Initial-イニシャル-

排気音を聞きつけた加奈さんはガレージから路上を一瞥すると、工具を手にしたまま俺へと歩み寄ってきた。


【加奈】

「ずいぶんと久しぶりだね。給料日まで来ないかと思ってたよ。

 頼まれてたモン、届いてるよ」


ショップ前にバイクを停めてヘルメットを脱ぐと、加奈さんが俺の顔を見て少しだけ驚いた表情を示しニヤリと笑った。


【博一】

「ご無沙汰です。待とうと思ったんですけど、ちょっと頼みたい事があって」


今から商品を注文してもらえば、給料が出た頃にはちょうど届いて、その流れで組付けを行ってくれるだろうという目算だった。


とにかく、一日でも早く勝負するために、今まででは考えられなかった力を!


【加奈】

「そんな事だろうと思ったよ。お前が笑ってるときはいつもそうだ。

 今日は暇なんだ、とりあえずカウルだけでもやってきなよ。

 話はその間に聞くからさ。アンタは信用があるし、また次に払ってくれればいい」


【博一】

「暇だって?  ガレージにバイクが入ってるのに……

 って、2スト50……晴樹のマシンか……」


なるほど、アイツがまた無茶をやらかしてぶっ壊したんだろうな……


【加奈】

「痛いよーって嘆いてるけど、構って欲しいだけなんだよあのバイクは。

 乗り手本人といえば、1/20Kmに出場するんだってさ?

 ほら、デモ車が展示されてるだろ!? あれのタイムを超えたいらしいよ」


【博一】

「まだまだ未熟……だけど、超えたい……か……」


先ほど湾岸道路でバトルした相手のマシンが脳裏に過る。


圧倒的な速さでチギられ、立ち上がりでも追いつけない、ほとんど反則の信号無視ギリギリのスタートでも、あっさりとカモにされての繰り返しだった。


自分のマシンに誇りを持っていて、体の一部のように……


いや、魂の半分を分け与えたかのようなバイクが、全く相手にならなかった……


しかし、絶望とともに浮かんだ、彼女の可愛らしい笑顔に心がやすらぎ、その声や髪の香りを思い出し胸が苦しくなった。


【加奈】

「どうかしたのかい!?」


【博一】

「いや、なんでもないです。とりあえず、先にカウルをお願いします」


【加奈】

「わかったよ。それじゃあ、あの子を動かすから、ピットに入れな」


センタースタンドを跳ね上げ、ハンドルを手にしてガレージへと押していく。


その車体の重みに、マシン本来の威厳を感じながら、前へ前へと進める。


【加奈】

「さてと、頼まれた通りのレモングリーンだよ」


【博一】

「メーカーの垣根は越えなくていいですから!」


【加奈】

「ハハッ、冗談だよ。今までのパールホワイトっぽい色から、

 国内仕様のメタリックサンフラッシュホワイトに変わる。

 逆車であることをカモフラージュ出来るね」


加奈さんはカウルを重ねて色を見せてくれたが、その違いが全く分からない。


【博一】

「あんまり変わらないですね」


【加奈】

「うん、私にもさっぱりだ。メーカーが売るためにマイナーチェンジして、

 その所為でカラーも変えてきたからね。コストの安いのになったんじゃないか?」


言いながら加奈さんはドライバーを手に取り、慣れた様子でカウルを外し始めた。


【加奈】

「……そういえば、あの子、事故ったんだってね?」


【博一】

「あの子……あぁ、今日お見舞いに行ってきました。

 ちょっとヒビが入った程度らしくて、明日には学校に来るそうです」


【加奈】

「ってなると、ウチにも顔を出すかな? 最近は毎日のように来てたからね」


【博一】

「毎日?」


湾岸道路でのバトルで出会ってから俺と彼女は仲良くなり、昼休みや放課後まで一緒に過ごしていた。


俺がバイトの時間になって別れたら、ここに来ていたという事になる……


【加奈】

「色んなバイクを見ては、私に説明を求めてきて。

 妹が出来たみたいで楽しかったから私はいいんだけどね。

 お姉ちゃん勉強教えてーみたいな感じでさ……でも、あの子友達とかいないの?」


【博一】

「いない事はないんじゃないですか……どうして!?」


【加奈】

「あんなピチピチのギャルが学校終わったら、油臭いガレージに入り浸るなんて。

 もっと他にやることあるんじゃないのかって思うんだけどね?

