第67話

 「………」


 無言の帰り道だったのは不機嫌だったからではない。

 むしろ脇に抱えた荷物のおかげで機嫌は良かった方だ。

 今日一日を費やして得た革ジャンは、早くも自分の一張羅と言っても構わないくらいに気に入ってしまっている。我ながら現金なものだとは思ったが。


 「………はぁ~~~」


 ため息と共に、残った僅かな気力すら使い果たしてしまいそうな心持ちであったのは、着せ替え人形のように着慣れない衣服を次々に着せられ、その都度カメラの前であーだこーだとポーズを指示されるという真似を、朝から夕方のついさっきまで繰り返していたからだ。

 まったく、目の回るような体験だった。着るものなどに拘りは薄い方だと思っていたが、その身でも一端に語れるほどになりそうだ。


 「まあ見返りも十分だったしな」


 結局件の革ジャンは、元値の十分の一、というタダ同然の価格で譲ってもらえている。撮れた写真の出来栄えが予想をはるかに越えて良かったことに感激した店長の厚意だった。最初はバイト代だわりにと本当にタダで、という申し出もあったのだが、流石にそれはどうかと思ったターナの遠慮と、今日一日ターナの着替えだのコーディネートだのを受け持った女性店員の、それはいくらなんでも物に失礼だ、という主張でそういう話になったという次第だ。

 そんな経緯はあったが、自分のものになってしまえばまた印象も変わってくる。物への執着がそれほどでもないターナでも、良い物を手に入れたという実感を覚えたものだ。


 そして、手入れについてあれこれと受けた指南のことを思いつつ、すっかり自分の居場所となったアパートに帰ってきた時のことだ。

 隣家との間にあるブロック塀の上で、前足を巻き込んだ姿勢で座っているいつもの猫と、それに声をかけている大家さんの姿を見つけたのだが、猫が随分リラックスした様子であることに少し嫉妬しつつ、声をかけるターナだった。


 「ただいま。随分慣れているのですね」

 「あらターナちゃん、おかえりなさい。いえね、この子ここら辺の地域猫でね。割と懐っこくて可愛がられているのよ~」

 「な、懐っこい?」


 何度も手なずけようとして失敗してるターナにしてみれば意外な事実だ。飼ったことはないとはいえ別に動物は苦手ではないし、接する時も心の底から愛でるつもりではいるのだが。


 「そうなんですか…?この間いただいた煮干しで釣っても触れさせてももらえなかったんですが…」

 「ああ、あれはこの子のことだったのね。まあね、野良はあんまり無理にこっちの気持ちを押しつけたりしてはダメよ?顔を見たらあいさつするくらいから始めてみなさいな」

 「そういうものですか…」


 猫の方は自分のことで人間二人が話していることを知ってか知らずか、眠たそうな半目をしばたたかせていた。


 大家さんは暇を持て余していたのか、それからしばらくターナを相手に猫への接し方のようなものをターナに細かくレクチャーしてくれた。半分くらいは自分の飼い猫の自慢話だったような気もするが、自分の子供が遠くに居るということで、その分の情愛が飼い猫に向けられているのだろう。

 そしてそんなことをしていたら体が冷えでもしたのか、大家さんは寒さを思い出したかのように肩から下の腕を擦りながらアパートの隣の自宅に帰っていき、ターナは同じ場所にずっといた猫と一緒にその場に取り残されるような形になっていた。


 「………なあ、おい」


 手を延ばしたくなる衝動を堪え、言われた通りに声をかけるだけに留める。

 大家さんが去ったことで残るターナを警戒でもしているのか、こちらをじっと見て鼻をひくつかせている。

 ただ耳はきちんと立ててこちらに向けているから、敵意を向けられていたり、怯えられているわけでもなさそうだ。今し方教えられた猫の感情の見分け方を信じれば、だが。


 (猫の感情、か…)


 ふと、動物の認識を捉える練習をしていたことを思い出す。

 昔、好奇心から練習の末に出来るようにはなったのだが、動物にこんな様々な感情があるのかと驚いた覚えがある。姉に嬉々としてその話をしたら呆れられ、止めておけとも言われたため、それ以後はそんな真似はしていないが。

 けれど、今は目の前の猫にどうしても自分を認めさせたい。

 そんな想いから、ターナはやや緊張しつつ、猫に声をかけた。


 「…ど、どうだ?最近は」


 猫に息災を問うてどうするのだ、と我ながら馬鹿馬鹿しく思わないでもないものの、顔つきは至極マジメに、猫の認識を探る。


 『餌を探しにいきもせず、こいつは毎日なにをしているんだ』

 「な、なあっ?!」


 そして得た彼の認識は辛辣そのものだった。


 「お、お前なぁっ!わたしだって毎日無為に過ごしているわけじゃないんだぞ?!今日だってほらこれを見ろ、ちゃんと働いて安く売ってもらったんだからな!」


 今日一日の成果を見せつけて力説するのだが、弁解じみていると自分でも思わないでもない。というかそれ以上に、欠伸をする猫に向かって必死に身の上の弁明をする図というのは、ターナの外見でやると痛々しく思う者と微笑ましく思う者の両極端に別れそうな行動だ。

