Intake-インテーク-

湾岸道路でのバトルをきっかけに出会った俺達は、学校で会ったり俺がバイトまでの余暇を一緒に過ごしたりして、互いに同じ世界観を持つ者として親しくなっていった。


そんなある日、学校をサボって走りに行こうと思っていた俺の元に、マトイからのメッセージが飛んできた。


その内容を目にするが早いか、暖機運転もせずにスクーターを走らせ夏の炎天下を駆け抜けた。


【博一】

「マトイ!」


エントランスに並べられている椅子に、パジャマ姿のマトイが座っていた。


【マトイ】

「いえっすぅ~! 元気ぃ~!!」


白い顔で俺を目にすると気丈に笑いながら、松葉づえを手に立ち上がろうとする。


【博一】

「元気って……いいから座れよ」


【マトイ】

「いやいや、全然だいじょ~V! 来てくれてサ~ンキュ!!

 ヒロッポンが会いに来てくれたから、もう平気だよ~ん」


フルフェイスのおかげなのかアザも傷もなく、可愛らしい顔に落ち着きを取り戻す。


不幸中の幸いというヤツか……それでも、左足のギプスは痛々しくて直視できない。


しかも、さっきから笑っているが、瞳には鬱屈した気分が滲んでいる。


【博一】

「思ったより元気そうで安心したよ。今頃、病室のベッドでのたうち回ってるかと」


明るい性格をしている彼女だからこそ、元気づけたくて冗談を飛ばしてみると、少しだけ晴れた様子で目を輝かせ、猫みたいにじゃれついてくるようになった。


【マトイ】

「ちょっちメキッってなったくらいで~、明日にはたいいんぐめっせーじ!

 あっ、痛っ!!」


当たり前ではあるが、転倒時に肩を打ったらしく、まだ痛むようだ。


元気よく腕を振り上げたのはいいものの、明るい顔をゆがませて手を当てた。


【博一】

「よかった……いや、よくないか……でも、こうして顔が見られてよかった」


その時、彼女はチラリと俺の手にしているヘルメットを目にし、また鬱屈とした雰囲気を滲ませながら、事故直後の恐怖を思い出したのか小さく震え始めた。


こういう時、どんな言葉をかければいいのかわからない……


きっと今、彼女の中では色んな感情が入り乱れているんだと思う。


コケたと理解した瞬間に感じた後悔とか、これからの不安があって……


治療を施されても拭われぬ苦痛とか、生きていたと同時に思った死の恐怖とか色々。


【マトイ】

「怖かった……」


【博一】

「えっ?」


【マトイ】

「怖かった……」


俺も軽くコケた経験ぐらいはある。それでも、やっぱり恐怖は感じた。


生きていると同時にすでに死んでいるんじゃないかと思うほどに……女の子ならなおさらかもしれない。


【博一】

「そうか……コケりゃプロライダーだって――」


言葉の最中で彼女は口をつぐんだまま首を横に振り、歯を食いしばりながら俯いた。


いよいよ震えが止まらない様子で必死に堪えようと全身に力を入れているのが、見ているだけでもわかった。


【マトイ】

「あれは……私達とは違った……普通の乗り手じゃなかった……」


マトイの口調から察するに、言葉にしている恐怖は、死すらも超えた常軌を逸した存在によるものが原因と思えてくる。


【博一】

「まさか……バトってたのか?」


彼女は俺の言葉に頷くかどうかを一瞬ためらったようだった。


そりゃそうだ……危険な走行をして事故を起こせば自業自得。


他人を巻き込んだとすればただの殺人犯だ。


凍えているかのごとく震えている小さくか弱い手のひらに目を落とすと、冷たさを拭ってあげたくて思わず手を重ねた。安心したのか彼女も握り返してくる。細くやわらかい指先から伝わる彼女の気持ち。


恐怖と安堵感とが入り混じる、ライダーしかわからないであろう感情。


【博一】

「そうか……どんなヤツだったんだ?」


さっきの俺の言葉にようやく頷くと、長い金髪に隠された口を開いた。


【マトイ】

「ヒロッポンのバイクみたいに、でっかいヘッドライトがついてて……赤色の車体。

 青みたいな紫みたいな色の牙が付いてた……

 信号で並んだのに、あっという間に離されて……」


あの日の出会いから何度も彼女と一緒に走った事がある。正直に言って、俺よりも上手い乗り手だ。


軽量で小さな車体の強みを最大限に生かした走りが出来て、加奈さんによるメンテナンスとチューニングを行った途端、速さを取り戻した。


トップスピードで勝てるだけで、短距離走なら負けている。


スタートダッシュが得意なマシンに対して出足から速いという事は、上位排気量を持つマシンである可能性が高い。


【マトイ】

「速かった……めっちゃくちゃ速かった……それで、追いつこうとしたんだけど……

 ウチは赤信号で、相手はずっと先に行っちゃって……テールが暗闇に消えて……」


いよいよ堪えきれなかったらしく俺の手を引き寄せて膝元に置くと、俯いた彼女の顔から熱い雫がポツリと肌を濡らした。


【マトイ】

「でも……後ろにいたの……」


【博一】

「後ろに!?」


なにを言っているんだ? 意味がわからない……お得意の造語か!?


彼女も俺も冗談を言える雰囲気じゃないのはわかっている……俺の聞き間違いか?


