第38話 (第12話解説付き)

 窓口業務のトラブルは多い。いや、僕だって逃げ出したいと思ったことは一度や二度ではない。とは言え、受付の度に望月さんが逃げ帰ってしまうというのはいくらなんでも問題だった。参考までに言っておくと、一連の結果によって僕の評価レートはかなり下がることになる。とはいえ、この時にはとてもそんなことにまで頭が回らなかった。


 僕は正体が分からない少年に向き直る。

 望月さんが退出した一瞬に見せた、勝ち誇ったような笑みの意味を測りながら。

「嫌いなんですよ。平成時代の人間って」

 少年は軽蔑を隠そうともしない口調で言った。

「次の世代の事など何も考えず好き勝手に資源を消費しまくって。挙句に戦争を起こしてこの星を滅茶苦茶にした。なのにその自覚はまるで無くて、なんだか自分たちが素晴らしい時代を作っていたみたいなことを言う」


 子ども特有の潔癖さが残る声。

「あの人たちがやったのは、むしろその素晴らしい時代をぶっ壊した行為だと思います。そう思いませんか?」

 うん。その感想には同意できるよ。そう思いつつ、少年の言葉に乗らないよう心を引き締める。僕は平静を装った声で告げた。

「AIを使用した、レベル三以上の個人履歴収集は違法ですよ」

「そんなことをしたら、とっくに警察から連絡が来ているはずですよね。そもそも、どうやってAIにそれを命じるんですか?」

 その通りだ。実のところその点は確認済みだった。

 違法な使用履歴は無い。

 だが、だとしたらどうやって詳細な個人情報を集めたのか。


 警戒する僕の反応を楽しむかのように、少年は独り言めかして呟いた。

「市民の対応をするのが、軽犯罪者やエネルギー資源の浪費家ばかりというのは望ましくない状況だと思います。そうじゃありませんか?」

 混乱していた僕にとってその質問は有難かった。

 その問いには馴染んだ答えがある。

「犯罪者というのは誤りですよ。社会奉仕活動を選択し、それを務めている彼らは立派な市民です。それに」

 僕は少年に身分証明書を掲げて見せた。

「そういう趣旨で話をされるなら、僕も同類ということになります」


「公僕、ですね」

 少年は満面の笑みを浮かべた。ひどく大人びた口調

「現代社会で労働と呼べる行為をしているのはあなた方だけだ。その点は尊敬しますよ」

「仕事をしている方なんて、特に珍しくもないでしょう」

「生きていくために必要な行為という意味では、労働とは呼べないと思います。良くて趣味。はっきりと言ってしまえばままごとに類するものばかりです」

 思わず苦笑しそうになる。辛辣だが、ある意味正当な評価かも知れない。


**************

【解説:労働と社会体制】

 この世界では基本的に労働の必要が無い。機械が生産した物資や消費可能なエネルギーを分配する一種のベーシックインカム、あるいは社会主義体制。貧富の差を生じさせないこと、同時に無用な浪費を防ぐ目的から、富の蓄積を防ぐことを主眼とした制度となっている。

 戦前時代の人間は労働を続けていることも多いが、少年の言う通りそれは一種の娯楽でしか無い。なお、一部に残る「人間がやった方が効率的」な業務を行うのが公務員の役割であり、それは社会的使命に目覚めた奇特な志願者か、なんらかの(物質的消費を伴わない)特別な権利の代償として従事する者、そして軽犯罪に対する罰則として労働を命ぜられた者の三者から構成されている。

**************


「労働を機械に任せ、誰もが生きていくための公平な資源配分を受けられる。それは一見素晴らしく見えますが、実際には人間の価値を失わせる歪んだ世界です」

 少年は僕を指さした。正確には僕からやや外れた、右前にあたる空間を。


**************

【解説:デフォルト設定】

 VR空間における標準仕様では、その辺りにレーティング等の表示がされているという設定。また、AIサポートから、「標準的な回答例」も表示してもらえる。 なお、この世界ではAIの能力がそこまで高くないため、「相手の発言」⇒「AIが認識エラー」⇒「職員が内容を整理してAIに伝える」という手順が必要となることも多い。

**************


「しかも人々は生産どころか思考まで放棄しようとしています。会話のやりとりを自分では無くAIに考えさせるなんて、考えてみれば異常なことなんですよ」

 少年はそこで言葉を切り、僕の顔を暫し眺めた。

「どうです? 試しにAIのサポートを切って、ぼくと話をして貰えませんか?」


 とんでもない提案だった。

「業務上、必要な道具ですから」

「別に使用が義務づけられてはいませんよね。なのにそれを切らないのは、単に怖いからでしょう? やってみれば、そんなに大した事ではないですよ」

 少年は僕にその経験が無いと決めつけていた。挑発に軽い反抗心が芽生える。


「お名前はイタルさんでしたよね。年齢からすると、あなたは戦争直後の世界を見た世代だと思います」

 その言葉に古い記憶が呼び覚まされた。

 幼い日々。それは決して幸福な時間では無かった。

「だとしたらその点から少し伺いたいのですが。ああいった戦前世代の人々、そして彼らが作ったこの現代社会をどう思っていますか?」

 どこか甘美なその響き。

 語りたい言葉はあった。同時に冷静な思考が警告を鳴らす。

「あなたの感性は、きっとぼくたちにより近いと思います。だからこそお話を伺いたいんです。どんなことを感じて、何を思ったか」


 少年の言葉に誘われて僕が口を開く寸前、班長が受付に現れた。

「大変に申し訳ありませんが」

 冷静な口調で断定する。

「ここは役所の窓口ですので。個人的な思想についての質問はお受けできません」

 僕にはとても真似できそうにない、自信に溢れた声と明快な拒否の姿勢。

「訪問の目的は、限界区域の継続居住に関する相談とのことでした。その件に関し、他にご質問などはありますか?」

 少年は一瞬口ごもった。だが、班長のガードを崩すことは不可能だと判断したのだろう。軽い失望を示しつつ、首を横に振る。

「いいえ。特には」

「では、消費したポイントはこちらになります。ご確認を」

 少年は視線を逸らして受付から退出する。

 僕は、ふうと息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る