第三話
1ヶ月経ってようやく遅刻や早退をせずに、朝9時から夕方5時までの勤務時間をまるまる働くことができた。集中力がなくなるので残業はまだできそうにない。今日は久しぶりに北原より早く出社してきていた。
オフィスで唯一のダイアルアップ接続の古いコンピュータを起動させ、インターネットに接続した。モデムにつなぐ時のダイアルアップの音を聞いて先日までのプッシュ音を思い出した。ダイアルアップで聞こえるほど早くないのだが似ている音である。
「おはようございます。社長。お身体いかがですか」
「お、おはよう副社長殿」
オフィスは以前にくらべて小奇麗にしてある。武田が倒れてから北原が心を入れ替えたのだろう。
「ゴミを棄てておけ」が最後の言葉にでもなったら大変だからかもしれない。気遣いが感じられる北原なのだが武田が元気になってくると、
「プッシュ音がするって?そりゃ空耳でしょ。僕も水道で水を流している時にあのチョロチョロと流れる音の中に電子音と勘違いさせる周波数の音があると感じる時がありますよ。武田さん、やっぱり打ちどころが悪かったせいかもしれませんね、ははは。あるいは自律神経失調症とか……」
他人事のようにあしらう。これが気を遣わせないようにする北原の気の遣いようなのかもしれない。お互い深く考えずに仕事に没頭することができた。武田はキリが悪いからとトイレにさえ行かずに我慢している。
「北原、ちょっと俺の代わりにトイレ行ってきてよ。もれそうだ」
「なに言っているんすか。病院でシビンもらってくればよかったのに……」
笑いながら北原が応えると武田が真剣な顔をしている。
「え、まさか漏らしちゃったとか?」
「し、静かに。いま、聞こえなかった例の電子音?」
「電子音って、コンピュータの稼動音だけしか聞こえませんけど……」
「『ピッ、ポッ、パッ、ポッ』って結構な速さで聞こえたような気がするんだが、どこからだろうか」
「探すついでにトイレも行ってきちゃってくださいよ。こっちも忙しいのですから」
笑って受け流す北原だが、武田がトイレに入ってから自分なりに発生源なるものを探し始めると同時に、何か慰めになるような納得の行く材料になるような原因を考え始めたのだった。
「おかえりなさい。まだ聞こえてますかその電子音?」
「いや、収まっている。なんだろう、やはり俺にしか聞こえないのだろうか」
「あまり深く考えないほうがいいですよ。アメリカでは子供の頃に自分だけの話し相手がいたと振り返る大人が結構多くいるそうで、また、老人になったら今度は天の人と会話が出来るとも聞いたことがあります。つまり、個人差はあれ、何かしら聞こえている人はいるんじゃないでしょうか。電子音ならまだ可愛いものですよ」
「電子音はまったく可愛くなく無機質すぎて、さらに意味をもっているような気がするんだよ」
「何か意味を持っているとしたら宇宙からの通信かもしれないですよ。解読してたら真意がわかるかも」
「解読かなるほど」
この日は二人とも定時に仕事を終わらせてそれぞれ帰宅することにした。
つづく
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