第34話 (第8話解説付き)

 木立を抜けると視界が開けた。思わず声が出る。陽光に照らされた草原に広がる春の花々。まるでVR映像のように見事な光景だった。


「良い眺めですね」

「ああ。所有権を主張したくなる気も分からないではない」

 道は小川に沿って進んで行く。

 緩いカーブを回りきったところで目的の家が見えた。

 僕は勝手に木を使ったロッジ、あるいは掘立小屋のような建物をイメージしていたのだが、そこにあったのは完璧に現代風の家だった。


「なんか、割と新しくありません?」

 限界区域では、原則として建物の新築・増改築は禁止だ。理屈からすれば、建築から二十年程度経過していなければおかしいはずなのだが。

「この家が建てられたのは、五年前さ」

「なんで建築の許可がおりているですか?」

「向こうは私有地って主張だからな。一応止めたが、無視されたよ」

 公的には係争中であるため、その部分を追及しきれないということらしい。

 それにしても、家は新しくするのに通信環境が旧型のままとは。やはり相当に変わった人のようだ。


 公用車が停まった。僕は班長に続いて下車する。

 家は居住用スペースとガレージに分かれているようだった。ガレージ側から物音が聞こえてくる。

「ああ」

 空気が抜けるような、なんとも微妙な班長の声。

「よし、お前が訪問の挨拶をしろ」

「ええ? 僕がですか」

「経験だよ。さっきと同じ要領だ。後の話は俺が引き継いでやるから、安心しろ」

 仕方なく分かりましたと答えたものの、一体どうしたものか。歩みを進めながら、僕は必死に考えをまとめようとする。


 いや、難しく考える必要なんてない。ただ単に声を掛ければいいだけだ。

 班長の真似事をするつもりはなかった。穏便かつ丁寧に。こんな制服姿ではどうしても威圧的に見えてしまうだろうから、その点だけは注意しよう。相手は年配の方だ。驚かせたりしないように礼儀正しく。


 ガレージの扉は開けられたままだった。その奥で作業中の人影が見える。向かっている台の上には、なにやら黒と白と赤で彩られたものが転がっていた。

 僕は出来る限り明るく聞こえる声で呼びかけた。

「申し訳ありません。限界区域対策課の生活状況調査です。ご協力をお願い……」

 僕の鼻腔に強烈な鉄の匂いが入りこんできた。

 暴力的とすら表現できるその侵襲。

 血塗れの短刀を握りしめた男性がゆっくりと振り返った。


 僕の眼前で繰り広げられていたのは、世にも恐ろしいスプラッタな光景だった。

 男性の足元にある血溜まりには、幾つもの内臓が転がっている。

 台の上にあったのは、腹を切り分けられた生き物の死体だった。黒い毛皮。赤い筋肉と内臓。そして白い脂肪と骨。

「ちょっと待て。虫が寄る前に済ませてぇんだ」

 そう言うと、男性は再び死体に刃物を突き立てた。流れるような勢いでそれを引くと、赤黒い内臓を無造作に取り出す。ぐちゃりという音が大きく耳に響いた。

 僕は、悲鳴を上げて逃げ出した。


 五分後、僕はヘルメットを抱えてガレージに戻ろうとした。

 吐き気はまだ収まらない。

「まったく見掛け倒しもいいとこだな。ありゃあ、もうちょっと修行が必要だぜ」

 いくらなんでも酷い言いようだと僕は思った。この男性にとって動物の死骸は見慣れた存在なのかも知れないが、あいにく僕はそういったタイプではない。いきなりあんなものを見せられて、動揺するなと言われるのは理不尽だ。


 だが素直にそれを口にするのも癪だった。僕は無理に背を伸ばすと、歩調を整えてガレージに戻り、軽く頭を下げた。

「申し訳ありません。失礼しました」

 僕の顔は真っ青だったと思う。それを見た男性が頭を掻いた。

「なんだ、新人かよ。ワリぃ事したなぁ」


**************

【解説:性別】

 イタルが女性の場合、老人はヘルメットを脱いだ姿で初めてそれと気づき、態度を変えている。

 ちなみに作中世界では、現代よりも性差別的な取り扱いは許容されている。

 戦争によって荒廃し、法律や制度による保護機能が弱まったバイオレンスな状況を経験しているため、ポリティカルコレクトに基づく「人権」や「人間の平等」といった概念に対してシニカルになっているのが最大の理由。同時に、レーティングによる判定によって取り扱いを変えるのは合理的とされることから、全体的に一律であるよりも個々の状況に応じて変化させる方が正しいという思想が主流になっている。

 勿論、レーティングを利用した差別や偏見、理不尽な取り扱いがあることについては現代と変わらない。

**************


 僕は姿勢を変えないまま、それに答える。

「気にしないで下さい。約束も取らずに突然の訪問をしたのはこちらですから」

「オウ、勘違いすんなよ。悪い事をしたのはオレじゃなくて、そこに居る奴だろ」

 男性はそう言って班長を指さした。その意見については全面的に賛成だ。動物の解体作業中だったのを知っていたとまでは言わないが、そういう可能性があることぐらいは予測していたに違いない。だからわざわざ、僕を先に行かせたのだ。

