第23話

 ―――――


「本日は、ご足労いただきありがとうございました」

 そういって僕は椅子を勧める。

 女性は、少し落ち着かない様子で辺りを見回した。

「今でも、こんな場所があるのね」

「ええ。最近では滅多に使うことはありませんが」

 僕はカウンター越しに女性と向かい合う。

「あなたはあまり雰囲気が変わらないわね」

「そちらこそ」

「どうかしら。歳を取ると、色々あるのよ」

 そう言って女性は微笑んだ。

 少なくとも、最初の提案は気に入ってくれたらしい。

 とは言え、やはりそれだけで素直に終わるような相手ではなかった。


「挨拶はここまでよ。あなたが考えた案を聞かせて貰えるかしら」

 表情を改めた彼女の視線は今もなお厳しい。だが、それに怯える必要は無かった。

「ではまず、最初の案です」

 僕は資料を広げて見せた。

「周辺の映像はこんな感じです」

 ごく普通の郊外。街路樹がある程度の、どこにでもある街並み。

「特別なものは無いように思えますが、この近所に有名な方が住んでいます」

 スライド式に写真を見せていく。

「生け花?」

「ええ。希望者には公開しています。その方の意向によりVR映像ではなく、本物を。綺麗な花を観賞するという点では条件を満たしているのではないかと」

 僕の説明に、女性は難しい顔をした。

「言いたいことは分からないでもないけれど、私の希望とは違うわ。生け花なんかに興味はないもの」


 ダメか。めげずに僕は二つ目の資料を用意する。

「もう一つの提案は、ここになります。

 女性が怪訝な顔をする。

 僕が示したのは、市街地の中心部。駅に近いマンションの一室だった。

「こんな場所に?」

「はい。直接的に見れば、自然環境は少ない場所です。ですが、交通アクセスという点から見れば異なる評価が出来るのではないかと」

 僕は一時間以内で移動できる箇所にある公園その他、花を観賞できる場所を並べ立てた

「居住する部屋のランクを下げることで、その分を交通機関の利用権に回します。そうすれば、訪問可能な場所は他のどこよりも多くなりますから。季節ごとに、一番良い景色を見に行くことだって出来ると思います」


 頑張って考えたアイディアだったが、女性はあっさりと首を横に振った。

「発想はそれなりと言えるけれど。住む場所がこれではね」

 マンションの間取り図を指で突く。

「ここ自体はひどく人工的な場所よ。その上、こんな息苦しそうな小部屋に住むというのはぞっとしないわね」

 僕の住んでいる職員寮よりは随分と広いんですけど。

 そう反論したくなる気持ちをぐっと堪え、最後の資料を準備する。

「これはまた、すごい場所を出してくるわね」

 映像には、古い倉庫が立ち並んでいた。そこに隣接した古い工場と、年代物のアスファルトで固められた駐車場。

 それらの映像を一通り映した後で、僕は工場に隣接する一軒家を示した。

「ここです」

 一瞬だけ資料を見てから、女性は僕の顔に視線を動かす。

「当然、説明があるのよね」

「実はですね。この倉庫街と工場の一帯は取り壊し予定なんです。近いうちに」

「それで?」

「どうせ更地になるので今なら好きなように地上権を設定できます。汚染対策で土壌の入れ替えも行うので、ご自身で花を植えてみるというのはいかがでしょうか」

 取り壊し後のイメージを僕は表示させた。元工場だけあって、相当に広い。


「その気になれば敷地全部を花畑にだって出来ます。……ええと、一人でやるのは大変だと思いますが、管理をして頂けるならキャリアーの貸し出しが可能です」

 勿論、害虫の発生などは困るので土地の状態は一定の要件を満たす必要がありますなどと細かい説明を始めた僕に対し、女性は大きなため息をつく。


「陳腐ね」

 呆れ果てたという口調。

「うるさい芸術家気取りには、白いキャンパスを与えろ。人間が100人いたら、50人ぐらいが思いつきそうなアイディアよ。そしてそのうち10人ぐらいは、これは世界一の名案だと思い込むんだわ」

 辛辣な評価が僕に刺さる。これも駄目か。

 正直がっくりくる。これ以上の案を僕が考え出せるだろうか。しかし、僕はなんとかそこで踏みとどまった。暗い気分に落ち込むことなく。

 なんとかなるだろう。交渉がここまで来ただけでも前進なのだ。


 申し訳ありません、また新しい案を考えます。僕がそう言おうとした瞬間、予想外の言葉が掛けられた。全くもって不本意だといった口調で。。

「選ぶとしたら、三番目しかないわね。この案で進めて貰えるかしら」

 え?

