第7話

 ―――――


 制服に着替え終わった時には、公用車は動き出していた。

 僕は次の目的地を確認する。

「随分と奥ですね。直線距離で五キロ近くある」

 前述のとおり、ほとんどの継続居住者は生活区域と隣接した場所に住んでいる。離れるとしても一キロが精々で、ここまで距離を置いて生活し続ける人は珍しい。


「ああ。それなりに気合の入った相手だ。年々生活区域からの距離が開いていくのに、それでも退去しようとしない」

 それに、と僕は気になった点を質問する。

「この先にあるのは私道なんですか? ちょっと資料が変なんですけど」

「交渉経過を確認してみろ。要点版でいい」


 僕は資料を呼び出した。やたらと分量が多い。随分と経緯があるらしいので、指示通り簡略化されたものだけを読むことにする。

 かいつまんで言えばこんな感じだ。元々、付近一帯の山はこの居住者の所有地だった。限界区域法が成立する少し前。こういった過疎地域に対する方針が定まっていない時期に、所有者は保障の受け取りと引き換えで行政が今後インフラ整備を行わないことを同意した。

 法施行前であるためそれは行政処分ではなく両者の合意。つまりは一種の契約行為として締結された。これが後になって問題を起こすことになる。

 数年の後、限界区域法が施行されると州はすぐさま一帯を指定の対象にしようとした。簡単に所有者の同意を得られると信じて。

 その判断は分からないでもない。指定を受けても実質的な状況に変化は無いのだ。しかし、所有者はなぜかそれを強硬に拒否した。

 契約により既に州政府のインフラ整備負担義務は無い。よって、新たに限界区域に指定することによる州の利益も存在しない。にもかかわらず限界区域に指定することで土地の所有権を奪うことは裁量権の濫用に当たる。所有者はそう主張し、それから長い訴訟が続けられることとなった。


「もっと手早く済ませられなかったんですかね」

「時代背景って奴さ。裁判のやり方も今とは違うし、他に優先すべきことも多かったからな」

「それにしても。補償を上乗せして退去して貰うとか、方法はいろいろあったように思えますけど」

「それぐらいはやってみたさ。記録にあるだろ」

 相手が提示した条件を見て僕は驚いた。一般的な案件のざっと5倍。法外と言って良い内容だ。

「ここまで強硬な態度というのも困りますね」

「ああ。州にとってはある意味どうでもいい裁判だったからな。色々な意味で裁判を続ける熱意に欠けていた。だから問題を全部先送りすることにしたのさ」


 結果、州は和解の道を選んだ。限界区域の指定を一時停止し、取り扱いは今後に行われる協議により決定するという条件で。そして形ばかりの話し合いを持った後、この案件を丸ごと放置したのだ。

 結局のところ、老人がここに居座ったとしても、通常の継続居住者が居るのと大した違いはない。法的に私有地なのか州有地なのかの決着をつける必要性も薄い。限界区域の指定に拘らなくても、現状でインフラ整備の負担軽減という目的は果たされている。

 所有者の年齢を考慮すれば、問題は長くても数十年で自然解決する見込みであり、敗北の可能性が残る法的闘争を続けるのは無駄な行為である。資料の最後には、その結末を支持するための資料が添えられていた。係争を続けた場合と放置した場合の得失予想。

 感情論を抜きにした合理的な判断。ある意味素晴らしく分かりやすい。

「典型的なお役所仕事、ということですか」

「先送りは公務員の基本さ。その効果と有効性について、あまり低い評価をするのは間違いってもんだぜ」


 結果として、一帯は私有地とも州有地とも主張できる曖昧な権利関係になっていた。地図には私道として表記されているが、実際の維持管理は州政府が行っている。防災の都合上この地区の道路が完全に無くなってしまうのは問題なので、やむなく州が整備を受け持つことになったという経緯のようだ。


「限界区域の指定はされていないから、監視用機器の設置も出来ない。まあ、ここは限界区域に包囲された状態だからな。不法滞在者が勝手に入り込む危険が低いのが救いさ。ちなみに通信回線もかなり悲惨な状況だ」

 僕はそちらの資料も確認した。ざっと言えば三世代前の旧型だ。

 これも故意にやっているのだとしたら相当だ。これだけ古い規格では通常の連絡手段が使えない。とはいえ、これで生活に支障が無いのだろうか。

「本人は困らないんでしょうか、これ」

「困っていないと主張してる。だからこっちが困ってるんだよ」


 次に僕は個人評価を確認しようとして、班長に止められた。

「ああ、まだそっちの記録は見るな」

「なぜです? 接触するなら、傾向の確認をした方が」

 それが訪問の際に取るべき一般的な手順だ。少なくとも研修ではそう習った。第一、班長自身だって先日はそう指導していたのに。

「何と言うべきかな。お前みたいな新人は先入観が無いのが一つの武器でもある」

 班長はまた僕が理解しづらいことを言い出した。

「時々は他の評価無しで相手と接してみろ。違うものが見えてくることがあるんだ」

 はあ、と応じて僕は書類仕事に戻ることにした。まあいいや。どうせさっきと同じように、会ってちょっと話をするだけだろう。

 第一、交渉は班長がやるのだろうし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る