蒼と黄金(2)


「……はっ!」


 意識が突然戻った。

 どれ程気を失っていたのだろう。あれからどれ程時間が経ったのだろう。

 剣崎は何故か握り締めていた携帯電話のディスプレイを見下ろす。

 あれから、三十分足らず。それほど経っていなかった事に驚いた。

 そこで気付く。


「ここ、どこ?」


 剣崎が立っていた場所は――電柱の天辺。


「ひっ!」


 立っていた事すらも気付かなかった。

 自分が電柱の天辺に立っている事に気付いた瞬間に、体を強張らせる。両腕で自分を抱く様に交差させた。


 そこで、さらに気付く。

 携帯電話を持っていた手とは別の手には、純白の日本刀が握り締められていたのだ。月明かりに照らされたその日本刀に、こんな状況でも見惚れてしまった。そのせいで、体のバランスが崩れてしまい、空中に投げ出された。


「きゃああああああああぁぁぁああぁぁあぁぁっ!!」


 頭から地面に向けて落下していき、あっという間に地面が目の前まで接近した。

 死んだ。そう思った。


 剣崎は固く目を瞑ったが、体が勝手に動いた。動いた事を感じた瞬間、片膝に重い衝撃が走るだけで痛みはなかった。


 ゆっくり目を開けると、片膝を着く形で着地しているのが分かった。その上、地面に接触した片膝を中心に、僅かな亀裂が走っているのが確認出来る。剣崎は状況を把握しきれない様子で立ち上がり、先程まで立っていた電柱を見上げた後、今立っている亀裂の走った地面を見下ろした。


「なに……これ……」


 あの高さから落ちれば無事で済む筈が無い。それどころか、痛みも一切無く、コンクリートの地面を砕く程の強靱さを持っている事に背筋が寒くなった。

 自分に何があった。


 剣崎はその場から走り、家へと向かう。

 普段ならば、直ぐに息が切れるのだが、体力が擦り減る感覚も感じない。加えて、今まででは考えられない速度で人気の無い道を駆け抜けていく。それだけではない。視界が広がり、少しでも目に意識を向けると数キロ先の景色が鮮明に映し出される。耳に関しても、民家の家族の話声がうっすらと聞こえてくる。それに対し、意識を向けるとまるで傍で聴いているのでないかと思えてしまう程に彼女の耳に届いた。


 視力と聴力の向上。強靱な体。

 その単語だけだと、漫画にあるような特殊能力だ。一見、夢のような能力だが、自身が持ってしまうと、その能力に恐怖心まで抱いてしまう。


 漸く、家に着く。そして、ドアノブを捻ってドアを開けて慌ただしく入る。家の中に入ると普段と変わりない玄関に安心し、日本刀を背中に隠してからドアに凭れ掛かった。


 ばたばたした様子で入った為、リビングから母親が顔だけ出し、こちらの様子を窺ってきた。彼女の顔は眉間に皺を寄せ、何故慌てているのかと疑問に思っている様だった。


「どうしたの? あれ、ジュースは?」

「う、うん……なかったの」

「あらそう。遅かったから心配したのよ?」

「ごめん、立ち読みもちょっとね……」

「ふぅん。お父さん、もう寝ちゃったから、お風呂入ってきなさい」

「分かった。一回部屋に戻ってから入るね」


 剣崎がそう言って引き攣った笑みを浮かべると、母親はそのままリビングへと顔を引っ込めた。


 剣崎は足早と自室がある二階へと駆け上がり、自室へと入る。ドアをしっかりと閉めると背中に隠していた日本刀を前へと回し、純白の日本刀を見下ろした。


 何度見ても、美しい日本刀だ。

 しばらく見た後に視線を外し、何処に隠そうか部屋を見回す。


 剣崎の部屋は七畳程の広さであり、右奥に勉強机、その向かいにはベッド。ドアの左側には服などを収納するクローゼット。部屋の中央には薄緑色のカーペットが敷かれ、そのカーペットには可愛らしい犬の絵が複数プリントされている。ベッドの隣には少女漫画が何タイトルか置かれている本棚。これだけ見れば、至って普通の女子高生の部屋なのだが、剣崎が持っている日本刀がその雰囲気を一気に壊してしまっている。


「どこに……、とりあえずここで良いや」


 剣崎はベッドへと歩み寄り、ベッドの下にある僅か空いたスペースに日本刀を奥へと滑らせる。日本刀がきちんと奥へと追いやられた事を覗き込む事で確認し、早々と部屋を後にする。


 全く生きた心地がしない中、一階へと降りて風呂場へと歩いていく。その時、母親が再びリビングから顔を出し、剣崎の制服に付いた血痕を見て目を見開いた。


「どうしたのこれ!?」


 しまった。自分が吐いた血だとは言えない。言ってしまえば、パニックを起こすに違いない。剣崎は混乱する頭をフル回転させると、一つの嘘を吐く。


「は、鼻血だよっ。血止めるのにも時間が掛かったの!」


 その言葉に、母親は『なぁんだ』と胸を撫で下ろした。


「てっきり怪我したのかと思ったわぁ。最近物騒だし」

「ははは……大丈夫だって……」


 嘘を吐いた事に罪悪感を覚えていると、次に母親がこちらの顔を凝視してきた。

 次はなんだというのだ。


「な、なに?」

「あんた、左目黄色いわよ?」

「えっ」

「俗に言うカラコンて言うのそれ? 不健康そうね」

「……そうなの! 今日、葉菜ちゃんからもらったの! けど、片方落としちゃって」

「気を付けなさいよもう。さ、早く入ってきなさい」


 そして、母親はリビングへと戻っていき、ソファに座ってドラマを見始める。


 剣崎は風呂場へと向かい、引き戸を引いて中に入る。ドアを閉めると血の付いた制服を脱いでいき、下着も脱ぎ去る。風呂に入り、シャワーを浴び始め、深くため息を吐いた。顔を上げ、温水を浴びて僅かに口を開ける。少しずつ溜まった温水を口に含み、ある程度溜まった後に排水溝に吐き捨てる。


吐き捨てた温水は僅かに赤くなっており、血の味が再び口に広がる。


「はぁ……」


 後方から刺されたと思われる自分の胸を見下ろすが、傷らしい傷が無い。胸の中心を貫かれたというのに、生きているのは自分でも驚きだ。何かが入り込んできて意識が無くなる直前で、あの純白の刀によってそれを逃れる事が出来た。


 しかし、常人では有り得ない身体能力を得てしまった。命の恩人でもあるが、酷い能力を与えてきた。


 それに。

 シャワーの傍に掛けられている鏡に目を向け、自分の目を確認する。


 目が、黄色い。


 母親にはああ言ったものの、この目は一体どういう事なのだろう。皮肉にも、あの時に刺してきた人物と同じ目の色をしていた。自分を襲ってきた人物と同じ目という事に、怒りと恐怖が入り混じり、タイルで出来た壁を殴る。普通ならば自分の拳を痛めるのだが、体に異常を来した今では、そのタイルにヒビを入れ、痛みは感じなかった。


「もう……なんなの……っ」


 剣崎はその場に蹲り、頭を抱えた。

 完全に常人を超越してしまった自分に絶望する。


 これから先、どうなるのだろうか。

 想像できないこの先を思い、只泣くしかなかった。

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