観察記録
初めてのミアビーノ飼育である。
飼育期間は一月三日から一月七日に掛けて。
一月三日。八時三〇分。
説明書を読み込み、飼育を始める。老爺から購入したガラスケースに新聞紙を敷く。「卵」の座りを良くする為、脱脂綿の上に置く。
用いた液体は人肌程度のお湯。新聞紙の上から掛けるという頭の悪い行動、すぐに敷物を変える。
五分程観察するも変化無し。「何て自分は馬鹿だろう」と、失った煙草代を嘆く。苛立ちと共に外出する。
同日。一八時一九分。
帰宅する。「卵」が少しだけ膨らんでいる。驚きと共に観察を続ける。
同日。二〇時八分。
コツコツ、と内側から叩くような音がする。驚嘆よりも恐怖が勝る。近所の河原に捨て置こうか悩むも、結局遠巻きに観察する。
同日。二〇時一三分。
小さな手が飛び出た。思わず声を上げる。同時に「卵」も震える。私の声に驚いたらしい。
同日。二〇時一五分。
再びコツコツという音。両手が飛び出る、丁寧に穴を広げていく。
同日。二〇時一九分。
産まれた。整った顔立ちの少女だった。長い黒髪は腰辺りまで。ようやく外界へ出る。白い布みたいなものを纏っている。幽霊の如し。
同日。二〇時二五分。
新聞紙の上を這い回る。興味深げに文字を見つめ、針のような指でそれをなぞる。着いたインクを舐めている。それから何度も舐める。気に入ったのだろうか。
同日。二〇時三九分。
ガラスケースの壁面に手を掛け立ち上がる。頑張れ、頑張れと声を掛けてしまう。五月蠅そうにこちらを見やる。気落ちする。
同日。二〇時四七分。
両足で歩き回る事が楽しいのだろうか。グルグルとケース内を歩く。時折飛び跳ねる。身体能力を試しているらしい。
同日。二一時七分。
空腹の為、茶漬けを食べる。視線を感じる、ケース内からだった。不満げに睨め付ける顔が愛らしくもあり、不憫だった。
同日。二一時一〇分。
ふやかした白米を五粒、小皿に乗せて給する。ジッとそれを見つめるも、手で千切って食べ始める。小皿が大きいのだろうか、いちいち辛そうに白米を取る為、脚立代わりの割り箸の破片を置く。
同日。二一時一二分。
食器という概念があるのだろうか。ささくれをナイフとフォーク代わりにして白米を食べる。破片に腰を掛ける姿は妖精の如し。
同日。二一時四五分。
全て平らげる。食器を小皿に置き、暇そうに食後の散歩を始める。しかし小さな目は半分閉じている。眠いのだろう。
同日。二二時一分。
新しい脱脂綿とティッシュを寝具代わりに与える。ケースの隅に自分で移動させると、さっさと眠ってしまう。気遣いがなっていなかった。反省。便宜上、名前を与える。隅が気に入っているらしく、「スミコ」と名付ける。
一月四日。八時二二分。
起床する。スミコも既に起きていた。割り箸の椅子に腰を下ろし、私を見上げるとすぐに、空の小皿を指差した。
同日。八時四五分。
白米を六粒平らげる。「食っちゃ寝」の生活も不憫なので、スマートフォンで子供向けの映画を視聴させる。
同日。一〇時一四分。
面白かったか、と何気無く問うてみる。困ったように小首を傾げるスミコ。試しに大人向けの、私でも退屈な芸術的映画を視聴させる。これには非常に興味を向けたらしく、目を輝かせてのめり込む様子。私は昼寝をする。
同日。一三時二分。
余程面白かったのか、寝起きの私に何かを訴える。言葉は無い。身振り手振りで恐らくは「面白さ」を伝える。ある程度伝え終えると、再び小皿を指差す。
同日。一三時八分。
残り物のササミを与える。同時に塩も何粒か与える。時折塩を舐めて調味しているようだった。
同日。一四時三四分。
スミコは昼寝中。今の内にスマートフォンを充電しておく。
同日。一七時三分。
スミコの身体が大きくなっていた。八センチメートル弱?
