Intangible-インタンジブル-
それからさらに一週間が経過した。
夏休みの間しばらくは両親の実家に帰ると彼女にウソを吐いて、会わない事を決めると俺はAltaiR-MX125に跨り、とにかく慣らし運転に走り続けた。
そして……
【博一】
「ふー……」
気が狂いそうな程、待ち望んでいた瞬間にようやく辿り着いた……
慣らし走行の間、急激にスロットルを開ける事や、やみくもにエンジン回転数を上げる行為は許されない。
始めはあまりに苦痛過ぎて心が折れそうだった。
ストリートをオンボロ50ccのごとく走り、時にはピザ屋の三輪車に抜かれる事だってあった。
加奈さんにその話をすると気にし過ぎで,普通に走っていいと笑われたが、それでも徹底的にエンジンを育てた。
環七付近のコンビニで今までを思い返しつつ、呪わしい記憶からは今日でおさらばだという気持ちで意を決してバイクにまたがる。
排気量も上がりマフラーも変わった所為で音はうるさくなったが、それももう慣れた。今はこの荒れ狂う怪物のようなエキゾーストノートが官能的にすら感じられる。
【博一】
「そろそろ行こうか……」
ヘッドを撫でてやるとマシンも逸る気持ちが抑えきれないかのように、わずかにエンジン回転数を上げる。本当はアイドリングが不安定なだけだが。
エンジンオイルを摺動部にいきわたらせるべくゆっくりと速度を上げ、やがて湾岸道路へと侵入。
合流地点で白いナンバーを下げた単気筒のオフロードバイクが俺の前を走っているのを目撃すると、すぐさま後ろへと付く。
相手は俺が気になるらしく振り返る仕草の後、スロットルを開けて加速していく。
そして俺もゆっくりではありながらじわりじわりとスロットルを開けて、マシンの加速Gを感じながら相手へと迫っていく。
【博一】
「すごい、すごいぞ! 格上相手についていける!」
とはいえ相手は250の単気筒だ。相手の得意分野といえば出足からの加速で、馬力競争をいくらしたところで勝負がついたとは言えない。
いつも通り舞浜交差点で赤信号に引っかかると相手は右車線で止まり、俺は左車線で横並びの状態に。
周囲はオールクリアの状態。夜の静かな風がヘルメットのシールドから吹き込み、ヒュルヒュルと鳴っているのを物ともせず、ただ静かにその時を待つ。
信号が青に変わった瞬間にスロットルを開けると、車体が走り出す。
【博一】
「1速……2速……3速……そして4速」
相手の変速に合わせるかのごとく、スロットル開度を上げていき、勝負は横並びの状態のままトップスピードでの争いへ。
オフロード車は低いギアで設定されているため、高速域からの伸びが緩やかだ。
ミラーの中に小さいヘッドライトを輝かせながら、着かず離れずの状態をキープし、やがては超高速域での勝負へと舞台が変わっていく。
【博一】
「さすがに250か。ついてくる……しかし、ここからが秘密兵器!」
スロットルの開度が100パーセントに至ると同時に、エンジンの回転数がパワーバンドに差し掛かる。
その刹那、世界が変わる!
体に受ける衝撃もさることながら、すべての景色が輪郭を失い、現実の景色は非現実の物となる。
【博一】
「とりあえず10秒だけ、全開だ!!」
瞬間移動しているかのごとく、景色が輪郭を失い千切れていく。
ミラーの中に輝く光はゆっくり小さくなっていき、もはや排気量にものを言わせるしかなくなってしまう。
【博一】
「5……3……2……1……」
これ以上トップスピードで走り続けてもリスクが膨らむばかり。
10秒のカウントを終えるとスロットルを戻しマシンを減速させ、右を抜けていく相手を見送った。
【博一】
「とりあえず10秒……すごいな……
しっかりと上まで回るし、パワーが違う!」
晴れ晴れとした気分で次の相手を待ち、長い直線を巡航速度で流しけていると、ミラーに光が差した。
かと思うと一瞬の間にテールランプが前方の暗闇に消えていった。
【博一】
「530と1300はさすがに無理だろ……さて、お次は誰だ?」
中央公園前の交差点に辿り着いたところで、赤信号に止められ、変わるまで待っている間に右車線に125㏄のスクーターが並んできた。
【博一】
「新型で125になったStepか……NCX125と同系統の11馬力水冷エンジン」
だが、125㏄とバトルしていたのはもう昔の話。
信号が青になると、相手にペースを合わせながら走行し、ムキになって前に出ようとする一瞬の隙をついて再加速。
必死に食らいついてくるものの、浦安料金所を抜ける頃には見えなくなっていた。
同じ速度で走行しているならば、先に超高速域へ到達した者が勝利する。
実現するには駆動系だけではなく、エンジンパワーを上げる方が先決だ。
この理論も間違いはない。
【博一】
「次はNCX150か……NCX125を純正で排気量を上げたマシン。」