 重ねて猫の認識を捉えたが、とうにターナへの興味は失せたか『うるせぇなぁ』という程度のものしか得られず、まさか力尽くでこちらに顔を向けさせるわけにもいかなかったので、歯噛みして引き下がるしかないのである。


 「…くそっ、猫にまで馬鹿にされてこのままでいられるか!いいか見てろ、近いうちにわたしの指で喉を鳴らすようにしてくれる。絶対に、だ!覚悟してろ!」


 そして、面白くない、というより痛いところを突かれたという顔でそうのたまうと、指を突きつけた格好のままアパートの階段を登り、自室に引っ込むのだった。

 これからやるのはアルバイト情報をひっくり返すことか、今までやったバイト先に話をつけてまた仕事を紹介でもしてもらうか。

 どちらにしても、猫に舐められたままでいられるか!という感情が勤労にはしる動機としてはどうなのか、という点については全く考えの至らないターナだった。



   ・・・・・



 「ターナって時々あほだよね」

 「うるさい、ばか音乃。結果的には前向きになったんだからいいだろう」

 「別にそれまでが後ろ向きとも思わないんだけどなあ…」


 自販機コーナー近くのベンチに腰掛けてそんな話をしている。

 イルカの見事な曲芸を見てからする話としてはなんとも夢のない内容のような気はしたが、そんな場面を想像してみると音乃としては、是非居合わせたかった、と思うのだった。


 「で、それがきっかけで新宿の仕事するようになった、と…」

 「いや、違う。まだその頃はカタクラさんのことは忘れていたしな。いろいろコネは増えたから、選り好みしないで仕事するようになっただけだ」

 「一応選り好みはしてたんだ。やっぱり目立ちたくないから?」

 「まあな。いくら力で認識は逸らせるといっても写真だのテレビだのに残るわけにもいかなかったしな」

 「え、テレビに映る仕事の話なんかあったんだ?なになに、どーいう話?」


 ジュースの紙コップを握りつぶす勢いで身を乗り出す音乃。ターナにしてみれば迷惑でしかない話なのだから、こいつ意外とミーハーだな、とうんざりした顔を隠しもせず、バカみたいな顔してバカの真似みたいな会話をする仕事だ、とだけ言っておいた。


 「ふうん。まあターナがそーいうんならそうなんだろうね。あと他に面白い仕事とかなかった?」

 「…その前に、なんでそんな話を聞きたがるんだ?」

 「そりゃあ私だって卒業すれば何かの仕事には就かないといけないんだし、参考になる話なら聞いておこうかと。あとターナの話ならなんでも知っておきたいじゃない」

 「わたしのアルバイト放浪記なんか就職の参考になるわけないだろ。後半が本音じゃないのか」


 まあね、と特に抵抗もせず認める音乃だった。


 「…まあ面白い話となると…興信所の手伝いをしたのは結構面白かったな」

 「こうしんじょ…?なにそれ」

 「分かりやすく言えば探偵だな、って予想通りとはいえ食いつくな、お前も…」

 「だってぴったりだなー、って思って…って、ごめん、ターナ力使ってそういう真似するのイヤだよね」

 「まあな。実際、その仕事中使ったのも、自分が目立たないようにするためのみ、だったし。けれど仕事自体は上手くいったぞ?尾行の人数揃えるために手伝っただけだが、一人ヘマして発覚しそうになったのを助けたりしたしな」

 「ターナそういう立ち回り上手だもんね。でもなんで続けなかったの?」


 実際、ターナの話す様子を見ると、探偵業自体に興味が無さそうではなく、適性もあるだろう。実践でも無難どころか機転の利くところを見せられたのであれば、それを続ける道だってありそうなものだ。

 が、そう言った音乃にしたターナの返事は、と言えば。


 「目立つから探偵向きじゃない、だとさ」

 「ひどくない?外見で差別するとか…っていうかそれ以前に、ターナ普段から目立たないようにしてるよね?」

 「二回ほどやって、どっちも上手く出来たんだがな。ただ、込み入った仕事をしようとすると、この顔では客にいい顔されないらしい。いくら現場での仕事に支障なくても、話を聞く段階でこれでは心配されてしまう、ってことだ」


 そもそも他人の秘密を暴く仕事をするには、こっちの身元が怪しすぎる…とここは冗談めかして言っていたが、綺麗な銀髪を指に巻きながら話す姿には、何か我慢をしただろうことは、伺えた。


 「ま、そんなことをしてるうちに冬になったな。その頃には例の猫も、わたしの顔を見れば寄ってくるようになってたし、冬だからそんなしょっちゅう見かけるわけでもなかったが、寒い日は多分どこか暖かい所にでもいたんだろう。ちなみにその頃、ポケットにはいつも猫用のおやつが入ってたものさ」


 自慢げにターナはそんなことを言う。それはきっと楽しい思い出だったのだろう、と思える顔だった。


 「…名前をつけてもいいかな、と思った頃だった」


 そして一転して、そんな顔から表情が掻き消える。

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