 ちょろっと弄ってはまた弄っての繰り返しでもあったし」


バイクに関してほとんど知識がなく、興味もなかった頃から考えると、加奈さんの言っている事が信じられなかった。


【博一】

「ピチピチのギャルって……しかし、なにをやったんです?」


【加奈】

「あの見た目で中身はほとんどノーマルだったからね。ハッタリ仕様さ。

 ダイレクトイグニッションとか細かいパーツをちょろっと足して、

 他は駆動系をさらに最適化してマフラーも絞って低速トルク仕様にした」


弄る人間同士、乗り手が語らない事は知られたくないという意識からか、あまり細かい内容までは教えてくれなかった。


【加奈】

「フロントアップさせて楽しんでたし満足してたみたいだ。

 セッティングがピッタリだからトップもしっかり出るし」


【博一】

「……ボアアップはしたんですか?」


【加奈】

「いや……じゃあ、逆に質問するけど、アンタがもし腕のあるチューナーなら、

 あの子に頼まれたら、おいそれとボアアップを組む?」


そう尋ねられると困る。


SS125Vをボアアップした車両がどんなものなのか知らない……どういうリスクを背負っているかは想像するのみだが、断る程なんだろうか?


【博一】

「俺には、わからないです……でも、そこまで、変わるんですか?」


【加奈】

「じゃあ、こっちに乗り換えた時はどうだった?」


その瞬間なら覚えている……晴樹とレースごっこをして遊んでいたが、見えていた景色からすると比較にならない。


出足から全開したときの加速Gも凄まじくて、おっかなびっくりで重心が落ち着かず、フラフラしながらスロットルを緩めた経験がある。


しかし、トルクの谷が気になって駆動系を入れたんだった……


【加奈】

「じゃあ、極端に言えば、530エンジンをこれに積んだ時を想像してみろ?

 操っている自分の姿を想像できるかい!?」


そうなると話は簡単だ。想像できないし操れるとは思えない。


【加奈】

「速さの分だけ命の危険性は増加する。あの子にはそうなって欲しくないからね。

 神の手を持つ男の言葉に触発されて、排気量アップを言ってきたが断ったよ」


となると、俺は少しだけ困ってしまう……本題を持ち出したところで、加奈さんは頼みを聞いてくれなさそうだからだ……


【博一】

「やっぱり、頼んできたんですね……しかし、組むとなったらいくらくらいです?」


【加奈】

「あの子も性格悪いね。組もうと思ったのに断られた話をしてなかったんだ……

 組みたいって話をして、最終的に15万って言ったら、面食らってやめたんだよ」


ボアアップしていたら……彼女は怪我せずに済んだんだろうか?


青信号の状態でトラックが突っ込んでくる前に通過できたかもしれない。


スピードが上がりすぎて、もっと激しい事故に遭っていたかもしれない。


でも結局、たらればなんて意味がなくて、ここにある事だけがすべてなんだ……


【博一】

「マトイの家、お金持ちのはずなんですけどね。

 お父さんもお母さんもクルーザーとツアラー持ってるし……

 なのに、15万が出せなかった?」


【加奈】

「色々説明したし、ママの車両だったからね?

 それに、今どきのギャルに15万なんて使ってもらいたくないし、

 オシャレとか色々やる事あるでしょ」


同じ15万でもっと可愛くなるなら、確かにその方がいいと思った。


【博一】

「断られた事、俺に言わなかったマトイの気持ち、わかりますよ。

 俺だってウエイトローラー変えたとか、オイルの種類やグレードを変えたとか、

 聞かれない限り喋らないですし……ショップに入り浸ってるのも知らなかった」


そういうのを隠したがるのは、病気を持った者の性なのかも知れない……


【加奈】

「そうだそうだ、それで、なにか相談しに来たんじゃないのかい?」


しかし、尋ねられると言わずにはいられないわけだ……これから先の事を口にすれば、断られるのは想像に容易い。


加奈さんからすると、排気量を上げるというチューニングはネガティブな方向性みたいだから……


それでもやっぱり俺の気持ちは……止まれなかった。意を決して口を開く。


【博一】

「その……ボアアップを、組んで欲しいんです……」


【加奈】

「いいよ」


【博一】

「えっ!! いいの!?」


てっきり断られるもんだと思ってたのに、予想外の答えが返ってきたからそれ以上なにも言えなくなってしまった。


【加奈】

「だって、お前は男だろ? 一発コケて怪我するのもアリだ。

 ただし、組むにはリスクが伴うからそれを守って欲しいのと、

 私から一つだけ条件がある」


【博一】

「法律の話……ですか?」


【加奈】

「いいや、壊れないように組むから、壊さないように乗る。これが条件だ」


コケてもいいがクラッシュはするな……


命がある事は大前提だと言わんばかりの条件。


【博一】

「わかりました! 通帳の残高ゼロにしてきます!!」


【加奈】

「しかしまあ、どうしてこうも若いのは速さ速さって言うんだろうね?

