第56話
「…音乃ちゃんさあ」
「んー?」
出荷せず、自宅で消費するか近所に配るために作っているトマトを収穫して帰ってきた蒔乃は、縁側でゴロ寝しつつマンガを読んでいる姉を、軽蔑したような目つきで見下ろした。
「いっっっくら長いことつっかえてたものが取れたからって、いきなりだらけすぎてない?」
蒔乃が言う「つかえてたもの」とは、先日の飯田亜伊子の件だけでなく、ずっと避けていた実家に帰ってくる踏ん切りがついたことも指す。
そうなるように力を貸してきたつもりの蒔乃としては、姉が実家に帰ってきてまた以前と変わらずに家族となれたのは嬉しいものだが、その代償がこうして一分の隙も無く緩んだ姿の姉、となれば文句の一つも言いたくなるというものだ。
「…だってマキも言ってたじゃない。スケートやってない時の私って大ボケだって。もうスケートやってないんだから、私は年中無休で大ボケ、ってことになるでしょ?」
「開き直りにしてもさいてーの発言だと思うよ、それは。ターナが今の音乃ちゃん見たらなんていうのかなー」
蒔乃にしてみればこの名は、だらしのない姿をさらす姉への、ちょっとした反乱のようなものだ。
だが言われた姉の方はといえば、その名前に面白くないものでも含んでいるのか、マンガ本で妹の視線から顔を隠すようにし、それで足りないのか更に反対側に向けて寝転がるのだった。
「…はあ。自覚があるなら別にいーけど、せめて東京に戻るまでにはもーちょいシャンとしてよね。お姉ちゃん」
ターナの名前を出して逆効果なら、今の所は何を言っても無駄か。
家を離れて数ヶ月。恋人関係云々は別として、何かと人間関係のシンプルだった姉の生活に、家族の自分が安易に踏み込めないところが生まれてきているることに、少なからず動揺を覚えてため息のもれる蒔乃だった。
・・・・・
「今日も人捜しなの?天気が崩れて来そうなのだけど」
岩村親子宅に居候のような形で世話になり始めて、四日目。
連日ターナは出かけてシュリーズェリュス、またはマリャシェの姿を捜してはいるが、いまだ手がかりのようなものすら掴めていない。
もしや既にこの地を離れたのか?との懸念を抱かぬでもないが、その確証もない今、闇雲に方針を変えるのが得策とも思えない。
「…そうですね。もう少し遠くまで足を伸ばしてみようかと思います」
「そう。よければ自転車を使う?」
有夏の申し出はありがたくはある。
ただターナとしては、自転車がなくとも行動範囲に不自由はそれほどないのだし、付け加えるならば自転車に関しては音乃との思い出があって、妙な感慨に囚われる心配もあったから、丁重に辞退するのだったが。
「それよりも、今日は少し遅くなります。夏穂の世話が出来なくなるかもしれません」
「それは構わないわよ。最初の話の通り、隣の上田さんに預けて行くから。ふふっ、上田さんたら、ターナが夏穂の面倒を見てくれるものだから、少し寂しがってるみたいだし、気にしなくてもいいのよ」
それは流石に、ターナの事情で最初の約を果たせないことに対する気遣いなのだろうと思うが、隣家の上田夫妻が夏穂を大変可愛がっていることも事実だから、ターナとしては素直に笑って有夏の言葉を受け入れるだけだ。
「…ごちそうさまでした。では、行ってきます」
「たーな、いつかえる?」
「ほら、夏穂。ターナはお仕事なのだから、邪魔したらダメよ」
「…はーい」
…なんとも懐かれたものだし、ターナもこう縋られてしまうと可哀想にはなる。
「すまないな、カホ。約束はできないが、夜のご飯は一緒に食べられるように頑張るから、待っていて欲しい」
しゅんとした夏穂の頭を撫でると、ターナを安心させるようにニコと笑う。幼子ながらも気丈な振る舞いに、ターナも後ろめたさに似た感情が沸く。
だが、それは大事にすることとしても、やるべきことはある。
一対の視線を受けつつ軽く身支度を調えると、ターナはすっかり見慣れた岩村家の古い邸宅を後にした。
焦りに似た感覚も、ある。
ここ数日繰り返している、人通りの多い場所に立って自分をエサにし、見覚えのあるシュリーズェリュスの容姿への認識を探ることを続ける。
場所を時々変え、今日は最初に降り立った駅前から少し海側に入った町で行っている。事ここに及んでは流石にターナもすぐに成果が出るものとも思わなかったが、見咎められぬよう歩きつつの探索を始めてすぐに、引っかかるものがあった。
(!……いや待て。似たような人物かもしれないしな……あの女性か)