 僕の視線に気づいた班長がわざとらしく視線をそらす。場合によっては訴訟レベルの嫌がらせだ。くそう。腹立ちのお陰で気分の悪さが紛れた。

「僕の修行不足ですから。仕方ありません」

 やけくそ気味なその回答は、男性の気に入ったようだった。

「前言は撤回するぜ。なかなか良さそうな新人じゃねぇか、オイ」

 ニヤリと笑う男性。高齢者、と表現していいだろう。年齢は八十歳をとうに超えているはずだが、年齢の平均よりも遥かに健康で活動的に見える。


「教育担当が優秀ですから。ところで熊の狩猟記録は出しましたか? 野生生物ですから報告しないと」

「うるせぇなあ。一週間以内に出せばいいはずだろ。見てのとおり獲れたてだよ」

 記録の提出に一週間。その時間感覚に僕は呆然とする。何年前の運用がそのまま適用されているのだろうか。

「それに納屋が増えていませんか。建築物を増やすのは違反ですよ」

 班長の口調は非難というよりも、どこかからかっているような雰囲気だ。

「ここは私有地だぜ」

「法律的には、決着はついていません。こちらと協議していただかないと」

「そいつはお前さん方の一方的な主張だろ」

 老人はふん、と息を吐く。

「同情するぜ。いつものように勝手に記録しておけよ」

 班長は何も言わない。だがその沈黙には笑いの波動があった。沈黙のまま左手を右胸に当てる。


 考えてみれば、老人はずっとここに住み続けているのだ。班長との付き合いだって長いに決まっている。そんな人物が、制服を着た職員の訪問程度で動揺するはずがなかった。

 僕は話の全体像を理解した。要するに全部儀式なのだ。

 以前の経緯から、州は定期的に状況の確認をしなければならない。交渉中という建前なのだから。しかし、本気で退去に関する交渉をする積りもない。

 要するに訪問調査の記録さえあればいいのだ。

 それを残すためにここまで来ているだけ。二人にとってこのやり取りは日常で、言ってみれば定期的な挨拶のようなものだ。


 まったく、あれこれ余計なことを考えていた自分の間抜けさ加減に嫌気が差す。とどのつまり、僕はベテラン二人に挟まれた何も知らない新人に過ぎなかった。これでは、良いようにあしらわれるのも無理はない。

「まだ達者そうで安心しました。体調が悪くなったらいつでもご相談を。最高の条件で医療設備を提供しますから」

「残念だが、今更お前らの世話になる気はねぇな」

 老人は確信を込めた声で言った。

「オレは自分の土地で死ぬよ」

 話はそれでお終いだった。班長は両手を挙げる。

「さて、用事は済みました。長居はしませんよ。また次回の調査で」

「オゥ、また来い。んで、そこの若いの」

 老人は台から赤黒い塊を取って僕に差し出した。

 ゴム手袋の上でぐにゃりと歪む。

「お詫びに熊の肝でも持ってくか? 二日酔いに効くぜ」

 要りません! 僕は全力で拒否をした。


―――――


 帰りの車内。まだ腹立ちの収まらない僕に班長が尋ねた。

「どんな風に見えた?」

「何がですか?」

 僕の声にはかなり棘があったと思う。だが癪に障るのを通り越すぐらいに平然と、班長はそれを無視してのけた。

「あの人だよ」

 くそ。噴き出すアドレナリンが最も相応しい答えを僕に教えてくれた。

「班長とそっくりですね」

「どんなところがだ?」

「人をからかって遊ぶのが大好きに思えます。今どき珍しいほど楽し気で、まったく羨ましい限りですよ」

 班長は実に気持ちよさそうに笑った。

「お前の観察眼はなかなかだ」

 皮肉や嫌味が通じそうにないところもそっくりだと言えば良かった。


「じゃあ復習の時間だ。レーティングを見てみろ」

 言われて僕は老人の評価を呼び出した。少し読み進んで僕は首を捻る。

「なんだか、イメージが違いますね」

 実際の会話で得た感触とは随分違う評価が並んでいた。対人接触を嫌う傾向。思考は論理的で計算高い。目的達成のために法的手段を行使する可能性が高いため、応対においては訴訟リスクを考慮すべき。

「そうさ。面白いだろう。レーティング評価は概ね役立つが、自分の感覚とは食い違うことも多い」

「評価に使ったデータに偏りがあるんでしょうか。あるいは」

 さっきの態度が演技だったのだろうか。感覚などというものは信頼性の低いセンサーだ。特に欺瞞行動には弱い。僕が抱いた印象の方に間違いがあると判断する方が自然だ。

 しかし、班長は首を横に振った。

「いや。俺に言わせれば、その評価自体は正しい。だけどな、レーティングによる評価値ってのは、AIが対人交渉するために最適化され過ぎている。どんな場面でもそのまま使えるってもんでもないんだよ」

 はあ、と僕は応じる。確かにそうなのだろうけれど。

「評価値を唯一の正解とする必要は無いんだぜ。自分の感覚と違うなら、感覚の側を信じてみたって良い。とりあえず、それを覚えておけ」

 僕はもう一度、はあ、と応じた。

 班長は、時々良く分からないことを言う癖があるなあ。

 その時の僕はそれ以上の感想を持たなかった。

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