 僕は顔を上げて女性の表情を見る。

「いいんですか?」

「陳腐ではいけないと指定した覚えはないわ」

 女性はゆっくりと手を組んだ。

「VR音楽の最大の欠点が何か、分かるかしら?」

「分かりません。見当もつかない」

「終わらせ方がとんでもなく下手くそなの」

 それは僕の印象とはひどく違っていた。

「そうなんですか? 実際に聴いていて、そんな風には感じませんでした。むしろ綺麗にまとめ上げているように思っていましたけれど」

「それは、あなたが終了の時間を指定しているからよ」

 女性の顔に笑みが浮かぶ。

「機械は音楽を聴かせろという命令に対して、静寂を提供することが出来ない。放っておけばいつまでも演奏を続けてしまうの。聴き手が疲れて嫌になり、停止を命じるまで」

 彼女は先ほどの資料を指さした。

「ゼロ回答は苦手。その意味で、あなたの案はどれもAIらしくない回答ばかりだった。だからこれはあなたが考えたのだと、そう信じてもいいわ」

 彼女は軽く頷いた。

「最も重要な条件は満たしている。私だって、約束は守るのよ」


 そう言ってから、あの意地悪な笑みを浮かばせる。

「もっとも、期待したよりもずっと陳腐だったけれど。正直なところを言えば、もう少しマシな案であって欲しかったわ」

 僕は彼女に頭を下げて、今後に努力しますと伝えた。



 手続きが終りかけたタイミングで、僕は女性に尋ねた。

「もしよろしければ、伺いたいことがあるのですが」

 女性は仕草だけで質問を促す。

「AIの判断を変えるには、どうしたら良いのでしょうか」

 彼女はそんなことは何でもないという風に笑う。

「言ったでしょう。あんなものは単なる足し算引き算よ。新しい要素を加えればいいだけ」

「新しい要素、ですか」

「AIには面子も方針への拘りもないわ。単に、閾値を超えるよう状況を変化させれば、それに沿って判定を変える。具体的な計算方式は公表はされていないけれど、あなたにもなんとなく想像はつくんじゃないかしら」


 確かに想像はつく。日々のレーティングの動きを見れば。

「あとは……そうね。評価値を揺さぶるには、前例の無い事態が効果的ね」

「なぜでしょうか」

「前例が無い、あるいは少ない項目は、どれだけレーティングを動かすべきかの統計的根拠が薄くなるわ。そんなときは、必然的に当事者の希望が重視されやすくなるの」

 成程。

「でも、前例の無い事態を発生させるなんて、難しそうですね」

「あら。あなた、さっきやって見せたじゃない」

 女性が笑う。ほんの少し優しさを増した眼で。

「僕が、ですか?」

「花をキーワードにした転居希望はそれなりの件数があるわ。だけど、巨大な公園を一つ造れる規模での提案は今までの実績に無い」

「でも、類例はあるでしょう」

「重要なのはどこまで似ているか、ね。閾値以上の差があるならば、それは違うものとして扱われる」


 彼女の視線が、どこか遠くを追う。

「私は研究者よ。だから何もかも全てが世界で唯一の初めてだなんてロマンチックな事は言わないけれど。類例の無い新たな状況なんて実は少しも珍しくはないの」

 口の端に浮かぶ皮肉な笑みと、それ以外の何か。

「レーティングシステムが有効なのは、現代社会が縮小の時代にあるからよ。人々は皆VRの中に閉じこもって、与えられた価値を疑わず、新しいものを生み出そうとしない。そんな世界では、前例主義もそれなりの効果を上げられる」

「では、仮にそうでない時代ならば」

「人々が新たな可能性を信じて勝手に動き出す世界では、レーティングシステムは簡単に破綻するわ」


 彼女はあっさりと、そう断言した。

「自動運転を広めた決定的な要素は、人間の運転を原則禁止するという政治的な決断だった。食料生産の主役を機械に出来たのは、工場で作った培養細胞を食べることが当たり前の文化が広まったおかげ。技術だけではブレイクスルーを生み出せない。全ては社会的な前提次第よ」

 淡々とした口調の中に、女性が辿った長い道のりが滲んだ。

「余りにもありふれた、前例の無い事態。その発生確率を下げるためにどうすべきか。あの当時に私たちが繰り広げた議論の膨大さを、あなたが知ったら驚くでしょうね」

 僕に視線を合わせぬまま、彼女は語る。

「だからその程度のこと、知性ある存在にとってさして難しくはないわ。多分、あなたにも出来るんじゃないかしら」

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