僅かに…いや、そこそこあからさまに、こちらに注目している認識を捉える。というより、露骨に自分を注視している感じだ。
確かに目立つ身姿だとは思うが、その強烈な認識は知り合いに会った、というものよりも強いもので、それに影響されてかターナも、どこかで会ったことがあるのか?とつい視線を返してしまう。
「そこの!ちょっとそこのあなた!動かないでその場にいて!いい?!私がそっち行くまで一歩も動かないこと!」
その視線が交わった、と同時に女性は道路の反対側にいるターナに、こんな声をかけてくる。その馴れ馴れしさといったら、思わず自分に言ったのではなく周りの他の人に言ったのかとつい辺りを見回したほどだった。
道路は車の往来もなかったため、その女性は結構な勢いでターナに突進してきて、あわや衝突するか、といったところで立ち止まり、言う。
「…ふ、ふふ。あなたもしかして、シュリーズさんのお姉さん、ってひと?とても雰囲気がよく似てるから間違い無いと思ったんだけど!」
「あ、あね…?な、なんのことです…?」
面食らいつつも相手の認識を掴む。シュリーズ、と彼女の呼んだ対象は…。
(…間違い無いな。シュリーズェリュスだ。シュリーズ、もあいつの愛称だったはず。となると、この女性はあいつと接触があったということか…)
「あ、私こーいうものなんだけどさ。すぐそこのショボい広告屋で働いてるの。はい」
強引に手渡された名刺を、仕方なく眺める。
(有限会社村枝企画 デザイナー浅田承理、か…特におかしなところはないが…)
「それで、わたしに何か用ですか?姉と今仰いましたが、わたしの姉はこの国にはいないのですが」
「あなたのお姉さんじゃなくて、あなたがお姉さんじゃないの?って話。いえね、こないだアイドルの卵…なんてもんじゃないわね、ありゃ。そう、アイドルの至玉よ。至宝よ。あの子こそ…日本を変えるアイドルの素質を持つ者よっ!!」
「………はあ」
なんだこの女性は。どうもシュリーズェリュスを見てアイドルがどうのこうのとか世迷い言を言ってるようだが、アレが、あいどる?大勢の人間の前に立って歌ったり踊ったり?
…ねーだろ、さすがに。
呆れてターナは頭を振るう。
ともかく、やっと見つけた手がかりではあるのだ。この女性からシュリーズェリュスの居場所を探らなければ…。
「あの、なんでしょうか?」
ターナが思わず仰け反るほどの熱視線を至近で浴びせられている。
「…シュリーズさんとは関係ないとしても、あなたもなかなかの素質がありそうよね」
ぞわっ。
思わず背筋を、怖気にも似た悪寒が貫通した。
これは関わり合いにならない方がいい気がする。
ターナの、本能的な何かがそう告げていた。
「あ、あの、それは…わたしには過ぎた評価なのでわ…あ、いやそれよりもあなたの言う『シュリーズさん』についての話を…」
「そんなことよりも!…私はあなたのことが知りたいわね……っ」
腰が退けながら探りを入れるが、戻って来る認識にシュリーズェリュスのものは一切捉えられない。早い話が、今この女性の持つ認識の百パーセントはターナについてだ。こんな状態でシュリーズェリュスのことなど調べようがない。
「いえ、あー…失礼します!」
「あ、待って待って!私怪しいものじゃないからっ!興味あったら連絡ちょーだいっ!!」
そのままいたらキャッチされて何処かに連れ去られそうだ。
そんな危機感を覚えてターナは振り返り、脱兎の如くその場を後にした。
幸いにしてその女性の身分を示すものは手に入れたのだ。落ち着いた頃に…それも望み薄な気はするが、また接触すればいいと思い、ともかく成果ゼロではなかったのだと走りながら自分に言い聞かせていた。
(…そしてトントン拍子にことは運んだ、というわけにもいかないものだな……)
それでケチがついたのか、あるいは今日の幸運を全て使い果たしたのかは分からないが、夕方が近くなった今に至ってなお、追加して手がかりを得る、ということは無かった。
駅の反対側に場所を移し、バスに乗って郊外にも向かったが特に何もなく、格好つけて出かけたことも忘れて今日は帰ってしまおうか、という気持ちに傾きつつ駅に戻る道を歩く。
(ともかくシュリーズェリュスが最近この近くに姿を現した、という確証だけは得られたのだ。無駄足だったわけでもない…ん?)
その最中、通り過ぎた鯛焼きの屋台小屋に気になるものを認める。
というより、それが何なのかを考えるより先に体が動いた。
(…マズい!)
