Impression-インプレッション-
彼女の話をヒントに、俺は敵が現れるであろう日没までファミレスで待機し、周りが暗くなるのを確認すると燃料を満タンにして走り出した。
環七通りを南下し湾岸道路を千葉方面へ。強風に煽られながら舞浜大橋を激走し、先を行っていたスクーターを追い越すとミラーを確認する。
【博一】
「Step110か……テールからしてもさすがに違うとは思ったが……まぁいい……」
全く別のマシンであるとわかるとそのままスピードを上げて去っていこうとする。が、ここは湾岸一般道路。
長いストレートと整った舗装、そしてオンボロのバイクに抜かれるとなればムキにならないわけがない。
【博一】
「お、着いてくるのか? それなら、この先の舞浜交差点からスタートだな」
走り慣れた道だからこそ信号のタイミングは大体把握済み。
その点においては、相手も通勤に使っていると見えるから同じだろう。
左車線と右車線の先頭に並んだ俺達は、互いのマシンを観察するでもなく、睨み合うでもなく、ただただ信号が青になる瞬間を待つばかり。
約束もしていない、待ってもいない、ただ出会える時にこの道路に集った、偶然とも運命とも言えないこの瞬間に現れた二台のマシンがデッドヒートを繰り広げる。
スロットルを微妙に開けてエンジン回転数を高めつつ、深呼吸を繰り返し心を落ち着かせながら、ただただジッと堪える。
【博一】
「青だ!!」
一撃で100パーセントの開度までグリップをひねると、クラッチが繋がり車体は立ち上がりそうなほどの勢いで走り出す。
が、もう一台、タイミングよく現れたマシンがブレーキングから鋭く立ち上がり、俺達二人の前へと出てきた。
【博一】
「お、おい! 減速中から立ち上がって勝負に出てくるなんて卑怯だぞ!!」
そりゃそうだ。誰も約束していないのだから。
対抗していたStep110は駆動系をなにも弄っていないらしく、加速の谷に引っかかって、減速しているかのごとくミラーの中に小さくなっていく。
こうなると、勝負の相手は先を行くマシンである。
激しいエキゾーストノートとともに、俺の十数メートル程度先を走っている。
【博一】
「NCX125……ロングなホイールベースと14インチ……
街乗りにもツーリングに優れたマシンだ」
最高質力回転数は8500に12馬力……水冷のマシンともあって11:1の圧縮比を持つ。
クラストップトルクを誇るマシンだ……」
メーターの数値を確認すると時速50キロ程度を示している。
これは非常にまずい……
【博一】
「クソッ……このまま伸びていかれた困るぞ……どうする……どうすればいい……」
NCX125は高速での伸びが素晴らしいと言われている……このまま高速域へと突入されたら立ち上がり重視の俺のマシンじゃ前へ出られない……
【博一】
「いや、弱気になるな……こんなヤツらはハナっから相手じゃないはずだ。
俺は、もっと速いヤツに会いに来たんだ……」
スロットルを開け続けたままわずかに伏せて風をよけつつ、じわりじわりと相手へと迫っていく。
ここで追いつかれたくないと言わんばかりに、相手も俺を振り返り、スロットルは100パーセントの開度のまま、排気音は変わらず吠え続けている。
右車線を走行していたトレーラーを避けて左車線へ入り俺の前を塞ぐと、入れ替わりざまにウィンカーを焚いてオールクリアの右車線へ。
しかし、高速域に辿り着くと同時に相手のマシンの伸びが緩やかになり、デザイン性の高いテールランプが大きく見えるようになる。
【博一】
「GAS! GAS!! GAS!!!!」
ついには横に並んだ。と、同時に、さらに上の領域――超高速域への壁を打ち破り、最新のマシンが後退していくかのごとくチギれていく。
トップスピード目前の状態で中央公園前交差点を抜けると、相手も黄色信号を抜けて追随してきた。
前を走っているまま長いストレートを最高速で駆け、浦安料金所手前のわずかな上りに抵抗がかかりながらも、慣性力そのままに踏破する。
下りの力を借りながら最高速を超えたスピードで浦安料金所を横に流すと、相手はウインカーを焚いてやなぎ通りへの合流車線に消えていった。
【博一】
「減速時からの鋭い立ち上がり、中速域での伸び……
高回転から元気になると言われているマシンを、
ストリート向きに扱いやすく仕上げている」
実際、街中では信号から信号までの距離はとても短い。
しかし、非力な125ccのマシンでは最高速に達するまでにはそれなりの距離が必要であり、なおかつ超高速域は街中においてあまりにリスクが高すぎる。
信号から信号。そしてまた信号から信号の繰り返しの中で、前に出られるマシンが交通の流れを支配する。
【博一】
「トップに振っていなくてよかった……
この長いストレートじゃ、最高速がものをいうからな……
さて、次は何が――」
ふと背後に凶悪な排気音を感じてミラーを窺う。
【博一】
「えっ!」
いつの間に後ろにいたんだ? 塩浜交差点へと向う橋を巡行している最中、素早く左を抜けていったマシンがいた。
テールランプの形状からして、第3世代のAltaiR-MX125。
サブタンク付きリアサスペンションにローダウンとロングホイールベース化という定番カスタムでありながら、どっしりと構えて駆ける姿の重圧感は凄まじい。
【博一】
「いいマシンだ……」
本気にならずにはいられない!!