相手がスロットルを煽りバトルを仕掛けてくる。
しかし、排気量はほぼ同じでも路面にどう伝達されるかという点で駆動系も必要。
塩浜の交差点からスタートし、ほぼ同等に速度が上昇していくが、純正そのままの駆動系は扱いやすさや燃費などに偏重気味だ。
こちらのマシンを何度もチラリと伺いながら超高速域の勝負へもつれ込み、やがて千鳥町交差点付近の上り坂に差し掛かる。
エンジンから溢れ出るパワーを余すことなく路面に伝達する事で、力強く踏破し相手の前へと出る。
【博一】
「スクーターはすなわち、トータルバランスだけがものを言う。
トップに振りすぎてもかったるいマシンになるし、
加速に振りすぎても追い越しでの伸びがなければ意味がない」
三車線に広がる工業地帯を抜けて江戸川を踏み越えさらにその先へ。
因縁の栄町交差点で赤信号に止められると、大きく息を吐いて緊張をほぐした。
【博一】
「……来る……ミラーには映らないそこにいる……」
獰猛なゴーストブルーのポジション牙が、ぼんやりとわずかに見え、猛々しいエキゾーストノートが二つ重なって聞こえる。
スロットルを煽り、タコメーターの針が上下へ行ったり来たり。
相手もまた出足から勝負をしようと言わんばかりにエンジンをうならせる。
【博一】
「青だ!!」
スロットルを捻る。フロントのトラクションが失われたかのように加速し、スピードメーターの数値が上昇していく。
ミラー越しに後追いの相手を伺いながら、前を行く車を右に左によけ、高速域を踏み越えたさらにその先へ。
速度の伸びが緩やかになり、どこまで伸びていけるかの勝負に至った。
【博一】
「……ミラーから消えた……まさか!」
聴覚に神経を集中させると俺のすぐ隣にいるのがわかった……
震えを堪えてスロットルをひねり続け、日の出交差点を弾丸のごとく突き抜けると、目の前には聳え立つ坂が。
【博一】
「だが、いける……相手はトップ向きの抜けのいいマフラーを積んでいる!
トルクでは俺の方が上だ!!」
長い坂をグイグイと力強く進みながら、相手のヘッドライトが視界の右端に映り、頂上に達するまでの間にテールランプを拝む結果となる。
【博一】
「こいつ、速さでも喰ってるのか!?
同じボア車なのに……前は俺が遅かったのもあるが、今見ている状況は違う……
確実に、速くなってやがる!!」
しかし、まだ勝負は終わらない。ここから折り返し地点である頂点の平坦な道路で鋭い立ち上がりを発揮し、相手の横へと近づいていく。
ショッピングモールの駐車場を横目に下り坂へさしかかると、再び相手のマシンが前へと伸び始めた。
【博一】
「クソッ! ダメかっ……」
スロットルを戻そうとした瞬間、ふと彼女の笑顔が脳裏に過る。
【博一】
「まだだ! まだ終われない!!」
グッと歯を食いしばって前傾姿勢のまま体を伏せ、100パーセントの開度のまま、長い坂を駆け下る。
【博一】
「8400……8500……その先の、8600回転……もっとだ! 8700回転まで!!」
巨大な怪物の雄たけびのごとくエンジンがうなりを上げ、排気音夜の沈黙を切り裂いて炸裂する。が……
前方に現れる赤い車体を目にして、俺は失望を口にする。
【博一】
「畜生!!」
自分か? マシンか? 何に対してなのかはわからないが、俺の中に大きな失望感が湧き上がってくる。
わずかに曲がった道の先へ飛び出た瞬間、前を走る相手のマフラーから炎が瞬く。
浜町2丁目の交差点を悠々と踏み越え、嘲笑うかのごとく俺を振り返ると、暗闇の中へと霧のごとく消えていった。
そう、先ほどオフロードバイクに対して俺が行ったものと同じ。スピードを落とすでもなく消えていったという違いがあるだけで、意味するところは……
これ以上はバトルしても決着がつかないから預けておこう……俺は勝者だが!!
若松交差点で左に曲がると、止められそうな場所でバイクを休ませ、俺はその傍らでうずくまった。
【博一】
「まだダメなのか……これ以上どうすればいいんだ……
クソッ……マトイ……ごめん……」
会いたい……でも、会ってしまえば、中途半端な気持ちを伝えてしまうだろう。
早く答えを見つけたいのに……言葉を送ってから見つけるなんて真似はできない……
【博一】
「どうしたら……いいんだ……」
方法はわかっていた。これ以上の出来る事をやるというただそれだけ。
でも、もどかしい気持ちが止まらなくて……
暗黒の世界の中にポツリと取り残されたようになりながら、決意を固めると立ち上がってバイクへとまたがる……
【博一】
「嘆いてたってしょうがないか……こうする以外に、方法はないんだからな……」
祈るようにして夜空を見上げ彼女を思いつつ、ただ茫然とするしかなかった。
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