咄嗟に周囲からの認識を全て逸らし、飛び跳ねて近くのビルの屋上に場所を移した。あるいは誰かに見咎められていないだろうか、と自分に集まる認識を探ったがそのようなこともなく、ターナは落ち着きを取り戻して今見かけたモノにもう一度目を向ける。
こちらはビルの屋上。あちらは…鯛焼き屋の列に並んでいるのだから、こちらを認識される心配はないだろうが…。
(何せ相手が相手だ。まさか…)
ターナの視線の向かう先には、ひとりの少女の後ろ姿がある。
背丈はそれほど高くはなく、髪は緩くウェーブした金色。背後から見てとれる特徴はそれくらいのものだ。日本の地方都市で観光客として見かける外国人としてはあり得なくはないのだろうが。
六階建てのビルの屋上から、目を凝らして見る。無論、こちらの認識が捉えられることのないよう、全能力をつぎ込んで、だ。
そしてその甲斐あって、その人物が鯛焼きの入った紙袋を手に列を離れ見せた、ホクホクした横顔を確認出来た。
(!!……グリュームネァ…なんであいつが?!シュリーズェリュスも日本に居るということは…リュリェシクァの姉妹が二人とも異界の門を越えた…どういうことだ?故国に何が、起こっているんだ?!)
ターナを困惑と混乱に陥れる事態。
竜の娘長女家の長女。すなわち、最強の竜の娘が。
その身に負った全てを投げ打ち、帰ることの出来ない異界の門の先に赴きここに、いる。
普通に考えればあり得ない話なのだと思う。国どころか世界の柱石ともされた竜の娘の、筆頭たる長女家。その現役である二人が共に、戻る術のない異世界へ身を投じる。
だが、今自分がこの世界のこの国にいることが既にあり得ない話だとも言えるのだ。
ならば起きている事態を把握すべく、行動すること。それが今の自分に必要なことだと意を決めて、顔を上げたのだったが…。
(いない…って、ちょっと待てそんなに時間経ってないだろう?!あいつ、どこにいったんだ?)
慌てて、一応こちらからの認識が捉えられないように気をつけて、つい今いただろう場所を探す。高い場所からのこと、発見は容易だろうと思われたが、日本においては目立つであろう金髪の少女の姿は…結局、ターナに見つけることは出来なかった。
・・・・・
『なにそれ…なんかどんどん話がおっきくなってない?』
「なってるな…わたしもそう思う」
その晩、音乃に電話をした時は流石に、事態の芳しくないことに二人揃って考え込むしかなかった。
『でもさ、その…なんだっけ、ぐりゅーむねや、ってひと?ターナと仲が悪いの?』
「悪いというかな…そもそもわたしが同族と折り合いが良くなかっただけのことで、別に怖いとか理不尽…ではあったような気もするが、暴力的とかそーいうことではなかったが」
『じゃあ別に隠れる必要なんか無かったんじゃない?姿を見かけたなら素直に話かければよかったのに』
「う…」
思わず身動きの止まるターナだった。
胡座をかいた足の上に収まっている夏穂が、なにごとかと振り向いてターナの顔を見上げていた。
実際音乃のいうとおりではある、とその頭を撫でてやりながらターナは思う。
シュリーズェリュスとは折り合いのよくなかったターナだが、その姉であるグリュームネァと何か葛藤や諍いがあったわけではない。特に親しく接していたわけではないが、一応あちらは当代の竜の娘たちの筆頭でもあったし、ターナの方で一方的に隔意を抱いていただけのことで、割に面倒見は良い方だったはずだ。
「たーな、おしごとたいへん?」
「…あー、悪いなカホ。もうすぐ終わるからちょっと待っててな?」
「ん」
「…で、音乃?……おい、聞いてるか?」
『聞いてる。けどさあ、もー少し恋人のことをかまってほしーというか…』
「小さい子供相手に妬いてどうするんだ、お前も。ともかく迂闊だったのは認める。あの辺りからグリュームネァの足取りを追うなり、マリャシェの気配を探るなり、やり様はあるさ。いろいろやってみる」
『うん、まあ迷ってるわけじゃないみたいだから、その点は安心だけどさ。でも本当に気をつけてよね?』
「そうだな。音乃に心配かけないようにはするさ。じゃあ、おやすみ音乃。愛してる」
『ありがと。私も大好きだよ、ターナ。じゃ、ね』
いつもの通り、音乃との通話が終わった後は何か物寂しさと胸を温かく満たすものがある感覚が同居する。
通話履歴の最後に残る音乃の名前を見ながら感慨に耽っていたターナだったが、夏穂がターナの頬をぺしぺしと叩いてるのに気付くと、
「あ、ああどうした?カホ」
と気分を一転させて、その幼い仕草に顔を緩ませる。
多分、音乃がこの光景を見たら、またふくれっ面で文句の一つや二つ言ってくるだろうなと想像することが楽しくないこともない、ターナなのだった。
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