同日。一九時五四分。
スミコと共に映画を視聴。劇場のようにスマートフォンをケース内に入れ、割り箸の椅子も置き直す。その間にスミコは新聞紙を小さく破っている。メモの代わりにするのだろうか。
同日。二一時三二分。
視聴終了。評判の映画らしく、まあまあ面白い。スミコはインクを指に着け、小さなメモに何かを記していた。メモは五枚にもなり、寝床に大事そうに置いた。
同日。二一時四二分。
遅めの夕食。パンを与える。劇中にパンを食べるシーンがあった為。
同日。二二時二三分。
メモを丹念に纏めるのを観察。差し入れとして、同じぐらいの大きさに切ったコピー用紙を渡す。小皿を洗う為、一度取り出す。スミコのギョッとした表情が可笑しい。
一月五日。二時四三分。
小便のついでにスミコを観察。差し入れのコピー用紙が二枚使用されている。何処ぞの小説家らしく、一枚がクシャクシャに丸められていた。本人は就寝中。寝相は良い。
同日。七時五四分。
朝食にふやかした白米を与える。新聞を読むように、自身の書き記したメモを読みながら口を動かす。無作法と叱ろうとするも、前日に私も同じ所作をしていたと思い出す。それを学習したのだろうか。
同日。八時一三分。
スミコが「観覧席」で待っている。余程映画を見たいのか、家事をこなす私の方をチラリチラリと見ては、溜息のような呼吸をする。
同日。八時二五分。
家事を終える。哲学的な映画を視聴させる。私は既に視聴済みだが、半分程見終えた辺りで船を漕いでしまう代物。スミコには余りに難しいか。
同日。一〇時三四分。
何と言う事か! スミコは一睡もせず視聴したらしい。むしろ目の輝きは異常なぐらいで、微睡む私にコピー用紙を振り回して見せた。追加分を差し入れると、一心不乱に何かを書き付ける。私よりも知能が高いらしい。
同日。一一時一六分。
メモを実に一〇枚書き終えてから、スミコは死んだように眠り始める。力尽きた受験生のように、辺りにメモを撒き散らすのが可笑しい。ふと、ミアビーノの「終末期」を思う。
同日。一二時六分。
起きない。不安が募る。
同日。一二時三八分。
起きない。申し訳無いと思いつつ、綿棒で身体を揺する。不快そうに手で払う。生きていた。
同日。一三時三一分。
長い昼寝を終えたスミコは元気だ。メモを纏め終えると、今度は昼食を催促する。ふやかした白米を与えると、生意気にかぶりを振った。チョコレートを渡す。満面の笑みで食べ始めた。
同日。一五時二分。
ふとスミコを見やる。腹を抓って気まずそうにしている。生意気な。
同日。一八時五七分。
買い物から帰宅する。今晩は共に唐揚げを食した。何でも食べると説明書にはあるが、スミコはケホケホと辛そうにしている。キャベツを細かく切ってやると、それを食べ始めた。どうにも個体毎の「好み」があるらしい。
同日。一九四三分。
映画を視聴する。怪獣映画である。怪獣が吼える度にビクリと肩を震わせる。メモも余り書いていない、恐怖の方が学習意欲よりも勝っているらしい。
同日。二一時四五分。
歯を磨く私をジッと見つめる。不安げな表情だ。何故だ。
同日。二一時四八分。
理由を突き止める。先程の映画で、歯を磨いている人間が怪獣に襲われるシーンがあった。怪獣の出現を恐れているのだろう。
同日。二三時六分。
睡魔に負ける。おやすみと伝えてみる。スミコはモゴモゴと口を動かすも、音を発する事は無かった。
一月六日。八時四分。
餌を与えつつ、スミコの寿命が迫っているのを思い出す。特段変わりは無いが。
同日。一三時三四分。
やはり変わりは無い。映画を見終え、いつもの通りメモを取っている。
同日。一五時二分。
様子が違う。
同日。一六時一分。
スミコ、ケース内を彷徨き始める。私の方を何度も見やる。
同日。一六時二三分。
スミコが転んだ。初めての事である。
同日。一七時一分。
チョコレートを与えてみる。少し齧るだけで食べるのを止めた。私の方を見やり、笑っている。
同日。一七時五分。
寝床で横たわった。昼寝ではないらしい。
同日。一八時二五分。
目は閉じているが、どうにも具合が良くないらしい。呼吸も浅い。
同日。一八時五四分。
名前を三度呼んでみる。弱々しく目を開き、笑う。
同日。一九時二二分。
説明書をもう一度読む。「終末期」に入ったとの事。
同日。二〇時三三分。
映画を見るかと問うてみる。頷いた。
同日。二〇時三五分。
スマートフォンを用意するのに手間取る。焦りが強い。
同日。二一時一四分。
寝床で横たわりながら視聴するスミコ。メモを取る体力が無いのか、ジッと画面を見つめる。
同日。二二時一九分。
映画が終わる。スミコは横になっているだけ。メモを取る様子が懐かしい。
同日。二三時五分。
私の方を見つめる。無表情だが突き放すようなものでは無い。
同日。二三時三一分。
スミコが動いた。メモを纏めようとしている!
同日。二三時三三分。
メモを全て抱えると、スミコは宙に向かって差し出した。私にあげようとしているのか。
同日。二三時三六分。
そうらしい。丁重に受け取る。満足げに頷き、スミコは目を閉じた。
同日。二三時五六分。
スミコの身体がボンヤリと輝く。
一月七日。〇時二分。
両手両足が結晶化していく。最早動くのは首から上だけだ。
同日。〇時一四分。
何かを言おうとしている。
同日。〇時一五分。
スミコ、完全に結晶体へと成る。か弱い声で「おやすみ、また明日」と発する。
同日。〇時三〇分。
スミコだった結晶体は、これ以降動く事は無かった。
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