たけしの挑戦状⑥

人生って哀しいと思わねえか?

泣きたいくらい悲しい哀愁に包まれちまったころだろう。

「今までの苦労と努力はなんだんだろう」と茫然としちまったって?

成功成功。それがオレの狙いなんだもん。

金をふんだくられ、長い時間を浪費して、ついには

「一体オレに何が残ったんだろう」ってそんな空しい感慨に直面する。

そして、改めて自分の人生を

生きる意味をじっくり考えさせれるって寸法なんだもの。


引用:『たけしの挑戦状 虎の巻 -たけし直伝-』(太田出版)


    ■


 平凡な日々からの脱却を夢見て、非日常の世界へと飛びこむ主人公を演じた男が、挑戦状たけしを通じて、平凡な生き方の大切さを学び家族と普通の生活に戻ることを選ぶ。なんとも皮肉な運命ではないだろうか。


「就職活動をするには少し厳しい年齢でしたけど、好景気バブルと作品で取得した資格の頑張りが功を奏したのか。何とか人並みに暮らせる仕事にありつけました」


 加えて、知名度ある“ゲーノウジン”はまだ少なく、マリオを除いて他のメディアで露出することはなく、ファミコン社会は子供が中心だったことも幸いしたのか、彩良里さらさとが『たけしの挑戦状』の主人公だと囃したてる者が周囲にいなかったことも、平穏な日常を後押ししてくれた。


「収入は安定したけど、サラリーマン暮らしは楽じゃなかったです。女房や子供にキツイ態度をとったこともあったと思います。ノルマや社会の付き合いでストレスも溜めこみました。鮎式あゆしきさんも大変でしょ?」


「営業ノルマとは少し違いますけど、自分が担当する出版物しごと数字けっかがすべてなのは同じですよ。まあ、独り身な分だけ気楽かもしれません」


 鮎式にも、上司を殴りたい気持ちを堪えながらおべっかを使うこともある。すっぱりと辞表を出せれば、どれだけスッキリするかと何度思ったことだろうか。しかし、仕事が終われば、時にはぶらりと夜の街を歩き、パチンコや赤ちょうちんに立ち寄り噛み締める束の間の発散。それも悪くない。


 だからこそ『たけしの挑戦状』は、子供から大人へと成長した時、夢と現実をもがきながらいつか抱くだろう、社会の日常に纏わり付く疑問、失敗を恐れぬ決断する勇気、人とは違う生き方による代償リスク、それら現実や分岐点をAボタンひとつで先駆けて体験させてくれたのかもしれない。


 ⇒じひょうを だす


 そんな無謀な第一歩から始まる、普通では味わえない擬似人生タイトロープを一番に渡ったのは、自分だったのではないだろうか。彩良里は時にそんなことを思いながら、ゲーノウカイ、テレビゲームに関わることなく、家族のために身を粉にして働く生き方を愚直に過ごした。


 それでも、潜在的に包まれていた不満の膜がヒビ割れそうになり、暗中を模索しそうになったことが何度もあった。そんな時、奇跡的に取り壊されることなく残る、挑戦状という名の故郷じたくを訪れた。


 そして、気が付けば、20世紀も終わりを迎え、2000年代も二桁目が近づいた。


「そんな時でしたよ。私に二度目の転機が訪れたのは」

「それって、もしかして……」


 溜め息まじりの口調と表情ながら、彩良里からは希望の灯が感じられた。鮎式は取材前に下調べしていた彼のいう転機に心当たりがあった。


    ■


 2009年3月31日、Wiiのバーチャルコンソールで一本のゲームが復活した。バーチャルコンソールとは、任天堂より2006年以降に登場したハード、Wii、WiiU、3DSの各シリーズで、過去のゲームが遊ぶことができるダウンロード販売サービスである。


 特徴は、配信タイトルが任天堂ハードに限らないことだ。

 メガドライブやPCエンジン、NEOGEO、MSX、アーケード作品など、メーカーの垣根を超えて配信された作品数は千以上にもおよぶ。


 何より入手、環境ともに遊戯が容易でなくなりつつある時代に、懐かしさとゲーム史に評価を刻んだ『名作』たちが身近に手軽に遊べることが何より素晴らしかった。


 そのタイトル群の中に『たけしの挑戦状』が加わったのだ。それは異例であると同時に多くの者が待ち望んだ脚光と言えた。発売から23年もの歳月を経て、『たけしの挑戦状』の評価は大きな変化……いや、進化を遂げた。


 清々しいまでに理不尽だった内容ゆえに、すべてのゲーマーに強い印象を残した本作。幾多の子供たちが味わった怒りや哀しみの殆どは、成長とともに良き思い出として熟成された。レトロゲームを話題にした場では、遊んだ当時の思い出と懐かしさを瞬時に盛り上げてくれる立役者となっていたのだ。


 『たけしの挑戦状』の翌年、1987年12月には『ファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城』が、翌々年、1988年3月には『たけしの戦国風雲児』と、続けざまにビートたけしの名を持ったファミコンソフトが発売されている。


 二作品とも、荒々しく無骨なゲームバランスながら夢中になったプレイヤーも多くファンにも定評だが、挑戦状ほどの印象と位置付けには至らなかった。


「最初は何かのドッキリか報復かと思いましたよ。急に挑戦状が注目されるようになるなんて。まさか、あんなものを最新のゲーム機で配信するとか、ナンの冗談だって」


 彩良里にとっては、青天の霹靂と思えたのも無理ないが、ゲームの歴史が積み重なるごとに、特に2000年代に入る頃には、レトロゲーム文化と人口は急速に拡大を見せた。


「あの、『たけしの挑戦状』に高い金額を払って遊んだことがある」という経験は、言わず語らずとも往年のゲーマーにとって一種の自慢、名誉ステータスになっていたのかもしれない。


 先述のとおり、挑戦状の売上本数は80万本。プレミア価格とは無縁と言っても過言ではない。全国で少し品揃えのよいゲームショップやリサイクルショップで安価で容易に入手できるのは、あの頃の若い世代が支えてくれた、後世に残した財産なのかもしれない。

 

「凄いですよね。あれだけのことを成し遂げたんですから」


 いつの間にか降り止んだ雨雲の隙間から陽の光が差し込む。鮎式はそれを眺めながら、隣に立つ喜劇の主人公に語りかけた。


「ほんとう、挑戦状はファミコン史に残るク……」

「違います。挑戦状じゃなくて、彩良里さんがです」

「どういうことですか?」


 推測の域を越える根拠はないが、『たけしの挑戦状』の主人公にどうして彩良里が抜擢されたか、鮎式には少し分かった気がした。


「確かにゲームの出来はお世辞にも満足とは言えない代物だったかもしれません。だけど、あなただからこそ、あの物語を演じ切ることができたんじゃないでしょうか?」


 あれだけ批判を浴びながらも、たけしの挑戦状を後味の悪い作品と言うものは不思議と少ない。それは、彩良里 満が演じる主人公のサラリーマンは、ゲームの始まりから終わりまで、死してなおも笑顔を貫き通したからではないだろうか。


 どんな苦境や困難に翻弄されようとも、第二の人生を後悔なく一貫して楽しむ姿をプレイヤーに伝えるためには、彼の天性の笑顔が必要だったのだと。


 あの当時、たけしが掲げたファミコンスピリット、その1億分の1でもあった鮎式は、同情やごまかしではない精一杯の熱い思いを取材の締め括りに彩良里に伝えた。

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