【博一】

「後ろに……いたのか?」


首を縦に振ると熱を帯びた輝きがまたポツリと降り注いだ。


【マトイ】

「最初は、別の人が来たのかと思った……同じバイクなんていっぱいあるし……

 色とかヘルメットとかジャケットが似ている事もあるし……

 でも、違った……」


それは淡い期待に他ならなかった……声色こそがその時の状況を物語っていた。


【マトイ】

「後ろにいたのがさっきとおんなじバイクだってわかったから、

 道を譲ったの……そしたら、ずっと後ろにいて……

 スロットルを開けてもついてくるし……最高速付近になるとチギられて……」


【博一】

「本当に同じだったのか?」


【マトイ】

「うん……あんなに弄ってあるバイク、あんまり見ないから……

 5回とも全部、同じ……怖い夢みたいだった……」


【博一】

「5回だって?」


【マトイ】

「チギられてもチギられても後ろに出てくるし、スロットル開けないと煽られて……

 何度も何度も……渡る最中に黄色信号になったけど、そのまま抜けようとしたら、

 信号で右折待ちしてたトラックが飛び出してきて、突っ込みそうになって……」


そのあとは言わないでもわかった。ハードブレーキングをして転倒したんだろう……大事に至らなかったのは、車速が落ちていたおかげでもある。


【博一】

「そうか……辛かったろうな……」


チギられる屈辱を何度も与え、勝負しなければプレッシャーをかけてくる。この状況を耳にしたところで、ほとんどの人はこういう筋違いな回答をするだろう。


煽り運転だから信号待ちでカメラに撮って警察に駆け込めとか、スピードのその先が法的に正当化されるわけじゃないとか言うだろう。


ごもっともだ……それは正しい。でも、彼女の話を聞いて俺はそれらの意見に対してノーと吐きつけてやる。


【マトイ】

「あれは、私達とは違う……あんなの……人じゃない!!」


あまりの大声に周囲の人達が驚いてエントランスに沈黙が流れる。しかし、なにもない事を悟ると今まで通りざわざわとし始めた。


【マトイ】

「ごめん……こんなの、信じられないよね……忘れて」


【博一】

「いや……信じるよ……やっぱりそうなんだな」


法律を盾にしのげるようならそうするべきだ……違反が認められるわけじゃないのは百も承知で、今回のケースももしかしたらそうだったかもしれない。


法律が適用される程度の『人間』が相手ならば!


【博一】

「湾岸に速いヤツがいる……法律とかそんな次元じゃなくて、

もっとその先の向こう側にいる何者かが……」


キュっと結ばれた手から溢れるぬくもりを伝わって、彼女がわかったような気がする。


俺達は同じ人種なんだって……


一般的な乗り手とそうじゃない乗り手がこの世には存在する。それが前提だ。一般的な乗り手は法を順守し、乗り物をただの道具として利用する。


しかし、そうじゃない乗り手の場合、法を無視した乗り方や爆音や騒音。


排気量の高い車種なら車検整備を無視し、スタイリングを重視した改造。


スピードを楽しみたい者は、誰よりも速く、誰よりも優れたマシンに乗る。


たとえば、人には夢がある。プロサッカー選手になる、宇宙飛行士になる、ネット配信で有名になる、漫画家や小説家になる。


大小さまざまだがその根底に存在するのは、もちろん他人にはなくて自分にしかないモノ――アイデンティティ。


スピードのその先を求める俺達の抱くのもそれ……


なのに法律で禁止されているから、アイデンティティと社会的責任との間で、自我が崩壊するまで永遠に苦しみ続けるか……


それとも社会的責任を投げ打ってまで自分を貫くかの葛藤を迫られる。


社会と自分との狭間に押しつぶされそうになった結果、俺達はある領域へと辿り着く。


アイデンティティとかいう綺麗事は抜きにして言おう……


こんなのは、ただの病気だ!


【博一】

「ありがとう……話してくれてよかった」


呼ぶとすれば『名状しがたい病』に罹った者にしかわからない次元の話。


親にも友達にも祖父母にも兄弟にも先生にも……誰にも理解できない領域の出来事。


辛かったのに誰にも言えなくて苦しかったんだろう。


胸中に渦巻いている思いの丈を全部吐き出した事でスッキリしたらしく、顔を上げるとわずかに濡れた顔で、いつものように明るく微笑んだ。


【マトイ】

「あっ……う、うん……フフッ、湿っぽくなってメンゴー!

 とりあえず、明日は学校出られるから……って……今、授業チュ~じゃない?」


【博一】

「今日の俺は早退の気分なんだ」


【マトイ】

「うっわぁ~、いけないんだぁ~。

 でもでも、ヒロッポンの顔見られて、めっさ元気になったし、

 話聞いてくれて、ゲロ嬉しかったよ?」


その発言は本当に喜んでるのか?


【博一】

「まぁ、軽症だとはいえ今日のうちはゆっくり休め。

 合法的にサボれるわけだからな」


【マトイ】

「いぇっすぅ~! そう考えるとカブトムシ気分もテンションぶちアゲかも」


カブトムシ気分ってどういう例えだよ。


【博一】

「それじゃあ、なんかあったら遠慮せずに知らせろよ」


【マトイ】

「いぇっすぅ~! んじゃ、バイバイ!!」


彼女と別れるのは妙に寂しい気持ちがしたが、ずっといるわけにもいかない。


病院から出ていくと、すぐそこの駐輪場に止められていたバイクにキーを差し込み、エンジンを始動する。


【博一】

「やる事が出来た……一緒に、やってくれるか?」


マシンに語り掛けても言葉はない……しかし、エンジン音はいつもより激しく鼓動しエキゾーストは猛々しく勝気な雄叫びを響かせる。


スロットルを開けると今すぐにでも戦闘できそうな程、スムースかつ強烈なトルク感が体を襲う。


【博一】

「最高にSweetだ……ありがとう……さぁ、行こうか!!」


いざ、湾岸一般道へ……

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