【博一】
「AltaiR-MX125が相手か。車両重量は120キロほど、最高出力は11馬力。
目だった変更点は外装くらいで、スペックは俺のAltaiRと同じだ!!」
巡行時のアクセル開度からさらに強くスロットルを開け、100パーセント。エンジン回転数が上昇すると同時に、エキゾーストが歓喜の雄たけびを上げる。
デジタルメーターの数値が跳ねあがり、深紅のLEDテールへと迫っていく。
【博一】
「さぁ、弟に勝つチャンスだ! いける、いけるぞ!!」
じわりじわりと後方から近づいて、右の車線へと移動。
横並びになろうとしたその瞬間、相手がチラリと俺を窺うと、俺もまた左を走るマシンを観察した。
燃え盛る紅玉を思わせる鮮やかなレッドの車体。闘争心が爆発する。
【博一】
「やっぱり3rd、しかも国内仕様だ……さぁ、これでどうだ!?
こっちは逆輸入なんだ! レブリミットは存在しない!!」
タコメーターの針がカタログスペックに記されている8500回転よりも上へ伸び、速度の限界点へと到達する。
【博一】
「これで……どうだ?」
ヘルメットの陰に相手ライダーの姿が消え、ミラーに映る瞬間を待ちわびていた。
が、ミラーを目にした途端、ヤツは俺の左にいた……
鏡面に反射しているわけじゃなくて、確実に実体がある。
マフラーも激しい音を怒りの咆哮を上げながら、スピードのその先の世界で荒れ狂う強風の中にいてもなお、堂々と走り続けている。
【博一】
「えっ……なんでだ?」
状況をハッキリ言うならまるで、ワープしたみたいだった。
横目に見ていた相手から視線を逸らして、ミラーの鏡面へ目を向けるまでの、本当に刹那の瞬間に、ヤツは俺の前へと走り抜けていたのだ。
【博一】
「クソッ、ありえない! こっちは全開で、これ以上は伸びない……
何故だ? まさか!!」
AltaiR-MX125だと思っていた……実は違ったんだ……
【博一】
「まさか――」
突如吹き荒れた突風に体制を崩しそうになり、相手から目を離して前方を注視する。
せめても一矢報いたいと思い姿勢を低くするが、街灯に吸い寄せられた虫がヘルメットのシールドに直撃し、反射的にスロットルを閉じてしまう。
【博一】
「うぉっ!!」
その一瞬、相手のマフラーが巨大な破裂音を吐き出した。
【博一】
「なっ! い、いない……」
相手は遥か遠くへと消え去っていた。
しかし、その赤色はテールランプの輝きではなく、塩浜交差点の赤信号であると気が付く……
【博一】
「ということは?」
左右のミラーを確認し、スピードを落としながら振り返ってみる。
しかし、周囲にはそれらしいライダーは見当たらない。
それどころか、まるで異世界に迷い込んだかのように、俺だけ独りぼっちで走行していた。
【博一】
「やられた……か……」
停止線の手前でブレーキをかけて左足を道路へ投げ出す。
【博一】
「なんだったんだ今のは……あれが……ボア車か……えっ?」
ミラーを目にすると、街灯の影になった部分にぼんやりと発光するヘッドライトがあると気が付く。青とも紫とも言えない、鬼火のような色をした牙……前を行くもの噛み砕かんばかりに鋭く輝いている。
【博一】
「ゴーストブルーの牙……そうか……このポジションランプは確かにそう見える……
初代DignityS。排気量155cc。水冷エンジンの出力は15馬力。
まさか……いや、やっぱりコイツか?」
しかし、先ほどチギられて少しだけ殺気立っている俺は、上位排気量相手でも戦うという選択肢以外にはなかった。
【博一】
「いかにデカい排気量乗ってたって、開けられなければ意味はない……
世界最速を手に入れても走らなきゃ本物じゃない!!」
公道の戦いはライダー同士の限界値の戦いでもある。
これで前に出たなら儲けものだ。
調律者の地位は、俺のものだ!!