 元気が有り余ってるなら、命のリスクがない事すればいいのに……」


命……たった一つのかけがえのないものだと多くの人は言う。


だが、そう口にするものの誰かが死んだって、社会は回っていく。


影響力の強い人間の命であれば話は変わってくる。


しかし……所詮、俺達は一般人で、死んだところで誰も気にしない。


じゃあ、かけがえのない命の為に、誰が何をしてくれた?


命を大切にしたままで生きる事を満足させてくれたか?


いつまでも与えてもらえると思うな。甘ったれるな。そんな事を言うんだろう?


俺達はそんな中に葛藤を覚える。


命が重いと言われながら、人生が軽んじられているという事実に……


そして手にしたいと思うんだ。


軽んじられる人生を投げ打ってまで、命が重たいという証明を得る為に!


【博一】

「もしかして……マトイもそうだったんですか?」


【加奈】

「そうだね。よっぽど、なにかあったんだろうね?

 それか、ムキになるほど速いヤツに出会ったとか!?」


彼女がチューニングに……事故が起こる前から速くなりたいと思った……


【加奈】

「だけど、それで怪我しちゃあ世話ないね」


加奈さんの一言を耳にすると、俺は情けなさや後ろめたさが止まらなかった。


速さを求めた結果、無茶をして転倒し怪我をしてしまった。じゃあ、速さを求めなかったら彼女は傷つかずに済んだのかと思うと……


出力を上げようとしてもっと激しい事故を起こしたかもしれないし、無謀な事はしなかったかもしれない。


しかし、現実に起こったのは前者であり、どれだけマシンを速くしようとも、事実から逃れる事は出来ないし……それを焚きつけたのは……


【加奈】

「よし、終わりだ。これでおじいちゃんのおさがりから卒業だね」


光沢を帯びた白色が高貴なまでの輝きを放ち、マシン本体が生き生きとしている。


インナーカウルの黒く鈍い艶は、紳士的で垢抜けた上質な雰囲気を漂わせ、乗り手である俺の存在感が負けてしまいそうな程。


強烈で洗練された印象に思わず息を呑んでしまう。


ヘッドカウル左右につけられたウインカーが俺を睨み、今にも喋りだしそうな生命力に溢れ、すぐにでも駆け出したい気分にさせてくれる。


きっと、毎日でもどこまでも、コイツとなら走っていける……


【博一】

「……やっぱり、見た目も重要なんですね」


というか、おじいちゃんのおさがりって……酷い言われようだ。


【加奈】

「そういえば、自賠責を切りなおさなきゃいけないから、16万ちょっとになる。

 あと、純正マフラーは使い物にならないから絶対に変えてもらう」


【博一】

「ってなると、マフラー3万くらいで20万円か……」


【加奈】

「ボアアップ、ハイコンプ、ハイカム、強化セル、マフラーで15万に」


【博一】

「えっ、でもさっきボアアップだけで15万だって!?

 というか、2万円のマフラーって大丈夫なんですか?」


【加奈】

「吹っ掛けすぎないように吹っ掛けないと、やってくれって言いだすだろ?

 それに、音ばっかりのスカスカマフラーより、

 2万のマフラーの方がいいって必ず思うよ?」


なるほど、最近入り浸っていたという話は本当らしい。マトイの事だ、ちょっとぐらい無理してでもボアアップしそうだし……ウソを吐いたってわけか。


【博一】

「あのスカスカマフラーはもうこりごりですよ……金なら大丈夫です。

 ゼロにするとは言ったけど、加奈さん達が思ってるよりも貯まってるから」


【加奈】

「店の儲けに関する心配はなさそうだね。となると、部品の発注はしておくけど、

 届くのは来週くらいに……ちょうど給料日の後だね」


【博一】

「わかりました。それじゃあ、生まれ変わる前のコイツとしばらく楽しんでます」


【加奈】

「するまえに壊すなよ!?」


【博一】

「わかってますよ。Safty fristで! ありがとうございます。来週また!!」


【加奈】

「お疲れ!」


ショップのガレージからバイクを出して帰路へとついた俺は、言い得る事の出来ない興奮を胸にしながら、夜の道を駆け抜けた。


明るい気持ちで風を切りながら流れていく、街灯や木々を流す。


しかし、それでもやっぱり湾岸道路でのバトルが脳裏に蘇って、あの景色が目の前で経験している事のように鮮明に思い出されてくる。


【博一】

「……マトイ……」


自分でも何故彼女の名前を口にしたのかはわからなかった。


が、帰ったらメッセージの一つでも送ってやろうと考えると、憂鬱な気分はヘッドライトの光に照らされた夜闇のごとく消え去る。


ふと、夜空を見上げる……綺麗な月を目にすると、幸せな気持ちが止まらなかった……だけど、ちょっとだけ恥ずかしくなって……


クスリと笑うと大きくスロットルを開けた。

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