れない。

 しかし、やはり素直にそれを受け入れる気にはなれなかった。

「少し、気分を変えてきます」

 僕は私物のゴーグルを手に取った。あの日から音楽の魔法は少し力を失ったが、それでも僕はそれを聴き続けている。気分転換のツールと考えれば、それはそれで十分に有用な存在だった。

 立ち去ろうとした僕を、班長が呼び止める。

「ついでだから話をしておこう。昼休み中だから手短にしとくぜ」

 普段のままの、業務連絡の口調。

「あの老人の強制退去が決まった。午前中に通知は送信したんだが、到達確認ができない」

 驚く僕に、表情を変えぬまま告げる。

「午後は現場訪問だ。昼休みが終わったら、遅れずに三番ゲートに来い」

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