交差点の信号が赤になり、目の前にある信号はすぐさま青になる。
【博一】
「行くぞ!!」
戦闘モードだとは言え、今まで駆動系への負担を考慮してわずかにマージンを設けたロケットスタートをかましていた。
しかし、今回は違う。駆動系がバラバラに砕けんばかりのスタートを切る。
【博一】
「相手は……」
125㏄相手ならば前に出られたか横に並ばれる程度だっただろう。
155㏄相手ならば出力の違いから一歩先を走っている事くらいは予想済みだ。
しかし、俺が驚いたのは、そういう次元の問題ではなかった……
【博一】
「えっ? 3型……」
街灯に照らされたその姿は第3世代のAltaiR-MX125……
街灯の光を帯びて燃え盛る紅玉のごとく輝き……
ローダウンにロンホイ、サブタンク付きリアサスペンション……
ミラーシールドのつけられたヘルメットや服装に至るまで、すべてが同じ。
【博一】
「……牙みたいなポジションランプ……
DignityディグニティSと思っていたけど違う……
ミラー越しだから間違えたんだ……」
全開にしているのにも関わらず、相手のマシンは遠くへと消え去っていく。
やがて、信号待ちでやきもきしていると、牙のようなポジションランプが、後方に湛える暗闇から這い出てきた。
信号が青になる。
しかし、結果は同じ。
半ば危険である走行ラインのブロックを行おうとしても、一瞬の隙を突かれて抜かれてしまう。
スロットルを緩めれば煽られるばかりで、ストップランプを点灯させる程度にブレーキレバーを握る。
赤い光を相手に浴びせても減速する様子はなく、テールトゥノーズの状態でプレッシャーをかけてくる。仕舞にはパッシングまで。
相手の顔を見てやろうとしても、ヘルメットのミラーシールドが邪魔で見えない。
それなのに嘲笑っている事だけはこの目で確認したかのようにはっきりとわかった。
再び勝負を挑むも、チギられ……また後ろに現れる……
そのとき、俺は彼女の気持ちをすべて理解した。
病院にいた時は何となくわかった程度だった……だけど今こうして、自分の身にひしひしと感じている。
【博一】
「間違いない……コイツが……コイツが、湾岸の赤い悪夢!!」
日の出交差点を抜けて大きな上り坂へ到達すると、俺のマシンはパワーダウンし、車速が低下していく。
にもかかわらず、相手のマシンは地を踏み砕くがごとく、力強く坂を登っていき、遠くへと離れていく。
イヤな気分が止まらなかった。
俺の大切な人を――彼女を傷つけたのは自分であると……
勝てるもんなら勝ってみろと言われているような……彼女が傷つき恐怖する様を見せつけられるような……なにもできない自分が悔しかった。
わずかに振り返ると、相手は頂点でアフターファイアを炸裂させ、その先の景色へと消えていった……
言い得る事の出来ない閉塞感が溢れて止まらなかった。
早く湾岸から出ていきたい、あとは下るだけで、浜町2丁目交差点から左折して京葉道路へ……速く、速く……赤信号で止まってしまうとまた現れる。
目にした青信号に救いを求めながらひたすらに願った……赤信号にならないでくれ、そのまま青信号で……
黄色……いける、抜けられる!
赤信号になる瞬間を目にしながら、速度を上げたまま突っ込んで左へ曲がる。
スピードが乗っている所為で、右折待ちの車とぶつかりそうになった。
が、不思議と恐怖はなく、冷静な思考で衝突を回避する……
いや、死よりも怖い物を見たんだ……
【博一】
「ヤバイ……なんだアイツ……」
京葉道路へと逃げ込んだ俺は、通りすがりのコンビニにマシンを停車させる。
登攀性能を見るにボアアップをしている。
速いし追いつけない……しかし、それ以上に、アイツは危険すぎる。
だが、俺にはどうする事も出来ない……今の俺には……
事故や転倒を凌駕する恐怖だった……心が形を成しているなら、そこにナイフを抉り込まれたような激痛……流れ出る血を口に流し込まれるかのような気分だ。
怖い……怖い……だけど……
【博一】
「最高だ……最高な気分だ! なんだあのマシンは?
スピードを出した時の鮮烈な景色、マシンとの一体感!!」
自分でもどうしてかわからなかったが、笑いが止まらなかった。恐怖を押さえつけたかったんだろうか?
いや、チギられたという屈辱を与えられ、得体の知れない不気味さを味わわされ、それでも走っている最中の事を思い出すと、楽しくて仕方がない。
やっぱり、これは病気なんだろう。
【博一】
「そうか……そうなんだ……やっぱりそうなんだ……」
スピードに関する病の治療法は確立されていない。
コケたから乗るのをやめたとか、周りの人が事故で死んだからとか色々ある。
だけど、俺は俺の治療法が見つかった。
【博一】
「さて……まだ八時か……つく頃にはまだやってるな……」
もうすぐ夏休みがやってくる。本当の勝負はそこからだ。
それまでに準備を終わらせるためにある場所へと向けて京葉道路を流しつつ、ただただ先ほどのバトルを思い出しては笑ってを繰り返していた。
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